真歴44年、重税に耐えかね、ベビュラ州で反乱が発生する。制覇からまだ日が浅くベビュラ地方に統治が行き届いていなかったことやバクトラ遠征の前線基地としてより激しい物資徴発を受けていたことは反乱を招いた原因の一つであった。反乱軍は旧ストルカテス王族の生き残りシャマシュを指導者に選んだ。
 バラバ史上最大級の反乱、"正義エダラスの乱"──反乱者達の掛け声から取られた──の幕開けである。
 ラムセスは単なる暴動と思い、現地諸侯に討伐を命じた。しかし、討伐を命じられたベビュラ軍が反乱に加わり、規模は拡大の一途を辿った。
 事態を治めるべく、ついにはベビュラ太守が鎮圧に出動し、そして、敗死するに至った。

 "正義エダラスの乱"はベビュラ地方の反乱のみでは終わらず、瞬く間に各地に飛び火し、バラバ王国を揺るがした。

 シラエアではサルゴンの子リムシュが決起し、親譲りの名将ぶりを発揮して忽ちに故地ベイルスを奪還した。ベイルスを足掛かりにリムシュはシラエアの勢力を広げていった。
 リムシュの躍進にはマルドゥクという右腕の存在も大きい。マルドゥクは王都から逃亡していた反対派の下級官僚であったが、リムシュと出会い、彼の下で政治家としての才能を開花させていった。海千山千のシラエア諸侯王相手にも優位に立ち回り、リムシュの支配権確立に貢献した。
 焦ったのがシラエア太守小スメルディスとその弟ダラスぺスである。彼らはクセルクセスの末弟スメルディスの子で、その血脈によって兄はシラエア太守、弟も多くの領地と州都ダイマクスの監督位を確保していた。彼らはラムセスとは付かず離れずの立場を保っていたが、それだけに動乱には焦っていた。
 二人は当然リムシュの決起を認めず、小スメルディスは討伐軍を率いた。しかしリムシュ相手に惨敗を喫し、小スメルディスは討死にした。
 州都ダイマクスを預かっていたダラスぺスはリムシュ軍に降伏、シラエア州は事実上リムシュの下に屈したのであった。

 ゴンディノ州でも反乱が頻発、その間隙にサラザニア軍が再度上陸を果たした。統率を欠くゴンディノ州軍は撃破され、太守は同盟国フルウリへ亡命した。
 サラザニア軍はそのまま次々と都市を落とし、ゴンディノ地方を獲得した。

 その間、肝心のラムセスが何をしていたかと言えば、何もしていなかった。厳密には王都を捨て、支持者の多いミスルへ避難しようとしていた。
 だが、これは全くの悪手で、バラバ王朝の真の本拠地ペルシスでもラムセスに失望しきって多数の反乱──ラムセスに嫌われていたホルシード系派閥もこれを煽った──を発生させ、シャマシュらベビュラ反乱軍がアジナバールに迫っていた。
 その醜態に近衛軍プシュティグバンはラムセスの守護を拒否し、王都アジナバールに留まった。ラムセスは激怒するが、今はどうすることも出来なかった。ラムセスは反乱軍の手から逃れる為に変装までして逃げ延びなければならなくなった。
 大宰相ウズルグ・フラマダールクヌムクフはラムセスへの忠誠心は篤く、王を逃すと、近衛軍プシュティグバンの掌握に苦労しながら──そして失敗しながら──王都アジナバールの防衛に努めた。
 近衛軍プシュティグバンが残留したのには王弟アルダシールがラムセスへの追従を拒否し、王都に残ったのも大きな理由だった。アルダシールはラムセス以上に若く、有能か無能かの判定も出来なかったが、少なくとも勇敢であった。

 ベビュラとペルシスの反乱軍は王都アジナバール攻略という目的から一応の統合を見た。兵力は、数だけは膨れ上がり、5万人を数えた。
 アジナバールはバラバ王国の都に相応しい高く堅固な城壁に囲われていたが、混乱に次ぐ混乱という今の状況では真価を発揮出来なかった。
 反乱軍による包囲と都市内部の暴動によって、近衛軍プシュティグバンら防衛部隊の奮戦も空しく王都アジナバールは陥落した。アルダシールと近衛軍プシュティグバンの一部は都から落ち延び、大宰相クヌムクフは責任をとって自決した。
 反乱軍は占拠したアジナバールの富を前に欲望を解放し、略奪に明け暮れた。莫大な財宝が奪われ、大勢の民衆が虜囚の憂き目にあい連れ去られた。

 ペルシス地方の全てが反乱の混沌に巻き込まれたのではない。残党は近衛軍プシュティグバンの指揮官エサルハドンに率いられて、反乱軍との戦いを続けた。エサルハドンは"ジェタの一族"の直系で、クセルクセスの下での従軍経験もある老齢の戦士だった。エサルハドンの下には王都アジナバールから逃れてきたものも多く合流し、一定の勢力圏を維持し続けた。
 王弟アルダシールはエサルハドンとの合流は為せず、代わりにフルウリ王国のティオゲネスに助けを求めた。

 反乱軍の指導者シャマシュはその後ベビュラ地方に戻って旧王族としてストルカテス王国の再興を果たそうとした。しかし、王を求めない反乱勢力やあくまでラムセスに対する反乱であった集団と衝突した。
 結局、シャマシュの望みは果たされなかった。バラバ王国の混乱を見たテュサゲタイ王イダンテュルソスがバクトラ定住民も率いて大規模な侵略を行い、侵略軍に襲われたシャマシュは討死してしまう。ベビュラ地方は反乱勢力とバクトラ人、テュサゲタイ人が入り混じる無政府状態に陥った。

 シャマシュも消え、目的も一貫していない反乱勢力は分裂した。
 アジナバールを占拠する集団の長は勝手に王を名乗り軍事行動を続けていたが、エサルハドンに敗北し、その隙を見逃さなかったフルウリ王ティオゲネスとアルダシールがアジナバールを急襲し奪還した。エサルハドンらもこれに合流を果たす。
 ティオゲネスはラムセスへの忠誠を表明せず、王弟アルダシールをバラバ王として推戴した。忠臣として名を得ていたエサルハドンも勇敢なアルダシールを支持し、ミスル以外ではラムセスの王位が否定されていった。
 ティオゲネスはフルウリ王国の力を背景に、最大の支持者及び王の擁立者として宮廷を差配し、実質的な権力を握った。これに懸念を示す者もいたが、ティオゲネス以上の力を持つ者はなく、肝心のアルダシール王はティオゲネスを頼っていた。また、その真意はともかくティオゲネスの統治は実際真っ当で、ペルシス州の平定や荒らされた王都の再建など十分公益に叶うものであった。

 ゴンディノを制したサラザニアやシラエアのリムシュに対して警戒しながら、ティオゲネスはラムセスとミスルの切り離しを画策した。しかし、ミスル人の支持は思った以上に厚く、ラムセスとミスルの引き離しには失敗した。
 それもある意味当然で、ミスル人にとってラムセスは、友好的で税も軽くしてくれる素晴らしい王なのだ。
 ティオゲネスは別の策を講じる必要があった。

 ◆ ◆ ◆



 王都が混乱に見舞われている頃、他のシラエア反乱勢力を平定・吸収したリムシュはシラエア全土に覇権を及ぼしていた。ミスルのラムセスを主な敵と認定し、リムシュは更なる戦いの準備を進めていた。
 そこにティオゲネスによるアルダシール推戴の報が舞い込む。リムシュはこの動きを許さず、独断で自らバラバ王への即位を宣言した。リムシュもまたクセルクセスの孫に当たり、バラバ王朝の血を引いていた。
 しかし、リムシュの主張する"バラバ王位"はペルシスやミスルは勿論のこと、本拠の筈のシラエアからでさえも冷ややかな目で見られた。この行動でリムシュが得られたのは他勢力との決定的な対立のみだった。直属の家臣達はリムシュの浅慮に頭を痛めた。
 リムシュは軍才は目覚ましく、当代随一の名将といっても過言ではないが、乱世の雄としての政治力は落第点であった。腹心の部下マルドゥクの尽力がなければ、勢力を築くことなど出来なかったただろう。

 リムシュ"王"はラムセスの握るミスルへ攻め込んだ。リムシュの攻撃は苛烈で、ミスル軍はタノス近郊の戦いで大敗する。窮地に追い込まれつつあるラムセスは目前のリムシュが最大の敵と考え包囲網構築を図ることとした。
 ラムセスはゴンディノ以北の割譲を条件に後サラザニアと同盟を打診した。サラザニアはこれを受け、ラムセスとの同盟が為された。ラムセスには屈辱的ではあったかもしれないが、ゴンディノは彼にとって心動かされる地ではそれほど無かった。
 ラムセスが窮地を脱する主の策として考案したのは、ティオゲネスらとの同盟であった。ペルシス方面の実権力を握るティオゲネスに擁立したアルダシールを捨ててラムセスに忠誠を誓い王都への帰還を手伝えば、反乱を赦し大宰相ウズルグ・フラマダールに任じると言う条件を示した。
 ミスル贔屓のラムセスからしたら破格の条件である。そして、とにかくリムシュを打倒したいという浅慮から産み出されていたのかもしれないが、上手く機能すれば乱世を生き抜く外交戦略として、実のところ非常に有効な策であった。

 ラムセスから打診に対してティオゲネスは何とこれに是と回答し、数日の内にアルダシールの死を公表した。
 王の弑逆という大罪をティオゲネスが受けなかったのは、ティオゲネスが"どういう訳"か他の家臣の大部分を説得でき、更に下手人はリムシュの手の者である、とその罪を擦り付けたからであった。

 ラムセス、ティオゲネス、後サラザニアという予想だにしない対リムシュ同盟が構築されたのであった。

 四方を囲まれ一転して窮地に陥ったリムシュは軍事的勝利による逆転を狙い、王都アジナバール攻撃を図る。マルドゥクをシラエアの抑えに残し、3万の軍勢を率いてペルシス州へ攻め上った。
 外交的には劣勢でもやはりリムシュは戦場では強く、ティオゲネス直卒兵団、エサルハドン兵団を相次いで打ち破り、アジナバールの城壁下まで攻め込んだ。
 だが流石のリムシュにも十分に守られた王都の大城壁を易々と突破は出来なかった。調略に切り替えようとするリムシュだが生来の政治力不足が祟って攻囲以上に成功の見込みがなく、手間取る内に食糧不足と陣中の疫病で消耗し、撤退した。

 リムシュがアジナバールを攻撃している間、ミスル・サラザニア軍の攻撃で、マルドゥクの奮闘空しく、シラエアの領地が次々と攻め落とされていた。
 舞い戻ったリムシュは減少した兵力で尚、侵略軍を撃退したが、シラエア諸都市の支持を再度獲得することは困難だった。
 リムシュとマルドゥクはシラエアを捨て、まだ与しやすいサラザニアのいる北への転進を決断した。
 ゴンディノも制圧出来ればよしだが、その狙いは、かつてのサラザニア王国と同じくカルカディス島への移動であった。海の向こうのカルカディスはホルシードから依然遠く、手に入れられれば守りは固かった。また、カルカディス島は全土がサラザニア王の掌中に在るのではなく、反対勢力も未だ根強い。
 このまま押し込められて朽ち果てるより戦いに運命を託す、というのであった。リムシュは残る全軍とベイルスの艦隊を引き連れてシラエアを去った。

 リムシュ撃破にラムセスは歓喜し、ティオゲネスを称賛して大宰相ウズルグ・フラマダールに任じつつ早速王都アジナバールへ帰還の途についた。
 アジナバールへ到着したラムセスだったが、勝利の宴席の直前、急死する。
 毒による死であり、明らかに謀殺だった。
 まだ名目上はラムセス派閥のティオゲネスはラムセスの帰還に反対する一派──その大部分は反ディオゲネス派である──に罪を押し付け、直ちに粛清した。
 そして、実は生きていたアルダシールを再び王として擁立したのだった。
 全ては、ラムセスの持ち掛けを奇貨として、彼とミスルを引き離す策に組み込んだティオゲネスの謀で、アルダシールもエサルハドンも最初から実行者の側にいたのだった。反対派は切り捨て用に残されていたに過ぎなかった。

 そして、ラムセスの死に動揺するミスル地方に時を置かずに軍を送り、再平定した。ラムセスという庇護者のいなくなったミスル人の切り崩しは今までよりも遥かに容易で、新王の慈悲を求めた投降者も多数現れ、ミスル人は分裂していった。
 起死回生の攻勢に出たミスルのラムセス派軍がタラブルスで壊滅すると抵抗は急速に弱まり、ミスル地方はティオゲネスらの掌中に握られた。

 真歴47年、バラバ王国は破滅的な内乱を克服し、再度の繁栄に向けて動き出した。


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