王都のランバルトの下には凶報が舞い込んだ。クラウリム公ハウゼンの死とメール地方の反乱である。

 ハウゼンの死は進軍中の軍を襲った疫病が原因であるともスレイン公フレデールによる暗殺であるとも言われ、真相は明らかではなかった。
 司令官ハウゼンの急死によりスレイン方面軍は混乱を来していた。が、それはハウゼンという人物がいなくなった事よりも副将達の主導権争いが原因だった。
 スレイン方面軍には三人の副将がいた。古参の腹心平民出身ノヴィ・ホミネスのダロス、ハウゼンの従兄弟でウーリ領主であるバトラス家のガーランド、ハルト地方出身の将マシュ家のアルメックである。

 ダロスは主君ハウゼンの薫陶篤く、平民出身という身分ながら王土の平和への希求が強かった。内乱を終結させ、平和を導く為に戦おうとする彼と他の二人の間には深刻な溝が穿たれていた。

 ガーランドはハウゼンの後継者の立場を獲得しようとしていた。
 ハウゼンは子がなく、後継者に指名していたのはリホードの子で甥のハウルタスだった。しかしハウルタスには主君の言葉を守ろうとするダロス以外の後ろ盾がなく、戦乱の時代に於いてはその地位は不安定だった。
 それらの事情をよく知るガーランドはクラウリム勢の支持を獲得し、加えて遠征による武功と名声を用いてクラウリム公領の継承を確実にしようと望んでいた。

 アルメックは自身の立場を強化するための基盤を欲していた。彼は状況に応じて陣営を転々として生き残り、力を手に入れてきた男だったが、それ以上のもっと大きな権力を欲していた。
 アルメックはハルト地方にも領地を持っていたが土地は小さく、戦いで荒れ果てていた。スレイン遠征の司令官となって武功と領地を手に入れようと目論んでいたのだった。

 異なる思惑の副将達は互いに牽制し対立しあっていた。彼らは皆有能な軍人ではあるが、対立し合った状況でその力量は十分には発揮出来ない。個人の政治的な欲求は集団の軍事的な必要性を無視しうるのだった。
 スレイン方面の問題に対してランバルトは三人の中から指揮官を選ばず、アルサ家の宿将オーレンを新たな司令官として赴任させることを決めた。オーレンは優れた将軍で、政治的な駆け引きは得意ではなかったが厄介な勇士ミリテス連中を纏め上げられるだけの老練さを持つ指導者だった。また、ハウゼンの代わりに上に立てる権威を持つ者は多くはなく、元々限られた選択肢だった。
 新司令官の任命をガーランドとアルメックは懸念を示したが、ダロスは賛意を示し結局は従容とせざるを得なくなった。但しガーランド、アルメック共にオーレンが来るや否や彼に取り入ろうとし、自身の後ろ盾としようとした。

 オーレンはバレッタ方面軍の指揮官であったが、バレッタ方面へは一時侵攻を取り止め軍も別方面へ転用させることとなった。この時期のディリオン軍は敗北と反乱に直面し、再びの再編を必要としていた。
 オーレンはバレッタ方面軍からメール兵2千を率いてスレイン方面軍2万3千と合流し指揮を執った。スレイン公フレデールは劣勢とは言え依然勢力を保っており戦いは続き、新たな局面へと進んでいくのであった。

 新暦661年11月、疫病で身動きの取れない兵と幾らかの守備兵をアルマに残してオーレンは進軍を始め、スレイン公都ロディへ向った。
 オーレンはダロス、ガーランド、アルメックら副将陣を纏め上げ、引き継いだばかりの軍を見事に統率した。彼は突き抜けた才覚は持たないが長い軍隊経験の中で培った指揮能力は堅実且つ着実で、老練な将帥であった。個人の武勇にも長けており、勇猛果敢な戦いぶりや兵と共に戦う姿勢は直ぐにも兵達の信頼を勝ち得た。
 対するフレデール率いるスレイン軍は名を馳せたハウゼン公の死を振れ回り、再びスレイン諸貴族を味方に引き込みつつあった。戦乱に掻き回されたユニオンやハルト地方では大きな影響力の無かったハウゼンの名もスレインではまだ戦局に及ぼす影響力があった。
 王家側に組みしたはずのハンゴルム家などがフレデールの味方をするようになり、レップス家などは王国軍に供出すべく集めた兵を勝手に引き上げて日和見な態度を示していた。

 スレイン諸貴族の日和見を早期に抑えたいオーレンと今の気勢のまま勝利を掴みたいフレデールは双方ともに戦いを希求し、公都ロディ南の庄村グルム近郊で激突した。
 総勢2万3000のディリオン軍はダロス、ガーランドがそれぞれクラウリム兵8000人ずつを率いて右翼と中央に布陣し、アルメックがハルト・ライトリム兵6000人を率いて左翼に布陣した。オーレン自身はメール兵2000人と共に最右翼に位置した。
 対するスレイン軍は2万の兵を揃え、右翼にスレインの大貴族ハンゴルム家のガリマ、中央にはフレデール公、左翼にはアスコンカ領主パピーリア家のチェイルが布陣した。



 スレイン軍との戦いは宿将には人生の転機となる。それが良い転機となるか悪しき転機となるかはまだ誰も知らない―――




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

【新暦661年11月 グルム近郊 将軍オーレン】



「前進!!」

 オーレンが大声で命令を下すと進軍の角笛が吹き鳴らされる。歩き始めた兵士達の足音や鬨の声も角笛の甲高い音色は覆い隠すことは出来ない。

 ハルーーーーーーーーー!
 ハルーーーーーーーーー!
 ハルーーーーーーーーー!

 角笛の音は戦場を駆け巡り、反対側のスレイン軍からも同じ角笛が吹き鳴らされた。
 
 ハルーーーーーーーーー!
 ハルーーーーーーーーー!

 前方に並び立つスレイン軍の兵士達も歩みを進める。彼らの立てた砂煙がもうもうと巻き上がった。
 オーレンはスレイン軍を睨みながら兵達と共に歩き始めた。オーレンは馬に乗らずに徒歩で兵と戦う事を好んだ。
 身に帯びる鎧は古いながらも良く手入れされ、兜も盾も持ち主に似て重厚さに溢れていた。引き抜いた剣は陽光を反射して猛々しい輝きを放っている。
 
 ――この戦いは何より私にとって重要だ。そうだ、サーラ様の為に先ず勝利しなくてはならない戦いだ。サーラ様をあの下衆の手から救い出すために!――

 剣を持つ手に自然と力が入る。

 ――私は自分が許せない。あの方に近付く悪人共を追い払いきれなかった。よりによってあのジュエスを近づけさせてしまうなんて! 何故、ランバルト様は下劣な暴挙に黙しておられるのだ!――

 燃え立つ憤怒は今やオーレンの心一杯に盛り、身をも焼き焦がそうとしていた。

 ――サーラ様をお救いするにはジュエスを潰さなくてはならない。その為にも"私の"力、"私の"勢力が必要だ。ハウゼン公には申し訳ないが、彼がこの時期に死に、私に後釜が回ってきたことは幸運だった。スレインを平定すれば、その勲功からランバルト様も私に大きな領地を与えなければならない。上手くすればスレイン地方が丸々手に入るだろう。バレッタではヒュノーも公の遺児もいる以上、ここ程上手くは行かない――

 戦いの前には無心にならねばならない。しかし、今は想いが寧ろ戦意が沸き立たたせ、力を漲らせていた。

 ――そして荒れ果てたモアとアイセンの復興に手を貸せば、両地域の民から支持を得られる。それに死んだハウゼンの領地を巡ってクラウリムでは争いが起きる。ダロスでもガーランドでもいいが、どちらかに協力すれば新たなクラウリム勢も味方に付けられる筈だ。メールの私の領地は心配ではあるが、残してある甥のコロッリオならば反乱に加担するような真似はせん――

 オーレンは今までにない強い決心―それは"欲望"と言われる想い―を胸中に浸透させた。

 ――スレイン、モア、アイセン、そしてクラウリム。これだけの勢力があればランバルト様も私を無視出来ない。リンガル勢など居なくなっても私さえいれば王土を守る事も出来ると理解なされるだろう。そして……そして、サーラ様を……――

 オーレンは眼前の敵軍に目を向けた。
 武具を身に纏ったメールの重装歩兵が緊密な方陣を築き、一分の乱れもなく戦列を作り上げていた。その左翼の向こう側にはクラウリム兵が戦陣を形成して同様に立ち並んでいるが、少しずつ戦列が後ろにずれていて全体的には斜線を描いている。

 ――これでスレイン軍は選択に迫られる。此方の精鋭部隊に全力を注ぎ込むか、左翼部隊にも対処する為に部隊を置くか、を決め無くてはならない――

 対するスレイン軍は左翼部隊だけが此方へ向って転進し、中央と右翼はそのまま前進した。無数の足音は地を揺らし、空に太鼓の如き音で満たさせた。
 両軍の兵士が近づいていく。互いの戦いの意思と殺意の渦が近付くごとに密度を増していく。
 剣や槍や弓矢など鋼に憎悪は形を変え、敵の肉を切り裂いて命を奪うべく、今か今かと待ち構えている。

「駆け足!!」

 オーレンが再び命じるとメール兵は重装の武具を身にまとっているとは思えない速さで走った。素早い機動は突然の出来事に困惑するスレイン軍の側面にあっという間に回り込む事を可能にした。
 スレイン軍左翼は前面にクラウリム軍、側面にメール兵と対峙し更なる選択を迫られる事になった。
 しかし、彼らに対応を選択する時間の余地は与えられなかった。

「突撃!!」

 命令を叫ぶや否やオーレンとメール兵はスレイン軍の側面に猛烈な突撃を仕掛けた。穂先を揃え、盾を重ねあわせて兵士達は鋼の巨大な拳を叩きつけた。
 メール兵の数は二千程度だが一塊となった彼らの突撃は強烈で、くろがねの怒濤はスレイン軍の勇士ミリテスも民兵もまるで葦茎に刃を入れるかの様に切り裂いていった。

 オーレンも歩兵達と同様に戦い、剣を振るった。
 混乱に陥るスレイン軍の中でも勇敢に反撃して来た兵はいた。馬から振り落とされたらしい若い勇士ミリテスが剣で斬りつけてくる。オーレンは敵の刃を盾で受け止め、押し返した。
 オーレンは若い盛りはとうに過ぎているが依然として勇猛果敢な戦士だった。

 ――私は戦える。私は戦う。私は戦っていくのだ! 彼女のために!――

 互いの剣戟が交差し鈍い金属音が鳴り響く。若さのままに勇士ミリテスは斬りつけるがオーレンの熟練の技の前に見る見る内に追い詰められていく。
 数合の斬り合いの末、オーレンは敵の剣を持つ手を切り落として戦力を奪った。

「ううっ……ま、待ってくれ、降伏する……」

 腕の切り株を押さえてその場に跪き勇士ミリテスが命乞いをした。兜の下から覗く瞳は若々しい緑の色をしていた。

 ――"奴"の目も緑だったな――

 若い勇士ミリテスの目は恐怖に満ちていた。哀れみを乞う弱々しい目だった。
 オーレンはその目に憎い"彼奴"を重ねあわせながら、首を刎ね飛ばした。

 ――彼奴も必ずこうしてやる――


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 少数ながらメール軍の機動力を活かしたオーレンの指揮によりディリオン軍は危なげなく勝利を手にした。ダロス、ガーランド、アルメックら三人の副将もオーレンの期待に十二分に応え、勝利に貢献した。

 敗れたスレイン軍は後退した。フレデール公は公都ロディへ逃げ、ハンゴルム家のガリマはロディの北へ、パピーリア家のチェイルは自領でもある南の主要都市アスコンカへ落ち延びた。
 オーレン率いるディリオン軍はフレデールを追撃し彼の篭もるロディを包囲した。ロディは王都ユニオン程の大都市では無いが兵士の配備された城壁の突破は容易ではなく、冬季では尚更だった。更にスレイン軍の残党が背後から遊撃戦を仕掛け補給戦の遮断に出て来た為、一層の困難を伴った。
 オーレンは不退転の決意と堅実な作戦指揮を以って包囲を続けた。補給物資の収拾と護衛を着実に行い、堅固な包囲陣地と攻城兵器を築き、その間にもスレイン諸貴族に再度の調略を行った。
 調略の末、ガリマとハンゴルム家は降伏を受け入れ、レップス家も再度王家に従うことを誓った。貴族達の寝返りの連続はスレイン地方に限らず、そしてこの時代にも限らなかったことは言うまでもない。

 新暦662年4月、背後を固めたオーレンはロディ攻囲を本格的に進め、遂に攻略に成功した。追い詰められたフレデール公は降伏勧告を拒絶し自害した。フレデールにも"寝取られ男"という汚名の更なる恥辱の上塗りには耐えられなかったのだろう。
 公都ロディを攻略したオーレンは態勢を整えるとスレイン地方全域の平定に着手した。
 アスコンカ領主のチェイルはフレデール死後も縁者を立てて抵抗し続けた。チェイルはランバルト政権が提示した領地や財産の補填を信用せず、従うことを受け入れなかった。
 アスコンカ一帯の攻防戦はチェイルの執念から予想外の苦戦を強いられた。地の利を駆使した遊撃戦によりディリオン軍は被害を出していた。
 しかし、やはり勢力の差は覆し難く、王家に降ったスレイン貴族らの協力とパピーリア家臣への調略で徐々にディリオン軍が優勢になっていった。

 新暦662年8月、チェイルら1千の兵が籠城するアスコンカはディリオン軍2万の包囲下に入った。
 圧倒的劣勢の中でもチェイルは頑健に抵抗した。勇敢で武辺に満ちた勲ぶりだったが、無意味で不要な戦いであった。スレイン地方にも勇者や良将はいたのだがこの期に及んでしかその力が歴史に現れる事は無かったのは哀れと言えた。
 最終的にアスコンカは陥落しチェイルも討ち死にした。パピーリア家の生き残りは降伏し、オーレンはその全てを受け入れた。
 
 新暦662年11月、アスコンカを陥落させ、残るスレインの各地域を平定した後にオーレンはモア地方とアイセン島へ入った。逃亡したスレイン軍の残党を蹴散らし、荒れ果てた両地域を復興するためである。
 両地域は多くが文字通りに破壊されており、徹底的な略奪の嵐に見舞われていた。モア人、アイセン人のスレイン軍への抵抗が破壊を一層過激化させており、視るも無残な荒れ地だけが後に残されていた。
 特にアイセン島最大の港クロトンは廃墟と化し、かつての交易都市としての面影は殆ど残されていなかった。街の住民は大部分が殺されるか奴隷として連行され、僅かな生き残りが住居の残骸にしがみついていた。
 オーレンはスレイン攻略で手に入れた財貨に私財も加えてモア・アイセンの復興に尽力した。尤もこの行動はランバルトの許可を得たものでは無かった為に叱責を受けることとなるが、導かれた結果は良好だった為に叱責以上の処罰を受けることは無かった。
 例えそれが善意に依るものでなかったとしてもモア・アイセン人はオーレンに強く感謝し、彼への支持を表明した。

 オーレンは彼自身を支持する勢力を獲得した。この事実は後の歴史に少なからぬ影響を齎すこととなる。

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