In the case of 第六話

作者:揚げ玉




In the case of 第六話 (Irius 1)



 西シュレイド王国。かつて存在したシュレイド王国の片割れである。シュレイド王国の王城の領有を巡り、同腹の片割れである東シュレイド王国とは何度か小競り合いが起こった。
 だが現在、争いは鎮静化が図られている。幾度かの争いの後、王都が中立地帯と定められたためだ。それによって一応の平和が訪れたのである。
 とはいえ、軍隊は軍隊として存続されている。それはまるで、地面に染み付いた血液の痕の様に、血生臭さを主張していた。
 気を緩めさえすれば、かりそめの平和はいつでも消え去るのである。
 軍を率いる士官は騎士として養成され、その多くは世襲制であった。彼らは特権を持つエリート集団でもある。
 騎士。
 彼らはそう呼ばれていた。

イリアス、立派な騎士におなりなさい。

 イリアスがこの世に生を受けてから、それは最も多くかけられた言葉かもしれない。彼の母が、幼い頃から事あるごとに彼へ言って聞かせたのだ。だから彼は自分が騎士になるのは当然だと思っていたし、義務であるとも思っていた。
 騎士になれぬぐらいならば死を選ぼう。
 だが十を幾つか越えたばかりの少年が心に決めるには、それはいささか硬直し過ぎた望みであったかもしれない。
「父に負けぬ騎士となる事を誓います」
騎士団の有力な一員であるイリアスの父は、子が騎士見習いになる事を表向き喜んだ様子だった。彼は自分の子が騎士見習いとして叙任された時、その頭を撫でてこう言ったのだ。
「それがお前の選んだ道なら、私はお前を誇りに思う」
自分の選んだ道を、父は祝福してくれたのだ。
 イリアスは、自らの父の言葉に喜んだ。
 母のためにも、父のためにも、自分は早く騎士にならなければ。
 イリアスは幼くして騎士見習いとなり、そしてその思いを一層強くした。
「はい! 行かせて下さい!!」
だから、イリアスが辺境域への物資輸送に志願したのも、自然な成り行きだった。少しでも早く功績を立て、正式な騎士への道を開こうとしたのである。
 目指すは辺境の都市ミナガルデ。
 それはハンターの聖域である。
 ハンターによって作られた都市、ミナガルデ。ハンターは、王権とは異なるもう一つの権力として、ミナガルデは辺境域にある。
 モンスターを狩り、その体から剥ぎ取られる素材を様々な用途に利用し、彼らは独自の文化を築いている。
 王権以外の権力。
 王に仕え忠誠を尽くす騎士にとって、それは想像も出来ない世界だった。
「ハンターというのは、どういった方々なのでしょうか?」
輸送隊が荷車と供にミナガルデへと出発し、数日がたった。
 輸送部隊はほとんどが騎士見習いから構成されており、正式な騎士は隊長である一名のみである。彼の名はグラムトといった。
 歳若い見習い騎士達は、出発当初は緊張と供に任務をこなしていたのだが、時間が経つにつれ、落ち着きを失い始めた。
 初の任務ゆえに興奮しているらしい。
 謹んでいた私語も、徐々に口をつくようになる。そんな中、見習い騎士の一人が、隊長であるグラムトへ質問したのだ。
「奴らの無節操さを見れば、お前も二度と行きたくなくなる」
彼ら、ハンターの姿を思い出したのか、グラムトは呆れた様に首を振った。
 それは何気ない会話のはずだった。
 その場で終わる、他愛の無い会話。
 だが、脇で会話を聞いていたイリアスは、何故かそれを忘れる事が出来なかった。

 辺境域に近づくにつれ、周囲の景色が変化し始める。木々の描く美しいエメラルドの景色は、徐々に黒味を帯びた深い緑へ変わった。街道を挟む木々の背は高く、幹も太い。流れ聞こえてくる動物の鳴き声は、徐々に甲高く大きなものになっていく。
 年若い少年で構成されている騎士見習い達は、変わり行く景色に息を呑んだ。大人しかった植物が、まるでそれが本来の姿であったかの様に、悠然で強大なものへと変化している。
 その姿はむしろ強暴に見えた。
 まるで飼っていた動物が、突然牙をむいて襲い掛かって来たかの様である。人の知っている自然とは、実は人の飼いならしたものに過ぎない。人の言う自然とは、人にとって都合の良い部分をしか指さない。
 本当の自然とは、むしろ恐怖の中にこそ存在するのだ。
「さぁ、全員気を引き締めろ。この辺りはいつモンスターが現れてもおかしくないからな」
グラムトの言葉が、全員の緊張に拍車をかけた。
「隊長! こちらで物音がします!!」
風に揺れる布を幽霊と思い、木々のざわめきを呻き声だと感じる。この時の騎士見習い達は、まさにそんな状態にあった。
 その音が何であったのか分からない。
 だが普段であれば、それがモンスターのうごめく音だなどとは思わなかったろう。
「なんだと……」
物音のあったという方向へ、グラムトは別働隊を差し向ける事にした。部隊を二手に分ける事にしたのである。
 片方は物資を守備し、片方は物音の調査に向かう。
 物資の近辺で戦闘になるぐらいなら、こちらから迎え撃とうというのである。
 戦闘によって物資に損害を出すわけにはいかない。
 騎士の名誉にかけ、荷は無事に送り届けなければならないのだ。
「よし、後は任せるぞ」
荷車のすぐ隣にいたイリアスは、グラムトから部隊の指揮を任された。初の任務で、大きな役を負わされたのである。
イリアスはその事を慄然として受け止めた。
「はいっ!」
別働隊が荷車の傍を離れる。
 残されたイリアスらは、まとわり付く不気味な空気の中を進んでいた。
 方々から物音が聞こえ、それが何であるか分からない。
 すでにミナガルデにかなり近い場所まで来ている。
 何が現れてもおかしくない土地であった。
「そろそろ街が近いらしいな」
さらに進んだところで、不意に一行の誰かが安堵の声をあげる。
 一行の不安を煽っていた巨大な木々も、その背を低くしていた。
 伐採の跡も見られ、この辺りには随分と人の手が入っている印象を受ける。
「さぁ、あと一息だ!」
だが、彼らは知らなかったのだ。
 餌があれば動物は集まる。
 人里離れた密林の奥深くよりも、人間が出没する場所の方がモンスターには有難いのだ。
 何しろ、餌が豊富なのだから。

ガサ……ガサ……

木々の葉が何かにこすれている
続いて聞こえるのは枝を踏みしめる音
そして

ギュワァッギュワッ

 奇怪な鳴き声。
 彼ら輸送隊が、これまで聞いた事もないような奇妙な鳴き声。
 もしもモンスターに詳しい者がいたならば、それがゲネポスの鳴き声である事が分かっただろう。
 竜走下目・ゲネポス科ゲネポス。
 ゲネポスとは、群れを成して狩りを行なう飛竜の亜種である。その名の通り走る事に特化した小型の飛竜で、飛竜といっても背中に翼は無く、その背丈も人間のものとほとんど変わりが無い。だが彼らが飛竜の眷属である事は確かであった。
 その獰猛で狡猾な性格は、他のモンスターと一線を画している。
 ゲネポスは牙と爪に毒液を持ち、それにより獲物を麻痺させる能力を持つ。集団で麻痺毒を注入し、彼らは自らをしのぐ大型の獲物ですら仕留めてしまうのだ。麻痺毒に侵された者は、何者であろうと地獄の苦しみを味わう事になるだろう。
「……な、なんだこいつ……」
突如街道に現れた、砂色の外皮を持つモンスター。背中は鱗に覆われ、その姿は巨大な爬虫類を連想させる。だが、二束足で飛び跳ねる姿と、長く鋭い牙は、それが紛れも無くモンスターである事を示していた。
 荷車の傍についていた見習い騎士の一人が、数歩後ずさりながら剣を引き抜く。他の者もそれに倣って剣を引き抜いた。
「ど、どうせ爬虫類がでかくなっただけの奴さ……」
騎士見習いの一人が、街道に陣取るゲネポスに向かって走り出した。
 一気にモンスターの元まで駆け込んだ彼は、手にした剣を高々と振り上げる。勇んで剣に力を込めた瞬間であった。
「ガ……」
声にならない声を発し、その見習い騎士は地面に倒れこんだ。街道脇から現れた別の一匹が、宙を飛びながら男の背を爪で切りつけたのである。
 しかし、その傷はさほど深くないはずである。騎士らは皆、鎧を着込んでいるのだ。例え鎧の継ぎ目を狙われたにしても、かすり傷程度であるはずだ。
 だが、彼は動かない。
「……おい!」
うつぶせに倒れている見習い騎士に、離れた位置から声がかかる。
 だが、彼が動く気配は無かった。
 代わりに彼の背中へ、ゲネポスの爪が乗せられる。
 モンスターは押しひいた男を見ようともせず、荷車の様子を伺う様に見詰めた。
 そのゲネポスが軽く首を振ると、街道の脇から更に三匹のゲネポスが現れる。しかもそれは、荷車を挟んで反対側にであった。
 前に二匹、後ろに三匹、計五匹のゲネポスによって、荷車は包囲された。
「おのれ! 卑劣な真似を!!」
荷車を守る一人が大声を上げる。
 だが、見習い騎士を押し引いていたゲネポスは、その声を無視して眼下の物を一瞥した。
 動く事も、声をあげる事もできない、卑小な生物。
 モンスターが楽しそうに喉を鳴らす。

っぁ!!!!

 肺の中から空気が零れた。
 しかしそれは声には至らず、ただの苦痛を示す音として発せられた。
 倒れた見習い騎士の腕に乗せられた、ゲネポスの足。
 今、それは地面の上に乗っている。
 足と地面の間にあった男の左腕を引きちぎって。
「…………」
片腕を引きちぎられても声一つあげない。
 その見習い騎士の、精神の強健さを褒めるべきであろうか。
 そうではない。
 ゲネポスの爪に仕込まれた麻痺毒が、彼に悲鳴を上げる事すら許さなかったのだ。
 彼の仲間達は、声も無く見守るしかない。
 腕を引きちぎったゲネポスが、眼下の男をしげしげと見詰める。
 ゲネポスは大きく胸を膨らますと、漂い始めた血の香りを胸に吸い込んだ。
 うっとりと目を細めるゲネポスの前方では、別のゲネポスが街道を往復し、隙さえあれば飛び掛る気配を見せている。
 イリアスらは動けなかった。

ぃギっ!!

 そんな彼らの様子を分かっているのだろうか。
 見習い騎士にまたがるゲネポスは、獲物の反対の腕にも爪を押し当てた。
 だが、今度は腕が引きちぎれない程度に加減をしたらしい。再び爪型に断面を入れられた男の腕は、不自然な形で男の身体に繋ぎ止められている。筋肉を断たれ、もしかすれば骨も切断されているかもしれない。
 だが、それは皮か肉で身体に繋ぎとめられ、まるで素人の操る人形のように、腕が奇妙な構図を作っていた。
溢れ出した大量の血液が街道を濡らし、紅色に道を塗装する。ゲネポスは男の腕から流れる血液を舐め、弄ぶかの様に千切れかけの腕に噛み付いた。
「やめろぉお!!!」
怒声を上げたのはイリアスであった。
 荷車に一番近い位置にいたイリアスが、地面を蹴って走り始めた。
 男に圧し掛かるゲネポスへ、脱兎のごとく突き進む。
 すでに頭の中には何も無かった。任務の事など、何処かへ消え飛んでいた。
 非道な。
 あの生き物を一刀の下に切伏せてやる。
「かかれっ!」
イリアスが駆け出したのを合図として、他の騎士見習い立ちも一斉に動き始めた。ゲネポスもまたそれに応じるべく動き始める。
 混戦が始まった。

ある者が剣を振り上げ、その弾みで後ろの者にぶつかる
ぶつかられた者が慌てて剣を振り回す
むやみに動き回る剣の切っ先を避けようとしたゲネポスが、背中を隣のゲネポスへぶつける
そのゲネポスが苛立った様に威嚇の声をあげる

 混乱の中にあって、イリアスは狙いをつけたゲネポスへと斬りかかっていた。
 だが、振り下ろした剣は空しく空振りに終わる。
 ゲネポスが素早く背後に飛びのき、剣をかわしたのだ。
 数メートルの距離を置いて対峙する一人と一匹。
 彼らは、お互いを組み合うべき敵と認識した。
 鳴き声をあげ、イリアスを威嚇するゲネポス。
 しかしイリアスは怯んだ様子も無く、再び目前のモンスターへと斬りかかった。
 血飛沫が上がる。ゲネポスの体から飛び散った血液が、音を立てて街道の地面に落ちた。強い日差しのためか、それはすぐに地面にしみ込み、どす黒い染みとしてしか残らない。
「正義の刃を受けろ!」
イリアスがさらに構える。
 イリアスに切りつけられた傷口に気を取られ、ゲネポスが一瞬の遅れと供に刃を避けようとする。
 だが、それは叶わなかった。
 鋭利な刃物が肉を裂き、硬質な音と供にモンスターの脊髄に叩き込まれる。
 ゴリッ。
 切断された脊髄は、主に行動をもたらせる事が出来なくなった。
 自由を失ったゲネポスの体が、音を立てて地面へ倒れこむ。

ギィア

 倒れたゲネポスが、激痛と供にうめき声を上げた。脊椎を砕かれ、背から大量の血液が流れ出る。だが激痛の中でも意識はあり、しかし身体は動かせない。
 それはつい数分前、ゲネポスが騎士見習いに対したのと同じ状態であった。
「……身をもって思い知れ、忌まわしき生き物よ」
自らの血液にまみれながら、地面の上に這いつくばるゲネポス。そこへ、イリアスの剣が静かに振り下ろされた。

右前足

左前足

右後ろ足

三つ目の肢体を切断したところで、ゲネポスは絶命したらしい。しきりに痙攣していたゲネポスの眼球が、動きを止めた。
「オォ!!!」
肉塊を見下ろすイリアスの背後で、騎士見習い達の怒号が上がる。
 そこには最後のゲネポスが、騎士見習いの手によって打ち倒される瞬間があった。
 地面に倒れるゲネポス達の影。
 最早辺りに動くものは無く、戦闘は終了したらしい。
 荷車を中心に、砂色のモンスターの死体が五つ。血だらけになって地面に倒れる人間の体が……三つに増えている。
 怪我をしたのか、息が上がったのか、残りの者達も皆、地面にひざまずいていた。気が付けば、この場に立っているのはイリアスだけである。
「……」
血液の匂い。
 切り裂かれて露出した筋肉の匂い。
 溢れ出た臓腑から零れる排泄物の匂い。
 ……戦いの匂い。
 眩暈を起こしそうになり、イリアスは必死にこらえた。
 始めて受けた任務で、突如放り込まれた空間。それは思い描いていた、秩序と名誉と栄光に彩られるはずの騎士の戦場ではなかった。
 呆然と立ち尽くす。
 傷を負ってうめく者。
 血だらけになって地面を這う者。
 先刻まで自分の身体であった破片を拾い集める者。
 血と苦痛と、死への恐怖がここにある。
 負傷者の救護法を習得しているはずなのに、イリアスは何をしていいのか分からなかった。自分には何をする能力があったろうか。
 何をすれば良いのだろう。
 何を。
 何を……。

眩暈

 眩暈を起こし、倒れ込んだ。
 少なくとも、イリアス自身はそう思った。
 だが、イリアスはすぐに気が付いた。
 背中の痛み。
 自分の目の前にある巨大な足。
 これは、一体。

 それはドスゲネポスの足である。
 群れを統べるゲネポスのリーダー、ドスゲネポス。
 その身体はゲネポスよりも遥かに大きく、身体能力もずば抜けて高い。性格はゲネポスに輪をかけて残忍で獰猛、そして狡猾であった。
 背後から飛び掛ったドスゲネポスの爪によって、イリアスは麻痺毒に侵されたのである。

グゲェッグゲッ

 立ち上がって、こちらに歯向う体力のある者はいない。
 獲物を分け与えなければならない群れのゲネポスも、もういない。
 ドスゲネポスは歓喜に震えている。
 群れのゲネポスを先に襲い掛からせたのが、正解だったらしい。
 獲物の取り分が減ってしまう事を恐れたが、それも杞憂であったようだ。
 群れを成し獲物を襲う際には、これからは群れの連中から先に襲い掛からせよう。
 そうした方が群れの頭数も減り、自分の取り分が増える様だ。
 ドスゲネポスが口を大きく開き、眼下のイリアスに鼻先を押し付けた。口元から零れ落ちる唾液が、イリアスの身体に点々と降り注ぐ。
 これから始まる饗宴の前菜に、ドスゲネポスはイリアスを選んだらしい。彼の体が、モンスターの口内に飲み込まれようとする。
「!?」
その時。
 ドスゲネポスは、自分の喉に痛みが走るのを感じた。
 慌てて後ろを振り返ろうとすると、細長い棒がつかえて後ろに振り返れない。
 何事だろうか。
 顔の側面に何かが当たっている。
 いや、刺さっているのだ。
 棒は、なんと自分の喉に突き刺さっている。
 いつの間にか、隣に人間が一人立っていた。
 喉に突き立てられた棒を持つのは、この人間だ。
「ハっ……」
ドスゲネポスが何とか首を曲げて振り返った先。
 そこには、長大なランスを掲げ持つ一人の少女の姿があった。
 短く切りそろえられた漆黒の黒髪。
 凛とした目鼻立ち。
 不意に、戦場が静まり返ったように感じる。
 彼女が周囲にまとう、不思議な静けさが戦場全体に伝播したかのようだった。
 彼女は、死の間際に現れるという黄泉の女神であろうか。
 イリアスは動かぬ視界の中で、美しい少女の姿をそう錯覚しかけた。
 そうならなかったのは、次の瞬間のせいである。

ペキュッ

 不意に、不気味な音が戦場の静けさを打ち破った。
 ランスを突き立てられていたドスゲネポスの首が、異様な音と供にへし折れたのだ。地面に倒れたままのイリアスの視界に、モンスターの体が倒れこんでくる。瞳のあった部分に大きく穴が開き、その内部からとめどなく血液が流れ出て来る。
 横方向から激しい衝撃が加わったのか、ドスゲネポスの首がほとんど180度に曲がり、骨ごとへし折られている。
「ランスは片手剣ほど向かないみたいだな……」
街道脇の草むらから、不意に声がかかる。
 歳若い男の声。
 声からするに、イリアスに程近い年齢であろうか。先の少女とあわせて、三人とも歳は近いようだった。
「ありがとう、助かったわ」
勢いをつけて死体から槍を引き抜くと、黒髪の少女はそれを一閃させて血液を振り落とした。
「……俺もボウガンはいまいちだな。前に出て剣を振り回す方が気持ちが良い」
草むらから現れた男は、手に巨大なボウガンを抱えていた。
 その砲口からはうっすらと煙が立ち上っている。
 先ほどドスゲネポスの首をひしゃげさせたのは、ここから撃ち出された弾であるらしい。
 黒髪の少女は、既に最初に腕を切り落とされた騎士見習いの元に向かい、手早く薬を飲ませている。睡眠薬を飲ませたのであろうか、激痛と出血で小刻みに震えていた男の体から、がくりと力が抜け落ちた。
 その彼に包帯を巻く手つきも、相当馴れている。先のランスの一突きからも、この少女は相当長い間戦闘に身をおいている事がうかがえた。
「おー、おー、派手にやったな」
街道脇から、その場を揶揄するような声がかかる。
 街道の脇の茂みから現れた男は、不謹慎とも取れる薄ら笑いを浮かべていた。
 両方の手に一振りずつの剣を握り、それを肩に担ぎながらのんびり歩いている。
 人とモンスターのものが入り混じった血液の絨毯へ、その男は躊躇もなしに踏み入った。
「そっちは?」
黒髪の少女に続き、ボウガンを抱えていた少年も負傷者の手当てを始めている。やはり手つきは早く、相当に手馴れていた。
「ああ、レイアに追われて砂漠からこっちに逃げ込んだらしい。やっぱりレイアもそこにいたよ」
そう言った男の二本の剣には、べったりと血液がこびり付いている。何者かの血液が彼の剣先から滴り、紅色の絨毯に更なる彩を加えた。
 最初に現れた二人に比べると年長な印象を受ける彼は、手当てを受けて荷車に寄りかかるイリアスの元にかがみ込んだ。
「シュレイドの騎士だな。大丈夫か?」
突然現れた男に驚きながら、イリアスは剣を地面に突き立てて起き上がる。よろよろと震えながらも、騎士としての矜持を保つべく必死になって体を起こした。
「卑劣なモンスターから、貴重な物資を守っていただきありがとうございます。貴方達のお陰で正義が守られました」
未だ自由の利かない体を震わしながら、剣を支えにしてイリアスが起き上がる。
 見習いとはいえ、その立ち居振る舞いは騎士のものと遜色があってはならない。イリアスは必死になって直立の姿勢を維持すると、毅然として男に礼を述べた。
「卑劣……ね。で、荷物を守れて満足したか? 英雄さん」
黒髪の少女が負傷者の手当てをしながら、心配そうに男の方を見ている。もう一人の少年もまた、諦めたように首を振って手当てを続けていた。
「人間ってのは、都合のいいときに都合のいい正義を引っ張り出すもんだ」
男は傷薬の入った小瓶をイリアスの手に握らせると、周囲で横になる他の者達にもそれを渡した。
「積荷を守るために勇敢に戦ったお前は、なるほど、確かに言う通り正義の使者かもしれない。だが、生きるために獲物に食らいついたこいつにも、確かに正義は存在するのさ。あんまり正義正義言うもんじゃねぇよ。……こんな事をしてるとロクな死に方しねぇぜ?」
横目でイリアスの引き裂いたゲネポスの残骸を見る。
 ぼろぼろになった死体からは、既に血液が流れ出て行き、全身を赤黒く塗装する様に凝固が始まっている。
 その男がゲネポスの死体へ向けた視線には、冷め切った驚愕と、揶揄を混ぜ込んだ非難が込められていた。
「……」
男は怪我人の様子を一通り見て、再びイリアスの元にしゃがみこんだ。
 二人の連れとは異なり、彼自身は手足以外に防具を身に付けていない。騎士の鎧を身につけた重装備のイリアスが怪我を負い、ほとんど平服と変わらない彼には傷一つ無い。傍から見れば、それは奇妙に写ったかもしれない。
「貴公か、荷を守ってくれたハンターというのは」
不意に男に声がかけられる。
 別働隊を率いてこの場を後にした、隊長のグラムトだった。彼に付いていった数名の騎士見習い達も駆け寄ってきた。
「別にかまいませんよ。こちらが追っていた獲物のせいで、ゲネポスがこの辺りにまで逃げ込んだわけですから」
一応その場から立って騎士に応じたものの、男はさして敬意を払っている様子はなかった。栄光と尊敬を一身に受けるシュレイド王国の騎士に対して、である。
 グラムトは男の態度に穏やかならぬものを覚えたようだったが、それは普段の彼を知らなければ分からない程度の変化に抑えられた。
「それよりも……いざって時は積荷の廃棄を許可するぐらいの指示はしておいてもらいたかったですね」
「それは出来ない。この荷は陛下の命により輸送している。君達ハンターには分からないかもしれないが、騎士にとって王の命令というのは絶対なのだ」
グラムトの言葉が熱を帯びる。だが、男は意に介した風も無かった。
「下らない荷物のために命を捨てさせるのか?」
「下らない!? これは陛下よりご命令いただいたものだ。貴公は陛下の権威をなんと考えているのか」
「権威だ? いいか、教えといてやる」
「……俺はな、お前ら騎士だとか王だとかいうのが大っ嫌いなんだ」
グラムトの言葉が男の中の何かに触れたのか、男は彼へ向き直った。
「王? 王様が何をしてくれたよ? 俺たちが地面を這いつくばって、血を流してモンスターを狩ってる間、王様は何処にいて何をしてた?」
イリアスは、男の言葉を聞いた。
 それは生まれて初めて聞いた言葉であった。
 王とは生まれながらにして敬うべき対象であり、それを否定する事など、地面に立って空を見上げる事を否定するに等しいと信じていた。
 だが、男はなんと言ったろうか。
 この男は、自分の信じてきたものをあっさりと否定してしまった。
「神だろうが悪魔だろうが、王だろうが騎士だろうが……噛み付いてくるんなら俺は容赦なく叩っ斬るぜ?」
不遜な。
 もし自分が王都にいたのなら、顔を真っ赤にしてそう思っただろう。
 そう、今のグラムトと同じ様に。
 だが、そう思わないのはここが辺境の蛮地だからなのだろうか。
 自分は辺境の野蛮な土地を訪れたせいで、思考が下賎なそれへと変化してしまったのだろうか。
 イリアスはまるで夢の中での問答を聞くように、白濁とした意識で彼らのやり取りを見詰めていた。
「……」
グラムトは既に剣の柄に手を当てている。
 自らの仕える主をけなされたのだ。
 それは決して許せることでは無い。
「貴様……どこかで……」
グラムトがそう言い掛けた時、だが、男は踵を返して背中を向けてしまった。
「ミナガルデまではもうすぐだ。急いで怪我人を運ぶんだな」
男が手を振ると、怪我人に付き添っていた連れの二人も彼に続く。
 呼び止めるか否かを迷ううち、男はその場から去ってしまった。
剣を引き抜く先を失ったグラムトは、柄に置いた手に力を込める事しかできなかった。
「……そうか! 宮殿で……」
その後、グラムトは言葉を失い、黙ったまま出発を命じた。
2005年10月28日(金) 23:01:07 Modified by orz26




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