Lapis 第二話

作者:天かすと揚げ玉




Lapis 第二話


 倉庫の厳重な警備も、顔を見せるだけで通過ができる。
 特別待遇ともいえる処置だったが、元々はギルド側に請われて荷を預けてあるのだ。ソウとしては、面倒事が増えた程度にしか考えていなかった。
 重々しい扉の、厳重な施錠を解く。
 ドラグライト鉱石で作られた、緑がかった重厚な扉が、音を立てて開いた。薄暗い倉庫内に、自動的に灯りが点る。扉の開閉と同時に灯りが点るのは、機械仕掛けによるものだ。
 無造作に、ソウが一歩を踏み入れる。やや遅れたルーは、意気込んでその後を付いて行く。
「……ニャぁ」
入り口の脇には、狂犬竜の鋭牙。少し奥に目をやれば、重殻竜の堅殻が寝かせられている。
 ミナガルデの王立書士隊辺りが見れば、目の色を変える事だろう。それらは未確認の、もしくは絶滅したと思われている飛竜達の素材である。より深く、より高度に狩りに関わる者達には、暗黙の了解があった。
 学者の言う事など信じるな。
 彼らが机にしがみ付いて論文を書いている間、狩人たちはより遠い、より深い未開の土地へ、休む事無く踏み入り続けている。そんな彼らに、御偉い学者先生の机上の論が通じるはずが無かった。
 絶滅したはずの飛竜が、群れを成して空を横切る。
 そんな光景を見られる一握りのハンターにとって、だが、それは公然の秘密だった。そしてそんな時、彼らは口を押さえてほくそ笑むのだ。
 奴ら、悔しがるだろうな。
 しかしそれだけの事である。もしもハンターが協力的であれば、この時代のモンスターはより綿密に調査されただろうと言われた。だが、そうしなかった事が、もしかしたらハンターにとっての、学者達への悪戯なのかもしれない。
 ある関係者曰く「あら、逐一報告なんてしてたら、先生方の楽しみが減るじゃない? 邪魔をしてはだめよ」との事だった。
「ルー?」
そんな学者の執念にも、狩人の悪戯にも、供に無関心なソウが、入り口に佇むルーを呼んだ。幾度か訪れた事はあるが、彼にとって、この倉庫は宝の山なのだ。倉庫に溢れる種々の素材は、彼の視線を掴んで離そうとしない。
「ご、ごめんニャ、今行くニャ」
トテトテと慌てて走り出すルーに、気を付ける様に言って、ソウは思案顔を作った。
 何を使おうかな。
 所狭しと並ぶ素材を見回しながら、彼女が腕を組んでいる。
「設計図ニャ?」
ソウが周囲を見回し、その度に一瞥する紙がある。
 彼女の小さな身体を丸ごと覆ってしまいそうなそれは、それへ書き込むための巨大な台座の上に寝かせられている。紙の傍には製図のための道具が並んでいた。
「うん。今回作るボウガン」
ソウによって使い込まれた道具達は、色塗りの工程に入った所で休憩を取っている。無造作に、だが丁寧に置かれた道具は、紙の上に細かなメモを残していた。必要と思われる素材の候補、注意点、発想の段階を出ない素案。
 それらは、普段見せない彼女の、もう一つの顔を素描している。 
 ここは、彼女のもう一つの家なのだ。
「威力に重点を置くから、反動が大きくなるけど……」
ルーを招いたソウは、図面の上を指差しながら説明を続けた。
「ここから肩と腰にベルトを繋げる様にして、反動を吸収させて」
人間用のボウガンでは見かけないような、太いベルトが図面に描かれている。
 威力の強い、反動の巨大なボウガンを、力の弱いアイルーに持たせる。
 その難題を克服するための仕掛けが、ベルトだった。
「ちょっと動きにくいかもしれないけど、その代わり、銃身は短くして……」
「撃たない時は肩から背中にこう……くるっと回せるようにするから、直ぐに4足で走れる様にしてるの」
図面には、人間用のライトボウガンの機構が、随所に転用されている。
 弾を打ち出す際の衝撃を強くし、勢いを増しながらも、銃身自体は短くする。
 しかも、使用者への衝撃は極力少なくしなければならない。
 そのための解決策が、太いベルトだった。ボウガンと身体を一体化させる事で衝撃を分散させ、しかも銃の折り畳みを素早く済ませる事ができる。
 ベルト部分にはフルフルの中落ちが大量に使用され、身体への密着と滑らかな磨耗が可能になっていた。また、銃身の内部にはキリンの上皮を使用し、短い銃身での不利を、弾への微弱な帯電という方法で克服している。
 以前作成したファストニードルで試みられた構造が、今回はふんだんに使われる事になっていた。
「弾の補充はどうやるニャ?」
「構えた時に下から引くように装填させるの。小さい動きと力で出来るように、コイルを回して……」
身振りを交え、ソウが装填する動きを見せる。
「弾の種類は、貫通弾と拡散弾がLV1、2、3で……」
「どれぐらい強くなるニャ?」
ふんふんとうなずきながら、聞き漏らさない様に、ルーが図面へ噛り付いていた。
 ソウの説明を聞いていると、図面上のボウガンが息を吹き込まれた様に、鮮明に浮かび上がって来る。
「超重クラスのヘビィ並には、なるよ。でもその分、装弾数は単発になっちゃうけど、それは前と変わらないし……」
図面を指差しながら、ソウが説明を加える。ルーが鼻先を押し付ける様に聞き入っているのは、図面の置かれている台が高いためだった。
「なるほどニャー……」
「細かい点は、出来てから調整しながら説明するね」
コクリとうなずくと、ルーはふと製図の置かれた台座を見回した。
 図面は数枚しかなく、その枚数では武器一つ分に足りるかどうかという程度である。
「ソウのは? 新しいのはどんなのニャ??」
その問いに、ソウの眉間に皺が寄った。
「ニャ?」
「双剣を考えてるんだけど……」
棚の奥に収納された紙を引き出してくると、そこには書きかけの図柄が記されている。
 どうやら双剣らしいのだが、何度も書き直されては、斜線を引かれ、廃案にされた跡がある。
「ニャ……?」
「属性効果を付けようか悩んでるの」
「ニャ」
「属性効果を付けるなら、設計を根本からその為にしていかないといけないから。それで迷ってて……」
ハンターの用いる武器には、属性効果と呼ばれる特殊な効果の付与されたものが存在する。
 例えば火属性と言えば、武器が対象に接する際に小さな爆発を起こし、炎を巻き起こすものだ。こういった特殊な武器はハンターの狩り取った獲物の素材から作られ、持っているだけで、持ち主のステイタスシンボルとなる。
 だが、特殊ゆえに製造は困難を極め、属性を持った武器を作るとなると、武器の根底からその要素を組み込んでおく必要があった。その場合、武器を設計する方としては、大きく設計を制限される事となる。
 他方、属性を取り払えば威力は落ちるものの、設計の自由度は高くなる。
「でも、火属性は燬王があるニャ。水は黒陽白陰があるニャ、雷は……」
「うー……」
「ニャ?」
ルーが、ソウの武器を指折り数える。
 彼女が唸り声でそれに答えた。
「自分用の武器は、もういらないくらい作ってあるの」
「確かにニャ」
ソウは狩りに向かう際、双剣か片手剣を携行する。
 大剣も稀に使用するが、その反動と華奢な彼女の体格を比較すると、負担が大きすぎる武器であった。老山龍の様な巨大なモンスターを相手取る場合を除き、彼女が好んで大剣を携行する事は無い。
 ましてルーという相棒を得た今、彼のボウガンとの相性を考えても、小回りの利く武器の方が好ましかった。そして、双剣と片手剣に関しては、最早使用しないであろう趣味的要素の強い武器まで、倉庫に収納されている。
「それに……」
ソウがため息混じりに呟いた。
「自分のためよりも、誰かのために作る方が意欲が湧くの」
「スイのは作らないニャ?」
「いらないって言われてるから」
瞳を閉じ、ソウは話を続けようとした。
 あの翠色の瞳の持ち主は、今頃何処で何をしているだろう。
 すぐに瞳を開いたのは、不意に頭へ浮かんだそんな事を、打ち消すためだった。
「悩んでても仕方ないよね、明日からルーのボウガンにとりかかろう」

 と、言ったものの。
 結局、その日ルーの出番は無かった。まだまだ設計を手直しする段階で、彼にはする事が無いのだ。代わりに、彼は倉庫の中をブラブラしている。
 仕事の代わりと称する以上、それ相応の役割を果たさなければならないニャ。
 と、少なくとも彼は、そう考えていた。その手には紙とペンが握られている。そこには素材に関するメモが細かに記されていた。倉庫内の素材の在庫を確認しつつ、彼自身も勉強しようという試みである。
 在庫整理のずさんなソウは、何が何処に幾つ存在しているか把握していないのだ。倉庫には、山の様な素材が、所狭しと放置されている。
「ランポスの牙が二百三十八本に……隣は……」
隣は。そこで、ルーの手は止まった。隣にはランポスの鱗。その、隣には。床の上に、それが無造作に寝かされている。
 分厚い、重厚な角。
 重量もさる事ながら、その硬さには形容しがたいものがある。
 飛竜の硬質な骨が、これでもかという程、この中には詰め込まれているのだろう。
 成長と供に、幾層にも重ねられた強固な角。
 湾曲した勇壮な姿は、見る者に畏敬の念を抱かせる。
 角竜ディアブロスの角だった。
「ディアニャ……ディアの角ニャ……」
懐かしくも、大切な思い出。
 ルーはディアブロスの狩りに向かい、その途上でソウとスイに出会った。それが彼らの出会いであり、彼自身の運命の転機であった。
 その大切な思い出は、いつか見た角竜の姿に繋がる。
 いつか、あの巨大な雄姿を自らの手で狩りたい。
 その想いは、思い出と供に、褪せる事無く彼の胸に根付いている。
 そっと、角に触れる。
 肉球を通して、ひんやりとした硬い感触が伝わって来た。
「ルー?」
「ニャ、にゃんでもにゃいニャ!」
髭を震わせ、目を真ん丸くしたルーが、首を振りながら、いそいそとソウの元へ走って行った。

「夕御飯どうしよっか?」
工房での作業を終え、二人は帰宅する事となった。陽は傾いて夕陽となり、一日は残りを少なくしている。
 蒼と青の瞳に、茶色の夕陽が、遠慮がちに注いでいた。
「マタタビ団子がいいかニャ?」
「フェルに教えてもらってから、ずっとそればっかり」
ソウが首を傾げて微笑んだ。
 懐かしさと、同時に思い出す別れ。
 ほろ苦い想いが、ルーの表情を少しだけ複雑にさせた。
「フェルからお手紙、また着く頃じゃない?」
「そうなのニャ! 楽し」
みニャ。
 言葉は、最後まで形にされなかった。
 影が、そこの角を曲がって来たのだ。
 誰かわからないが、脚だけは見えた。
 衝撃、そして見事に飛んだ。
 空中で一回、落ちてから三回は転がり、ようやくルーは止まった。
「いいかげんにしろニャぁ〜!!」
「す、すいませんすいませんすいません!」
怒髪天を突いた様子のルーは、頭部の帽子をぐしゃぐしゃに丸め、それを地面へ叩きつける。
 ……振りをした。
 実際には、足で大きな地団太を踏んだだけである。
「あ」
ルーを蹴り飛ばした主が、先刻と同じである事に、ソウが気付いた。
 ルーの方はといえば、やや遅れて彼の顔に気付き、改めて抗議を繰り返した。
「……まったく気を付けないとだめニャ!」
ルーファゥスは恐縮し通しであったようで、ただただペコペコと頭を下げている。
「だいたいハンターのクセに油断一杯ニャ!? そんなんじゃ……」
仁王立ちになって腕を組んだルーが、説教を小言へ移行させようとした時だった。
「ニャ……にゃぁあん?!」
耳がピンと立ち、鼻がヒクヒク動きながら、四囲に向けられた。髭は張り、ルーの瞳には爛々としたものが宿っている。
「ま……マタタビの臭いニャ……」
ルーの視線がルーファゥスの腰に突き立った時、彼はポシェットから包みを差し出した。
「あ、よかったら一個どうぞ〜」
なめし皮で包まれたそれは、湯気と香気を放っている。
 むしろ高貴ニャ。
 ルーにそう見えたのか定かでは無いが、彼は今や、むしろ尊崇の念を持ってルーファゥスを見詰めた。
「ま、マタタビ揚げパンニャ〜!」
吹き飛ばされた事など、既にルーの頭の中には無かった。
 包みから取り出された際、マタタビ揚げパンにまぶされた粉状のマタタビ粉末が、周囲に四散した。彼は魅惑の粒子の中で、差し出されたそれにかぶりついた。
「ここは、いろんなお店があるんですねぇ。色んな物いっぱい買っちゃいました」
嬉しそうに周囲の露店を見渡しながら、ルーファゥスが嘆息する。ミナガルデの様な大規模な店は無いが、小さな露店の数は相当なものだった。
 現在の彼のポーチには、狩りに不要なものが徹底的に詰め込まれている。それらは、道すがら露天で買い集めたものだ。
「ご用事、済んだの?」
同じく差しだされたマタタビ揚げパンを受け取り、ソウがその端を口に含んだ。
 まぶされた砂糖とマタタビの味が口内で交じり合い、何とも言えないメロディを奏でている。
 ルーほどの甘党でない彼女は、受け取るのを辞退しようとしたのだが、揚げたてのパンの香りと、ルーの表情に負けてつい手に取ってしまったのだった。
「お陰様で〜助かりました〜」
ルーファゥスが満面の笑みを浮かべた。
 立ち話もなんですから。そう言って、彼は取り出したハンカチを二枚、程よい岩の上に乗せる。そこにソウとルーを招きつつ、夕陽に染まる露天が見渡せる位置で、三人は腰掛けた。
「貴方、ミナガルデの人?」
恐らく、隣に座るルーファゥスは自分よりも年上なのだろう。だがこの童顔は、自分と年齢が変わらない様にすら見えてしまう。
 ソウは彼を見詰めながら、彼の瞳に刻まれた何かを見て取っていた。
「あ、あたりです〜」
「ソウ、すごいニャ」
そう言ったルーが、満面の笑みで顔を上げる。
 先程までかぶりついていたマタタビ揚げパンが、今はもう跡形も無くなっていた。
 揚げたてを食べた方が、パンも喜びますから。そう言って、ルーファゥスが彼に二個目を差し出した。
「言葉のアクセントがちょっと違うの」
ソウの蒼い瞳が、ルーファゥスの茶色の瞳を覗き込んでいる。
 探りを入れる、という様な印象では無い。まるで吸い込む様な、全てを映し出す様な、そんな見詰め方だった。
「ミナガルデの、ハンターニャ?」
「あ、いえ、正確には、ハンターじゃないんですよ」
ルーファゥスの瞳に付いた傷が、一瞬だけ疼いたのを、ソウは見て取った。
 無論、物理的な傷というのではなくて、瞳の持つ印象だとか、澄み具合だとか、濁りだとか、そういうものから見て取る範囲である。
「ミナガルデには、新米のハンターや、ハンターに復帰する人のために、訓練所があるんです。私はそこで教官というのを任されています」
「へ〜、訓練所なんてあるんだ」
「ここでは、そういうの無いみたいですねぇ」
「うん」
ソウが柔らかな唇に指を這わせ、砂糖とマタタビの混ぜ合わさった粉を払い落とす。
 始めは気になる甘さであったが、食べ続けていると徐々に慣れてくる気がする。
 それこそが、罠なのかもしれない。
 ……ううん?罠?何の罠?
 会話をしながら、一方で、彼女が糸状に目を細めた。常に幾つもの事が思考を駆け巡っている彼女には、時折、奇妙な方向へ思考が行く癖がある。彼女は他人にそれを気づかれていないつもりだが、横でマタタビ揚げパンを頬張るルーが、奇妙な表情を向けた事から、恐らくバレているのだろう。
「……えと、ここでは、皆実戦で身につけるの」
ジャリジャリシャリシャリとした粉の感触が、徐々に心地良く……?
 首を振って、思考からそれらを追い出そうとしたところで、ソウは何かに思い至ったらしい。
「それなら、ルーファゥスは武器を全種使えるの?」
「はい〜。色々なタイプのハンターの卵さんに基礎を学んでもらうので、今でも一通りの武器はこなせる様に、最低限の狩りには出ています。勘、なまっちゃいますからね」
「あ、思い出した」
ジャリ。
 やっぱりお砂糖、ジャリジャリする。何だか、いやらしくて好きじゃない。
 そう思ったのは、純粋にソウの好みの問題だったのか、たった今思い出した顔のせいだったのか、判別しない。
「この前、老山龍と戦った時、遠くから私の事ずっと見てるやらしーおぢさんがいたよ」
ピクンと動きを止めたルーファゥスは、黙ったままソウの話を聞いていた。
「ひげを生やした、うさんくさいエロおぢさんと、気苦労してそうなお坊ちゃまガンナー……は、確かミナガルデの人だったと思う」
誰だか分かってしまう。
 それだけなのに、誰だか分かってしまう。
 誰だか、誰だか分かってしまう誰だかわかってしま……。
 首を振りながら、ルーファゥスは、何やってるんですかぁ、と心の中で彼らに叫んでいた。
「上手に隠してた」
「え?」
「翠と同じなの」
そう言ったきり、ソウはニコリと微笑んで言葉を閉ざした。
 ルーファゥスが腰に佩いている片手剣に目をやると、彼女は不器用に話題を転じた。
「……大分痛んでるね」
剣の柄はおろか、鞘までもが、長い長い闘いを思わせる痛み具合をしている。
 それを指摘をされたルーファゥスが、恥ずかしそうに笑った。
「教官なんて殆どボランティアみたいなもので……武器なんて買い換えたりできないんですよぉ〜」
そう言いながら、ルーファゥスが腰の剣をさする。
 属性効果も付かない、簡素な剣。
 ハンターが他所のギルドへ向かうのに、殺傷力や希少価値の高い武具を揃えていけば、それだけで揉め事の種となる。向かった先のギルドで、警戒だとか嫉妬だとか、余計な感情は向けられないに越した事は無い。
 彼がこの剣を携行しているのは、彼なりの気遣いなのだろう。
「でも、とっても大事に使ってる」
ルーファゥスの腰に手を当て、そこからソウが剣を引き抜く。
 首をかしげ、引き抜いた刀身を見るなり、彼女にはすぐにそれが分かった。
 刀身が一つの方向へ真っ直ぐ、きめ細かく、正確に研かれている。
 何も考えないハンターなどは、この研ぎ跡が上下左右ばらばらになるのだ。見れたものではない。ハンターの使う砥石は特殊なもので、多少の刃こぼれであれば、砥石自体の持つ特殊な成分が付着し、剣と同化してそれを修復してしまう。だから、そんな研き方でも、何とかなってしまうのだ。
 だが、それにも限界はある。
 雑な扱いをしていれば、十年、数十年後には、それを思い知らされるだろう。最悪の形でその瞬間を迎え、命を落とすハンターもいるのだ。
「……ルーにガンナーを教えてくれませんか?」
「ニャ!?」
「はい?」
唐突な申し出だった。
 言われたルーファゥスはもちろん、ルウもまたそれに驚いている。
「私、ガンナーは貴方より下手だと思う……。ルーにちゃんと教えれてるか、ずーっと気になってたの」
夕日の朱色が、ソウの白磁器の様な両手に絡み付いている。
 人を殺め続けた彼女の手には、目に見えない染みがあった。決して消えないそれは、彼女にボウガンの技術を教える事を躊躇わせた。人を殺す技術であれば、それは目の前のルーファゥスに勝るだろう。だが、ルーが必要としているのは、そんな技術では無いはずだった。
「貴方、ボウガンも上手いでしょ?」
それは、ルーファゥスの身体を見れば分かった。
 利き腕の肩や、腕に現れる肉付きの変化から、その人物が普段から何を得物としているか見て取れる。
 彼のそれは、あらゆる武器に適した肉付きをしていた。
「グランシェのハンターにお願いするのが嫌ってわけじゃないけど……」
うつむき、ソウが言った。この街には、彼女の足跡が色濃く残りすぎているのだ。
 加えて、ルーファゥスはルーがハンターだと言っても、表情を変えなかった。見る目を、変えなかった。それだけの事だったが、それでも、彼という人を垣間見る事ができた気もする。
「で、でもいいんでしょうか〜?」
ルーファゥスが、手にしていた包みを折畳んだ。
 動揺しているのか、半分に折ろうとしていたらしい折り目が、三分の一と、三分の二の間についている。
 そもそも、他のギルドの人間が、他の地域に関わる事など稀なのだ。ましてそれが、教官などという得体の知れない仕組みとしてであれば、更にである。
「マデイラにはちゃんと許可を貰うよ!」
不意に、ソウがルーの手を握り締めた。驚いたのか、彼の髭が振るえ、髭に付着していたマタタビの粉が、勢いで吹き飛んだ。
「ちゃんと報酬も用意するから……」
もしもルーが、更にガンナーとしての能力を高める事ができたなら。
 結果的にそれは、生存率を高める事になる。急いでルーが強くなる必要はなかったが、生き残る確率が上がる事であれば、やっておくべきだろう。
 無理な願いかもしれない。だが、聞いてくれるならば、これほど助かる事もなかった。
「お願いしますっ」
立ち上がったソウが、深々と頭を下げた。
 思わずマタタビ揚げパンが、落ちそうになったニャ。
 ルーが、彼女を凝視した。
 ソウが誰かに頭を下げるなんて、初めて見たニャ。
 それは彼ならずとも、彼女を知る者であれば、誰もが抱いた感想だった。
「……基礎の見直しから入ると、一ヶ月以上はかかりますよ?」
ソウの気迫に気圧され、ルーファゥスはたじろいでいた。
 彼女の性格を知らない彼にも、そこにある心意気は感じることができた。その必死さが、痛いほど伝わってくる。思わず、既にぐしゃぐしゃになっている包みを、更に握り締めてしまった。
「う、うん! その間の宿とか全部手配する、から……!」
立ち上がったソウは、今や身を乗り出してルーファゥスに詰め寄っている。その表情は、まるで身を切られるかのような切実さに満ちていた。
「……ま、いいかぁ」
本当に良いのかどうか分からないのだが、こんなに必死な女の子の頼みを引き受けないわけにもいかないだろう。
 ルーファゥスは頬を掻きながら、苦笑しつつも、ソウの頼みを引き受ける事にした。
 不意に、腕を組んでこちらを睨むベッキーの顔がよぎったが、それは丁重に無視しておく事にした。
「ルーさんは、それでいいですか?」
ルーファゥスが尋ねる。
 ルーが、弾かれたように答えた。
「教えてくれるニャ!?」
ルーの髭が張りつめ、尻尾が立ち上がった。
 その表情は、陽を当てたように輝いていた。 
「ええ、私でよかったら」
「お願いしますニャ!」
深々と頭を垂れるルーに応じながら、ルーファゥスは肩を落とした。
 本当に良いのかなぁ。
 ふわふわした自分の茶色の髪を撫でた後、彼は微笑んでいた。
 こちらを見詰めるソウの切実な瞳を一瞥でもしてしまうと、その可憐な様子と相まって断る事は不可能にも思える。こちらに向けられた瞳は、何処までも澄んで真っ直ぐだった。
 仕方ないか。
 蒼い瞳が茶色の夕陽に交じり合い、群青色(ラピス)に染まっている。


↓続く。
Lapis 第三話
2007年01月28日(日) 17:50:20 Modified by orz26




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