In the case of 第九話

作者:揚げ玉




In the case of 第九話 (Raptor 2)


 夕刻間際になり、ディオとガスゴーの二人は色濃い男の体臭をまとって小屋へ戻った。ほぼ半日をモンスターの狩りに費やしたのである。動き続けた体は汗で覆われていた。
「食いモンは用意できてるんだろうな!?」
地面を蹴り、重厚な足音を立て、ガスゴーが小屋の中へ入ってくる。小屋といっても扉があるわけではなく、屋根と壁がある程度の作りでしかない。戸のある部分は吹き抜けになっており、中の様子が簡単に窺う事ができる。
 ハンターによっては、ここに布を下げて扉代わりにする者もいた。
「はい、ばっちり」
小屋の裏手にある泉で釣りをしていたラプターが、ガスゴーの声を受けて慌てて小屋の前に現れた。小屋の前では既に火が起こされ、いつでも食事に取りかかれる用意がされている。
「あの女は?」
「さっきそこの川に水浴びに行きましたよ」
「ほぉ……準備が良いじゃねぇか」
そう言ったガスゴーが、脂ぎった笑いをあげる。
 ガスゴーが兜を脱ぎ、ディオもまたそれに倣った。
 ところが、二人はそのまま鎧を解き始めた。
 眠る際に鎧を解くハンターもいるが、大半はいつモンスターの襲撃があってもおかしくないように鎧を身に付けたまま眠りに就く。また鎧を解くとっても、多くの場合は体を締め付けている部位を緩めるだけで、すぐに付けられる様に鎧が体に接した状態にはしている。
 ところが二人はまるっきり鎧を解き、内に着込んだ普段着だけの状態になっていた。
「おい、青瓢箪。これから何が起きても邪魔はするんじゃねぇぞ」
焚き火の前に並べられた肉を火にくべながら、ガスゴーがそれへかぶり付く。まだ切ってから時間の経っていない肉は、凝固しきれていない血液を地面へ零した。
「これから……? 何かするんですか?」
呆然と立ち尽くしたまま、ラプターが二人の獣の肉をむさぼるのを眺めている。
 肉から滴る鮮血に口元をぬらし、音を立てながら肉を食い漁る姿を見ていると、人と獣の境に疑問を投げ掛けたくなる。
 そもそも人と獣の間に境界など存在するのだろうか、と。
「犯るんだよ、あの女を」
事も無く言ってのけるディオが、醜悪な素顔をさらにゆがめて見せた。
「どうせ狩りに連れていったって役にたたねぇ。足を引っ張られるだけさ」
ガスゴーが肉の中から小骨を吐き出しながら、言葉をも吐き出した。
「そ……そんな! 何を言ってるんですか!? いくら役に立たないからって……」
「うるせぇな! いいか!! 俺の仲間はな、てめぇみたいなカス野郎に狩りの最中に間違って背後から切り付けられて、怯んだ瞬間にレウスに丸呑みにされたんだ! あのカス野郎はすいません、そう言った後で、さも当然そうにレウスの体を剥ぎ取ってたよ」
自らの言葉が自分の中の何かを思い出させたのか、ガスゴーは耐え切れなくなったようにその場に立ち上がった。
「だから俺も言ったよ、そいつを殺した後ですいませんってな!!」
「落ちつかねぇか、ガスゴー」
同じ様に焼かれた肉を頬張っていたディオが、口内の物を吐き出し、その場に立ち上がった。
「いいか、青瓢箪。人には領分ってもんがある。その領分もわきまえずに、分不相応な狩りについて来て、甘い汁だけ吸おうってのは虫が良すぎる。だからてめぇにはてめぇの、あの女にはあの女の貢献をして貰おうってのさ」
焚き火の炎を背後に受けたディオは、まるで煉獄の淵に足を踏み入れた修羅の様にも見える。
 人ならざるものと戦ううちに、ディオは自らをもそちら側へ投じてしまったのだろうか。
「いいか、てめぇみたいな腰抜けと違ってなぁ! 俺たちにとっちゃこんな事なんでもねぇんだよ!」
ガスゴーの怒声がテントを薙いだ。ラプターの皮膚がびりびりと震え、彼の気迫がひしひしと伝わってくる。
「……では、普段からこんな事を?」
「あぁ? そうさ! レドニアに来る前から、俺たちはそうやって来た! 今更てめぇに何言われようが関係ねぇんだよ!!」
ディオが分からない程度にガスゴーを一瞥した。
「ミナガルデにいた頃から?」
「!?」
ラプターの一言で二人の様子が一変する。
「てめぇ……!?」
だが、ラプターはこれまでと同じ様に、さして驚いた風もなく、相変わらず軽薄そうな微笑を湛えていた。
「恐らくその様子では名前は覚えていないかと思いますが……お二人がミナガルデにおいて最後に慰み者とされた二人の女性ハンター、彼女らの名はイルマと、シュイといいます」
「てめぇは!?」
ガスゴーがもどかしい様にしながらいきり立ち、ディオが眉をひそめている。
「記録ではイルマさんはその『狩りの最中に飛竜に襲われて』亡くなっていますが……。シュイさんは命からがら飛び込んだ川から奇跡的に生還いたしまして」
ディオもガスゴーも、今は明らかな嫌疑をもって目の前の男を見ていた。
 一体、この男は何者なのか。
「ですがシュイさんも飛び込んだ水の中でガノトトスに襲われ、飛竜の身体に接触して皮膚をこそぎ落とされてしまいまして。精神的なショックも合わせて、話せるように回復したのは少し前、動けるようになったのはつい最近の事です」
食事の用意をしていたラプターの、手元で飛び跳ねていた魚が、今はもう動きを止めていた。
「まさかレドニアにいらしていたとは……。探しましたヨ?」
余罪は幾らもあるのだろう。
 ディオとガスゴーがミナガルデを出るに至った背景には、確認されていない犠牲者が何人もいるはずである。
「個人的に引率と呼ばれる狩りの形態はどうかと思いますが、それが殺されて良い理由に足るとは思えません」
ディオもガスゴーも、何故か動く事ができなかった。
 飛竜を前にしてすらこんな事は無かった。
 だが、今は足が根を張ったように動く事をやめてしまっている。
 いや、まるで足が動くという命令を実行する気が無いかのように、動く努力すら放棄してしまっている。
 緊張も脱力もそこには無い。
 ただただ、足が言う事をきかないのだ。
「……て、てめぇ、何をしやがった! この青瓢箪野郎!!」
ガスゴーは知らなかったのだ。
 それこそが、蛇に睨まれた蛙というものなのだと。
 あがくでもない、恭順するでもない。
 身体が何かを成す事を放棄してしまう。
 目の前に絶対的なものが現れた時、身体が本能的に悟るのだ。

何をしても適わない、と

「……イルマの仇よ」
静かに、だが深く、暗く、彼女は言い放った。
 突然ディオとガスゴーの背後に現れたシュイは、二人に麻酔玉を投げつけたのである。
「うっ……」
後頭部を叩きつけるような眠気が襲う。膝が崩れ、まるで立ち上がることが不可能な生物のように、二人はその場に倒れこんだ。
「……安心してください。飛竜用の麻酔玉を、ちゃんと人間用に薄めてありますから。そのまま死んだりしませんよ。また、後デ」
倒れこんだ二人の視界に入るよう、ラプターはわざわざ屈みこんでそう言った。
 微笑んで手を振りながら。
 そして彼らは知るだろう。
 ショック死を起こすほど効果の強い対飛竜用の武器、麻酔玉。
 何故ラプターが、わざわざそれを薄めて用意したのかを。

 洞窟はドーム状に広がり、天井の一部にぽっかりと穴が開いている。洞窟内の埃っぽい空気は、天井の穴から差し込む光を具現化させている。
 矢のように差し込む光の束。
 荘厳な宗教施設の様にも見える洞内は、風を受けて鳴動していた。
「大丈夫ですか? シュイさん」
洞内にヴェクサシオンの声がこだまする。
 酷く俗な声にも聞こえるのだが、一方で罪を裁く高貴な者のそれにも聞こえる。光の矢を浴びて立つヴェクサシオンは、誘惑を囁く小悪魔の様であり、まるで神の御使いの様でもある。
「ええ、大丈夫です、ヴェクサシオンさん」
自分の腕で両肩を抱きしめながら、シュイが答える。身体を震わせ、彼女がうつむいている。
 シュイは、かつての事を思い出していた。イルマと供に暴行を加えられ、剣で胸を突かれながらも、なんとか逃げ出した。
 それがこの丘陵地帯である。
 このリオレイアの討伐という依頼においてである。
「……貴方は気丈な方だ。わざわざ過去の傷を抉るような思いをしてまで、この二人と決着をつけようとされている」
感情のこもらない瞳で、ヴェクサシオンが後ろ手に縛られたディオとガスゴーを見た。眠ったままの彼らは、これから何が起きるのか知る由も無いだろう。
 まるで物を見るかのような瞳を、ヴェクサシオンが閉ざした。
「私は生きてここにいますが、イルマはもういません。私が彼女にしてあげられる事は……もうありませんから」
生きている者が、死んでしまった者に出来る事は無いのだ。
 だからせめて、この二人と決着をつけようというのであろう。
 少しでも死者の魂が安らぐように。
「……」
だがそれは結局、生きている者が生きている者にする事に過ぎないのだ。
 ヴェクサシオンは思う。
 死んでいった者に何かをするのは、死者への喪失感を補うためにする自己欺瞞に過ぎない。
 死んだ者は土へと帰るしかない。
 彼らは生者に何物をも望めないのだ。
 生者が彼らに何も望めないのと同じ様に。
 だが、それで良いと思う。
 生きている者には慰めが必要であろうし、かつて生きていた者も、死んでまで 自分に囚われて欲しいとは思わないであろう。
 そして生者は死んだ後の者に何かをする事で、自らも死への恐怖を和らげるのだ。
 自らが死しても、生ある者は忘れないでいてくれるのだ、と。
「……それでも、立派だと思いますよ」
死んだ者への行いが、生ある者の欺瞞とするなら、彼らに何をどのくらいするのかは、その人間を示す一つの指標になると思う。
 もはや咎める者のいなくなった関係に、どれだけ犠牲を払う事が出来るか。
 だから、今ここに自らの足で立つシュイは、本当に立派なのだろう。
「……うぅっ」
嗚咽が零れる。
 イルマを思ってなのだろうか。
 死者への手向けという報いの無い行為を、ヴェクサシオンに認められてなのだろうか。
 シュイは身体を震わせて泣き始めた。
「シュイさん……」
ヴェクサシオンがシュイの肩を抱きしめた。
 鎧で隠した傷だらけの身体は、小さな子供のように揺れている。
 
 風が洞窟を駆け抜けてゆく。
 山腹に開いたこの洞窟は、背後が切り立った断崖に接し、前は丘陵地帯へと続いている。そのどちらもが高い崖を登らねば往来出来ず、小動物か空を飛ぶもの、もしくは人間以外には移動が困難である。
 それゆえ飛竜は外敵の少ない、こういった場所に好んで巣を作るのだった。
「起きましたか?」
「て……てめぇ!!」
目を覚ましたガスゴーが、食らい付かんばかりの勢いで叫ぶ。その拍子に、自分が縄で縛り付けられているのに気が付いた。後ろ手に縛られ、まるで身動きが取れない。
「……ラプターとかいったな。てめぇ……何者だ?」
同じく目を覚ましたディオが、ラプターを睨みつける。だが、彼は相変わらずの微笑で答えた。
「お初にお目にかかります。ミナガルデハンターズギルド所属、陰隊長、ギルドナイトヴェクサシオンと申します」
手を胸に当てたヴェクサシオンが、慇懃な礼を二人へと向けた。
 偽名をさも当然のように否定し、新たに名乗った名は、しかしそれすらも本名であるかわからない。
「ギルドナイト……!」
ガスゴーは知らなかった様だが、ディオは伝え聞いていた。
 酒場で言われるギルドナイトと、彼らの本当の姿。
 その驚異的な能力でハンターの頂点に立ち、彼らの羨望を一身に集めるハンター。それがギルドナイト。
 だが、ハンターズギルドの規定に触れた者を裁く者。
 それもまたギルドナイトである。
 彼らの本当の姿とは、すなわち人を狩るハンターであった。
「まったく……どうしてハンターと言うのはこう野暮な方が多いのでしょうネ」
ラプターが二人の前を歩き、左右に行ったり来たり往復を始める。
「数件にわたる婦女暴行……そして殺害。嘆かわしい」
大げさに首を振りながら、ラプターが顔をしかめる。
「男性なら女性の心まで奪い取って見せなさい。身体だけ奪って何が楽しいのでしょう?」
ガスゴーが大口を開け、ラプターを怒鳴りつけようとした時だった。
 ハンターならば、誰しもが口をつぐまなければならない瞬間が訪れたのである。
 遠方から聞こえる羽音。
 巨大な何かが飛来する音だった。
「ギルドからの裁定を申し渡します。ディオ・ガスゴー。両名にハンターらしい最後を」
それだけ言うと、ヴェクサシオンはゆっくりと歩き始めた。
「オイ! 待てよ!! あれは……!!」
ガスゴーが洞窟内の天井を見詰めながら叫ぶ。
 間も無く、あの天井の裂け目に来訪者があることだろう。
「ああ……そうそう、武器と鎧は没収しておきましたよ」
思い出したように振り替えると、ヴェクサシオンは可笑しそうに笑って見せた。
「女性を口説くのに無粋なものはいらないでしょうからね」
戦慄。
 ディオは戦慄を覚えた。
 この時、彼はラプターという偽名の意味を始めて知った。
 猛禽類。
 気高くも獰猛な狩人。
 その偽名を持つヴェクサシオンという男は、最早自分らを人間として見ていないのだ。
 処理されるべき肉塊。
 ヴェクサシオンの瞳にある、暗くて重い熱の無い光が、ディオへ彼の本当の姿を垣間見させていた。
「では、ボクはこれにて。願わくば甘い一時とならんことを」
まるでそこが舞台であるかの様に、ヴェクサシオンの頭上からは細切れの光線が降り注いでいる。
 微笑を残し、頭を垂れる。
 胸に手を当て、背後に腕を回して。

 切り立った崖の上からは、洞窟の中が見える。山腹に穿たれた洞窟よりも、ここは更に上方に位置するのだ。
 ここからは洞内を見下ろす事が出来た。
「さて」
ガチン。
 引かれたトリガーが、ボウガンに弾を吐き出させる。真っ青な空に向け、ほぼ水平に放たれた弾は、やがて引力に負けてなだらかな曲線を描く。それが空気の抵抗に負け、ほとんど失速したところで、弾は洞窟の口へ飲み込まれた。

GJ!

 これが狩りであったなら、イリアスの神業に向けてそんな賞賛が飛んだであろうか。いや、口をあけて声を出すのも忘れたであろうか。
 その弾は遥か離れた洞内で縛られる二人の、二本の縄を同時に切断したのである。
「……」
ボウガンに取り付けられたスコープを覗き込む。
 そこには、この位置から肉眼では確認する事の出来ない光景が広がっていた。

「お、おい!」
縛られていた縄が不意に解け、ガスゴーは慌てて立ち上がった。
 同じ様に縛られていたディオの縄もまた、不意に切れ飛んだ。
 二人を縛っていた縄が、一発の弾丸によって切断されたのである。もっとも、彼らはその事に気付く事は無かったが。
「……クソッ」
縄が切れたところで、絶望的な状況である事に変わりは無かった。
 天井の穴から舞い降りたリオレイアは、留守中の来訪者に酷く腹を立てている様である。
 洞内にいた二人の人間を見るなり、凄まじい音量の咆哮を放った。

「見ますか?」
「……はい」
それは多分、シュイの義務感からだったろう。
 イリアスのボウガンに取り付けられたスコープ。
 そこから見えるものは、凄惨を極める光景だった。
 最早動かなくなったとはいえ、かつての生物の破片が無造作に散らかる様は、出来るものならば見たくは無い光景である。
 薄暗い洞内に、口元を動かすリオレイアの姿が見える。
 シュイはその光景を見詰める事で、死んでいったイルマへの責任の一つを果たしたのかもしれない。

対象1 右腕欠損後に右半身欠損 その後被捕食
対象2 幼生を奪い盾代わりに試みるも、飛竜の爪に貫通され、飛竜と供に宙へ飛翔
後に宙から開放
地表に激突後全身骨折、ブレスの直撃にて融解

「お疲れ様、イリアス君」
付近の泉でラプターと合流したイリアスは、簡単な報告書を彼へと手渡した。
「こういうのはボク達の仕事なんだけど……手伝わしちゃってすまないネ」
こういうのとは、ラプターの負うべき暗殺や処刑といった任務である。
 ギルドナイトの中でも、特に闇色の濃い仕事を請け負う集団がいる。それが陰と陽という二つの部隊だった。ラプターは陰の隊長を勤めるギルドナイトであり、今回の一件も彼が執り行う事になっていた。
「いえ、これも修行ですから」
「……ベッキーさん辺りに吹き込まれた?」
黙って苦笑するイリアスの様子は、その指摘が間違っていなかった事を示している。
 ギルドナイトに就任してから間もないイリアスは、こうやって様々な仕事に引き出され、経験を積まされていた。
 曰く、何でも経験を積んでおくのは良い事。との事である。
「シュイさん、大分落ち込んでおられたようですが……」
泉の脇に伸びた間道で、シュイは一人で休んでいる。
 多分、今は誰も傍にいないほうが良いだろうと、イリアスが安全そうな場所を探してシュイを休ませたのだった。
「そうでしょうネ。でも、こればかりはボクたちがどうにかできる仕事ではないから」
間道へ向けて一瞥を送り、しかし、ラプターもまたシュイに何かをしようとはしなかった。
「それで、やはり陰を?」
「……そうする事にした。あの二人が一番の大物だったらしいから、もう制圧に時間は掛からないだろうしネ」
「レドニアの落日、ですか」
不意に空を見上げたイリアスの瞳に、陽の光が染みてくる。
 それは、血の色に見える真紅の光だった。
「これがあの町にとってより良い道への第一歩となればいいケド……」
夕日が訪れ、一日が終わろうとしている。

数日後、レドニアハンターズギルドという組織は解体され、レドニアはミナガルデハンターズギルドの直轄地となった
2005年12月21日(水) 04:18:44 Modified by orz26




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