冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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Radio Bikini (1988)


ラジオビキニは、ビキニ環礁での1946年の核実験オペレーションクロスロードの取り上げた1988年の米国のドキュメンタリーである。ドキュメンタリーは、核実験のためにビキニ島から退避し、そのまま帰還できなくなった原住民と、何の危険性も知らされずにオペレーションに参加して被曝した兵士John Smithermanを取り上げている。
監督Robert Stone
制作Kevin Rafferty, Robert Stone
撮影John Rayter, Robert Stone
編集Robert Stone
公開188/06/10
時間56分
国,言語米国, 英語
[ wikipedia:Radio Bikini ]


[ Radio Bikini (1988) ]


1983年8月29日 国に捧げて

Operation Crossrodsそして知られる1946年の実験で、20ktの原爆が爆発した時、18歳の水兵John Smithermanは、4万人も米軍将兵の1人として、南太平洋のビキニ環礁近くにいた。それは彼にとって重大事になった。

最初の核爆発から数時間後に、駆逐艦Allen M. Sumnerは標的艦が係留されたビキニラグーンへと突進した。若きSmithermanたち海軍兵士たちは、消火のために乗船を命じられた。そして、彼の思い出したところでは「特に制限はなかった」ので、彼はラグーンで泳いだ。

2回目の爆発から巨大な火球が立ち昇ったとき、爆発を直接見ないようにという指示以外に安全支持を受けず、シャツだけを着て、水兵SmithermanはSumner (調査艦 AGS5)の船尾に立っていた。彼は、デブリが裸の胸にあたったことを覚えている。

今日(1983/08/29)、John Smithermanは55歳で、テネシー州FayettevilleのLincoln郡病院で、脚を失い、片方の腕がもう一方の腕の2倍になって、リンパ腫で死に瀕している。多くの放射線の専門家たちが証言しているように、その原因はビキニでの核爆発の被曝である。

米国政府と退役軍人会は同意しない。1977年以降、6回、直近では1983年6月7日に、退役軍人会はSmithermanの障害給付請求を棄却した。彼が死亡しても、彼が「ママ」と呼ぶ妻は、遺族年金を受け取れない。

実際、2883人の退役軍人あるいは未亡人たちの放射線関連の請求のうち、退役軍人会が1982年11月までに認めたのは16件だけだった。1945年から1977年の間に、米国政府は600の核爆弾を爆発させ、うち236回は大気圏内、5回は海中だった。ペンタゴンの推定では、25万〜50万人の軍人と民間人が、大気圏内核実験で被曝している。

John Smithermanを含む棄却された請求者たちは、発症するに十分な被曝をしていないと、退役軍人会は断固として主張している。その結果、うち8000人以上が、John Smithermanが代表を務めるNational Association of Atomic Veterans(全米被曝退役軍人会)を組織した。

彼らの戦いは険しい。政府は、実験に参加した兵士が被曝した放射線の量も種類も正確な測定をしていなかった。誰が被曝したかの体系的記録も保存されておらず、存在していた記録もセントルイスの郡の倉庫の火災で失われた。疾病対策センター(CDC)が1977年に実験参加グループに対して白血病発生率の調査をするまで、政府は被曝した人々に何が起きているか調べようとしなかった。

ネバダでの1957年のスモーキー核実験に参加した3224名について、CDCの予備調査で、同一年齢層の3倍の白血病発生率であることを示していたが、政府は抵抗している。まれな骨髄の前癌状態である真性赤血球増加症の発生率は、スモーキーに参加した退役軍人は通常より1000%多かった。NAAV(全米被曝退役軍人会)によれば、会員に送付したアンケートに回答した700名のうち、39%が何らかの癌を発症しており、67%は何らかの神経筋疾患を患い、51%は子孫が骨髄や臓器の欠陥や発育障害だった。

アンケート調査も限定的なCDCによる八欠乏調査も決定的ではない。おそらく、マーシャル諸島の原住民たちの半数は、ビキニ環礁での1954年3月1日の15メガトンの核爆発の放射性降下物に被曝し、甲状腺癌や放射線関連障害を抱えていない。しかし、政府が拒否してきた、「放射線と病気の関連性があるか判断するための、独立機関による核実験参加者の大規模な疫学調査」の実施要求を、NAAVが求める根拠にはなる。調査には費用が掛かり、困難である。しかし、癌による死もそうだ。

疑問を持たず自国に奉仕した人々が安心できるようにするためなら、John Smithermanは寛大になるつもりはない。連邦法によれば、障害年金請求の却下を覆すよう、退役軍人会を訴えられない。しかし、1977年以降に癌診断をできなかったことと、その後も癌を診断しようとしなかったとして、彼は先週、650万ドルの医療過誤訴訟を起こした。勝訴できれば、彼と弁護士は「退役軍人会が核実験参加退役軍人たちへの何らかの責任を果たすことになる」と期待している。たとえ、賠償額が小さくても、勝訴は後世に事実を残す価値がある。

最近の電話インタビューで、John Smithermanは「どれだけ生きられるかわからない。神のみぞ知る」と答えている。彼の主治医は「家で、できるだけママと過ごすように」と言う。

[ Tom Wicker: "IN THE NATION; SERVING HIS COUNTRY" (1983/08/29) on NY Times ]
この記事が出て、ほどなくJohn Smithermanは1983年9月11日に死亡している。

その後、この核実験参加退役軍人たちの問題が解決に向うのは、1994年の公式調査から。1995年にはBill Clinton大統領が公式謝罪した。






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