The Unbalanced Hunters ―戦士二人― 第二章:四幕後

ランドール




第二章 〜追憶を断ち斬る刃〜


第四幕 〜休日の戦場〜 後編


食事も買い物も滞りなくすませ、空も名残惜しそうに燃え上がる帰路の半ばで。
ハンターギルドの前にさしかかった二人の耳に飛び込んできたのは、酒盛りなどによる無闇な盛り上がりとはまるで別種の、ひどく切迫したざわめきなのでした。
交わす視線は、一瞬のこと。
生活用品の詰まった袋を抱えながらでも、すでに二人の顔つきはハンターのそれでした。
「ユウ!」
「応ッ!」 
ギルドの扉をくぐった瞬間――目の奥にまで突き刺さってくるのは、鉄錆びの匂い。
『何故』『どこから』という疑問を一息で彼岸へと追いやる、怒声と悲鳴で構成された人垣。
「回復薬! オレのツケで構わねぇ! あるだけ持って来い!」
「包帯が足りないの! 止血出来れば何でもいいわ! 持ってきて!」
「輸血はまだか!? 血ィさえ足りてればどうとでもなるってのに、これじゃあまずいぜ!」
ざわめきの正体は、医者の到着まで保たせるために忙しなく飛び交う指示だとわかりましたが、ここに至って、そんな当初の疑問の氷解は、砂一握の価値さえ無いのでした。
――戦場。
そう。『生と死の境界』が誰の目にもわかりやすく線引きされる、という圧倒的な意味において、ここは既に戦場なのでした。勝ちなどはとうに廃れていて、ただ負け尽くさないためだけに、必死でつなぎ止めようと這い回る、そんな、負け戦の場。
「あ……ソナタちゃんに、ユウくん」
体温を感じさせない声は、フリージアでした。それだけで、事態がより深刻なことがわかります。
「確認したい。何人中の、何人だ?」
ハンターにとって、これ以上ないのではないか、というくらいの直球勝負でした。
曰く。
『何名で依頼に向かって、何名が生還したのか』と。
生よりも死に近づくことが前提の、『狩るか狩られるか』の世界に生きるモノとしての言葉でした。
「……四名中、一名よ。そしてその一名も――」
眼鏡の奥を滲ませて、人垣を見やります。
「――あの通り、重傷。正直、五分五分だと思うわ……」
祈るように、言い聞かせるように、何とか言葉を紡ぐ様子は、悼みよりも痛みで満ち満ちておりました。

「私がもっとちゃんと依頼難度を見極められていたら、こうはならなかったのに」

びく、と身を震わせて口を押さえますけれど、薄紅を纏った唇は、呻き一つ上げてはおりませんでした。慌てて黒髪の少女を見やりますが、こちらも、珍しいくらい呆気に取られた表情です。
そんな二対の視線に射抜かれながらも、あくまでも渋いままの顔が、告げました。

「あなたがあなたを殺す必要など、どこにも有りはしない。
しかし、ただ微笑んでいるだけでも、救われるモノは居る――それだけのこと」

静かな言葉には、力と体温がありました。
けれどフリージアに驚く暇さえ与えず、仏頂面はカウンターに買い物袋の山を乗せると、御免、とだけ残して踵を返すのでした。どこに向かうのかなんて、問いかけるまでもありません。
「時々格好良いでしょう? 私のおじいさんだかお母さんは」
過去の失言を微笑みで抉りながら、少女も、身を翻しました。
――ああ、やっぱり、あの子が選んだヒトなんだ。
いつもやり込められている光景ばかりが浮かびますけれど、人並みならぬ事情があるに違いない少女を、こうまでまっすぐに笑わせているのは、あの、虫も殺せる仏頂面なのでした。
(互いに補いあっての――アンバランスド、か)
もちろん、どちらの方がより強く影響を与えているのかは、恐ろしくて考えませんでしたけれど。

「ぅおっし! 受付けの根性見せるときだわ!」

ぱちん、と両の頬を張って、しょぼくれた顔を作り直してから。
笑顔を引っさげ、取り出したのは、書類の山でした。
「依頼難度……星4つに改訂して分類を通常討伐から緊急救出に変更、
内容は取り残されたハンター三人の安否確認及び救命、
成功報酬は――ええい、減給覚悟でギルド予算から捻出してみせるわ!」
それは、あまり前例の無い、救出依頼の手続きの数々でした。国の要人でもない一介のハンターたちのために、というのはさらに前例が少ないことですが、現場の判断という名の免罪符を振りかざして、これを押し通す腹づもりのようです。
(こっちはこっちでどうにかしてみせる。そっちはそっちで……お願いね!)
言われるまでも無い、と、あまりにも迅速な行動で応える二人でした。

「薬が行きます。道を開けて下さい」

決して大きな声ではありませんし、誰がどう聞いても子供の、それも少女の声です。
けれど。
モーセの十戒よろしく、人垣が真っ二つに割れて道ができました。恐らく、半分は炎の子供の声を知っていたのでしょうし、もう半分は、単純に、気圧されたのでしょう。
――どかぬなら、我が斬り開こう。
眼光だけでそう告げる、白髪の剣士によって。
そうして到達した人垣の向こう――僅か5m先は、別世界でした。
横たわる一人に対して、着いている人間は三名。
薬が足りない、と叫んでいた通りに相当切実なようで、今は三名が三名とも、自分の服の切れ端を持ち寄るなり、布袋に互い違いに切り込みを入れて包帯状にするなりして、どうにか止血を試みているのでした。芳しい結果が出ているようには、見えませんけれど。
そして、怪我の具合以前の根本的な問題が、一つ。
「ユウ……私が見間違っているのでは、無いのですね?」
「肯定だ。あれは、ハンノキ殿に相違ない」
真紅に染まり横たわっているのは、この街に来て間もない頃から見知っている、老ハンターでした。何故かユウのことをひどく気に入っており、ことあるごとに『変態であろうと貴様は漢よ!』と口にしていたのが、自然、思い出されます。弱々しく息を継ぐ様からは、夢でも見ていたかのように、遠い光景ですけれど。
「…………っ」
「ソナタ――やれるか?」
おそらく大の大人でさえ、取り乱し、喚き、自失するであろう惨状を前に、悲鳴も上げず視線も逸らさず、真っ向から立ち向かわんとしている小戦士の答えを、ユウは、静かに待ちました。
――ハンターとはいえ、我は、あまりにも酷な選択を強いている。
身近な人間が、ある日突然に死に瀕するという、現実。
剣を突きつけるように、大上段から受け入れを強要する、悪夢。
現実が悪夢となる、そんな、悪夢のような現実。
(ソナタは――最悪の形で、それを知ってしまっているというのに……)
たったの、ニ年。
ヒトが変わるにはあまりにも短すぎる歳月で、ソナタは、あの『炎の世界』での出来事をどう消化してきたのでしょうか。普段の生活を見守る限りにおいては、それらの影響が見られることはありません。ただ、それをもって、何もかもを解決している、と見るわけにはいかないのでしょう。
そこで失った家族、村、そして、自分自身。
どれもこれも、あまりにも取り返しのつかないモノばかりです。本来であれば、誰もが当然のように与えられる、家の土台に相当する部分。やがて守られるだけの世界から羽を伸ばし、試行錯誤しながら自分を形作ろうとした時に、しっかと支えてくれる根本。
それらが、一切、無い、ということ。
灯る明かりが突然に掻き消えて、嘲笑う闇に出迎えられれば、誰だって恐怖を感じることでしょう。けれど、正しく『そういうこと』なのです。自ら炎となって道を照らさなければ、そうして戦わなければ、一歩たりとも進めずにただ崩落ちるしかない、そんな、世界。

(時間は……何も、解決してはくれない。憎しみは淀み、深く重く沈み込むだけだ。
例え傷痕を忘れていても、触れれば血は滲み、痛みは甦る……)

脆弱の体は、今にも溶け消える淡雪のよう。
創痍の心は、頼りなく揺れる花びらのよう。
喪失の傷は、宵闇を刻む三日月のよう。
無明の道は、か細い綱の上を渡るよう。

(……怖い。飛竜と戦うことなどより、よほど恐ろしいと感じてしまっている。
ソナタが――戦士の魂が、たちどころにかき消されてしまいそうで)

ユウ自身、とんと自覚していないことでしたけれど、それは予感ではなく、実感でした。
苦境にあってなお、自分が自分であり続ける、ということ。
ただそれだけが。
かつて、風の子供には、出来なかったこと。
けれど。

「――心配する相手が、違うのではありませんか?」

振り絞った勇気の分だけ、炎の如く煌く笑顔が咲いておりました。
翳した手には、緑色の液体を湛えた瓶が、もう三つも揃っています。何よりも明確な、戦う意思がそこにあるのでした。
「その意や、良しっ!」
頷きあい、薬はまだか、と叫ぶ面々に瓶を差し出しながら、問いかけます。
「状況は、どうなっているか」
「あと、足りない分の薬を挙げて下さい。大抵のモノは調合出来ます」
突然の参入者でしたが、治療に当たっていたのもハンター、やはり緊急の対応には手馴れているのでした。要点を押さえて、短く説明を始めます。
「――で、傷口がおかしいんだ。鋭利な刃物で斬り裂かれたみたいなんだよ。
ほら、まるで――人間相手にドンパチやらかしたって感じだろ?」
胸元を袈裟斬りに走っている傷は、確かに、爪や牙でやられたとは思えない鋭い斬り口でした。いいえ、対飛竜用の防具下まで綺麗に達する斬撃となると、並の剣では無理な相談です。
「これは、刀傷に近いが、技が一切感じられない。力任せの一振りに見える。
それこそ、大剣ほどもある、巨大な刀でやられたとでも――」
ドクン。
真紅――――
刀――折れて 
――――悪魔――角―――
箱が。固く閉ざされた箱が開きかけ、何かを吐き出そうとしているような。
そんな不気味な鳴動が、体の内側から聞こえてくるのでした。
(これは……まさか『そう』なのか? ……いや、早合点はするまい。
今は、ハンノキ殿を助けるのが先だ。例え、『アレ』が出たのだとしても――)
ドクン。
一瞬、世界が紅く染まり、耳の奥で甲高い泣き声が聞こえたのは、錯覚なのでしょう。
錯覚――なのでしょうけれど、黒く淀んだ気配が、今にも胸の奥から、引き出されて――

「……こんな、でたらめな治療がありますか!」

思考を断絶する勢いで爆発したのは、薬関係の相談を進めていたソナタでした。とにかく回復薬ばかりを欲しがる様子をいぶかしんで問い詰めてみたら、とんでもない事実が露呈したのです。
「ただ傷を塞げば良いと思って回復薬? ふざけるならば時と場合を選びなさい!
出血で体が弱っている時に、輸液も無しに、全身全霊で負担を強いていたのですよ、それは。
基礎体力のあるハンターでなければ、とうに消耗し尽くして死んでしまっています!」
傷を塞ぐならば回復薬、それも強力であれば強力であるほど良い、と考えるのは、常日頃行っているハントの経験からも、当然のことと言えます。けれど、有り余るほどの体力が基盤にあってこそ、強力な薬で傷を塞げるのです。瀕死のモノに同じ処置をしては、返って身体の負担を倍増させてしまい、傷を塞ぐどころか、僅かに残った体力さえ、奪う結果になってしまうのでした。
ハンターであるからこその、思考の落とし穴、と言えるでしょう。
「回復薬だけでは、逆効果です。患体の消耗を緩和しないと、傷は塞がってくれません。
まず栄養剤1に対して回復薬3で投与、様子を見て、活力剤も、微量ずつ投与を。 
止血帯が足りないなら、止血点を圧迫して出血量を減らしてください。止血点の場所は――」
どこで仕入れたのか、と思うくらいの専門知識が、幼い声に乗せられて飛び交います。しかも知識の羅列に留まらず、これでもかと適切な役目を割り振るものですから、一瞬その様子に呆気に取られ、まるきり固まってしまったとしても、誰も当人たちを責められないでしょう。
もちろん、炎の子供を除いて、ですけれど。

「さっさと動きなさい! 即刻っ!」

はいィ! と。
野次馬たちまでが、思わず背筋を伸ばして声を揃えました。
この合唱が届いたのか、はたまた治療の変更が功を奏したのか、その辺りは定かではありませんけれど。ほどなくして、深い皺に埋もれ閉じられていたハンノキの瞼が、僅かに持ち上がったようでした。
「……おう、貴様か。かかか……どうも、ここの酒が恋しくて……のう。
ワシだけ……先、に、帰って来て……しまった、わい」
明らかに、止血を行っていた白髪の剣士を認めての声でした。
周囲からは口々に『喋るな! 傷に障る!』との声が上がりますが、ユウは、そうはしませんでした。
――自分だけ、逃げ帰ってきてしまった。仲間を置き去りにしたままで、死ねるものか!
軽口の中に、そんな意志の光を見て取ったからです。
すぐさまハンノキの前に、屈み込んで問い質します。
「敵は?」
簡潔な問いに、紅く濡れた老ハンターの口元が、僅かに緩んだようでした。
「モノブロス……の、はずだった。だが……あれは、違っ……ぅ!」
「……!」
げほげほ、と咳き込む中には明らかに紅いモノが混じっておりましたが、それでもハンノキは、話すことを止めようとはしません。
そんな光景に、誰もが目を奪われ。
短い言葉を受けた白髪の剣士が、血を噴き出さんばかりに眼を見開いていたことになど、気づくモノはおりませんでした。
「ちょ……何やってんだよテメエ! 爺さん死なせる気か!」
制止の声が――正確には同時に手も――飛びましたが、ユウは小動もしません。
「ハンノキ殿は、戦場に残してきた心を託そうとしているのだ」
「……!」
「耐えろ」
「…………短めで切り上げろよ!」
食って掛かったハンターが、気まずそうに引き下がる光景を眺めて、
「……か、かか。やはり、貴様は……漢、よの……」
苦しくて仕方ないはずなのに、やんわりと皺をほころばせる、老ハンターの姿がありました。
(違う、そうではない……我は……我は!)
白髪の剣士は、いっそ、叫び出したい心地でした。
               ――刀傷――――
――モノブロス――――
                     ――――神楽――
蠢くように、疼くように、溢れだす記憶の断片。
うぞうぞと、背中を這い上がる予感の名前は、最悪。
(鼓動が早い。時間が遅い。吐息が近い。自分が遠い。喉と心、どちらも渇ききっている……)
あるいは、この時点で、もう。
白髪の剣士は、目の前の知人を助けることを、放棄していたのかもしれません。
『まだ決まったわけではない』という焦燥と『だがひょっとすると』という歓喜は、互いに渦を巻いて螺旋となり、ただ、決するための一言のみを、貪欲に、ハンノキへと求めているようでした。
復讐の刃を鞘走らせる、唯一無二の言の葉を。

「あれは……刀の如き、澄まされた真紅を持つ……一角の、悪魔よ……」

     ――――斬り裂く角――
                        ――真紅の悪魔―――――
あの日折られた――神楽の――――――刀

「奴は、人間との戦闘を知っている……手強い、ぞ……」

――――村の人々
    ――護り刀の一族――――
                      ――――誰より強い――親父様――

「奴の顔……左半分を覆うような、黒く爛れた、爆発の……傷、痕……あれはまるで――」

                      ――護るべきモノ――――
――――護ろうとしたヒト
               護れなかった――――――――大切な――――

「そう――大輪の菊を、咲かせたような……」

ぱりん、と。
記憶の断片は砕け散り、それをぱっくりと口を開いた真っ黒な傷痕がヴァリヴァリと平らげて、一塊の仄暗い感情へと転化していくのでした。
「――見つけた」
菊の花。
それはかつて、全てを奪っていった、真紅の刀角を持つ悪魔を示す刻印。
それはかつて、刀折れ矢尽きるとも、護るべきモノを護った誇り高き神楽の証。
そして今。
全てを決する、逃れようの無い、言の葉。
「了解した、ハンノキ殿。それだけ敵の情報があれば、救出にも活かせよう」
静かに吐き出す言葉の裏で。
狂気と狂喜と凶器が、動き出しておりました。

「後は全て――オレに任せて休むがいい」

やり遂げた安堵の中、糸が切れたように、ハンノキの帳が下りる直前。
歪む世界の中で最も歪に映ったのは、白髪の剣士の、地獄から沸き上がるような笑みでした。

「やっと――おまえを殺せる。ガーベラ」

呟きは、医者の到着を告げる嬌声を、微かに淀ませただけでした。
ギルドに降り立った白衣の戦士の動きは迅速そのもので、
「可及的速やかに手術台の準備を」
第一声を部下に発するや否や、表情一つ変えず脈を計り、意識確認は飛ばして酸素吸入及び輸液を行い、状況と経過を聞きつつハンノキを担架で救急馬車へ運び入れ、
「命に別状はありません。後は我々に任せて下さい」
とだけ言い残して颯爽と去っていく様は、まさしく医者の鑑でした。
嵐が去って、残るは静けさ。
……と、行かないのが、良くも悪くもハンターの皆さんでして。
「ようし、爺さんが助かった記念に一杯やるか!」
「っしゃああああ! タルだ! タルごともってこい!」
「血の匂いなんざどこにも残らねえくらい浴び倒すぞ!」
その切り替えの早さに感心するべきか、節操の無さに呆れるべきか、なかなか境界線上ではありますけれど。周囲を巻き込みたがる、という性質だけを取ってみれば、迷惑、と断じてもどこからも文句は出ないことでしょう。
とりわけ、一仕事終えた報酬に『うむ、よくやった』と頭を撫でてくれる仏頂面だけを求めて、右へ左へとてとて奔走している少女を、敢えて足止めするような野暮の極地に関しましては。
「いい仕事してたわねー、あなた。おねえさんとノンアルコールで乾杯っていうのはどう?」
「お誘いは嬉しいですけれど、人を待たせておりますので。またの機会にお呼ばれしますね」
やんわりと、断りました。
「嬢ちゃん、そうら駆けつけ三杯だ。遠慮するなオレの奢りだぐっといけ!」
「五秒以内に飲酒法というモノを思い出してください。でなければ、爆破します」
率直に、断りました。
「おやキミ可愛いねー歳はいくつーおじさんがお小遣いをあげぶべら!?」
「――残念、不燃ゴミでしたか」
こんがり、焦がしました。
「……にしても、とことん子供向けの建物では無いですねえ」
芋を洗う人込みにあっても、元来背の高い白髪の剣士を探すのは、大人ならば造作もないことだったのでしょう。しかし子供の視点からでは、これでもかと見上げてやっと目の前の大人の顔が見えるくらいです。加えて、先の事態とは関係無しにただ騒ぎたくて集まったモノも多数いるようで、混雑ぶりは一層加速し、現在の視界は2mがせいぜいでしょうか。捜索は、ちょっとした冒険へと変貌してしまっているようでした。
けれど、そこで慌てず騒がず、
「受付けで、迷子扱いで呼び出してもらいましょうかね」
成人男性に致命傷を与える算段を着々と進行させているのが、いかにもソナタでした。
ところが、この計画は十秒と持たずに頓挫します。
受付けに向かう途中で、捜し人が見つかってしまったのですから。
「あらら、タイミングが良いのか悪いのか、難しい状況ですねえ」
なんて言いながらも、足取りの軽さは明らかでした。

「ユ〜ウ、み〜つけた♪」

今度は工房の時とは違い、何の意図も裏も無く、踊る心そのままに抱きつくつもりでした。
そうして、あと三歩で地面を蹴る、というまで接近したところで、白髪の剣士が振り向きます。
「…………え」
それだけで。
ただ一瞥を投げかけられたという、それだけで。
炎の子供が、凍りつき、ました。
「――」
高い位置から見下ろしてくる表情は、むしろ穏やかなくらいでした。
なのに、冷えきった鋼鉄の瞳は何なのでしょう。射抜く意味しか持たない視線はどうしたことでしょう。そして、見知った顔でさえ雑踏の一部と同様にしか映さない、残酷なまでの、無関心は。
――まるで、モノを、見ているみたい。でも、それは、私で――
そう感じた瞬間、もう、ユウの目を真正面から見据えることは、出来なくなっておりました。
世界から、色が、音が、光が匂いが心が想いが言葉が温もりが……全てが、幸せな嘘であったかのように、失われてしまいそうで。
「あ……ユ、ぅ……」
声帯を震わせて声が出るのなら、なるほど、すでに全身がこの上無く震えている以上、声の出しようが無いのも道理でした。
支えであったヒトから初めて受ける――拒絶意思。
その事実は、歪ながらも着実に積み重なっていた『ソナタ』という存在を、運命の如く唐突に、災厄の如く超然と、死の如く逃れよう無く、否定し破壊しつくす代物でした。
僅か2mに満たないはずの隔絶は久遠。
人込みの真っ只中にあって孤独に射抜かれる胸。
(聞こえない……ずっとユウから吹いていた、優しい風の音が……)
唐突に――少女は、自分がひどく頼りない存在であることを痛感しました。そればかりか、自分は何か取り返しのつかないことを繰り返してここに至ったのではないか、何もかもが悪くて間違いでどうしようもなくて、だからこんなふうになっているのではないか、そんな考えが、核心を確信するかのように、恐ろしいまでの説得力を持って湧き上がるのです。
(世界が――表情を変えた? ……違う、私が、ソナタのはずの炎が、揺らいでいる……!)
いつの間にか、歯の根が合わず、かちかちと耳障りな音を立てていました。足なんか、本当に床に上にあるのかわからないほどの頼りなさです。呼吸のたびに全身に震えが走って、胸の真ん中に風穴がぽっかり空いたみたいにすぅすぅします。涙が出ていないのが不思議なくらいです。
(ユウ……何でもいいから、本当に、頷き一つ構わないから、心を下さい……。
今にも、もう、崩落ちてしまいそうで……私は、私が、わからなくなりそうで……!)
あと、藁一束の重みが加わればたちどころに壊れてしまいそうな自分を、少女は必死で支えながら、よく見知ったヒトの全く知らない顔を見つめ続けました。
そして。
ただの一言で少女を救える唯一の人物は、
「――」
一瞥を投げかけた時と同様の無関心さで、背を向けました。
「あ……」
遠ざかっていく背中を追うことも、その場で泣き崩れてしまうことも出来ず。
宙ぶらりんの危うさだけが残されたまま、少女は、ただただ立ち尽くす他無く。
「……嫌いになんかなれないって、知っているくせに……ユウ……そんなの、ずるい、よ」
遠ざかる大きな背中に優しさを見出すことは、もう、出来そうにありませんでした。
それから、ほどなく。
浮かれ騒ぐ声を切り裂くような怒声が、受付け付近から上がったのでした。
「救出に人員を割くのが無駄って……どういう意味!?」
フリージアが食って掛かる先で、白髪の剣士が無表情に無味乾燥な声で告げました。
「そのままの意味だ。生きていない者を救出など出来ん。増えるのは被害だけだ」
「何よそれ……どうして、他人の生き死にを、ここであなたが決められるのよ!
生き延びていて、でも傷を負って動けなくて、今にも助けを待っているかもしれないじゃない!」
バン、と平手を叩きつけられたカウンターが盛大に抗議の声を上げましたが、
「友釣りだ」
不自然なくらい平静な声色で、答えが返ってきました。
「老人子供をわざと殺さず傷だけを負わせ、それを助けに入ったモノを殺して喰らう。
アレは……あの悪魔は、平気でそういうことが出来る奴だと、わかれ。
ハンノキは、運良く助かったのではない。次の餌を調達するために、生かされただけだ。
ただ――四人の中で一番歳をとっていて、『喰っても上手くない』という理由で、な」
すっかり重力に血液が引かれる形となったフリージアですが、それでも声を失うことはなく、
「あなた……そのモノブロスに、心当たりでもあるの?
ギルドの諜報部だって、詳細は捉えられていないのに」
「――なに?」
いったい、何がそれほど白髪の剣士の琴線に触れたのでしょう。
くつくつと嗤いをこらえるように肩を震わせ、そのくせナイフを心臓に滑りこなせるような視線に、地の底から這い上がるような声を乗せてくるのです。
「心当たり? 心当たりか、それは最高の言葉だ。愉快すぎて笑おうにも笑えない。
奴の――モノブロス・ガーベラの、何を知っているか、だと? ああ、知っているぞ。ようく、な」
「モノ、ガーベラ……菊一文字? それって、確か東国の名刀の名前じゃ……」
言いかけて、ひぅ、と喉に餅を詰まらせたような声が洩れました。
――『コレ』は、殺すモノだ。
直感ではなく直観。『そうとしか見えない』空気を、ギルド受付けという経験が映し出したのです。
(なんで……なんで、今までこんな歪な存在を前に、平気でいられたの……!?)
邪魔か、否か。瞳はただ、それだけを見据え。
殺すか、否か。心はただ、それだけを判じて。
敵か、否か。刃は、ただ、それだけを断じる。
それは、つまり――

「ガーベラは――オレの仇だ」

瞳が語る。それは自分の獲物だと。
心が伝う。それは自分が殺すのだと。
刃が謳う。それは自分だけに許されるのだと。
それらの全てが唸って叫ぶ。
曰く。
邪魔するならば――斬る、と。

「わかったら、救出など出さずに、事後処理に勤しめ。次の討伐依頼で、オレが奴を殺す」

用件は以上だ、と言わんばかりに、答えすら待たずに身を翻す白髪の剣士でした。
けれど、一言一句に力を込めた気丈な響きの声が、その足を止めました。
「……あなたの、私怨で、ギルドがほいほい方向転換するわけには、いかない、のよ」
あくまでも、生きている可能性がある限り救出は出す、と。
フリージアは、毅然と意思表明をしたのでした。
「そうか」
誓って。
白髪の戦士は、そう呟いただけでした。特別な動きをしたわけでも、怒りを漂わせたわけでも、声を荒げることさえもしなかったのです。
なのに。
白刃が鞘走り、陽光の照り返しを受けたように。
喉元を塞ぎ心臓を掌握する、圧倒的な抹殺意思が、脈絡なくその姿を現したのでした。
浮かれ騒いでいたハンターたちでさえ、氷塊を背中に流し込まれた顔をして、一斉に、振り向きます。それは、明らかな不幸でした。

「残念だ――が、仕方あるまいよ」

振り向き、一歩を踏み出し、右手を大きく振りかぶる、淀み無い動き。
突然の、けれど非常に理に適った一連の破壊動作を、誰もが、絶望的な気分で見つめておりました。その先にある否定しようの無い死の匂いに、あるモノは息を潜め、あるモノは耳を塞ぎ、あるモノは目に見えないナニモノかに祈り。
そして。
振り上げられた右手は、振り上げられた形のままで、固まりました。
それは、降って湧いたような心変わりがあったとか、はたまた持病のシャクが痛んだとか、そういった不条理によるものではありません。その右手を、25kg相当の重りが拘束した、という、非常に理に適った理由によるのでした。

「何を焦っているのですか。それとも恐れているのですか、あなたは?」

重りが、ころころと鈴を転がして猫でもあやすように、言いました。けれど瞳は、触れれば燃え上がるような熱を帯びています。まさに――炎の子供、でした。
「オレにあるのは、一刀両断の抹殺意思のみ。焦り? 恐れ? 断じて否っ!」
「なら、ひたすら座して待てば良いでしょう。見苦しいにもほどがあります。
それとも刀が直るまでの十日間、抹殺意思とやらには長すぎますか?」
「…………」
右腕が下ろされ、すとん、とソナタも着地しました。もっとも、未だ油断無く、腕にしがみついたままですけれど。
「救出依頼の件、忠告はした」
吐き捨て、鬱陶しげに『重り』を振り払い、きりきり軋むほど冷えきった空気の中を、堂々と闊歩して行きます。道を塞ぐ形になっていたモノたちは尽く退き、そうでないモノも沈黙を守り、やがてその物騒な白刃が去った後でさえ、皆、しばらく息をするのを躊躇ったほどです。
悪夢よりもよほど性質の悪い、現実でした。
「…………あ、ソナタちゃん、ありがとね……助かったわ、うん」
先までとは別種の喧騒が広がる中、ほとんど放心状態だったフリージアは、かろうじて、そうと告げるだけの分別を発揮出来た自分を、誇らしく思いました。
そして一瞬後、これ以上無く恥じました。
力なく地面にへたり込んだまま自らの肩を抱き、小動物のようにかたかたと震えている少女の姿。それは普段の様子からは想像も出来ないほどに脆弱で、ゆえに、この状況で一番傷を負っているのは誰か、という当たり前の事実を、文字通り痛々しいまでに突きつけるのでした。
「あんなユウ……私は知らない…………知らないのに、あれはユウ……ユウじゃない、ユウ。
優しくないユウがユウであるなら……私は誰? ソナタは……優しい名前は、どこ……?」
「ソナタちゃん!? ちょっと……ねえ、ソナタちゃん!」
焦点の合わない目で何かを呟き続ける少女は、あらゆる意味で危険を感じさせるものでした。
(私のせいだ……誰よりも彼の変貌に戸惑っている人に、一番近くで突きつけてしまった。
これ以上無い最悪の形で、この子に無理をさせて追い詰めた……!)
不甲斐ない自分の頬に紅葉の気合を入れ、たちまちカウンターを飛び越えて、少女に肉薄するフリージア。自身も状況の変化に戸惑っているでしょうに、この切り替えの早さは、さすがでした。
「夢なら……夢でも、構わなかったのに…………嘘であるなら、嘘でも、救われたのに……。
本当と本当…………揺れているのは、二つだなんて言わせない……なら、私は……」
「聞こえてる? ねえ! ソナタちゃん! しっかりして、お願いだから返事して!」
肩を乱暴に揺すっても、蝋人形のような頬にも、硝子玉に成り下がった黒曜の瞳にも、炎は戻りませんでした。
「そう……とても難しくて易しいこと…………手段じゃない、傷つけるのは……覚悟だけ。
壊してしまうかもしれない……罪深い心は、地獄の業火に届くかもしれない……それ、でも」
「くっ……ソナタちゃん、ごめん!」
ほっぺたをニ、三発ひっぱたいてでも正気に戻そうと、腸がずたずたになりそうな決断を下します。
祈るように翳す平手。
けれど真っ青な頬を凪ぐはずのそれは、直前で、小さな手に受け止められたのでした。
「え」
――熱い!?
湯呑みに突然手を触れた時のように、脊髄が悲鳴を上げました。
少女の震えを自分が吸い取ってしまった、と錯覚してしまうほどに自身の肌は粟立ち、小さな手は、もう、漣一つ起こしてはいないのでした。
直後。
少女の俯き加減だった顔が持ち上がり、身を焦がすほどの畏怖を纏った声が、響きました。

「――そんなものは、とうに、決まっていること。二年も前に、告げたこと」

黒曜に凛然と灯が燈り。眼差しは、ただ、強く。

「地獄だって――構うものか。二度と置いて行かせなどしないと、私は言った」

微笑に燦然と陽が登り。面影は、ただ、貴く。

「ガーベラだろうと何だろうと――誰にもやらない。あれは、ユウは、私の半分なのだから!」

いまや少女は、剥き出しの炎でした。
ちりちりと肌を焦がすような言葉、猛る熱を帯びた視線、微笑では隠しきれない鮮烈な意思。
外見とまるでそぐわない雄々しいまでの気配は、疑う余地も無く、戦士のそれです。
何と戦うべきかを見据え、何をするべきかを知っている、そんな――戦士の魂。
「フリージアさん」
「は……はい!」
握られたままの手に緊張をもよおす自分を、何事かといぶかしむ余裕は、ありませんでした。
「頼ります。あなたの力が必要です」
心臓を直接射抜いていく視線を受け、むしろ使われていたい、なんて感じながら。
――ああ、もう戦いは始まっているんだ。
フリージアは、朧気に悟っておりました。
飛竜と人間の戦いなど、まるで問題では無くなるような。
炎の子供の、風の剣士を取り戻すための戦いが、すでに、幕を開けたのだ、と。
そう――この、休日の戦場から。
2005年08月22日(月) 21:04:46 Modified by funnybunny




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