新暦661年6月、セファロス率いるメガリス軍に敗れたジュエスは軍勢と共に北へと撤退していった。後退はライトリム地方で留まらずにハルト地方まで退き、フィステルスに着陣した。

 メガリス軍からの接敵は牽制・威力偵察程度で本格的な追撃では無かったがディリオン軍はここまで追い立てられていた。
 サフィウムでは早期の決断によって損害を最小限に抑えていたが飽く迄も物質面での話であり、精神面では少なからぬ衝撃を受けていた。
 メール軍と合流して以降のディリオン軍は戦場では常に優勢な立場にあった。ユニオン攻防戦など劣勢に陥った局面も存在したが、正面切っての野戦では大勝し続けていた。

 しかし、今回の戦いでは万全の状態で挑んだ野戦であり、自軍の強みを最大限に発揮したにも関わらず混戦に引きずり込まれ、敗退を選択させられた。
 殆ど一方的に手玉に取られたという事実は特に司令官であるジュエスの心に大きく伸し掛かっていた。
 またテオバリドら一部のメール軍指揮官は局所的に圧勝を手に入れていた為に撤退を命じられた事を不満に思い、再戦への意欲も含めて戦意は危険な方向へ高まっていた。
 これらの事情を受けてジュエスは王都に駐留していた総司令官ランバルトへ出馬を要請した。
 司令官として一軍を任された早々に敗北と救援要請をするなど恥であり失態ではあったのだが、それでも尚ランバルトの出馬が必要な程の危機的状況であるとジュエスは判断していた。
 つまり、自分の手には負えないと認めたのだった。

 ジュエスから出馬の要請を受けたランバルトとしては思案の為所であった。
 ランバルトはジュエスの能力はよく信頼していた。単なる部隊指揮官以上の大局を視る事の出来る力があると考えていた。まして彼にはディリオン軍の中でも選り抜きの精鋭軍団を預けている。そのジュエスが負けを認めて助けを求めてきたのだから、相当に切迫した事態であろうことは理解出来た。
 また、ジュエス程の有能な部下でさえ解決出来ない問題を処理したとなれば、ランバルト自身の武勲は更に増し発言力は不動のものと為るだろう。
 しかし、一方でランバルトの出馬はジュエスの失態を公式に認める事になり、王国第二位にまで引き上げた彼の権威を損なわせる事に繋がってしまう。
 軍事・国政のほぼ全権を手に入れたとは言え、王家の傍流で強力な軍隊を保有するリンガル公の力をまだ必要とし、自らの理想に共感を示すジュエスという個人の力もまた同様であった。
 ジュエスの力を削ぐ様な行いは現状ではランバルトの望む所では無かった。

 思案の末にランバルトは出陣を選んだ。ミーリア女王が助けに応じる事を求めたという事情もあったが、やはり火が燃え広がる前に叩き消しておこうと考えたからだった。
 メガリス軍がこれ以上勝ちに乗る前に、そして未だ燻ぶる反乱の火種がこれ以上盛らない内に叩こうとの判断だった。
 但し彼にも今回の決断に迷いが無いわけではなかった。

 出陣を決めたランバルトは後事をフレオンとハルマナスに任せ、親衛隊ヒュパスピスタイ3千人を引き連れて王都を発った。
 更にバレッタ方面軍のオーレンに命じてメール兵2千人を分派させ、中途合流しつつライトリム方面軍の待つ要衝フィステルスへと向った。

 新暦661年8月、ライトリム方面軍と合流したランバルトはこれからの方策を決めねばならなかった。
 軍の再編を終えたメガリス軍は既にサフィウムを発ち、フィステルス近くまで迫っていた。ジュエスによる軽騎兵プロドロモイ隊の遊撃や徴発隊への攻撃も行われていたが、セファロスに苦も無く撃退され効果は上がっていなかった。
 先月までとは攻守交代した形となった現状、自身の政治的立場を鑑みた上でこの強敵をどう処理するかが求められていた。
 尤もメガリス軍は日一日と明確な戦いの意思を示しつつ接近しており、選択肢は限られていた。



 フィステルス付近に布陣したディリオン軍は来る戦いに向けて準備を整えていた。
 それが一体誰の為の戦いで、何の為の戦いであるかは、若き貴族にはある望まない予感があった―――





 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

【新暦661年8月 フィステルス リンガル公ジュエス】



 フィステルスは街道沿いの要衝である為に決して小さな街ではない。大都市という程でも無いが、地図には記載される程度には発展した商業都市だ。
 今回の内戦では商業都市ならではの要領の良さを発揮して所属陣営を変え続けた為、近隣での大規模な戦いにも関わらず傷跡は最小限に留められていた。
 そして側にはディリオン軍の野営地がフィステルスを補給基地として築かれ、無数の天幕と防柵が設置されていた。その中央には慣例に従い司令官用の大天幕が配置され、その中にはディリオン軍の諸将が集まっていた。

 大天幕の中に置かれた将机の周りに指揮官達が着座している。
 ジュエスを始め、セルギリウス、コンスタンス、フェブリズ、セイオンらリンガル勢。
 若手筆頭のテオバリド、アールバル、レイツ、バレッタ方面軍から分派されたメネートらメール勢。
 そして王家の金蓮華ロトゥス・アウレアとアルサ家の銀十字旗を背に最上座に座るのが最高指揮官たるメール公ランバルトであった。
 また言葉の通じない蛮族コルウス族は族長ロシャであってもいつも通り招かれてはいない。彼らを同席させても軍議を荒れさせる事にしかならないからだ。

 軍議の雰囲気は今までのランバルト幕下には見られない色彩を帯びていた。メール勢からは周囲の空気が揺らめく程に怒り混じりの戦意が放たれ、リンガル勢は心内に冷たく醒めた炎を燃え盛らせている。

 この未知の雰囲気にジュエスは表面上は平静を保ちながら心の中で嘆息した。

 ――ふう、参ったな。この中の何人が"お前の所為だ"と思っている事だろうか。寧ろ僕を褒めて欲しいくらいなのにな――

 先のセファロスとの戦いが全ての元凶だった。
 メガリス軍の巧みな動きにディリオン軍は翻弄され収拾の付かない混戦に巻き込まれてしまった。司令官であったジュエスは致命的な被害を被る前に撤退を決断したのだ。
 局所的な大勝を挙げていたメール軍の面々、特にテオバリドは司令官の臆病で勝利を不意にされたと感じ、仮に判断が正しいのだとしてもそもそも混戦に持ち込まれたジュエスの指揮が不味いのだとすら考えている様子だった。
 その批判的なメール勢にセルギリウス、コンスタンスら主君に忠実なリンガル勢が激しく反発し、戦中にも関わらず両者の関係は険悪なものとなってしまった。
 ジュエスはリンガル・メール双方をとりなしながら穏健的な連中に働きかけさせて一応の収束を見せさせた。若いが故の権威の無さが致命的な結果をもたらしかねない事を痛い程味合わされてしまった。
 無論、分かっていたからこそテオバリドの様な反抗的な輩に手綱を着けようとしたのだが。メール勢は軍の指揮系統に於いては部下ではあっても、身分の上で同格の陪臣でしか無い事もジュエスが強気に出来れない要因でもあった。
 しかし、人生とはままならぬもので味方同士の対立を収束させ憤りの炎を燻らせた事で却って"元凶"に対する戦意が大いに燃え上がり、冷静さを欠く有り様に成りつつあった。
 但しジュエスにとっては、"元凶"がメガリス軍だけでなく自分をも意味する者が存在する事の方が問題と言えた。

 ――どいつもこいつも、あの戦いがどれ程危険だったか、彼奴と戦う事がどれ程危険なのか分かってないのだから困り者だ。全く――

 だが敗戦は敗戦に変わりなく、失態は失態だった。強気に出ることも出来ず受け身の姿勢でいなければならないのは中々に疲労を伴った。
 面倒事や疲労感を覚えると、最近は無性にサーラに会いたくなっていた。
 彼女のはにかんだ笑顔や明るく屈託の無い振る舞いに触れると体に力が漲るのだ。
 サーラの美貌も良いが、やはり全身から放たれる活力や華やかさが素晴らしかった。
 ミーリアやファリアには無かった魅力だ。同じ女性でもこうも違うものかと衝撃を受けたものだった。
 そして、同時に今も他の男が近づいているのかもしれないと思うと、強い不快感も覚えていた。

 ――少しの時間でもいい、彼女に会いたいな。兄の方では無くて、さ――

 とは言えランバルトが来援したお陰で少なくともこれらの面倒事からは解放されるだろうと思うと僅かに肩が軽くなった。
 ところが、肝心のランバルトの態度に違和感を覚えた。これまで常に冷徹さを崩す事の無かったランバルトも何処か状況を扱いかね持て余している様な印象を受けるのだった。
 その違和感は彼が珍しく軍議を自身の発言で始めた事からも感じられた。

「先の戦いの結果はこれからの戦いの結果でこそ決まる。接近するメガリス軍にどう対処するか決めねばならない」

 ランバルトは一同に視線を向けながら話したが、視線の冷たさも特有の諧謔さも妙に鳴りを顰めている。
 司令官の言葉に立ち上がらんばかりの勢いでテオバリドが応える。

「来るというのなら戦うべきでしょう。我が軍はメガリス軍に対しても十二分に優勢に戦えます。サフィウムでもその事は証明済みです」

 テオバリドは一段と声を大きくして発言を続けた。

「ましてやランバルト様が指揮なさるのです。勝利しうる事疑いありません。掴みかけた勝利を取り零すなど万一にも在り得ないでしょうから」

 ――此奴また面倒な事を。僕に対する侮辱以上に厄介を巻き起こしてくれやがったことが業腹だよ――

「貴様! ジュエス様を侮辱するなど許さんぞ!」

 "氷の男"セルギリウスが渾名に相応しくない激情を見せ、音を立てて立ち上がる。余りの勢いに椅子が倒れた。普段の冷徹さも敬愛する主君への侮辱で一瞬の内に消え去ってしまっていた。

「いい、止めろ。セルギリウス」

 ジュエスは家臣が自分の為に戦う事に心地良い優越感を覚えながらも事態を収拾させる為に彼を宥めた。今は面倒事を起こさない方が大事なのだ。

「しかし!」

 セルギリウスは食い下がり、実に悔し気な表情を向ける。吐かれた唾が"御主人様"に向けられていたのが我慢出来ない程の怒りを掻き立てているらしい。

「侮辱されたなどと感じるからには心当たりが十分お有りなのですな?」
「ぐっ、貴様……!」

 テオバリドがわざと火に油を注ぐ。セルギリウスの顔が青黒くなり、憤怒の色がより強まった。

 ――いい加減にしてくれよ……折角収めようとしているのに、余計な嵐を巻き起こさないでくれ――

 ジュエスは苦り切った心中を表情に出さないよう努め、落ち着いた態度のままテオバリドも宥めようとした。
 その時、最上座から一喝が飛んだ。

「もうよい! 黙れ!」

 総司令官ランバルトの一喝には身も凍る様な力が込められている。僅かに迷いのある態度の所為か一層対照的に感じる。

「は……申し訳ありません」
「……」

 これにはテオバリドもセルギリウスも矛を収めて着席するしか無かった。二人共憮然とした表情だが静かになった。
 ランバルトは軍議を進めた。彼はジュエスに問うた。

「ジュエス公、奴はどう出ると思うか? 彼奴と戦ったお前の意見が聞きたい」
「私にはセファロスの考えは読めません。ですが彼が"戦い"に来る事だけは確かです」

 ジュエスは答えた。事実、セファロスの手の内は全く想像が付かない。何をしでかすか恐れてさえいるかもしれない。
 しかし、これだけは確実だった。

「セファロスは我々と"戦い"に来ます。正面から殴り掛かって来るでしょう」
「ふむ……やはりそうなるか。尤も此方としても下手に時間が掛かるよりそちらの方が都合が良いがな」
「では会戦を挑むのですか? 彼の望みに応じて?」

 ジュエスは思わずそう言っていた。テオバリドなどは露骨に臆病者に対する視線を向けてきた。

「そうだ。ジュエス公には何か意見があるのか?」
「いえ、そうではありませんが……」

 深い考えがあった訳ではない。サフィウムで見たセファロスの楽しげな顔を思い出した時、得も言われぬ悪寒を感じて反射的に言っていたのだ。
 ただ、ランバルトが何かを感じ取って違う判断をしてくれるのではないかという期待があった。

「では問題は無いな。メガリス軍を迎え撃ち、撃破する」

 ランバルトの決定にメール勢もリンガル勢も高まった熱意と戦意に支配されたまま強く頷いていて賛意を示していた。
 早くも各隊の布陣や先の戦いではいい様に使われたコルウス族の投入法など細かな戦術に軍議が進む中、唯一人ジュエスだけは積極的には受け入れられずに皆の熱狂を一歩退いて見ていた。

 ――今のランバルトは地に足がついていないように感じるな。何処か浮ついて、確固とした思考の下に動いていない。家臣の熱気に煽られているのもあるだろうが……いや、そもそも家臣の狂熱如きに左右される人では無かった筈だ――

 ジュエスは全身に纏わり付く嫌な感触を覚えていた。まるで何も気付かずに底なしの沼地に足を踏み入れているかのような感覚だ。

 ――我々は主力を率い平野部で待ち受けている。全力を出せ、此方から攻めるべき状況である。それなのに、何故か攻め"させられている"ような違和感がある。間違っていない判断の筈なのに、何故か誤った道に進んでいる様な気がするのだ――

 大人しくしているジュエスを尻目に諸将は激しく論を交わらせていた。

「重装歩兵の突撃で敵は蹂躙出来ます」
「コルウス族を遊ばせておくのは勿体無い。何とかして使いたい所だな」
「此方から動いて主導権を握るべきだ。機動力を活かし、奴に考える暇を与えるな」
 
 ――主導権? 確かに握れれば優勢には立てるのだが……もし、既に敵に握られているのだとしたら? もし、我々が握ったのではなく相手に意図的に握らされているのだとしたら?――

 根拠は無い。しかし、それならランバルト公の浮つきも納得が行く。拭えない嫌な考えが頭を巡った。そして勝利を求めて集う諸将の姿を見て、三年前の戦いの日を脳裏に過ぎらせずにはいられなかった。

 ――ここフィステルスは縁起が悪い――


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆





 サフィウム近郊の戦いでディリオン軍に勝利したメガリス軍は直ぐには北上しなかった。
 司令官セファロスが故意に追撃を控えてディリオン軍を逃させた事も要因だが、戦いで消耗した軍勢の再編が必要だった。
 特に敗走させられたライトリム・フェルリア・蛮族の混成部隊は大きな損害を受けて、逃亡兵も含めて2万の兵力は半減していた。
 ライトリム・フェルリア兵の内、損害の多くは民兵で勇士ミリテスの消耗は少なかった。ディリオン軍との戦闘経験の無かった南方蛮族は致命的な打撃を受け、壊滅的な状態にあった。

 セファロスは混成部隊の再編を進めると同時に調練を行った。
 単一の指揮官を配置し、単一の部隊で戦闘するよう作り替えた。調練の手本はメガリス式の切り込み部隊でも従来のディリオン軍の戦法でも無く、メール式の密集陣形を採用した。但し、機動力の発揮や突撃力より強固な歩兵戦列の形成を目指していた。
 セファロス自ら行った調練は極短期間ながらも苛烈で徹底していた。命令違反や逃亡・怠慢には厳罰で当たり懲罰や処刑も手ずから行っていた。同軍のメガリス将兵が混成部隊兵に同情する程の猛調練であった。
 その結果、混成部隊は数を更に減じて実質8千人にまで縮小したが、その練度は飛躍的に上昇し、勇士ミリテス民兵ヌメルス問わず強力な戦列を築きあげて高い防御力を発揮出来るようになっていた。
 また、苛烈な調練を受けた混成部隊は勿論の事、それを見ていたメガリス兵もセファロスを敵以上に恐ろしく感じ、服従心を抱くようになっていた。

 再編を終えたメガリス軍2万5千はサフィウムを発ち、一路ディリオン軍の待機する要衝フィステルスへ向けて北上した。
 侵攻してきたディリオン軍が平定後の治安を考慮して主に後方から補給していたので、ライトリム地方の物資は潤沢で補給が滞る事は無かった。ディリオン軍が補給線を絶とうと徴発隊を攻撃して来たがセファロスの巧みな指揮で寄せ付けず、逆に誘い込んで打撃を与える事さえあった。
 補給を現地徴発に頼る事が出来た分メガリス軍の輸送力には空きがあった。セファロスは輸送隊に逆茂木や杭などの加工済みの施設材料を搭載させ運ばせた。

 全てはセファロスが彼自身の欲求の為だけに命じられた準備だった。



 新暦661年8月、ディリオン軍が布陣するフィステルスの南まで到達したメガリス軍は来る戦いに向けて準備を整えていた。
 それが一体誰の為の戦いで、何の為の戦いであるかは、南の首長には薄々分かっていた―――




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

【新暦661年8月 フィステルス付近の野営地 首長オルファン】



 ディリオン軍との再びの戦いが目前に迫る中、マクーン首長オルファンとアンニー首長エルベドは司令官セファロスに召集を受けていた。セファロスの召集や軍議は不定期に行われ、基本的に司令官の気紛れに依った。そして召集されてもセファロスの決定事項をぞんざいに伝えられるのみであった。
 今回も「話がある」とだけ伝えられての召集だった。オルファンは早い内に諦めて受けれいていたが、エルベドなどは大いに不満に思い司令官との個人的な確執を深めていた。

 野営地に立てられたセファロスの天幕は豪華な調度品や装飾が施されている一方で、つぎはぎの布地やボロボロの旗等で造られていて、何ともちぐはぐで奇妙な外見を成している。

 ――何時見ても妙な混在の仕方だな。注力した箇所と興味の無い箇所がはっきりし過ぎている――

「ちっ、本当に雑な天幕だ!」

 エルベドは小声で悪態を付いた。何でもいいから怒りをぶつけたいと言った所か。

「そうボヤくな。殿下がお待ちだ、入るぞ。殿下、失礼致します」
「ああ、入ってくれ」

 エルベドと共に入ったオルファンを王弟は天幕の中で待っていた。
 セファロスは色彩豊かなゆったりとしたローブを身に纏い、座り心地の良さそうな長椅子に寝そべっていた。その口には火の着いた香煙草が咥えられている。

「来たね。適当に座ってくれ」

 セファロスは寝そべったまま顔だけ此方に向け、二人が近くの椅子に腰掛けるのを待たずに話し始めた。

「さて、幾つか話しておきたい事があって呼び出したんだ。分かってるよね?」

 勝手気ままに話すのは何時もの事である為、オルファンもエルベドも動ぜず頷いた。

「先ず前にも伝えた通り、ディリオン軍とは戦う。これは決定事項だからね。次に兵の配置について必要な事を伝えておく。中央には兄上の兵隊を置く。指揮はエルベド君に任せるよ」
「は、自分がですか?」
「うん。後、私の鎧と兜も使っていいよ」
「はあ。陛下の兵を任せて頂く事に否やは御座いませんし、武具も有り難く使わせて頂きますが、自分の氏族も共に中央へ?」

 エルベドは得心がいかず疑問を訊ねた。王弟の考えを理解するのには努力を要するが今回も同様だった。
 セファロスはエルベドの質問に面倒臭そうに煙を吐くと答えた。

「いや。君の兵は預かる。別の場所で使うから」
「申し訳ありませんが、どういう意味でしょうか?」
「今言った通りだって。君は私の鎧と兜を付けて、兄上の兵隊を率いて中央で戦ってくれって事だよ」

 司令官の回答にエルベドは当然満足出来なかったようで語気を強めて問いただした。

「では自分の兵や部下は誰が指揮するのですか?」
「君には関係ないだろ」
「有るに決まっているでしょう! 私の兵なのですよ!」

 エルベドは憤りを押し隠せずに言った。セファロスは鋭い眼光を放たせ反抗的な部下に返した。

「君、には、関係ない、だろ? 命令するのは私。服従するのが君だ」

 王弟の声は恐ろしい程の異常な殺意が篭っている。従う者にも優しくは無いが、逆らう者には微塵の容赦も見せないのがセファロスという男だった。殺意の対象になっていないオルファンも言葉を聞くだけで鳥肌が立った。

「で、では何故私が王の兵と共に中央に配置されるのですか」

 エルベドは顔をどす黒くさせ言葉に詰まりながらもまだ抵抗を続けた。声は明らかに振るえ、恐怖心が曝け出させられている。

「兄上の兵は我が軍の精鋭だ。それを私の武具を付けたエルベド君が率いる。君もそこそこの戦士だろう? 敵のコルウス族共は獣だから、これだけの獲物を見つけたら躊躇無く飛び掛ってくるだろう。だから事前に罠を張っておくんだ。その為に逆茂木やら杭やら枯草やらに手を加えて持ってきただろう? 上手く使って燃やしてしまえ」

 セファロスは恐ろしい声色は和らげ無かったが、瞳に燃え盛る火を宿らせ始めていた。戦に関わる時だけ彼の目は輝くのだった。

「そ、それは、つまり私に囮になれと言うことですか」
「そうだよ。その間に私は別の所で戦う。獣退治なんてつまらないからさ」
「しかし、あの蛮族の強さは私も見ました。特にあの巨人は普通じゃありません! 殿下でも無い者が太刀打ち出来る筈がありません!」

 エルベドは泣き言まで言い始めた。セファロスには僅かも通用しないと分かっているのに。

「だから罠で上手い事やれって言ってるだろ? 簡単だよ」
「そ、そんな……し、死んでしまいます!」
「なら、死になよ」

 セファロスのその一言は先程までの異常な殺意や熱情は篭っていなかった。至って何気無い言葉の様に、王弟の口から転がり出た。

「君の命で戦機が手に入るなら安いものだ。精鋭を預けられ、最高級の武具を与えられ、対抗する罠まで貰っておきながら尻込みする臆病者の命でもそうすれば多少は役に立つってものだろ」
「……で、殿下……」

 決死の任務を与えられ、逃げ腰になるや臆病者と断定されたのだ。彼の心に残る武人としての挟持をくすぐる巧妙なやり口だった。
 エルベドの顔は真っ青になっている。様々な恐怖と奮い立たせた勇気が綯い交ぜになった表情だった。

「わ、分かり、ました……御命令に、従い、ます」

 暫く黙っていたエルベドは口を開いた。息も絶え絶え、言葉を突っかえさせながら答えた。

「そう。君への話は以上だ。エルベド君は下がって宜しい。オルファン君は残りたまえ」

 セファロスは新しい香煙草に火を付けながら無情に言った。エルベドはふらふらと立ち上がると立ち去った。

 ――何時もそうだ。気付けば殿下の思い通り嵌められてしまっている。自分の正しい判断をしているようで、全て筋道立てられてしまっているのだ。それにしてもここ最近は特に強烈だ――

 オルファンはずっと黙って見ていた。口を出せる様な状況でもなかった。セファロスは寝そべっていた長椅子から起き上がり、座り直した。

「さてと、それじゃあ軍議にしようか」
「……今までのは軍議では?」
「いや。話しがあると言ったじゃないか。だからさっきのは"話し"だよ。エルベド君を軍議に参加させる意味無いしね」

 悪びれる様子も無くセファロスは香煙草を燻らせている。そして王弟はそのまま話し始めた。
 軍議と言っても実質は先程までの"話し"と変わらない。セファロスが考え決めた事項を部下に伝達するだけだ。違いは軍の配置・展開・機動についての詳細である事だけだ。
 前回と同様、セファロスは敵味方の動きを予想した作戦を立てていた。それは戦場に立つ全ての人間の心を読みきった上での巧妙極まる策であり、神がかった予知と言ってもいい程だった。

 ――サフィウムの戦いでも初めて作戦を伝えられた時、そう上手く行く筈が無いと、何処かで破綻するに決まっていると思った。しかし結果はあの通りだった。殿下の予想通りとなった――

 余人の誰にも真似の出来ない策でもセファロスという異才ならば実行可能であると、最早オルファンは疑いを持っていなかった。だが、セファロスが奇策を通り越して異常な策を考えている事も分かっていた。そしてその策は他人には言わないことも。

「一つ質問させて頂きたいのですが宜しいでしょうか」
「うん、いいよ。何?」
「中央に張った罠ですが、もしや味方ごと焼くおつもりですか?」

 中央に配置したのは無能と蔑むエルベド首長と嫌っている兄から押し付けられた兵隊達だ。罠の発動を確実にする為にも彼らを生贄として火に投げ込むと言っても不思議ではなかった。

「あ、やっぱりオルファン君には分かっちゃった?」

 セファロスは悪戯を見咎められた童の様に軽く笑って言った。

「オルファン君だと分かっちゃうからエルベド君に任せたってのもあるんだよね。本気でやって貰わないと餌にならないからさ」

 ――簡単に途轍もない事を言う。条件が合えば私だって囮にする訳だ。尤も自分自身でさえ囮にしてしまう人だ。他人であることなど決断の障害にならないのだろうが――

「どうせ彼奴等に抑えきれる訳も無いし、上手い事敵だけを罠に引き込むなんてあの蛮族相手には無理だよ。纏めて燃やしちまうのが一番確実さ」
「しかし、殿下。余りに無情な策ではありませんか? 仮にも味方の兵でしょう。幾ら有効でもやたらに、その、死なせる策と言うのは如何なものでしょうか」

 オルファンは生贄と為る彼らへの同情も込め司令官を止めようとした。多少の不興は被るかもしれないが"普通の人間"としてはこう言うべきだと考えた。
 しかし言われた側のセファロスはきょとんと、不思議そうな顔をしていた。

「あー、うん、えっとどういう事? 言ってる意味がよく分からないんだけど……」

 セファロスは怒るでも殺意を振りまくでも無く、心底意味が分からないと言った様子で腰掛けていた。

「兵を消耗させる方向の策は再考が必要なのでは無いかと……」
「え、何で? 兵なんて何時でも補充できるじゃない。兵が何人かいなくなる程度で全部上手く運ぶんだよ? 何の問題が有るの?」

 セファロスは寧ろ困惑している節さえ伺えた。オルファンははっきりとその言葉を聞いたことで今まで以上の戦慄を覚えた。

 ――殿下にとっては兵は単なる物言う駒なのか。いや、命有る者と分かっていて尚消耗品以下の存在でしか無いのだ――

 オルファンはそれまで比較的本心から司令官を止めようとしていた。自身に飛び火する危険もあったし、消耗品扱いの同胞達に同情していたからだ。だが、その努力が身を結ぶ事は決して無いと悟った。そして戦慄と共に急激な脱力に襲われていた。

「いえ、もう良いのです……殿下の良きように為さって下さい……」
「うん? そう。なら良いんだけど」

 セファロスは香煙草の芳醇な煙を深く吸い、吐き出した。目に灯った炎が勢いを増して燃え盛る。

「次の戦いは今言った通りになる。ディリオン軍はそういう動きをする奴らだし、そうなるようにも誘導してきた。とは言え私としてはそうなってくれない方が嬉しいんだ」

 大好きな娯楽を前にした子供の様に期待に満ちた声で言った。他の何も気にならなくなったのか、視線は遠くを向いている。

「途中で彼らが"変わってくれれば"最高なんだけどなあ。変わってくれるかなあ?」
「……」

 ――私は見誤っていた。殿下には戦って勝つ事が全てなのかと思っていた。だがこの人には敵も味方も自分自身さえも戦を味わう為の駒に過ぎないだろう。もしかしたら勝利も敗北も関係が無いのかもしれない。ただただ戦に身を委ね続けていたいのではないのだろうか――

 オルファンは短いながらも濃密な王弟との付き合いの中で、遂に悟らさせられた。諦めて受けれ入れなければならないのだと分からされた。

 ――殿下は狂人ではない。これが彼の正常な姿なのだ。寧ろこの世の誰とも思いを分かち合えない孤独な人間なのだ――

 その思いで見た時、目を輝かせて次の戦いに想いを馳せる王弟の姿が友を作ろうと必死になっている独りきりの少年に重なって見えた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


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