In the case of 第十二話

作者:揚げ玉




In the case of 第十二話 (Hector 2)


 シュレイド王城。
 かつて、東と西のシュレイドの民が血みどろになって奪い合った城。その際ですら、城がここまで穢される事は無かったろう。
 舞い降りた漆黒の竜は殺戮の限りを尽くし、城の形自体をも変貌させつつあった。
 幾つか存在していた塔は竜のブレスによって倒壊し、そこにあった人々は食い尽くされた。
 破壊の限りを尽くした漆黒の竜は、人間達を一飲みにし、人々の憎しみをも平然と飲み込んで、その場を飛び去った。
 去り際、竜の口から放たれた咆哮は、生き延びた人間の耳に焼き付いて永遠に剥がれない事だろう。
 憎しみ。
 人が竜を憎むよりも、遥かに忌々しい憎悪。それを、竜は口にした。
 言葉は分からない。
 だが、これだけは分かる。

この竜は人間を憎んでいる

 だからこそ、この竜が再来するであろう事は誰も分かった。竜は満足していないのだ。人を殺し、喰らい尽くすまで、彼の竜は幾度でもやってくる事だろう。人々は竜の再訪を疑う事無く、そしてその為にハンターを手配する事を決めたのである。
「ヤレヤレ、絶好の王都見学日和じゃないか」
漆黒と血の色を混ぜ合わせ、悲鳴という名の絵筆で空を塗りつくすと、こんな色になるのだろうか。
ヘクターはため息混じりに空を見上げた。
「こんな空、見たことないぜ」
紫色の空には雲が厚く積もり、禍々しさを一層際立たせている。
 腰に手を当てたディグニティが、呆然と空を見上げた。
 クラスターは無言のままため息を突き、エストが黙って空を睨んでいる。
「地獄の中に放り込まれたみたいだ……」
クラスターのその感傷的な言葉に、誰も賛意を示さなかった。
 しかし、否定もできなかった。
 既にシュレイドに住民の姿はなく、この場には彼ら四名しか存在していない。まるで終焉を迎えた世界に、四人だけが取り残されているようである。
 川原のようにゴツゴツとした地面。かつて様々な植物によって彩られた庭園が、竜の炎によって焼き尽くされた果ての姿である。
 だが、それらは黒紫色の空と混ざり合い、酷く似つかわしく見える。
 まさに、地獄のごとき光景だった。
「女王様のおなりってか?」
ヘクターが見上げた先には、一つの黒点が存在している。
 黒紫色の空に浮かぶ、漆黒の点。
 それはまるで、この禍々しい空が生み落としたかの様である。
 忌わしの申し子。
 その黒点は徐々に大きくなり、一つの像を結んだ。
 竜。
 いや、龍である。
 世界で隆盛を誇るワイバーンではなく、ドラゴンに分類されるモンスター。御伽噺の中で語られる、恐怖の象徴。
 漆黒を恐怖と怨嗟で薄めると、このドラゴンの体色になるのだろうか。黒よりも灰に近い体色。十メートルを越える長い胴。人々をゆうに見下ろす全高。まるで城ごと包み去ってしまいそうな巨大な翼。
 正面からこの龍を見れば、まるで立ち上がった人のようにも見える。
 漆黒の龍は空を飛びながら、ゆっくりとこちらへ向かっていた。
「何てでかさだ……」
「やれんのかよ、こんなの……」
「……」
驚愕する三人の後ろで、ヘクターが首を振る。
「泣き言は聞きたくないな」

 地面の上に、四つの影がある。
 まるで血戦の舞台のようにしつらえられた城の中庭に、人間が四人立っている。
 そうか。
 アレらが私に歯向かおうと言うのか。

キィィィィィイイイイイアアアアアアァァァ

 凄まじい鳴き声だった。
 咆哮と言うには雄雄しさを欠き、威圧と言うにはあまりに禍々し過ぎる。
 鳴き声と呼ぶには、この声に含蓄される邪悪さを表現しきれるものではない。
 だが、そう呼ぶ以外に適当なものも見当たらない。
「クッ……!」
思わず耳を塞いだディグニティは、次いだ瞬間に身体を強張らせた。
 突風がディグニティを襲ったのだ。
 大きく広げられた龍の翼が一閃され、風が凄まじい勢いで叩きつけられたのだ。
 風が地面に円形の波紋を作り出し、その上に立つ四人をも吹き飛ばさん勢いで吹き荒れる。
 翼がしなる度に巻き起こされる波紋は、回数を重ねる度に深く、濃くなってゆく。
 それに比例し、龍の体は徐々に大きく、地面に近くなっていった。

キィィィィイイイイイアアアア!

 漆黒の龍が、大地に降り立つ。
いななく一声は、混迷する空をさらに色濃く染色した。
 紫色に支配された空の下、地面が壊疽を起こした様に見える。
 龍の翼から地面へ突き立った風が、まるで大地へ毒を注いだ様だった。
「びびるんじゃねぇ、ラオより小せぇ」
「ラス! 貫通3を奴の顔面に撃ち込め」
「エスト! 当たりは俺が見る。隙が出来たら、突っ込め」
「ディグ! 奴の俺への動きを見ておけ。飛び込むのはエストに合わせろ」
矢継ぎ早にヘクターが叫ぶ。
 そうしなければ、大地に降り立った漆黒の龍に気おされてしまいそうになる。 めったに大声を上げぬヘクターの、その声が一同の目を覚ました。
「分かった!」
「死なないでね」
「了解!」
漆黒の龍へ走り出したヘクターの背を見送り、数瞬をおいて二人が続く。クラスターだけがその場に腰を落とすと、スコープ越しに龍の威容を睨んだ。

キィン

 弾丸が、弾かれながら直進する。
 龍の顔面に突き立ったLV3 貫通弾は、回転し、対象を貫こうとしながら、しかしその皮一枚傷つけずに滑っていった。
「顔の皮は厚い方なんですよーってか!?」
続けてLV3 貫通弾を撃ち込まれ、その隙を突き、ヘクターが龍までの距離を加速的に縮める。
 詰まる距離に比例し、大きくなっていく漆黒の龍。
 その威容が剣の間合いに入った時、ヘクターは躊躇わずに大剣を振り下ろした。
「ゼェア!!」
背にある大剣を、振りぬき様に凄まじい勢いで漆黒の龍へ切り付ける。

キィア!!

 それを戦いの幕開けと取ったのだろうか。堅固な鱗によってヘクターの剣を跳ね返しながら、龍が鳴き声を上げた。
「ディヤ!!」
龍がヘクターを睨む隙を突き、駆け込んだディグニティがわき腹目掛けて大剣を突き刺す。
 大剣、それを槍の様に突き刺す事を、ディグニティは得意としていた。剣に始まり、槍、槌、ボウガン、およそあらゆる武器を極めた彼だからこそ、出来る芸当だった。
「テア!!」
硬い。
 ディグニティとヘクターの大剣ですら、龍の鱗を破れなかった。
 自分の片手持ちの剣では、二人の剣を上回る威力を得るのは不可能だ。
 それを知ってなお、エストは自らの剣を龍へと切り付けた。ディグニティが大剣を突付けた位置へ、片手で扱える剣に両手を添えて。
 だが、そんな事で龍の身体に傷がつくことは無かった。

これが人間か

恐らく選り抜かれたであろう戦士

その四人がこの程度なのか

 今、四つ目に叩き込まれた斬撃もまた、漆黒の龍に傷一つ負わせる事ができなかった。漆黒の龍、彼女はわざと成されるままになった。四人の人間がそれぞれ一撃を繰り出すまで、彼女はそれらの動きを観察していたのだ。

価値も無い

 彼女は立ち上がり、空を仰いだ。
 そして、咆哮する。

キィィィィィィイイイユユィィィィィィィイイ

 四人が慌てて耳を塞いだ。耳には簡素な耳栓を詰めていたが、そんなものが何の役にも立たないと、たった今気付いた事だろう。
 夢に見た、想像した、どんな邪悪なものよりも禍々しい声。
 それは空を裂き、天に達した。

シュッ

 それは雲が切れた音だったのか。
 空が焼けた音だったのか。
 静かな形をした音。
 しかし、音自体は大きなものであった音。
 音は紫色の空を割って、蒼いものを招いた。
 それは鞭のように空から振り下ろされ、大地を叩いた。

轟音

 音はほとんど衝撃の形を成して身を抉った。
 今は、バチバチという音だけが知覚出来る。
「……GJだ、ラス」
何が起きたのか、それを理解できたのはヘクターと、三人から離れたところでボウガンを構えるクラスターであった。
 咆哮をあげた龍が、稲妻を招いたのだ。
 空を割って飛来した幾筋かの雷が、地面を抉ったのだ。
 その雷が四人を襲わなかったのは、クラスターがとっさに弾丸を宙へ放ったからである。空を走った金属の弾が、三人の頭上に注ぐはずだった雷を引き付けたのだ。
「女王様は雷を操るらしい……咆哮に注意しろ」
「んな、無茶な……」
遅ればせながら何が起きたのかを理解したディグニティが、事も無く語るヘクターに呆れ顔を見せた。
「雷を呼ぶ龍……」
真っ赤な瞳でこちらを見詰める龍へ、エストは思わず魅入った。
「ごちゃごちゃ言うな……」
そのヘクターの語尾は、轟音によってかき消されていた。
 巨大な槌で叩き付けられたような、乾いた音。
 龍が翼を一閃させ、地面へ突風を吹きつけたのだ。
 砂煙と石が巻き上がり、それらがヘクターへと叩きつけられる。
 だが、その煙幕の向こうには、翼の一閃で揚力を得た龍の巨体が宙にあった。
「ウォオ!?」

ヘクターの悲鳴とも絶叫とも突かぬ声が、土煙の向こう側から聞こえた。
「!」
とっさにエストとディグニティが身構えるが、ヘクターの姿は土煙に飲み込まれて確認できない。
「オイ!」
土煙は濛々と立ち込め、さらに振りぬかれる翼のせいで、それは更に色濃くなる。
 羽ばたかれる翼の音だけが土煙の彼方から聞こえ、それ以外は音を失ったように無音となった。
「オイ! ヘクター!! ……ラス! ラス!」
ディグニティが慌てて背後を振り返り、後方の城壁へ身体を固定させ、ボウガンのスコープを除くクラスターへ呼びかける。
「分からない! 飲み込まれた……様に見えた……」
土煙は、まるでそこに壁があるかの様にして、龍とヘクター、そして三名を分断している。
「チッ!」
クラスターの言葉を受けたディグニティが、地面を蹴りつけて土煙の中へ走り出す。
「ディグ!!」
土煙の中の龍へ切りかかるなど、ほぼ自殺行為に等しい。近づいたと途端、龍の口が自身を飲み込んでしまうかもしれないのだ。
 エストがディグニティを止めようとするのだが、最早彼は止められぬ位置まで駆けている。それを見たエストもまた、腰の剣を引き抜き、彼の後を追って駆け始めた。
「……」
クラスターのボウガンが、ぐらついている。
 ヘクターを飲み込んだ土煙は、新たにエストとディグニティをも飲み込んだ。援護射撃の一つもしたいところだが、味方に当たってしまっては元も子もない。微かな同様が、クラスターの狙いをぶれさせていた。

 王城の庭が抉れる。
 砂が舞い、砂利が砕け、小石が弾ける。
舞い上がった龍は、土煙を纏いながらヘクターへ襲い掛かった。
「ウォオ!?」
不覚にも、宙を駆ける龍の速度はヘクターの予測を上回っていた。
 まして土煙の舞う宙から、突如龍の体が襲い掛かったのだ。
 ヘクターの身体は完全に龍へ捕らえられていた。

 捉えた。
 煙で失われた視界の中、口元に何かを捉えた感触があった。
 間違いない。
 あの人間は今頃、腹の中だ。
 漆黒の龍は、僅かに収まった土煙の中でほくそ笑んだ。

「いってぇなぁ……」
大剣に足をまたがらせ、身体をひねりながら、ヘクターが唸った。
「俺じゃなかったら死んでだろうが!」
漆黒の龍の口に大剣を寝かせ、その上に身体を乗せ、ヘクターは龍の口から逃れていた。
 上顎と下顎を、大剣でふさがれた形になった龍は、いらだたしさを叩きつけるように首を振った。
「うお!?」
そのまま宙へ吹き飛ばされたヘクターが、器用に身体を捻って着地する。
 ドシャリという重音と供に、着地した地面が大きく削れた。
 鎧越しとはいえ、まともに地面へ叩きつけられていたなら小骨の一つや二つはへし折れていた事だろう。
「ヘクター!」
立ち込めていた土煙の外へ吹き飛ばされたヘクターは、慌てて駆け寄ったディグニティとエストによって両脇を抱えられる。
「強いな……」
単純だが、深遠で深刻な感想をヘクターが零す。
 その両脇を固めながら、ディグニティとエストがうなずいた。二人とも先ほどからヘクターの身を案じて切り込もうとしていたのだが、一向に隙を見せない龍に攻めあぐねていたのである。

キィィィィィィイイイユユィィィィィィィイイ!!!

「来た!」
轟音によって地面が吹き飛ぶ。
 吐き出したブレスによって王城の庭を焼き尽くし、今また、漆黒の龍は招雷によって大地を抉り飛ばした。
「……ってぇ……」
再び宙を駆けたクラスターの弾丸は、三人目掛けて降り注ぐ雷を四囲へ散らす。
 だが、それを見越していたのだろう。
 龍は幾つかの雷をやや離れた場所へ落とし、そこで吹き飛んだ岩石の塊を三人目掛けて叩きつけてきたのだ。
 メキメキという音を立てて、石の弾丸が三人の鎧にめり込む。
 もしも生身のまま当たっていたなら、この石片は体内にまでめり込んでいたかもしれない。
 凄まじい威力だった。
「くっ!?」
雷が注ぎ、石が飛び、音が耳を突きぬく。
 三人が三つ目の衝撃に襲われている間、龍が巨体を前足に乗せて振り下ろした。
 鳴動。
 鈍い振動と地鳴り。
 ディグニティとエストが身体を転がして、巨大な前足から逃れる。
「ディエアァ!」
ギリギリという、まるで金属同士が擦れるような音。
 逃げ様、ヘクターだけが起き上がり、大剣を龍の爪先に突き入れた。
 しかし、龍の爪はあっという間に剣の切っ先を受け流してしまう。

鬱陶しい

 突如身体をしならせた龍は、自らの背後を守る尾を一閃させた。
「グゥオォ!!」
とっさに剣を。
 それがヘクターを救う事になった。
 龍の爪に剣を突きたてた瞬間、ヘクターの右半身を漆黒の塊が襲ったのである。
 ほとんど反射的に剣を引き寄せ、板のように巨大なそれを盾代わりに立てる。
「ヘクター!!」
スコープの中。それは、一つの独立した世界の様でもある。
 現実と隔たれた、レンズの中だけの出来事。
 だが、それは彼を取り巻く世界と連動しているものであり、決して隔たりのあるものでは無い。
 クラスターの覗くスコープの中、ヘクターは宙へ吹き飛ばされていた。
 それはスコープの中で起きた非現実なのではなく、スコープの外と同様の現実である。
 とっさに構えた剣では勢いを殺しきれず、ヘクターの身体は宙を飛び、地面へと叩きつけられた。
「ヘクター!!」
エストが地面へ降り注いだヘクターの元へ走りこむ。
 口内からどす黒い血液の塊を吐き出しながら、ヘクターが何とか身体を引き起こした。
 見れば身につけていた鎧はボロボロと崩れ落ち、傷だらけの上半身が露出している。
「オオオォラァ!」
大きく一閃された剣が、龍のわき腹へ突き立つ。
 カツンという硬質な音は、ディグニティの剣が弾かれた事を示していた。
「下がれ! ディグ!!」
刹那、轟音。
 エストがヘクターの身体を抱き起こすと同時に、切り込んだディグニティ。
 その一撃が弾かれるのを見て取ったクラスターは、ボウガンに込めていた弾を撃ち出した。
 LV3 拡散弾。
 ガンナーの持つ、最強の弾丸の一つである。

キィィアア!!

 弾にしては大きな質量を持つLV3 拡散弾は、その体内に幾つかの子弾を持ち、着弾と同時にそれを分散させる。
 子弾は四囲に散り、爆発を伴って弾け飛ぶのである。
 その威力は、飛竜ですら怯む程である。
「やったか……?!」
クラスターの覗くスコープの中で、濛々と立ち込める煙。
 それはLV3 拡散弾が龍に当たり、子弾が爆発した事を示している。
「……」
既にヘクターの元まで退いたディグニティは、エストと供に彼を抱き起こして土煙をにらんでいた。
「!?」
土煙が割れた。
 濛々と立っていた煙が、突然、刃物で一刀にされるかの様に裂けて消え飛んだのである。
「翼……で弾き飛ばしやが……った」
苦しそうに胸部を押さえながら、ヘクターが言葉を吐き出す。
 
キィィィイイイイアアアア!!

 自らの翼で土煙を裂いて吹き飛ばした龍が、これ以上の小細工は止めろと言わんばかりの瞳で、一同を睨む。
「なんて奴……」
「漆黒の龍……まさか」
エストがその名を口にしようとし、ディグニティは息を呑んだ。
 漆黒の龍。
 そんな存在に、二人は心当たりがあった。
 いや、ハンターであれば、誰であろうと心当たりがあるのだ。
 伝説の龍。
 そんな存在が、ハンターの間で語られていた。
「……勝てるの? あんな奴に……」

 砕けた鎧と、磨り減った剣。
 空っぽになったポーチと、極限まで使い尽くされた体力。
 残されたこれらで、一体どの様な戦いが出来ようか。
 あれから一昼夜を戦いに費やし、四人は損耗しきっていた。

奇跡でも起きなきゃ勝てるわけ無いじゃない!!

 つくづく、それを思い知らされる。
 奇跡が起こらなければ、勝てる相手ではなかったのだ。
 自分一人で死ぬべきところに、三人を巻き込んでしまった。
 償いとやらがあるのなら、どう償えば良いか。
「ヘクター!!」
エストの、それはほとんど悲鳴だった。
 それが無ければ、ヘクターの身体は龍の口内に収まっていたことだろう。
「クッ!」
再び龍の顎に大剣を押し当て、それの上に身を乗せる。
 だが。

キィィィイイイイイアアアァァ!

 攻めの決め手を持たぬ割に、ちょこまかと逃げ続ける人間。
 大人しく死ねばよいものを、小賢しい。

 この時、龍は焦れていた。
 思わぬ長期戦にもつれ込んだことで、龍は徐々に平静を減らしていた。
 まして、二度目である。
 噛み付き、それを防がれ、今こうして口の上に人間が乗っているのだ。
その苛立たしさは計り知れないものであった。
「……!!」
身体を捻り、ヘクターが宙へと逃れる。
 ドシャと音を立て、着地する。
「エスト! ディグ! 攻撃を翼の付け根に集中させろ!」
それぞれ剣をふるって龍へ切り付けていた二人は、ヘクターの声に黙ってうなずいた。
「ラス! 奴の口ん中を良く見てろ!!」
新たな弾を装填しながら、クラスターがスコープの倍率を再び絞り込む。
 そこには、禍々しい漆黒の龍の顔が捕らえられていた。

……必要なら起こしてやる

 一度唇を舐めると、ヘクターは地面を蹴って走り始めた。
 一体、自分は何を弱気になっていたのか。
 自分がそうであるように、死なぬものなどこの世に存在しないのだ。
 それが例え伝説の龍であろうと、変わりは無いはずである。
「奇跡だろうが何だろうが!!」
大剣を一閃させると、ヘクターはそれを上段へ振りかぶって駆け始めた。
「オオオオオオオ!」
だが、人間の膂力など如何ほどなものだろうか。人間の覚悟など、如何ほどなものか。
ヘクターが新たにした決意など、何程のものか。
「セェア!!」
大剣が宙を斬る。
 上段から振り下ろされた剣は、龍の鱗によって弾かれた。
 大剣が地を舐める。
 弾かれた剣を引き寄せ、再度地面から振り上げる。剣は龍の鱗によって弾かれた。
 大剣が弧を描く。
 剣を身体の周囲で回転させ、弾かれた勢いを再度攻撃へ転嫁させて叩き込む。
「テェイ!」
身を転がし、龍の元から逃れたヘクターに代わり、エストが滑り込む。
 剣が降る。
 その体重全てを乗せ、エストが宙から剣を叩きつける。剣は龍の鱗によって弾かれる。
 剣が舞う。
 一撃。二撃。立て続けに振られた剣は、次々と龍へ切り込まれる。
 だが、鱗は剣の暴挙を許さない。
「オォラ!!」
龍の前面で注意をひきつけていたディグニティが、エストと入れ替わりで駆け込む。
 剣が注ぐ。
 大剣が鈍い音を立て、しなる。鱗はしかし、剣を弾く。
 剣が噛み付く。
 大きく手元に剣を引き寄せ、切っ先を龍へ向けて突き入れる。鱗は、剣を弾く。
 剣が吼える。
 フィン。金属が空を切り、音を発す。地面から振り上げられた剣は、鱗に弾かれた。
「ウゥウウラァア!!」
再度駆け込んだヘクターが、剣を振りぬいた。
 鱗は。
 鱗は剣と供に削れ、周囲の組織をひしゃげさせて飛び散った。
「セェア!!」
鮮血。
 鮮血に音があるなら、この時、ヘクターは龍の血が流れる最初の音を聞いた事だろう。
 地面から宙へ切り抜かれた剣は、間にある龍の翼を引きちぎりながら駆けた。

キィィィィアアアアァァ!!

「見えた!!」
ボウガンが弾丸を吐き出した。
 三人が龍へ切りつけている間も、延々とスコープで龍の動きを窺っていたクラスターのボウガンが、ようやく火を噴いたのである。
 そしてそれこそが、ヘクターの狙いであった。

キィ……!

ブシュ

 そんな粘質的な破裂音を、龍は聞いた事だろう。
 たった一発の弾丸は、しかし、龍の喉にある器官を撃ち抜いたのだ。

キ……!?

 喉に走る激痛の中、龍が雷を招く。
 だが、それは最早かなわぬものであった。
 鳴き袋。
 飛竜の持つ器官であるそれを、この龍もまた持っている。
 体内の電撃袋と呼ばれる機関と合わせ、鳴動させた大気に放電する事により、空から雷を招く事を可能にしていたのだ。
 ヘクターが見つけたのは、この器官であった。
 それをクラスターに撃抜く様に指示したのだった。
「デェェイ!!」
そしてその頃、もがく龍を尻目に三人は反対の翼へ切り込む事にも成功していた。
 メキメキという音。
 それは、龍の翼を固定する骨にまで剣が達した事を示していた。

ギューーーーーーーーーユ!!!

 音にならない声を発し、龍がのた打ち回る。
 口からどす黒い血を流しながら、翼から鮮血を飛び散らせて。
 
おのれ
おのれおのれおのれ

 真っ赤に血走った瞳を人間へ向け、巨大な爪を振り向ける。
 だが、血液で濡れた身体は自らの重量を支えるに足る力を生まず、攻撃は空を切るばかりだった。

元はといえば貴様らが
元はといえば貴様らが生き物を狩りすぎたための事
貴様らの暴虐に報いるのが私の役目
それを
その崇高なる私の使命を
貴様らが
貴様らごときが

キィィィィイイイイイイアアアアァァァァァ!!

 それが発せられる本来の鳴き声の、最後の咆哮であったろう。
 龍は血まみれの翼を大きく広げ、突風をシュレイドに叩き付けた。
 揚力を得た巨体は、まるで胎内に帰るかのように紫色の空へ近づいてゆく。
 龍の巨体が小さな黒点となり、黒点が消えようとする頃、空は徐々に平時の色を取り戻していった。
 紫から蒼へ。
 空は晴れようとしていた。

「ばーか。それが傲慢だってんだよ。俺もお前も、『俺たちの住める世界』を争ってるだけだろうが。どんなに頑張ったって『世界』自身には痛くも痒くもねーのさ」
人の傲慢を思い、そして龍の傲慢を思う。
 すべからく生物はかくも傲慢であり、しかし、それゆえに力強く躍動するのだ。
 だから、それで良いのだと思う。
 血みどろになって、生存の覇権を争うなら、それで良いと思う。
「グ……うっ」
気が抜けたせいだろうか。突然、痛みと脱力が襲い掛かる。
 力尽きたように座り込みながら、ヘクターはポーチから治療用具を取り出した。
 慌ててエストが駆け寄り、恐らく幾つもの骨が折れているのであろう箇所へ、添え木を当てる。
「ま……終わったな」
大きく息を吐き、そこに痛みを感じながら、ヘクターが笑う。
 痛みを感じられる身体でいる事。それは、生きている事だった。
「終わったって……まだアレ生きてるだろ」
剣を収めながら、ディグニティが怪訝に尋ねる。
 ディグニティ自身、気がつけば地面に座り込んでいた。
 皆が皆、疲労困憊であり、ほぼ満身創痍といっても良い状態だった。
「ありゃー、もう完全には治んねぇよ」
エストに一通りの治療を施されながら、ヘクターが身体を動かしている。
 騙し騙し、徐々に身体を動かすその様子は、自らの怪我の度合いを見ているらしい。
 実のところ、ヘクターの体内は幾つかの骨が折れ、下手をしたら内蔵に突き刺さりかねない状態だった。あと少し激戦が続いたなら、彼の命は無かったかもしれない。
 どうも本人だけは、その事に気付きながらも戦っていた節があるのだが。
「そうだね。鳴き袋と、あの強固な翼。それはもう、治癒しないだろうね」
ガチャリと背のボウガンを慣らし、クラスターが三人の下へ駆け寄って来た。
 幾つかの回復薬が差し出され、一同に配られる。
 後方でボウガンを構えていたクラスターには、さして大きな怪我は見当たらない。
 射手である彼には、ポーチに満載されるほどの治療薬は不用だったらしい。
 もっともクラスターが並み程度の射手であったなら、今頃四人は雷に打たれて灰になっているのであろうが。
「次に来たとしても、それはもう俺たちの出番じゃない」
手をヒラヒラさせながら、これ以上の面倒はごめんだと言わん様子で、ヘクターが首を振る。
「そっか」
そこで小さくうなずくと、エストは不思議と寂寥に囚われた。
 そしてその寂寥は、エストだけが持つものではなかった。
 ディグニティも、クラスターも、不思議とその訪れを理解している。
 漆黒の龍を追い返したことで、ヘクターにはもう、なすべき事がなくなったのだ。
 このままミナガルデにいたとて、あの龍を越える獲物とめぐり合う事は無いだろう。
 ヘクターの性格からして、無限とも思える退屈を受容するとは思えない。
 ヘクターはミナガルデを出て行く。
 それは、一行の別れを意味していた。
2006年01月22日(日) 13:16:32 Modified by orz26




スマートフォン版で見る