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タグ検索で同参は8件見つかりました。
同参
の[[頭正尾正]]、おのづから釈迦老子と同参なり。玄沙老漢参底の[[頭正尾正]]、おのづから玄沙老漢と同参なるゆえに、釈迦老子と玄沙老漢と同参なり。釈迦老子と玄沙老漢と、参足参不足を[[究竟]]するを、[[遍参]]の道理とす。釈迦老子は、玄沙老漢と同参するゆえに[[古仏]]なり。玄沙老漢は、釈迦老子と同参なるゆえに[[児孫]]なり。この道理、[[審細]]に[[遍参]]すべし。 『[[正法眼蔵]]』「[[遍参]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%b1%bb%b2... - 2006年11月29日更新
翻巾斗
意味する。 ''[[露柱]]と[[同参]]せず、灯籠と[[交肩]]せず。かくのごとくなるゆえに、赤脚走して[[学道]]するなり、たれか著眼看せん、翻巾斗して学道するなり、おのおの随他去あり。 『[[正法眼蔵]]』「[[身心学道]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cb%dd%b6%d2%c5... - 2011年07月16日更新
参見
魚船上謝三郎を参見する玄沙老漢ありて[[同参]]す、玄沙山上禿頭漢を参見する謝三郎ありて同参す。 『[[正法眼蔵]]』「[[遍参]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bb%b2%b8%ab... - 2009年05月27日更新
同学
]すること、或いはその人。兄弟弟子、[[同参]]。 ''しかあればすなはち、一日の行持、これ[[諸仏]]の[[種子]]なり、諸仏の行持なり。この行持に諸仏[[見成]]せられ、行持せらるるを、行持せざるは、諸仏をいとひ、諸仏を[[供養]]せず、行持をいとひ、諸仏と同生同死せず、同学[[同参]]せざるなり。 『[[正法眼蔵]]』「[[行持]](上)」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%b1%b3%d8... - 2008年11月29日更新
勧励
まっている者に対して、[[師家]]や[[同参]]の者が、[[修行]]を勧め励ますこと。 ''微[[和尚]]、そのかみ[[嗣書]]をゆるさず、なんぢいまだしきことあり、と勧励する、微和尚の[[観機]]あきらかなること、[[信仰]]すべし。 『[[正法眼蔵]]』「[[自証三昧]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b4%ab%ce%e5... - 2008年09月17日更新
共住
[[修行]]すること。[[安居]]、[[同参]]。 ''すでに[[正伝]]せる会にして、九旬坐夏しつれば、すでに夏法を正伝するなり。この人と共住して[[安居]]せしは、まことの安居なるべし。 『[[正法眼蔵]]』「[[安居]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b6%a6%bd%bb... - 2008年04月11日更新
師資一等
ていることを示した言葉。[[師資]][[同参]]ともいう。[[啐啄同時]]などともいう。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bb%d5%bb%f1%b0... - 2007年11月30日更新
道旧
うこと。またその相手を指して、旧友や[[同参]]の者を意味する。現在[[晋山式]]で読み上げられる「道旧疏」は、まさにこの修行参学の時の仲間が、友の晴れ姿を祝って行うものである。 ''[[而今]]の[[上堂]]は、[[先師]][[古仏]]、ときに建康府の清凉寺に[[住持]]のとき、諸方の[[長老]]きたれり。これらの道旧とは、あるときは賓主とありき、あるひは隣単なりき。諸方にしてかくのごとくの旧友なり、おほからざらめやは、あつまりて[[上堂]]を請するときなり。渾無箇話の[[長老]]は、交友ならず、…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%bb%b5%ec... - 2007年04月04日更新