新暦666年8月、戦争は次なる局面へと進んでいた。

 ◇ ◇ ◇

 王都を囲んでいたブリアン派の軍勢は敗北と内紛の末に退いていった。
 盟主ブリアンと参謀のパウルスはライトリム公テオバリドの元に身を寄せ共に南へとへと後退し、パウルスの子パーレルは幾らか残った兵と北東の拠点ウラタイアへ逃げ延びた。
 ハルト諸侯は殆どが降伏或いは制圧され、ハルト地方は一部を除いて再びミーリア派の手に戻った。主君を失ったレウカスホルド・クッスス・ティッタは降伏を受け入れ、ツール・モロル・ヨーグ・カルボニアは抵抗虚しく陥落した。ガラップはバレッタ軍に包囲されながら何とか持ちこたえていたが、単に降伏はしていないという程度の抵抗であった。



 テオバリドはブリアン派に残留した都市フィステルスに陣を張り、軍の再編に着手した。ブリアンは元より傀儡であり、事実上の司令官だったパウルスはテオバリドの主導を支持しており、皮肉な事であるがユニオン攻防戦での敗北によってテオバリドはブリアン派軍最大の有力者へと成り上がったのだった。
 王都ユニオンから連れてきた兵を中心にライトリム各地から兵を集め、資金のある限り傭兵を雇い入れた。テオバリドはランバルトが体勢を立て直して反撃に出てくる事を疑っておらず、戦いとなったらユニオン以上の激戦になると考えていた。ランバルトの強さをよく知るだけに恐れもあり、公庫が底を突く程に資金を注ぎ込んで兵をかき集めたのだ。
 更にレグニット地方の兵もブリアンの名の元に召集した。レグニットのブリアン派、即ちガムローとエナンドルの軍勢は抵抗し弱いレグニット地方の大部分を手中に収め、残る敵勢力トラヴォ港包囲に取り掛かっていた。トラヴォ包囲も大規模な強襲などない小競り合いと兵糧攻めに終始していて、レグニット勢の兵力は殆ど無傷で残っていた。この兵力を無視する手はなかった。ガムローとエナンドルは命令に従い兵は送ったが、自身らはトラヴォ包囲陣に留まり出馬しなかった。主命という体をとっていようが成り上がりのテオバリドにそこまで従うのは抵抗感があったのか、自分がいない間に相手に手柄を独占されては堪らないと思ったのかは不明だが代理の指揮官と軍勢だけがフィステルスへと向かった。

 最終的にはライトリム兵を中心に4万2千人が集結することとなった。兵数は多いが質はまちまちで、精鋭のメール兵団もいれば、金で雇われただけの傭兵や暴徒に毛が生えた程度の民兵も含まれていた。

 ◇ ◇ ◇



 ミラッツォと王都での戦いで辛うじて勝利を手にしたランバルトらミーリア派だったが、それも戦争の天秤を漸く並行に戻したに過ぎない。
 テオバリドのライトリム軍は未だ健在で、レグニット・モア・フェルリア地方では敵方優勢である。クラウリム地方は過半が敵勢力下にあり、旧オーレン配下の北部軍は敗北したとは言え戦力を保持しメール兵の寝返りもあって決して弱体化してはいない。ライトリム・スレイン地方に至ってはブリアン派の手から寸土も奪還できてはいない。

 新暦666年9月、ハルトの大部分を平定したランバルトも軍の再編を行った。本心から言えば戦線全体の再編や戦後の統治も見据えての活動を行いたかったが、如何なランバルトと言えどもこの状況では目前の戦略的・戦術的課題を解決する余裕しかなかった。

 先ずは何は無くとも兵力の補充が急務である。各地から兵を徴募して軍に加えた。
 リンガル地方からはメール方面への監視に置いていた兵5百人を移動し、更に訓練中の兵士・各城塞の守備隊などから3千人の兵士を掻き集めた。新規兵は熱意と活力に溢れるが戦闘経験が無く、守備隊は老齢の除隊兵や予備役の者の為に経験豊富だが体力には劣っていた。
 コーア地方からは2千人の兵士が動員された。既に北部方面への補充に動員されていた為、アノール流域の警備も考慮して少数の動員に留まった。
 バレッタ地方からは兵3千人が召集され、ワーレン家のジャンがこれを率いることとなった。プリンケプスの後見人で実質的なバレッタ地方の差配者であるレオザインがこの動員に消極的だった。新たに大規模な兵を集めるとなれば、指揮するのは自身の競争者となるジャンになると考えられたからだ。その懸念は杞憂には終わらなかった。
 更に降伏したハルト兵をランバルトは殺さず、そのまま幕下に再び加えていた。勇士ミリテスなど指揮官達には権利を制限するなどしていたがそれだけであり、兵卒には殆ど罰は無かった。これまでのランバルトからすれば極めて寛大な処置と言えたが、それだけ戦力に余裕が無かった事を示している。
 今正に戦地となっているクラウリム・フェルリア地方へは召集令は出さなかった。余裕のある兵士は既に前線へ投入されている筈だからである。

 次の課題は兵力の再配置についてである。既存の兵をどの方面に担当させるか、集めた兵を何処へ送るか、そして誰が率いるのか、決定しなければならない事は山程あった。
 だが各方面の司令官についてランバルトは全く予想外の人事を決定した。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

【新暦666年9月 王都ユニオン リンガル公ジュエス】



 ――ジュラの時は大丈夫だったじゃないか。今度も大丈夫さ。きっと――

 思わず慌てて開けそうになるのをこらえてジュエスはゆっくりと扉を押した。

「僕だ。入るよ」

 ジュエスが扉を開けると部屋の中央に置かれた寝台の上に妻サーラが寝そべっていた。傍らには医師や産婆、侍女達が何人も侍っている。

「ジュエス」

 サーラの額には汗が浮かんでいた。腹は大きく膨らみ、臨月も間近であった。子を孕んでから九ヶ月、まだ少し早いとは言え今産まれても不思議ではない。
 ジュエスはサーラの横に座り、彼女の手を握った。じっとりと汗ばんでいるが、自分の手と彼女の手のどちらが汗ばんでいるかは分からない。或いは二人ともかもしれない。

「大丈夫かい?」
「ええ。今は落ち着いているわ」
「君には無理させてしまった。ごめんよ。僕の所為だ」
「いいえ、貴方の責任ではないわよ。それにもう大丈夫だから、ね」

 王都での戦いはやはり負担だったようで産気づくようになった。前の子の時、ジュラの時も同じ様に早い内から産気づき、冷や冷やしたものだった。出産自体は大きな問題無く経過したのは幸運だった。
 もしもの為に王都で一番の医者や産婆達を囲い込んで付きっきりでサーラの看病をさせていた。

「閣下。奥方様は一先ずは落ち着いております。産気を抑える薬もありますが、時期も時期ですから使う必要はないかと考えております。下手に薬を使うと産まれた後に血が止まらなくなってしまいますから」
「分かった。ありがとう」

 医者は一礼すると手を洗い、てきぱきと薬瓶や器具類を片付けていった。仕事を果たした満足感があるようだ。

 ――腕は良い筈なんだから、頼むぞ。もしサーラが死んだらお前の事は必ず殺すからな――

 ジュエスは傍目に医者を見ながら思った。
 開け放たれた窓から外を見る。
 窓から外に覗ける街並みは未だに破壊の痕跡を色濃く留め、戦いから治りきっているとは到底言えない状態だった。
 特に焼き払われた南側は崩れ落ちた建物の残骸で満ち、住まいを失いながらも土地を捨てられない市民達があずまやを作って住み着いていた。その光景を見ると焼け焦げた煙の匂いが残っている感覚すらする。

 ――サーラと産まれ来る赤子に良い光景だなどとは僅かも言えないな。風通しは悪くなるだろうが、そもそも通って良い風とも思えない――

 ジュエスは窓に掛かる遮光布を閉め、再びサーラの傍らに座る。

「今日は軍議だったかしら」
「ん、うん、ああ……」
「お兄様とまた会うのでしょう」
「うん、まあ、そうなるだろうね」

 ジュエスは口篭った。サーラには今は負担をかけたくない。軍議なり策謀なり、兎に角面倒事からは解放させたかった。子を産むという一大事に集中出来る環境を作りたかった。
 ただ彼女の側がそれを許さなかった。

「皆、部屋から出てちょうだい。ジュエスと二人にして」
「サーラ」
「いいの。私がそうして欲しいのだから。貴方の苦痛は私の苦痛よ。言ったでしょう?」

 サーラの言うままに医者や召使いたちは部屋の外へ出た。公妃の命は絶対だ。
 彼女の想いはとても嬉しかったが、こんな状況でさえも彼女に負担を掛けねばならないという情けなさも感じていた。これでは守らねばならない相手を逆に苦しめている様なものだ。
 サーラは部屋に二人きりになるのを待ってから再び話し出した。

「いい、ジュエス。フレオンを上手く利用して」
「フレオンか……どうしても? 君の事は信じているけど、彼奴のことは……」
「フレオンを信用なんてしなくていいの。彼奴には彼奴の行動理由があるはず。それを利用するのよ」

 サーラの瞳には強い決意の炎が宿っている。こうなると説得は難しい。
 彼女の話では、王都包囲中の軟禁の件でフレオンはランバルトの暴走を説得して収めたのだという。確かに話を聞く限りでは、フレオンの言葉でランバルトの行動に変化が見られている。
 ランバルトを操れるなんて信じられないが、確かに奴なら何かしそうだという思いもある。

 ――だがブリアン派の連中だってそう考えていた筈だ。裏があるとわかっていた筈だ。だが利用していたつもりが結局はあの様だ――

 恐れと言ってもいいかもしれないが、その思いを拭う事が出来ないでいた。そういう意味ではオーレンの様に実際に剣を交える方がまだましと言えたかもしれない。
 今回、同じ陣営でフレオンの手練手管を見て改めてそう感じた。

「正直に言って僕にはフレオンを利用し切れるとは思えない。認めたくはないが、彼奴の策略の腕は一流だよ。気を付けていてもいつの間にか皆絡め取られている」
「そうね……でも貴方だけじゃないわ。残念だけど私もその事は認めざるを得ないわね」
「……君のフレオンに対する態度が変わったのも気になるな」

 サーラは以前はフレオンを毛嫌いし、人間性は勿論のこと彼の才も能力も否定的に捉えていた。しかし今は違い、少なくともフレオンの才だけは肯定的に受け止めている。
 自分以外の男の評価が上がることも嫌だが、自分がもっと上手くやっていればそもそもサーラをそこまでの状況に、つまりフレオン如き相手を頼らねばならない状況に追い詰めることもなかったと思うと一層悔しかった。

「やぁね、嫉妬してるの?」
「それはその……」

 ジュエスは何とも答えにくく口篭って目を背けた。不意に彼女の掌が頬に添えられると、そっと口付けされた。
 サーラの瞳が目の前にあり、吸い込まれそうな感覚を覚える。サーラは柔らかな声色で耳元に囁いた。

「言ったでしょ、利用してるだけだって。用が済めばフレオン何か塵捨て行きよ」

 戦場では多くの活躍をしてきた一人の戦士だとジュエスは自分でも思うが、サーラの前だと甘えた若者に戻ってしまう。だがそれが心地よかった。

「大事なのは貴方とジュラ、そしてお腹の子だけよ」
「……うん」

 互いに抱き、抱かれる。彼女達が失われる様な事があれば、一人ではもう生きていくことは出来ないだろうとジュエスは強く思う。

「それと、ちゃんとお兄様にも"宜しく"ね」
「ああ、それが一番大事だ」
「お兄様が誰をどう疑おうとそんなのはどうでもいいけれど、やられ放題なのは気に食わないわ。増して貴方やジュラにまで手を伸ばそうとするなんて、条約違反だわ」

 発言の意図と意味に比して妙に子供っぽい言い方に思わずジュエスは吹き出しそうになった。

 ――それはまた、一体何て条約だい?――

「分かっているよ。もう君達をあんな恐ろしい目には合わせない。ランバルトも勝手気ままにはさせないさ」
「それでこそ、私のジュエスよ」

 ジュエスが負担を掛けたくないと思いつつもサーラの元へやって来たのには、勿論安否が気掛かりだったというのは第一だが、少なからずランバルトやフレオンとの対峙に不安を覚えていたからだ。
 強い意思があっても彼らと渡り合うのは容易ではない。反対側の立場になる可能性が高いならば尚更だ。故に、端的に言って勇気付けてもらいに来たのだった。

 そしてその目的は大いに果たされた。

 ――やはりサーラは僕の女神だ――

「ありがとう。じゃあ行ってくるよ」
「ええ、行ってらっしゃい」
 
 そう言ってサーラはもう一度ジュエスに口付けした。

 ◇ ◇ ◇


【同 宮殿、小議の間】


「揃ったな。では軍議を始める」

 軍議の始まりは常通りだが、戦いの前までとは明らかに異なる様相を見せていた。これまではランバルトを最上座としながらも全員で議卓を囲み、総司令官ランバルトの左右にジュエスとフレオンが座るというのが通例だった。
 ところが今はランバルトだけが扉正面の上座に位置し、対面に他の全員が横並びになっていた。プリンケプスのジュエスやフレオンも同様の扱いで、階級や身分・派閥に関係無く並べている。
 並んで座っているのは親衛隊長アレサンドロ、リンガル人のセルギリウスやセイオン、ローウェン家のフライスらバレッタ人、その他幾人かの忠実なハルト人貴族達だ。特に気にしていない様子の者もいれば、居心地悪そうに顔をしかめている者もいる。同じなのはただ黙っている事だけだ。

 ――それにしても随分と露骨だな。特定の人物を際立たせたくないという考えがはっきりしすぎているよ――

 ただフレオンもまた同様の扱いをしているのは、ランバルトの逡巡やフレオンの限界を示しているのだろうか。当のフレオンは相も変わらず何を考えているのか良く分からない表情をしている。

「言うまでもない事だが戦いはまだ続いている。北のクラインには裏切り者共がまだ集っているし、南のライトリムには大軍が集結しつつある。我が軍もこれに対し、勝利を手にしなければならない」

 二度敗北してもブリアン派の軍勢は未だ衰えず、脅威足るべき兵力を維持していた。限られた戦力・選択肢の中でこれらの強敵とまだ渡り合わねばならなかった。
 ランバルトは青い瞳で諸将を睥睨しながら話を続ける。

「状況から見て優先度がより高いのは北部であると考える。よって北部軍は私自身が指揮を執る。親衛隊ヒュパスピスタイも投入する」

 緊張は走るが場がざわつくことはない。ランバルトは本来戦場の人であり、前線での指揮で勲功を上げてきた男だ。寧ろ自ら出陣すること自体は彼らしい選択と言える。
 だがランバルトが出陣するということは即ち王都が空白になるということだ。現在の戦況では大きな危険因子になりうる。その件は指摘せざるを得ない。

「王都を離れるのですか? 王都の守りが薄くなりますし、連中の行動が活性化する可能性がある。危険では?」

 ジュエスは言った。勿論、危惧しているのは王都そのもの危険でもなければランバルトの身でもない。ジュエスにとってはユニオンが再び炎に巻かれても別に構わないし、ランバルトが追い詰められてもよいのだが、ただ出産を前にして動くことの出来ない妻達に戦禍が及ぶ事だけは避けたかった。

 ――それにランバルトがいない間、南のテオバリドと対峙することになるのは僕だろうしな。ある程度の戦力は貰わないと――

「南にも抑えの軍勢は送る。北の問題を対処するまではそいつらに対応させる」
「数はどの程度になりますか」
「一万五千程だ。拠点防衛に徹すれば守りきれるだろう」
「突破されたらどうします。何故その抑えの兵力だけで十分だと?」
「戦争とは全て不明瞭なものだからな。お前の懸念は分かるぞ、ジュエス。だが、これは決定であり、命令だ。意味は分かるな」
「意味は分かりますよ、意味はね。しかし、敵軍は四万は集めています。それに対して二万人では私でも守りきれるとの確約は……」

 ジュエスの言葉を遮る様にランバルトはふっ、と鼻で笑った。短く刈った顎髭を擦りながらジュエスを見る。

「私も分からんことがある。何故お前が南部方面の具体的な方策について思い悩むのだ。私と共に北へ向かうというのに」
「私も?」
「そうだ。それが最も確実だからな。それに、元々お前は北部軍の司令官ではないか。今までの任地へ戻るだけの事ではないか」

 ランバルトの瞳は冷たい。ジュエスは正面から受け止めたが、いざ敵意を受けるとなるとやや胆力を要した。

 ――やられたな。立身出世に拘りはないが、思ったよりもずっと警戒されている。これでは下手すれば使い潰されるかもしれんな――

 返答を送らせ、僅かに思案する。了承の旨以外に返答は許されないのだが、分かりましたとただ言うだけなのも美味しくはない。

「宰相閣下、一つ宜しいか?」

 そう思っていると、フレオンが言った。

「何だ」
「ジュエス公が北へ向かうならば、ではライトリム方面軍の司令官にはどなたがなられるのか?」

 フレオンは平然とした表情を崩さない。ジュエスを利用する事を考えてはいたが、まだ彼の意図が読めない為にまだ見に徹していた。

「能力は諸将とも疑うべくもありませんが、司令官となるならそれなりの格と言うものが必要でしょう。まあプリンケプスと言っても私は適任ではないので省かれるのは分かっていますが」

 地位だけならばもう一人のプリンケプスであるフレオンが司令官となるのが順当だが、フレオンの軍才の平凡さは有名だった。形だけの司令官だとしても、下手に指揮官に任じても足を引っ張る結果にしかならないだろう。そうなるならば次席級から、能力と実績を見てセルギリウス辺りが任命されるだろうかと予想された。

「ライトリム方面はヒュノーを司令官とする」

 だがランバルトの口からは思わぬ名が飛び出た。予想外の指名に場が一気にざわつく。

「ヒュノーを、彼を司令官に据えるのですか!?」

 フライスが言った。かつて他のバレッタ貴族と共にヒュノーを切り捨てた彼としては今更復権を為されるのも具合が悪いのだろう。幾人かが同様に懸念を示した。
 ランバルトはフライスも他の者の言葉も無視した。

 ――ヒュノーか。これは……上手い所を持ち出してきたな――

 虚を突かれた思いは拭えないが、ジュエスはヒュノーの司令官職就任に否定的ではなかった。寧ろ現状では最善手の一つかも知れないと思った。
 ヒュノーは諸侯同盟の反乱までは前クラウリム公ハウゼンと並んでディリオン王国で最も高名な将軍であった。内乱中の実績は良くは無かったが、それは軍事的能力の欠如よりも政治的能力の不足に依る。いざ戦うだけとなったらその軍才は遺憾なく発揮されていて、注視してみれば苦戦してはいてもほぼ全ての戦いで勝利している。そして実際に交渉してみた印象としてヒュノーはまた離反側に身を投じる事はないとも感じていた。
 だからこそヒュノーには寛大な処置で済ませていたし、ヒュノーへの対応と判断についてランバルトも同意していた。

「私の命令だ。異論のある者はいまいな」

 ランバルトは冷たい声で言った。威圧するように氷の様な瞳が出席者達を見回し、最後にジュエスを見据えた。

「……ヒュノー将軍ならば適任でしょう」

 ジュエスは同意した。少なくとも不利にはならないと考えた。
 ちらとフレオンを横目で見る。変わらず平然として何とも記憶に残らない表情のままだ。

 ――フレオンを利用しようとしたが、上手くいかなかったかな。利用する隙間が無かった印象もあるがな――
 
 しかし、どこか粘つくような不快感もあった。いいように弄ばれたような感覚だ。
 軍議がより具体的な戦力配置の話へと移っていく中、ジュエスは一瞬だけそんな感覚に捕らわれていた。

 ◇ ◇ ◇

 軍議を終えて、退席したジュエスはセルギリウスと共に宮殿の廊下を歩いていた。セルギリウスはやや不満気であった。というのも、軍議の結果、セルギリウスは一隊を率いて司令官となるヒュノーの指揮下で出陣するよう命じられたからだ。

「私はジュエス様に司令官となって欲しいです。今の状況ならば貴方が適任なのに何故なのでしょうか」
「私が適任かどうかは分からんぞ。単に能力だけならお前だって司令官の任に耐えると私は思うよ」
「そんなことは! ……いえジュエス様に評価していただけるのはこの上ない事ですが、そういうことではなくて私はジュエス様にもっと相応しい地位を与えるべきだと思うのです。ランバルト公が初めて来た時のことだってそうですが……」
「セルギリウス」

 ジュエスは威圧的に語気を強めた。昔話を持ち出された事に怒りを覚えたのではなく、宮中でランバルトの批判ととられかねない発言を不用意にされるのを避けたかった。

「はっ……差し出口が過ぎました。申し訳御座いません」

 ジュエスの強まった語気を前に冷や汗を流しつつセルギリウスは謝罪する。冷静になればセルギリウスも発言の危うさは理解出来る。

「しかし、ヒュノー将軍を抜擢するとは予想しておりませんでした。もうヒュノー殿に再起の道は無いと思っておりました」
「まあ、政治指導者としてはな。彼の将才がまだ尽きていない事は身に沁みて知っていると思ったが、違うのか、セルギリウス?」
「いえ、まあ。ヒュノー将軍の勇名が虚構でないことは良く分かっています」
 
 セルギリウスは先のバレッタ平定時にレイゲルト城塞を巡ってヒュノーと直接的に対峙した。セルギリウスはその力量を以てしても、兵力差や戦略的優位性があって尚、ヒュノーを撃ち破ることは叶わなかった。
 ただ、その後のジュエスの説得という言葉の戦いでは降伏に至った事も忘れるべきではない。

「それにだ。地位や出世などどうでもよい。重要なのはそんな小事では無いとお前も分かっているだろう」
「はい。王都の奥方様と若様のお命こそ全てで御座います」

 セルギリウスはその場に額づかんばかりの勢いで頭を下げた。こういう時、"飼い犬"達は話が早い。

「そうだ。その為にもヒュノーに協力しろ。いいな」

 セルギリウスはもう一度深々と頭を下げた。セルギリウス達にはジュエスの命令は何よりも大切な啓示なのだ。こうしておけばヒュノーの足を引っ張って戦線を無為に危険に晒すこともない。

 ――まあ、先ずは勝たねばならないからな。差し当たって現状はこれで満足するしかない。負けたら元も子もない――

 そして本格的に"譲り合わない"のは勝ってからでも遅くないだろう、とジュエスは思った。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 総司令官インペラトールランバルトは自身が北部方面の指揮を執り、以前までの指揮官だったリンガル公ジュエスを随伴させると決めた。ランバルトが出陣するにしてもこれまで通りジュエスに別の方面を担当させるだろうと殆どの者が考えていただけに予想外の人事となった。
 ランバルトは人事の意図については語らず、ただ独断での戦線離脱に対する対応であるとだけ言ったがそれが真実でないだけは誰の目にも明らかだった。そして当のジュエスもまた積極的に異議は唱えなかった。
 ランバルトが北部へ向かう現実的な理由もあった。北部ではレイツらメール兵の大量離反があり、戦力的には見方に依っては増強されているとすらも言えた。故にどの戦線が最も危険かと言えば、大軍ではあっても傭兵や民兵ばかりのライトリム方面よりも今や北部がの方が問題だった。
 ランバルトは王都から親衛隊ヒュパスピスタイ1千5百、中央軍スコラエ2百、ジュエス麾下のリンガル選抜騎兵8百騎を伴い、新規動員のリンガル兵1千を投入すると決めた。消耗したとは言えリンガル兵など主戦力の集中する北部軍はこれら増援を得て再び3万人近い兵力を有する事になった
 
 そして南部方面、即ち王都から退却したテオバリドらと対峙する軍勢の指揮官には全く予想外に、こちらの方が意外性は大きいと言えるが、ヒュノー将軍を任命した。
 ヒュノー将軍は諸侯同盟アリストクラティオンの反乱以前はディリオン王国で最も優れた武将の一人であった。その名はかつては数々の輝かしい武勲に彩られ栄光に満ちていたが、今や許された老反乱者に過ぎないと誰もが思っていた。だが幾人かは名に陰りこそあれ能力は老いてはおらず、内乱の中でもその力は戦場で発揮されてきたと分かっていた。
 尤も、それでも尚司令官への抜擢は衝撃的な事件であった。受け入れられたのは独裁者ランバルトの命令である事、ジュエスがこの人事に関しては積極的に賛成した事があった。
 ヒュノーは当初任命を固辞した。もう歴史の表舞台へ立つ意欲が無かったのもあるが、それ以上に大きな失敗の経験から疲れ恐れていたのだった。だが主君の再起を信じる部下や家族の説得、実力を知るジュエスの意見もあり司令官職を受けいることを決めた。
 南部方面は王都に各地から集結した軍勢を再編して投入する事になっていた。新規動員1千人を含むセルギリウス麾下リンガル兵2千7百人、ローウェン家のフライス率いるバレッタ兵4千人、新規動員のコーア兵2千人、古参にストラスト隊や降伏者を加えたハルト兵8千人、そして北部から移動してきたヒュノーの手勢2百人からなる1万7千人からなった。
 ヒュノーの手勢は自分たちの事を"ブケラリィ"、即ち"乾パン部隊"・"冷飯喰らい"と皮肉げに自称していた。それもこれまでの認められない状況からの脱却を喜んで敢えての命名であった。

 王都には親衛隊ヒュパスピスタイ5百人とハルト兵1千人が駐留し、コーア公フレオンの元に治安維持を担った。パーレルらウッド家残党の籠る北東のウラタイアへはハルト兵1千人が送り込まれ包囲した。

 リンガル新規兵の残り1千人がメール地方へ送り込まれた。これ程メール人の反乱が相次いでいるのだ、その本拠地を放置して置けるはずがない。命を受けたリンガル兵は出入り口のドウーロと公都グリンホードを占拠した。差し当たってこの二箇所を制しておけば時間が稼げるのだ。
 実際にはメール本土では全く反乱は起こっていなかった。メール人はランバルトへの反抗が何を齎すか嫌というほど知っておりどの様な形であれ逆らったと思われるのを望まなかったのだ。統治代理のネフノスは再びの戦争を憂慮しており、リンガル兵の進出を驚きながらも寧ろ協力していた。当のメール住民もリンガル兵の存在に抵抗せず受けれ入れていた。加えて鎮圧からの復興で隣国のリンガルから多大な援助を得ているためにリンガル人に好感を持っている者が多かった事も平穏に事が進んだ要因となっていた。

 バレッタ地方で召集された兵3千はワーレン家のジャンに率いられて未だ騒乱冷めやらないフェルリアへの援軍として送られた。

 こうして曲がりなりにも再編を終えたランバルトらミーリア派軍は新たな行動を起こす準備を整え、次々と実行していったのであった。

 ◇ ◇ ◇


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