真歴39年、悲惨な内乱を終え、第三代王にカウラーンの次男ラムセスが即位した。
ラムセスは平凡な男で、有能な先代達や良くも悪くも劇的な運命を遂げた兄シャープールとは違い、とにかく人として目立つものがなかった。
更に即位時点で十八才と若くして王になってしまったために実績を立てる機会もなく、余計にラムセスの心中には憤懣と劣等感が募っていた。先の内乱ではミスル軍司令官であったが、勿論名目上のことで、実際の指揮は別であった。
若王ラムセスの後ろ楯となって活動したのが母后ネフェルタリである。ネフェルタリは"ニールの誓い"で先王カウラーンと結ばれていたが、甚だ不仲だった。ネフェルタリからすれば誓いだか何だか知らないが征服者の勝手に過ぎないという憎しみがまずあったのだ。
ネフェルタリは"ミスル女王"でもあり、ミスルの
ネフェルタリは母として子供達には相応の愛情はあった。ただ、ミスル風の名前を付け、ミスル風の顔立ちのラムセスは別格に溺愛していた。ラムセス自身も影響されミスルの風習を好んだ。
シャープールの死をネフェルタリは悲しんだが、それ以上に溺愛するラムセスが王位に就けると喜んでいた。
新王ラムセスの統治は始めから不協和音と恣意的な政策で満ち溢れた。
ネフェルタリとミスル地方の支援を全面に得ている分、ラムセスは明らかにミスル人を贔屓して重用し、他のホルシード系官僚に不満を抱かせた。そしてミスル流の運営や文化を強要した。
ラムセスはベビュラ地方を
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先述のようにラムセスも積極的にミスル系派閥に肩入れし、ホルシード系派閥を弱体化させようとしたのが事態をより悪化させた。ラムセスは火の無いところに煙を立たせ、状況を動かそうとさえした。
その象徴となる事件がサルゴンの失脚である。
ラムセスにとって義理の叔父に当たるサルゴンはクセルクセス時代から数多の勝利に彩られた宿将で、その出身からホルシード系派閥の要──本人にはそのつもりは全く無かったが──であった。サルゴンをラムセスは常々嫌い、劣等感を刺激されていた。
真歴40年、ラムセスはカルカディス方面軍を率いていたサルゴンを王都へ呼び寄せ、難癖を付けて追放処分とした。あまりの無体な対応に方々から反対の声が上がったが、ラムセスは反対者を押さえつけ強行した。サルゴンは王命を従容として受け入れ、追放先の寒村で間もなく死去した。
サルゴン追放後の港湾都市ベイルスをラムセスは接収し、王家直轄地として編入したが、この事もラムセスの評判を大いに下げた。
サルゴンには嫡子リムシュがいたが、サルゴン以上の武勇に加えて、性格を苛烈にさせたような男で、ラムセスへの憎悪を隠さなかった。彼が歴史の表舞台に現れるのは今少し先のことである。
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ラムセスは自らの劣等感を払拭する為にか、積極的な外征を目論んでいた。目標は仇敵テュサゲタイ人の跋扈する地バクトラである。
確かにバクトラを制し、テュサゲタイ人を討ち滅ぼせられればラムセスの名は英雄として知られるだろう。勿論、果たせれば、 の話である。
ラムセスの遠征決定に多くの反対が噴出した。反対派は、このままの実行は金と人の無駄遣いである、と批判の声を上げたがラムセスはこれを無視した。
ラムセスはバクトラ遠征の為に軍を動員した。全土の
ホルシードとミシルからあまねく召集された軍はこの歴史始まって以来の兵力で、バラバ王朝と言えどそれを支える兵站・補給は出兵前から悲鳴を上げていた。非戦闘員や代えの馬なども会わせると規模は更に増大した。
ラムセスの身勝手な命令の数々が軍の準備を十分に整えさせなかったのも事態の悪化に拍車を掛けた。
真歴44年、ラムセスの予定から1年も遅れてバクトラ遠征は開始された。
軍はスグリス河沿いにバクトラへ進軍したが、早くも補給不足から足が鈍り、敵と戦う前に餓え始め、食糧調達に分散しなければならなかった。
バクトラ地方は都市や集落は相応にあるもまだ未開の地が大半を占め、調達しようにも物資が簡単には手に入る状況ではなかった。
そして、
外交や調略を十分に行っていればバクトラ人も切り崩すことも出来たかもしれないが、ラムセスは軍事的勝利による栄光に拘り、搦め手を軽視した。
すぐにラムセスとバラバ軍は代償を払う事になる。分散し、食糧不足で戦う前から消耗したバラバ軍はテュサゲタイ王イダンテュルソス率いる騎馬軍やバクトラ定住民兵の攻撃を受け、各個に撃破されていった。フルウリ王ティオゲネスのような目敏い将や遠征に批判的だった将は早期に足抜けし被害を抑えたが、当のラムセスは王の財宝を打ち捨てて
ラムセスのバクトラ遠征は端的にいって大失敗であった。
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逃げ帰ってきたラムセスは遠征の無残な失敗を反対派の蠢動が原因であると転嫁し、幾人もに反逆者の烙印を押し粛清した。ラムセスの横暴であるからして、大物を処分することはできず下級官僚や小領主が生贄となったが、彼らが派閥として属していた諸侯王はラムセスに恨みを募らせた。
更にラムセスは再度の外征の為に強引な徴税も命じた。こちらは平民にも貴族にも容赦なく、税を取り立てようとした。王の徴税吏には大きな権限が与えられ、税の搾り取り先である平民は虐げられた。
ラムセスがここまで強気な態度でいられたのは、何といってもミスル州を後背地として抱えていた事、母后ネフェルタリの力があったからである。ラムセスはミスル人を贔屓し、徴税もミスルに対しては殆どしなかったので、ミスル人からの評価は高く、支持は衰えなかった。ネフェルタリは溺愛するラムセスに一方的に味方するような不公平な言動であったが、策略家としては賢く、他者を操る政治力は確かなものがあった。
王への反感から国内統治は乱れを強め、ラムセスは味方であるミスル勢への依存を一層強めていた。しかし、時悪く、母ネフェルタリが急逝してしまう。ラムセスは母の葬儀にも莫大な費用をかけ、その負担は臣民へ降りかかった。
ラムセスも多少は為政者として学んではいるがその力量は全く王国の運営には足りておらず、ネフェルタリ亡き後もラムセスを支えようとする
急逝した母ネフェルタリに代わり"ミスルの
反発への怒りと不安からミスル兵を中心とした軍の編成を求め、その為の費用をホルシード人から取り立てた。自分たちを抑圧する余所者を養う為、暴虐な王の私的欲求を満たす為に収奪されるのだから、上から下まで、バラバ王国の多くの階層がラムセスへの憎悪を募らせた。
ほんの数年のうちにバラバ王国は繁栄を失い、崩壊の危機に直面していた。
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