The Unbalanced Hunters ―戦士二人― 第一章:第三幕

ランドール




第一章〜炎が舞い降りた日〜


第三幕〜愛に時間を〜


『調合入門〜調合順序について〜

調合とは通常、2つの異なる材料を混ぜることで、個々には備わっていない性質を発揮させたり、互いに高めあったり、時には変異させたりして、新しい物を作り出す試みのことです。
けれどこれは、単純に掛け合わせれば良いというものではなく、例えば順番が1つ変わるだけでも、調合の結果は劇的に変わってしまうことを覚えておかなければなりません。
例えば、コップに水と氷を入れるとき、先に氷を入れておいてから水を入れるのと、水を入れてから氷を入れるのとでは、水の冷たさや氷の溶け具合は、はたして同じになるでしょうか?
まずはそこから試してみましょう。答えは次のページです。』

「ふうん……あの、すみません」
「はい」
「実験にご協力下さい」
「は?」
ウェイトレスさんに頼むと、すぐにコップが2つ、運ばれてきました。
「あ……氷が先に入った方が冷たい。氷が、良く溶けて小さくなっているから……そのせいね」
ふむふむと納得し、本に目を戻してページをめくります。

『そう、[先にどちらがコップという領域を満たしていたか]で、それぞれ差が出てきますね。
この[先にあった方の影響が強く出る]という決まりを、[先行材料優勢の法則]と言います。
ただし、併せて覚えておいて欲しいのは、[水を冷たくしたい場合]と[氷を保ちたい]場合とでは、それぞれ順序を逆にしなければなりません。つまり[調合にどんな結果を望むか]という展望が無ければ、この法則を生かして順序を決定することは出来ないのです。
さらに、材料自体も順序に関わってきます。回復薬と回復薬グレートを例に取ってみましょう。
アオキノコと薬草で作る回復薬の場合、[薬草の回復の力を高める]ことが目的ですので、薬草をすり潰したものが先で、後に刻んだアオキノコを加えるという順序になります。
ところが、ハチミツと薬草で作る回復薬グレートの場合、薬草を先にすると、回復の力を高めるどころか打ち消しあってゴミが出来てしまうのです。これはハチミツの潜在的な回復の力、つまり材料としての[格]が薬草より上のため起こる現象で、ハチミツを先にすることにより薬草の[回復する]という力が十二分に吸収されて、結果強力な薬となる、といった具合です。
このような[材料の力関係が順番に影響する]という決まりを[材料間優劣の法則]と言います。
以上の2つが、調合入門の大原則です。ようく、覚えておきましょう。
次ページからは、調合の具体的な手順について触れていきます。』

「[優勢]に[優劣]ですか……なるほどなるほど」
ぺらり、とページをめくろうとしたところで、
「ふむ……面白いか?」
と、どこか嬉しそうな声がテーブルの向かいからしましたので、私は間髪入れず、
「完全完璧完膚なきまでに、あてつけですよ♪」
正直に、一点の迷いも無く、しかもとびきり凶悪な笑顔でそう答えました。
「なんと……!?よもや、万が一とは思うが……本のジャンルが好みではなかった、と?」
「というか、どうして調合入門書が出てきたのか、未だに理解が追いついていないのですけれど」
話はお昼に遡ります。
お昼ご飯は軽めに済ませ、もう少し歩いてみようというユウの意見には大賛成でしたし、その散策の中で二本足で立って歩く猫さんを見て喝采を上げたり、クックさんの絵を見つけてちょっぴりショックを受けたりと、なかなかに楽しい時間を過ごせたのでした。ただ、旅の疲れと慣れない人ごみのせいで、思いの他ばててしまった私は、一足先に宿で休んでおくことにしたのです。その際、
「我は夕食まで色々見て回るつもりだが……何か、欲しいものはあるか?」
と、ユウが気を使ってくれたものですから、私は遠慮なく頼みました。
「では、夜寝る時に読む御本が欲しいです」
「承知。任せるが良い」
勅命賜った、とでもいうような調子の、力強い頷きでした。
で、夕食時に戻ってきたユウが自信満々に出したのが……例の調合入門書、ということでして。
何というか、そう、子供のささやかな期待をめった斬りにしてくれた感じなのでした。
「普通、夢いっぱいの童話とかロマンティックな昔話とか、そういったものでしょう」
「……そうなのか?」
心底不意を突かれた表情から察するに、そもそもそういった選択肢は浮かんでいなかった模様でした。私がリオレウスだったら辺りは火の海だなあ、と思うくらい、盛大なため息が洩れます。
「この歳で優勢だの優劣だの、法則暗記していたら嫌ですよ。しかも夜寝る前に」
「実用的だと思ったのだが……」
「子供のささやかな娯楽に、実用性を求めないで下さい」
ぷいっと顔を背けると、別のテーブルに座っていたおにいさんと、目が合いました。しかも何故か、慌てて逸らされます。
はてな、と思って周囲を見渡してみると、さして大きくない宿の慎ましやかな食堂内の視線が、どういった冗談か、私たちに集中しているようなのでした。
「不特定多数のやっかみを受けるほどに、ベストカップルなのでしょうか?」
「まあ、大の大人が子供にやりこめられていたら、さぞ目立つのだろうな」
小憎らしいくらい模範解答でした。
「……つまらない人」
「何故!?」
どうしてなじられたのかわからない、といった様子で目を白黒させるユウでしたけれど、レディの心情を切々と説明するつもりはこれっぽっちも起きなかったので、とりあえず、冷たい方のコップの水を飲みました。
「……すまないな。我は、色々と、至らない」
「謝らないで下さい」
「だが……」
「この本、嬉しくないわけでは無いのですよ」
私は、比較的、正直に答えました。
「確かに、ユウのセンスは壊滅的です。破滅的、と言ってもまだ足りないくらいです」
「むう……」
「でも、ね。どれだけ真剣に考えてくれたのかは、ようくわかるのですよ。
私に出来る、たかが知れている選択肢の中から、一番成長に繋がるものを選んでくれました」
言って、調合書をやんわりと撫でます。
「かといって、諸手を上げて褒めることは出来ませんけどね」
「だろうな」
くくく、と噛み殺した笑いが、お互いの口から洩れます。
「学びましょう。私は生きる術を。あなたは乙女心と……出来れば、魅力的な笑い方を」
「それはまた……難問だな」
「そうですね。だから、しばらくは私がやんわりと微笑んでいてあげます。
そのうち、2人で笑えるようになりましょう。1人より、ずっとずっと、楽しそうに」
「悪くないな。では、我は今しばらく、ソナタの分まで戦いに身を投じるとしよう」
「任せます。でも、すぐに追いつきます。その第一歩は、これでしょうか」
回復薬の調合方法が書かれたページを開き、ユウの眼前に掲げます。
「ただ守られっぱなしだなんて、御免ですからね?」
「笑われっぱなしも、御免被りたい」
カラリ、と音を立てて、コップの氷が傾きました。
それは、穏やかであっても変わらず時間は流れているという証明であり、今このときも、何かが確実に成長しているという証明なのでした。
同時に、目の前にある状況は不変のものではない、という意味でもありまして。
「やあ、お2人さん。お邪魔して良いかな?」
声は、私たちに向けられたものでした。
なので、自然、それまで私たちに注がれていた食堂中の視線が、突然の来訪者に集中します。
温和な笑顔にちょこんと乗っかった眼鏡。マックス爺さんです。
もちろん、来訪を断る理由はありませんでしたけれど、たいそう不思議ではありました。
「よく、ここの宿に泊まっているとわかりましたね?」
「なに、君達は自分で思う以上に人の目を惹いているんだよ。
『寡黙な剣士を手玉に取る少女』について聞いて回ったら、すぐにここだとわかったのさ」
かなり嫌な有名人ぶりでした。
「ともあれユウ君、約束どおり一杯やろうか」
「無論のこと」
そうして、2人はホピ酒を注文し、私の前にはチョコレートパフェが運ばれてきました。
大人のお話にはあまり口を突っ込むものではない、という程度の分別はありましたので、私はもっぱら聞き役に回ったのでした。そこには当然、初めて口にするパフェの、やわ雪よろしく舌上でとろけていく感覚を楽しむので忙しかった、という理由もあったのですけれど。
マックス爺さんは、たくさんのお話をしてくれました。
今まで旅をした多くの土地のこと。商品の仕入れのちょっとしたコツのこと。口上で、いかにお客さんの買う気をそそるかというテクニックのこと。ドーガを育ててきた際の苦労話のこと。お孫さんが4人居て、美人さんで知的な長女、元気で正義感の強い長男、天衣無縫で我侭な次女、大人しくて体の弱い三女という内訳であること、などなどです。
「4番目の孫はお嬢さんと同じくらいの歳でね……1つか2つ上、だったかな?
定期的に薬を届けているんだが、幸いなことに今回は、良い薬の材料が手に入ってね」
だから、明日にでもこの村を発つ予定なんだよ、とのことでした。
つまりは、わざわざ律儀に約束を守りに来てくれた、ということなのでしょう。
「材料、ということは……調合も行なうのですか?」
もちろんそうだよ、とマックス爺さんは嘯きます。
個々の材料で売るより調合済みの方が高く売れるし、使う側にも便利だということでした。
「ボウガンの弾なんかは数をこなさなきゃいけないから、暇を見ては調合しているねえ。
ドーガに乗せると衝撃で危ないから、自分で荷を背負わなきゃならないのが難だけれど」
おかげで足腰は丈夫だよ、と笑う顔が、やんわりと上気してきているようでした。
「おや?その本は……ああ、そうか。お嬢さんは勉強家なんだねえ」
「やむにやまれぬ事情がありまして、ね」
けほん、とユウが軽くむせましたが、マックス爺さんは首を捻ることもありませんでした。
むしろ感心することしきりな様子で、
「じゃあ、後学のために、孫に届ける薬の調合を見せようかな」
そう言って、薬の瓶と薬匙、それに何かの粉末を取り出したのでした。
「活力剤に……ケルビの角の粉末、ですな」
「その通り。さあさ、お立ち会いだよ。これから作るのは、由緒正しきいにしえの秘薬だ。
一口飲めば、たちまち元気が沸いてくる。死んだ人だって、びっくりして生き返るくらいなのさ」
口上が叩き売りに似ているのは、ほろ酔い気分のせいなのでしょうか。
ともあれ、酔いが回っているとは到底思えない手つきで、粉末を薬匙の先にほんの少しだけ量り取り、慎重に活力剤へと落としたのでした。
変化は、劇的でした。
月明かりのような澄んだ黄色の液体が、たちまち鮮血の如き真紅に染まったのです。
しかし薬は、こぽこぽと泡を上げては徐々にその色を薄めていき、結局泡が収まった時には、元の月明かりの色に戻っていたのでした。いいえ、心持ち、色が濃くなっている……のでしょうか。
ちょっとした不思議現象に、思わず私も見入ります。
「この薬を作るためには、薬が真紅で定着するまで同じ手順を繰り返すだけ。
実に実に簡単なんだけれど、ところがどっこい、完成させるのは非常に難しいんだねえ」
理由は2つ、だそうです。
まず、ケルビの角を粉末にする段階で、丹念に入念に細かく粉にしなければならないこと。
次に、一度に活力剤に落とすことの出来る粉末の量が微小で、しかも1回ごとの反応が収まるまで待ってからまた繰り返して、角1本分を溶かさなければならないこと、だそうです。
つまりは、相当以上に根気がいる、というわけなのでした。
「昔の人も、こうやって気の遠くなるような作業を繰り返して作ったんだろうね。
ひょっとしたら、薬を一刻も早く望み、もがき苦しむ大切な人が傍にいたのかもしれない。
それでも一杯ずつ、祈るような気持ちで粉末を注ぎ、真紅の薬を作ったんだろうさ。
ゆっくりと、じっくりと、やんわりと、真綿で首を絞めるように時間をかけて。
ずっと、ずっと、ずうっと。何度も、何度も、何度でも。
さてさて……そうこうしているうちにね、誰も考えもしなかった大変なことが起こったのさ」
「……それは?」
いつの間にか、身を乗り出して聞いている私です。
マックス爺さんは、焦らすように言葉を溜めてから、かかか、と笑ったのでした。
「薬の名前を忘れてしまったのさ」
「…………はい?」
私とユウの声が綺麗にハモりました。
それが予想通りだったのか、はたまた予想以上だったのか、ともかく、マックス爺さんはより愉快そうに笑い声を上げたのでした。
「だって、考えてもごらんよ。昔から『いにしえ』のはずが無いだろう?
皆、薬を作るのに必死で、気がついたらどうしても名前が思い出せなくなっていて、
仕方ないので後からこんな名前を付けた。嘘のようなホントのお話だよ。
だからね、この薬には、なかなかどうして、たくさんの異名が付いているのさ。
『忍耐試験薬』『時よ止まれ』『血の涙』『効果3倍の赤い奴』などなど。
……そうだ、お嬢さんなら、この薬をいったい何と呼ぶだろうか?」
「うむ、我も興を惹かれるな」
酔っ払い2人が結託しやがりました。
もっとも、面白い話を聞かせていただいたことですし、このくらいは答えてもバチは当たらないのでしょう。
「作るのは単純なはずなのに、非常に根気と時間がかかるために完成は難しくて、
けれど出来上がったときにはとっても強い効果を持つ……うん、そのものズバリ、でしょうね」
「ほう?」
私は、何食わぬ顔で杯を傾けているユウに視線を移し、気持ち挑戦的な笑みを浮かべ、頭の中で浮かんだ言葉を3回反芻してから、唇に乗せました。

「愛に時間を」

時が止まり。光が歪み。空間が凍りつき。やがて、動き出し。
マックス爺さん、白髪頭をぴしゃりと叩いてテーブルに突っ伏し、爆笑。
ユウ、氷をわしゃわしゃと胃袋に放り込まれたような顔をして、沈黙。
何故か周囲のギャラリーからやんやの喝采が上がり、口々に、お幸せにとか叫んでいるのでした。口笛さえ聞こえてきます。
一応、椅子から降りて、スカートの端をちょこんと持ち上げて恭しく礼をすると、道行く人が何事かと目を見張るほどの大歓声が上がりました。
「なんともはや……いやいや、もの凄いお嬢さんだ」
まだ笑いの虫と格闘中のマックス爺さんはそう漏らし、氷の像と化しているユウに向かって、
「覚えておくんだね。レディが真正面から、何の衒いも無く、全身全霊で勝負を打ってきたとき、
我々男性には、白旗上げて全面降伏するしか手立ては無いのさ」
密かにそう、耳打ちしたものでした。
「……確かに、我が学ぶべきことは、多そうだ」
首から下を凍りつかせたままで、ユウは、かろうじてそう呻いたのです。
――楽しい、本当に楽しい、夜でした。
けれど、夜が終われば朝が来るように、何事にも終わりと始まりがあるものです。
そして概ね、人の世には、楽しみ以上に苦難が待ち構えているものなのでした。
翌朝、コルック村に舞い込んだのは。
街道にモンスターが現れ、いつ村を襲うかもしれないという、早馬の知らせなのでした。
2005年08月22日(月) 20:37:18 Modified by funnybunny




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