新暦666年12月、クラウリム地方の安定化とスレイン方面への対応にダロスとクラウリム・コーア勢を残し、ランバルトは南へ向かった。ライトリム方面のブリアン派軍は撃破されてはいたので焦る必要は無くなりはしたが、だからと言って安心仕切るのは愚か者のすることである。敵がいなくなるまでは安心すべきではない。
 カラミアらハルト兵をガラップ包囲の増援に回し、クッススでヒュノーら南部方面軍と合流したランバルトは残るブリアン派勢力を駆逐するべく南下した。

 敵対していたフィステルス市へ到達し攻撃の準備を進めていたランバルトは彼の予想を上回る出来事に遭遇する。何とフィステルスの旧ブリアン派本陣には当のブリアンが取り残されていたのだ。
 ブリアンは王都包囲戦とは異なり、邪魔がったテオバリドによって安全確保する名目で後方のフィステルスに留め置かれていた。そしてクッススの敗北でテオバリドは逃亡し、他のブリアン派軍も逃げ散った。唯一ブリアンに本心から忠誠を誓っていたパウルスが戦死していたために最早ブリアンの事を誰も省みず放置していたのだ。フィステルス市民も扱いに困りどうする訳でもなく置いていた。ブリアンも逃亡なり何なりすれば良いものを、ただ怒り叫び無為に時を過ごした。ランバルトが再び姿を現した時でさえも何も益ある行動は取らなかった。
 ブリアンが居ることを知ったランバルトはフィステルス市民に交渉を持ち掛け、ブリアンを引き渡し開城すれば寛大な処遇を約束すると提示した。フィステルス市民は返答を巡って真っ二つに別れた。結局はこれ以上市に被害を出す前に頭を下げるべきだとの論調が勝り、ブリアンは呆気なくランバルトの手に引き渡される事となった。とは言え実はランバルトが現れた時点でフィステルス市民はブリアンを軟禁しており、本心ではどちらを選ぶかは既に決まっていたと言えた。

 フィステルス市はブリアンを引き渡し開城した。ランバルトのフィステルスへの処遇は約束通り寛大なものであった。本心では憤怒と破壊を撒き散らしたかったかもしれないが、流石に敵軍の総大将を捕らえた功には報いねばならない。ランバルトは冷酷無情だが約束は無視しないのだ。
 フィステルス市民も寛大に遇してくれるならばと差し当たって穏当に膝を屈した。

 フィステルスを奪還しブリアン"王子"を確保したランバルトは軍勢を率いて直ちに南下、ライトリム地方へ入った。ライトリムへ攻め込むのはこれで二度目になる。
 裏を返せばライトリム側も攻め込まれるのは二度目と言うことになる。

 攻撃の対称となったライトリム地方だが最早抵抗の意思は挫けたと言っても過言では無かった。
 クッススで敗北した後、テオバリドは公都サフィウムへ立ち寄ると確保できる限りの財貨を持ってここでも単身逃げ出した。既にある者の協力で亡命の手筈を整えていたテオバリドは全て捨てて南のペラールへ亡命した。抱えて逃げた財貨は買収に大いに役立った。
 ある意味潔いが、仲間の兵士と共に新天地を求めた同胞のレイツとは大違いである。
 テオバリドに捨て置かれた軍勢もまた多くはサフィウムへは依らず、それぞれ思い思いに撤退を続けていた。ライトリム諸侯やレグニット勢は領地へ逃げ帰り、ネービアンらメール兵団・新編の重装歩兵・トラードら反乱ハルト兵・一部のライトリム兵や傭兵はまだ反乱勢力が力を失っていないフェルリア方面へと足を向けた。

 守備兵の消えた公都サフィウムは接近するミーリア派軍に使者を送り、早々と開城を申し出た。テオバリドは逃げ出しブリアンも捕縛され、都市を守る兵もいない状況で抵抗など出来ず、勝者の慈悲にすがる他選択肢は無かった。
 ランバルトが今回の戦争では投降者にも比較的穏当に対応していたことも決断の要因にはなったが、一度目の占領で大規模な略奪に見舞われたのは数年前を出来事でしかなく、記憶に新しい者も多くいたのだった。

 重要拠点サフィウムに無血入城を果たしたランバルトは、驚くべき事に兵士に略奪を禁じ市民に手を出させなかった。と言うよりも手を出せない様な事態になった。ランバルトが到着した時、サフィウムの城壁には既にロラン家の金蓮花ロトゥス・アウレアと、プロキオン家の旗印が掲げられていたのだ。
 サフィウムの事情をいち早く嗅ぎ付けたジュエスはサフィウムの使者が到着する前に偵察隊の派遣を申し出、ランバルトはいぶかしみながらもこれを承知した。ジュエスは偵察隊にそのまま自身の名の下にサフィウムへの接触を命じた。サフィウム勢は名高きジュエス公の言うことならばと門を開き、公都へミーリア派へと旗色を転じた。
 既にジュエスによって平定作業した進められていたサフィウムを今からになって手を出すのは幾らランバルトでも――そして今の状況だからこそ――難しかった。ランバルトはジュエスの独断専行に内心憤怒の炎を燃え上がらせ、憎悪と疑心を募らせたが、公都サフィウムを無血開城させた功績自体は事実であり、受け入れざるを得なかった。ジュエスがこの様な手段を講じたのは単なる勲功目的ではないが独裁志向のランバルトにとっては腸が煮えくり返るような振舞いであった。



 サフィウムを制圧したランバルトは一旦足を止めた。真冬という軍事行動には適さない季節でもあることも理由だったが、ライトリム・レグニット各地に降伏勧告の書状を送り届けたのが第一の理由だった。無意味な抵抗を止め再び膝を屈せよと求め、期限も設て僅かに一月しか待たないとも告げた。
 効果は抜群だった。ライトリム・レグニット全土から領主自ら降伏に訪れ、忠誠の再宣誓するため我先にと集まった。そこにはトラヴォから退いたガムローやエナンドルの姿さえもあった。
 しかし、ランバルトは降伏を勧告しただけで寛大な処遇までは約束していなかった。まだ時間の無かったクラウリム平定、受け入れざるを得ない事情のあるフィルムやサフィウム入城とは異なり、最早彼が断罪の鎌を振るうのに躊躇する理由はないと言えた。
 だが、処刑と粛清の嵐を吹き荒れさせようとしていたランバルトでも前に再び反対者が立ち塞がった。ジュエスは今度は真っ向からランバルトに反対したのだ。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

【新暦667年1月 サフィウム "プリンケプス"ジュエス】


「もう一度言ってみろ」
「私は反対です」

 ランバルトは凍り付くような、それでいて全てを焼き尽くすような"冷たい炎"を瞳に宿らせた。
 ジュエスは崩れたくなるのをぐっとこらえ、正面から彼の視線を受け止めた。敵に回るとさしものジュエスも少なからず恐れを感じる。

「私の言葉を分かっておらんな。もう一度言ってみろ・・・・・・・・・
「分かっていますよ。ですから、反対だと言っているんです」

 サフィウムの公邸。かつてのプリンケプスの執務室で二人は向き合っている。他には誰もいない。だが部屋中を満たさんばかりに殺意と熱気が溢れている。
 ランバルトは執務卓の向こうに座り、ジュエスは対面する形で立っている。

 ランバルトの手元には粗葦紙の書簡の束が広げられていて、直ぐにでも署名出来るよう筆が傍らに置かれている。書簡は処刑命令書、追放・収監指令書、改易や土地剥奪に関するものばかりだ。
 全く容赦のない恐怖の独裁。ジュエスはそれを止めに来たのだ。

 ――残念ながら他に止められるだけの治からを持つものはいない。僕に関係がなければこんな身投げするものか――

 ランバルトとの対決は敢えて一対一の状況で行った。彼の自尊から考えれば軍議など他に誰か居るほうが説得そのものは難しくなるだろうからだ。他者の同調を圧力とする方法もあるが限界を超えるまで刺激しかねない可能性のほうが高い。

「貴方こそ分かっていない、ランバルト殿。いや理解していて尚無視しているのでしょうが」
「……」

 ランバルトは返答しない。無言の方が言い返されるよりも圧力は強い。

「貴方はまた全ての敵を消し去り、皆殺しにしようとしています。時にはそれもいいでしょうし、確かに殺すべき敵と言うものは存在します」

 ジュエスは早期の戦争終結を望んでおり、ランバルトの容赦ない強権政策では敵を作るだけだと考えていた。戦争が続けばその分、自身の大切な家族達に危害が及ぶ可能性が高くなる。もう先の王都包囲の様な危険を妻子に降りかからせる訳にはいかない。その為ならランバルトの対決も辞さない覚悟だった。

「しかし、同時に殺す必要のない敵もいます。それらも含めて一掃した後に何が残りますか、何が生まれますか。忠実な下僕? 騒擾無き平和? いいえ、違います。また新しい敵と戦争ですよ。これは他ならぬ貴方が証明して見せた事だ。この二度の内乱でね」

 ランバルトも自覚はしている様で眉をぴくりとひくつかせた。
 メール地方の殺戮劇は故郷を憂いた配下のメール人の離反を招き、強権を降り翳して土地を奪い取った結果ハルト諸侯は尽くが寝返った。
 ブリアン派の決起などはその内実は反ランバルト闘争であることは誰の目にも明らかだ。

「ではどうしろと言うのだ。反逆し刃を向けた屑どもをただ許せと? 随分と慈悲深いことだな」
「慈悲を掛けろとは言いません。これは統治方法の問題です。貴方のやり方では無意味に敵が増すだけだ」
「ならば増えた敵も殺す。それだけだ」

 ランバルトは冷然と言い放つ。だが本心からそう思っていると言うよりも、そう思わなくていけないと言う"揺れ"も感じる。

 ――全てが消え去った後の荒野に立っていればいいと言うのだろうが、何故自分だけが最後まで立っていられると思うのだ?――

「領地を接収するのでも人質を取るのでも宜しいが、何もかもを血と炎の海に投げ込むのは間違いだ」

 ジュエスにはプロキオン家継承の際の経験がある。まだ若いジュエスの継承に多くの貴族が反対し、歯向かってきた。どれ程殺してやりたいと思ったかは言葉に言い表す事も出来ないが、何とか耐え受け入れた。膝下にねじ伏せた後も酷く扱わず、手入れし続けてきた。その結果、かつての謀反人達は消え、代わりに忠実な"犬"が出来上がった。確かに苦労は多いが反乱が後を絶たないよりは遥かによい。

「先が無いと分かった時、人は座して死ぬくらいなら戦って死ぬ事を選びます。そして彼らには戦いでの犠牲など考える必要はもうありません。こんな危険なやり方を続けていたら最後には血と炎に覆い尽くされますよ」

 "我々が"とは言わなかった。もし、其のような事態に陥った時はジュエスも血と炎を撒き散らす側に回るだろう。

 あくまでも統治論・方法論として語ったのには理由はある。
 ランバルトが独裁・強権主義なのは彼の好みもあるだろうが、最大の理由は"歴史を動かすとは支配する事であり、支配するとは全てを決定すると言う事"だとランバルトは思っているからだ。少なくともジュエスは彼との付き合いの中でそう感じていた。
 故に、ランバルトは必要性から独裁を選んでいるのであり、他の必要性が現れれば別の手段を選択するだろうと考えたのだ。

 暫くの沈黙。
 ランバルトは視線をジュエスから外し、窓の外へ向けた。

 ――視線を逸らすのは後退の証拠。今、優勢だ――

 ジュエスは言葉を次いだ。

「まだ続けますか?」
「黙れ」
「黙りません。まだ続けるのですか?」
「黙れ!!」

 ランバルトは怒りの表情も露に机に拳を叩き付けて叫んだ。叩き付けた勢いで筆は弾け飛び、インク壺が倒れて中身が溢れ落ちた。

 しんと部屋が静まる。ランバルトはジュエスに視線を向けずにいた。戦場に等しい緊張感が満ちている。

 ――どっちだ? "分かった"、か? それとも"消えろ"、か?――

「もうよい。下がれ」

 そう言ってランバルトは手元の処刑命令書を握り潰した。

 ――勝った――

 ジュエスは掌が汗でじっとりと濡れているのを感じた。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 両者にどの様な話し合いが持たれかは記録に残っておらず、当人達しか知るものはいないが結論から言えば、驚くべきことにランバルトが折れたようだった。
 ランバルトは避け得ざる処分を除けば流血は限り無く回避した。勿論、殺されず全ては奪われないだけで領地や権限は大幅に減らされたが、それでも今までの容赦ない暴力に比べれば遥かに寛大で穏健な対応であった。
 "温情策"の効果は覿面で、ライトリムもレグニットもほぼ全域が再びミーリアを女王として戴き、ランバルトらの傘下に加わる事を受け入れた。
 
 しかしランバルトとジュエスの溝は深まり、陽性面では唯一の同道者から大勢の配下の一人、陰性面では最大の政敵へと互いに立ち位置が変わりつつあった。
 そして互いの誤解と偏見、譲れない望みが溝を一層深いものとしていた。

 冬が明けた3月、ライトリム・レグニット地方にはヒュノー将軍とハルト兵・コーア兵ら1万人を治安維持及び沿岸部防衛に置き、ランバルト自身は主力部隊を率いて次の戦場フェルリアへと進軍する事となった。





 ◇ ◇ ◇


 フェルリア地方では両軍の戦いが続き、戦争の天秤は一定せず傾きを変えていた。




 7月の時点では反乱軍が優勢であった。アンドロス・ケファロニア勢は思うがままに暴れ回り、シェイディン・テュリオイは包囲され、公都ウォルマーも安全とは言いがたい状態だった。
 ミーリア派軍はアールバルを中心に軍を再編していたがテュリオイの"中央軍スコラエ"隊が敗北し封じ込められた為に有力な増援が得られず難航していた。
 翌月になると一方に傾いた天秤が平衡を取り戻し始めた。王都攻防戦でブリアン派が敗北し、その余波はフェルリアのブリアン派を動揺させ、反対にミーリア派を活気付かせた。更にテオバリドが軍再編の為ににフェルリア方面へと投入していたライトリム兵を引き上げさせたのでブリアン派軍兵力は半減してしまった。ミーリア派軍は追い風を感じつつ防戦に当たった。
 8月末にはミーリア派軍も態勢の立て直しに目処を付け反撃に出た。今度はアールバルも各地へ兵を分散させることはなくトレアードとアルメックには防戦を支持し、支持された側も流石に事態が差し迫っていると考え従った。アールバルは忠実なメール兵や"中央軍スコラエ"を含む兵6千人を率いてシェイディンの解放へ向かった。
 ダゴラスやロジャーズら反乱軍5千は果敢にも立ち向かい、シェイディンとネクロホルドの中間で両軍は対陣した。戦力が劣っているにも関わらずブリアン派軍は激しく攻め立て戦況は拮抗した。その時、ドルクロスらアンドロス勢が一旦バシレイア攻めを置いて北進し、ミーリア派軍の背後を襲撃した。後背の補給路への打撃は致命的でミーリア派軍に戦闘の継続を諦めて撤退を余儀なくさせた。
 10月、シェイディン解囲に失敗した再び睨み合いに陥ったミーリア派軍の下にバレッタ地方からワーレン家のジャンと兵3千人が援軍に訪れた。彼らは兵糧も伴っており、フェルリアの軍勢にとってはこちらの方が有り難かった。バレッタからの補給があっても兵站線の再構築は容易ではなく、ミーリア派軍の足は止まったままだった。
 バレッタからの援軍をアールバルは麾下の主力軍と共に置いていたが、レオザインが今度は反対した。各方面への増援として送るべきとか補給線の負担を軽くするべきだとか理由をつけて到着したバレッタ部隊を分散させるよう進言した。それは必ずしも虚偽ではなかったろうが、真なる理由はもう一人の指揮官として着陣したジャンの影響力を下げたかった事による。
 ジャンもレオザインと一緒にいるよりも前線で指揮を執った方が自身の利益になると考えこれを後押しし、結局アールバルはバレッタの援軍部隊を各地域へ分散して送り込むことを受け入れた。
 11月に差し掛かると両軍の動きは鈍った。比較的南方に位置するフェルリアも気温が下がり、軍事行動や食料補給に適さなく成りつつあった。以前のフェルリアならばそれでも活動可能であったが今の荒れたフェルリアでは行動を阻害するには十分な要素だった。
 その様な状況下で興味深い事に食料補給に事欠かない部隊がいた。バレッタ辺境の小領主チェリーナ家の一隊は略奪でも挑発でもなく住民からの提供で補給を続けていた。何故か同行していた"冥神インフェリオ"の神官と名乗るロックという男の説法を聞くと皆、特に貧者であればある程、自身の蓄えを切り崩し飢えの危険を犯してでも支援を行うのだった。彼らの"冥神インフェリオ"への信仰は巷のそれとはやや異なるものであったが、それはまた別の話である。
 とはいえチェリーナ家の件は稀な一例であり、両陣営共に殆どは敵との戦いと同じかそれ以上に物資調達に力を割かざるを得なかったが、反乱軍の包囲攻撃の手が緩んだのはミーリア派には不幸中の幸いであった。ブリアン派も奪った食糧で食いつなぎ続けるのも難しくなり、遂には彼らもシェイディンの包囲陣を解き撤退した。戦いの続きは冬の後に持ち越されることとなった。



 ところが12月、またしても事態の転換が訪れた。ライトリムから撤退してきた残党軍がリカンタの反乱軍陣営に雪崩込み、同時に旗頭ブリアン捕縛の報ももたらされたのだ。局所的に兵力は増強されたかもしれないが大局的には圧倒的に不利になり、フェルリア勢力の事情を勘案すれば戦況は決まったも同然と言えた。
 リカンタの反乱軍達は今後の対応を協議した。勿論、如何に戦うかではない。降伏か或いは亡命かの選択についてである。ライトリムから逃れてきたネービアンやトラードは降伏より亡命を望み、ダゴラスも命には代えられないと野心を諦め亡命に同調した。ロジャーズは難色を示したが同胞のメール人達に説得され受け入れた。すぐ南にいたアンドロスの支配者ドルクロスにも伝えられ、彼は返答の代わりに逃亡の準備を整えることで態度を示した。
 亡命に同調したのはそこまでで、ケファロニア領主のサギュントは亡命も降伏も拒否して領地に篭もり、ネアルコスは何の反応も示さなかった。そして配下の兵士の多くは降伏を望み、止まらない出血のように次々と逃亡した。

 1月、亡命に同調した者達は部隊を纏め、勇士ミリテスや彼らの従士、護衛を中心に――それしか残らなかったというのが正確だが――3千人がリカンタを出立した。ランバルト率いる討伐軍本隊が到着する前に離脱する必要があった。亡命先は言うまでもないが、隣国メガリスである。
 メガリスは旧ブリアン派残党の亡命の望みを受け入れていた。メガリスでも反乱鎮圧中の為に差し向ける兵力が無いの事もあったが、どういう訳かメガリス王セファロスはディリオン王国領への進軍を固く禁じており、残党達は国境線まで辿り着かねばならなかった。
 尚、ドルクロスはリカンタ勢の動きを一顧だにせず既にメガリス領へ逃げ込んでいた。その際、離れるなら必要ないとばかりに領地だった筈のアンドロスを略奪し、財貨を尽く奪って去った。



 リカンタを発った残党達はシェイディンを迂回して南下し、バシレイアを通過した辺りで奇襲を受けた。残党軍はウォルマーの敵部隊はまだ動いておらず、アンドロス勢が攻撃を掛けてきたのかと考えたがそのどちらでもなかった。飛来する無数の投槍が攻撃の犯人を示していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

【新暦667年1月フェルリア地方 "神官"ロック】




「我らが救世主、神の化身よ。御覧あれ。直に神敵は討ち滅ぼされましょうぞ!」

 槍の突き刺さった幾つもの死体を前にして、そう男は言った。丈高く頑強な体、傷だらけの顔に潰れた鼻、使い込まれた武具。一目見るだけで兵士なのだと分かる。
 男の名はネアルコス。戦乱の渦中、フェルリア地方で成り上がった傭兵だ。

「有無。素晴らしきかな、忠実なる冥神インフェリオの聖戦士よ。邪悪な太陽神ソルの手先をまた始末してくれたな」

 言われた相手の方は背丈も高く無く貧相な体つきの男だ。
 如何にも農村生まれの平民といった風体だが衣服だけは不釣り合いに良質で、金細工の首飾りや腕輪を身に付けている。見るものが見れば威厳を持たせようと必死な姿に情けなさを覚えるだろう。目の前にいる戦士と比較すると一層際立つ。

 不釣り合いな男、ロックは身振りも大袈裟に答えた。

 ――俺も下らん事言うのが上手くなったな――

「勿体なき御言葉! 我等が救いの神にこの身を捧げることこそ使命にございます!」

 ネアルコスは感涙と言うに相応しく体や声を震わせた。その目は澄んでいる。澄みすぎている。"イってしまっている"とも言える。

 ――馬鹿だな。全くありがたいぜ――

 ロックは心の中で嘲った。

 ◇ ◇

 ロックは内乱に乗じてバレッタ地方の一隅で土地と勢力を確保した。旧ヨド党の山賊、チェリーナ家や近隣の小領主、そしてピラ達冥神インフェリオ教徒を駆使して支配圏を少しずつ固め拡大させていた。
 
 そうなってくるとずっと山賊団の頭と言うのも具合が悪く、と言ってチェリーナ家を通して勇士ミリテス階級に入り込むのも貧者を主体とする冥神インフェリオ教徒達の反感を買う可能性があった。
 そこで名乗ったのか"冥神インフェリオの神官"である。勿論、神殿で仕える正規の――と言うのも妙な表現だが――神官ではないし、神官に求められる知識や祭儀についてすら知らない。教義の類いは回りの信者が勝手に組み上げ、ロックはそれに"救世主"、"神の化身"として適当に言葉を添えているだけだった。結果、ロックの"冥神インフェリオ教"は本来の信仰体型とは掛け離れたものとなっていた。

 そして曲がりなりにも形を得た教徒達の布教は更に促進された。対象は主に貧者や流人である。ロックがかつて属していた下層階級の者は想像以上に救いを求めていた。それも破壊的な救済を、だった。今の世を悪徳の世界と断じ、弱者の救済を唄う"新たな冥神インフェリオ教"は彼らと極めて相性が良かったのだ。そして"冥神インフェリオ教"の教えは過激化していった。
 ロックは教祖としての権威を保つ為、財を集め着飾り教徒達の制御に勤めた。幾ら辺境の小勢力と言えど現政権否定に等しい教義は危険性も高い。教徒達には救済の部分だけを強調して布教するよう指示し、寄進という形で集めた財貨を賄賂として地方の有力者へ付け届けた。
 田舎の平民出身にしてはロックは上手く立ち回り、彼の"神聖なる"勢力を破綻させずに維持させていた。

 そうこうしている内にブリアン派の反乱が起き、チェリーナ家にも召集令が来た。流石に拒否する訳にもいかず、チェリーナ家の兵を中心に数十人を送ることとなった。ロックとしては自身が戦争に出るのは御免被るといったところであったが、教徒からの権威を守る為に出陣に加わった。
 フェルリア地方では布教活動を続けながら村々を回った。荒れ果てたフェルリアの民衆はバレッタ以上に神々の救済を渇望しており、想像以上に簡単に信徒へと転じた。彼らは自分達も窮乏するなかでも救いのためならと物資や食料を捻りだし、ロック達に差し出していた。
 ロックはそんなフェルリア人の信徒達を"利用しやすい、貪られるだけの阿呆"だと思った。

 他の部隊が物資不足から動きが鈍っていたのを良いことに制肘される事無く動き回っていたある時、ネアルコスらが現れた。
 ロックの兵は古参兵や元山賊、熱意はあるが戦闘経験はない教徒が五十人程、後は精々勇士ミリテスが何人かいるくらいで、数でも質でも上回るネアルコスら歴戦の傭兵隊には到底太刀打ちなど出来ない。
 また逃げ出す羽目になるのか、調子に乗りすぎた、止めればよかったなどとロックは焦ったが、ネアルコスはあらゆる予想を裏切って何と跪いたのだ。

 ネアルコスは"冥神インフェリオ教"の教えに目が覚めたのだという。傭兵として血を流し続けてきたが真に正しい教えの為に奉仕したいとさえも言った。配下の兵士達も同じ思いの様であった。ロックには彼らの気持ちは全く理解出来なかった。
 勿論、"冥神インフェリオ教"の教えは支配と利用の為に作っただの道具である。そんなものを本気に受け取るネアルコス達をロックはとんでもない馬鹿だと思った。ただ、ネアルコスは大領主であり、大きな軍事力も保有する。拒絶する理由は何一つとして無かった。

 同時に"神の力"というものを目の当たりにした。そこらの餓鬼の言い訳にも劣るような戯れ言でさえ神の名を冠しさえすれば、これ程多くの者を心の底から跪かせる事が出来るのだ。神の力を得た今のロックは正しく"貪る側"だった。

 ◇ ◇

 そしてロックはネアルコスを配下に収め、落ち延びようとする反乱軍を襲撃したのだった。ネアルコス兵は梃子の様な特殊な道具を使って投槍を遠くまで飛ばし反乱兵を次々に討ち取った。威力も増すようで、反乱兵の盾を撃ち抜いて殺したのも一度や二度ではない。襲撃した反乱軍は抵抗もむなしく敗走していくしかなかった。

 ネアルコスは強力な兵と拠点トリッサという利を持つ。バレッタにあるチェリーナ家の領地とは比べ物になら無い。だからこそロックは事あるごとにネアルコスを褒め称えた。
 バレッタで入信した連中はネアルコスに嫉妬しているようだが、何だって役に立たない奴隷を優遇して戦士を下に置かねばならんのだ。ネアルコスを優遇した方がずっと意味があるというものだった。

「ネアルコスよ、お前の働きは全く素晴らしい。これからも信仰の為、私の為、"冥神インフェリオ"の為に戦い続けてくれ」
「全ては正しき教え故に御座います、ロック様」

 領主から"様"と呼ばれるのがこれ程心地好いとは昔のロックには想像も付かなかった。

 ――あの頃に戻るくらいなら自殺するな――

 ロックは胸に掛かった金細工の飾りを弄る。こんな黄金の装飾品も他者を利用する今の立場があればこそだ。

 ――この馬鹿共を骨の髄までしゃぶりつくし使い尽くしてやろう。俺の為に死ねるならこいつらも喜ぶだろう――

「……では今一度問おう、ネアルコスよ。神聖にて不可侵、唯一絶対の正しき"冥神インフェリオ"の教え、そして救世主たる私のために死ねるか?」
「是非もなく。他の如何なことにこの身、この魂を捧げられましょうや」

 ネアルコスは澄み切った瞳を向けて応えた。死に至る様を夢想して恍惚としてさえいるようだ。純粋さも行き過ぎれば狂気に至る。
 その答えにロックは満足だった。

 ――そうさ。俺のために死ねたんだ。ボーマンの野郎も喜ぶべきなんだ!――

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 トリッサの領主ネアルコスは突如神官ロックの語る"冥神インフェリオ"の教えに目覚め、"正しき行い"に全てを捧げることを決めた。そこにどの様な決断があったのかは不明であるがただ一つ分かるのは相応の戦力がミーリア派軍に加わったことである。ネアルコスは"正しき行い"の第一歩として逃げ去ろうとする反乱軍を襲撃したのだった。
 ネアルコスと投槍兵ペルタスタイの襲撃は執拗で南下を続ける反乱軍部隊を何時迄も追跡した。反乱軍は確実に消耗し進軍の足は遅まった。そうこうしている内に状況を知ったウォルマーとバシレイアからも部隊が出陣、反乱軍を追撃した。激しい戦いが続き、勇気を発揮してしまったダゴラスは戦死した。
 少なくない数の死体を残して反乱軍残党は漸くメガリス領内へ入った。メガリス人達は決して歓迎的態度では無く安息の地という訳にはいかなかったが、ディリオン軍が国境を越えてまで追撃しては来ず、差し当たってランバルトの刃からも逃れられるだろう事だけで満足すべきだった。



 冬が明けた3月、反乱軍の多くが逃げ去ったフェルリアにランバルトが到着した。ランバルトはシェイディンやウォルマーの部隊と合流しつつ敵軍の放棄した諸拠点を次々と奪い返し、抵抗を続けるケファロニアのサギュント攻撃へ向かった。サギュントへは降伏勧告も行われず、それは即ち抹殺を明言しているようなものであった。
 そしてミーリア派軍は盆地帯に集結し、総勢3万人が四方から一斉にケファロニア攻略に突入した。対するサギュントの兵力は民兵を掻き集めても3千人程度でしか無く、漸く集めた兵力でさえ殆どは士気の低さから部隊単位で逃亡・降伏を選んだ。山道の罠もこれだけ劣勢では足止め程度の効果にもならず、瞬く間にケファロニアは包囲された。追い詰められたサギュントは家族を手に掛け埋めた後、僅かに残った手勢を率いて市外へ突撃し無数の矢に貫かれて討ち死にした。抵抗者の消えたケファロニアは門を開き、せめてもの服従に財貨を進んで差し出した。



 フェルリア地方には組織的抵抗の出来る勢力は残っておらず、平定用の駐留軍を残してランバルトは王都へ引き返した。
 戦争はまだ終わってはいないが、最早戦後の為に行動する時であったのだ。




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