アノール川から叩き返されたレイツは来るプロキオン家との全面対決に備え、態勢の立て直しに奔走していた。既にレイツの敗北を知って捻じ伏せていた諸部族は反抗的態度を取り戻し、ブレン族ら敵対部族は攻撃の手を強めようとしていた。レイツは持ち前の軍才を生かして反乱勢力を叩き潰しながら、対外的には占領地の幾つかを返還し敵対部族との講和を進めた。ブレン族は元の勢力圏を取り戻し、レイツの反乱軍制圧の手並みを見て矛を一旦収めた。
 レイツはプロキオン家と戦う為にサイス諸部族の力を利用しようと考えていた。と言うより、ジュラと実際対決して今の自身の勢力だけでは勝てないと判断したのだ。単なる軍指揮官として以上の判断力をレイツは備えていた。
 そして、ありとあらゆる交渉と恫喝、そして多くの金貨を費やして先ほど和睦したブレン族、更にメールに隣接しているザリィ族、そのザリィ族と手を結んでいるハドゥイ族を引き込での対プロキオン同盟の結成に成功した。アノール川から攻めてくるだろうジュラにはレイツとブレン族、ハドゥイ族が戦い、ザリィ族は山岳部からメールに侵入させ敵の背後を脅かす策が採られた。

 ◆ ◆ ◆

 新暦682年5月、プロキオン軍は河畔の街ユールゲンからアノール川を越え、サイス地方へ入った。ディリオン人の歴史で征服を意図したサイスへの大規模な進行はこれが最初である。
 3万人近いサイス遠征軍総大将は若き大公パトリキウスジュラである。軍司令官セルギリウス、騎兵総隊長エピヒッパルコスセイオン、歩兵総隊長タクシアルコスティムロスがその下で指揮に当たり、ロジャーズ、ネービアン、キルクストン家のダンレスら戦争経験豊富な将帥達、マリウス、コンスタンティウス、メレストス──セルギリウスの妹甥・娘婿でクレア家の後継者──、と言った若い世代も続いてジュラと共に戦場に向かった。カルポルス家のボミルカル、ディバッディ家のウェネル、平民出身ノヴィ・ホミネスのケレカンと言ったジュラによって新たに抜擢された者も軍務についている。
 西方方面からの兵はコーア公エスターリング家のパラモノスを主指揮官とし、トッド家のハルマート、クロロア家のシャノスらに率いられた。これらの部隊はジュラの意向で、勇士ミリテスを中心に高戦力の兵のみ連れて来ていた。
 サイス人部隊は棟梁レトゲネスが纏めており、母地への進軍と言う事で前衛・先導を任されていた。

 アノール川を越えたプロキオン軍は現地に明るいレトゲネスの先導でカルソネス族の土地を襲撃しながら河川沿いに北上した。補給線の維持と有事の際には再渡河して撤収しやすくする為である。
 万単位のプロキオン軍の行進を衰退した南サイス人には抑える術もなく、散発的な抵抗を排除されるとプロキオン家への恭順を受け入れるしかなかった。カルソネス族は大部分が抵抗を諦め、プロキオン軍は河川沿い地域の制圧を順調に続け、レイツ勢力圏へ進軍した。
 エザルテス族の領域に入ると攻撃はやや頻度を増したが、足を止めさせる程のものではなかった。本格的な反撃が来たのはエザルテス族の首邑クレーまで進軍してからであった。レイツ率いるサイス連合軍4万がクレーに陣を張っていた。

 ブレン族はジュラの事を年端もいかぬ小僧と侮り、その小僧に破れたレイツを、先の手際で多少見直したとは言え、また軽視していた。その事を察していたレイツが兵力比を調整する事で命令を通し易くしていたが、サイス人を言葉だけで操るのは難しかった。
 ジュラは敵軍に位置を捕捉すると、先ずは堅固な宿営地を建てさせた。安全な陣地の確保もあったが、強力な建造物を短時間で建設できる力を見せ付けるのも目的だった。
 サイス人は大型のオッピドゥムに匹敵するような陣地が忽ちの内に建てられる様を見せ付けられ、感嘆の声を漏らし、同時にその力量に焦りを持ち始めた。レイツは激しやすく冷めやすいサイス人の戦意が下がらない内に戦うべきだと考えた。
 だが、先手を取ったのはジュラの方だった。プロキオン軍軽装騎兵は朝靄の中、敵陣に襲撃を仕掛けた。サイス陣営は混乱し、各々反撃に出たが効果の程は殆どなかった。レイツが混乱を何とか収め、ある程度のまとまりを取り戻させた時にはプロキオン軍の布陣は完成を、臨戦体勢に入っていた。

 プロキオン軍の総兵力は2万6500人、右翼・中央・左翼、そして後衛の四陣体勢をとった。ジュラとセルギリウスは少数の護衛と共に全体の中央付近に本陣として在った。
 最右翼からセイオン麾下にマリウスやコンスタンティウスやボミルカルら選抜騎兵ヘタイロイ1000騎・レトゲネスらサイス騎兵1500騎・軽騎兵プロドロモイ500騎・メレストスやロジャーズやウェネルら精鋭選抜歩兵アステタイロイ4000人、ティムロス麾下にダンレスやネービアンやケレカンら選抜歩兵ペゼタイロイ6000人・サイス歩兵7000人、コーア公パラモノス麾下にハルマートらコーア歩兵2000人・シャノスらコーア騎兵2000騎・ルガ騎兵500騎が展開した。右翼は中央・左翼よりやや後方に展開された。
 後衛にはコーア歩兵1000人・サイス兵1000人が控え、宿営地の守備も兼ねて待機した。
 ジュラの狙いは簡潔で、中央・左翼が敵を拘束している間に右翼の高機動部隊で敵の側背を撃つ、というものだった。単純であるだけに敵にとり防ぎ難く、強力だった。

 サイス軍は各部族や部隊毎に出撃してからだった為、その布陣は入り交じり統一性の無いものだった。というより、そもそもサイス人の軍隊には統一した指揮系統とか整えられた布陣などといった概念自体が希薄だった。
 唯一レイツ直下のメール兵1000人、現地人を訓練した重装歩兵ホプリタイ──メール兵との区別に黒備えの武具を装備させていたので蟻兵団ミュルミドンと呼ばれた──2000人、サイス人の騎兵3000騎と突撃専門の大剣戦士クラゼヴォ・モル1000人が十分に組織的な行動を取れていた。それを除けば、ブレン族1万5000人──騎兵3000を含む──、ハドゥイ族4000人──500騎を含む──、レイツ傘下部族歩兵1万3000人は渾然として展開した。
 命令も各部族長や戦士長が銘々に下した。一応は全体としての指揮はレイツが執ってはいたが、現実的に統率出来ているとは到底言えなかった。

 戦いは先手を取ったプロキオン軍の側から始められた。中央と左翼部隊の攻撃がサイス勢に迫った。特にメール帰参兵を加えた選抜歩兵ペゼタイロイの威力は以前よりも破壊的だった。
 サイス軍は統率は欠くものの、プロキオン軍の攻撃に怯まず熱狂的な反撃を行った。歩騎混然の攻勢は確かに強力だったがプロキオン軍の戦列を破るには足りなかった。
 統率を欠く攻撃は予想し得ない形で戦局を動かす。一部の兵3000人程が期せずしてプロキオン軍の戦列を迂回し、背後に回る事に成功した。これら迂回部隊はそのまま前進し、宿営地──と戦利品──を狙った。
 プロキオン軍後陣はサイス軍の予想外の攻撃をよく防いでいたが、ジュラは安心仕切らず援軍としてまだ本格的な戦闘に突入していなかった右翼からサイス騎兵500騎を送り込んだ。
 ここでプロキオン軍右翼の騎兵力低下を察知したレイツはこの機を逃さなかった。敵主攻を逆に拘束するべく、サイス騎兵3000騎を投入した。プロキオン軍右翼も騎兵隊が迎撃に出て、同数の騎兵がぶつかりあった。正面突撃力ではプロキオン騎兵が勝るが、小回りや馬上での戦闘そのものはサイス騎兵が上回り、同数ではどちらが勝つとも言えない戦いが繰り広げられた。
 そして、レイツは続けて残る直下の歩兵部隊を送り込んだ。ジュラは意外なレイツの挙動に注視しつつ、精鋭選抜歩兵アステタイロイに対決させた。プロキオン軍最強の歩兵戦力である精鋭選抜歩兵アステタイロイならレイツの歩兵隊を打ち破り、そのまま勝利を決する事が出来るだろうと考えていた。ところが精鋭選抜歩兵アステタイロイは想定外の苦戦を強いられる。レイツ軍の大剣戦士クラゼヴォ・モルは刃渡り一メートル以上の特別製の大剣を装備しており突撃と前進にしか役立たないが、メール式兵の長槍を切り払い、方陣に楔を打ち込む事が出来た。そこにレイツ側の歴戦のメール兵と蟻兵団ミュルミドンが突撃を仕掛けるのだ。
 レイツ軍歩兵の連携攻撃に足を止められた精鋭選抜歩兵アステタイロイを見たジュラは勝利の為に別の術策を考案する。
 中央と左翼のサイス兵は徐々に疲れて熱狂が冷めつつあり、この状況を利用しようとジュラは図った。左翼の騎兵隊を少数ながら敵軍の後方に送り込むことに成功すると、旗印を振り回し大げさに鬨の声を上げさせた。疲労したサイス兵は包囲され背後を断たれると思い込み、一転して恐慌状態に陥った。この状況で敵の攻勢に曝されるとサイス軍は脆くも崩れた。押し留める方法はなく、プロキオン軍と互角に戦っていたレイツ軍も後退せざるを得なかった。

 サイス遠征最初の大規模な戦闘、クレーの会戦はプロキオン軍の勝利に終わった。

 ◆ ◆ ◆

 勝利したプロキオン軍はクレーを占拠し、抵抗力を喪失したカルソネス族、エザルテス族はレイツの傘下から外れプロキオン家への臣従を誓った。
 ジュラはクレーを対サイス戦の拠点とし、建造した宿営地も強化して数千人が冬営可能な要塞──南サイス諸族への抑止も含めて──として整備した。プロキオン軍はサイスでの確固とした足掛かりを手に入れた事になる。

 7月、クレーで勝利し南サイスに勢力を伸ばしたジュラは次の戦いに着手した。次の目的は北へ撤退したレイツの追撃、そしてレイツの同盟者でサイス最大の部族ブレン族を屈服させる事である。

 クレーに2千人の守備兵と降伏したサイス諸部族戦士を残すと、軍を二つに分けて出撃した。
 一方は騎兵のみ4千騎から為り、ジュラ自身が率いてレイツ領に向け北上した。残りの2万人はセルギリウスに率いさせ、対ブレン族戦を委任させた。

 ◆ ◆ ◆

 騎兵隊を率いたジュラの狙いは直接的な制圧ではなく、襲撃と破壊を広範囲に行い、かつ自軍の威容を見せ付ける事での敵勢力の離反・屈服を惹起させる"騎行"にあった。
 レドネス族の領域に進出したジュラは騎兵の機動性を十全に活かして村や集落を襲撃し回った。壁に囲まれたオッピドゥムは基本的に無視したが、防備が甘いと見るや攻撃を掛け破壊した。この類いの任務には軽騎兵隊が特に役に立った。
 レドネス族長カティヴォルクスはレイツに反撃を要請されたが拒否し、森の奥の隠れ場へ逃げた。族長も逃亡したレドネス諸族はジュラに多くの恭順の使者を遣わした。

 レドネス族の離反でやはり頼りには出来ないと考えたレイツは自ら軍を率いて反撃に出た。流石にレイツの方が現地には明るく、レイツ直卒の騎兵と各地に伏せさせた歩兵の連携の前にジュラ隊の"騎行"は抑制された。レイツの反撃でレドネス族の一部は節操無く再びプロキオン家を離れ、レイツ軍の派遣部隊とレドネス族兵が挟み撃ちを狙ってプロキオン軍を襲うが、レイツの意図しない勝手な動きの為に連携は欠き、ジュラはこれを各個に撃破した。
 その間にタトゥキア族領とレドネス族領の境を為すカルノ川の防御を固められ、渡河は困難になっていた。しかし、ジュラの目的は占領と前進ではない為、そのままレドネス族領の"騎行"を続け、更にレイツをこの地に釘付けにした。

 ◆ ◆ ◆

 今年度後半の戦いは寧ろセルギリウス隊が主攻だった。クレーから一旦進路を東としたセルギリウスはリゴス族の領域に入り、僅かな抵抗を排すると彼らの降伏を受諾した。南サイス地方全域がプロキオン家の勢力下に加わった。

 ブレン族はクレーの敗北を見て、相手はただの小僧に率いられた軟弱者共ではないと悟った。ブレン族長ブレンノスは歴戦の猛者で、レイツとも激しく戦ってきた闘士である。
 ブレンノスは配下の戦士や服属民を召集し、クレーの敗残兵やハドゥイ族兵も合わせ、4万の軍勢を集めた。ブレン族軍はプロキオン軍との戦いは求め、南下した。
 セルギリウスは敢えて北上し、敵軍を躱してブレン族の領域に入る動きを見せた。ブレンノスはプロキオン軍を追い、進路を変えて急進したが既にセルギリウス隊の姿はなかった。セルギリウスは再度南に移動していた。
 ブレンノスはプロキオン軍の動きが此方を振り回そうとする策だと理解していた。その対応として、急行軍で兎に角追い付き行動を不自由にさせる事が肝要だと考えた。
 そして、ブレン族軍がプロキオン軍に追い付いた時、セルギリウスは有利な地形を手にし、布陣を終えていた。ブレンノスは相手の防御的な姿勢を見て、休息を取ってから攻撃に移ろうと考えていた。が、プロキオン軍の挑発と散発的な襲撃に配下の戦士は興奮し、振り回された事への憤りも相まってブレンノスへ強く攻撃開始を求めた。一部の兵は勝手に武器を持って戦いを始めようとしていた。さしものブレンノスも戦士達の熱気を抑えきれず、またプロキオン軍が陣営地をも築き始めようとしていた為、それならば戦いの高揚を利用して素早く攻撃に出ようと狙った。

 プロキオン軍は丘の上に本陣を置いていた。セルギリウスは本陣に在り、精鋭選抜歩兵アステタイロイ1000人、コーア騎兵1000騎、サイス騎兵500騎を直下に従えた。
 丘の斜面には全部隊から選抜した弓射手や投石紐使い──サイス兵やコーア兵が殆ど──500人を並べた。
 丘とその麓は右翼側に森、左翼側にサルブル川と呼ばれた川を携えており、戦場になりうるのは前面の平地部分しか無い。
 麓に残りの兵を展開させ、右翼にはサイス歩兵6000人、中央には精鋭選抜歩兵アステタイロイ3000人・コーア歩兵2000人、左翼には選抜歩兵ペゼタイロイ6000人が配置された。

 ブレンノスはハドゥイ族とクレーの敗残兵ら5千人を先駆けにして突撃させた。名誉を取り戻さんと意気込む彼らだったが、プロキオン軍の戦列に押し返され、あえなく粉砕されてしまう。
 だが今度は敗走出来なかった。後ろからブレン族の戦士3万人が押し寄せてきていたからだ。粉砕された先駆けと続いて突撃する戦士集団は混じり、興奮のまま同士討ちする者も現れた。
 倍の数のサイス軍だったが、混乱と狭い戦闘正面を利用したプロキオン軍は完全に抑え込んでいた。もし、サイス戦士が前進によってその奔流を吐き出せていたら、まだ事態は好転しえたかもしれない。
 更にセルギリウスはこの機を捉え、丘の斜面という高所に配していた射手に矢玉を降り注がせた。集めた射手は多くはない為、サイス戦士は打ち倒した数もまた多くはないが、狙いは一層の混乱を与える事である。セルギリウスの狙い通り、ブレン族兵の混乱は極致に達し、指揮系統はほぼ失われた。

 セルギリウスは勝利を決定付ける為、本陣の騎兵も前線に投入して反撃に出た。既に停止し衝撃力もなく混乱しきったサイス軍は一溜まりもなかった。戦士達は壊走し、散々に追い散らされた。
 ブレンノスは自身の直下部隊と共にプロキオン軍の前に立ちはだかり、それ以上の追撃を防いだ。激戦が繰り広げられ、最終的にはブレンノスが退いたが、追撃もまた徹底することは妨げられた。それでも、戦場には数千体のサイス人兵の亡骸が残された。

 サルブル河畔の会戦で勝利を勝ち取ったセルギリウスはブレン族の領域に入り、主邑の一つブロバを包囲した。プロキオン軍の強さの噂は早くも伝わっており、士気の低下した守備隊はプロキオン軍の熟練した攻城攻撃──投石機カタパルト、破城槌、攻城塔に坑道攻め──を受けると心を打ち砕かれ、降伏した。

 ◆ ◆ ◆

 メール地方へはザリィ族が山岳部から攻撃を行った。トクタム、ヴァノス、ハルマン家のミュルク、そしてクロコンタスらメール方面部隊は集結し、この山岳部族を迎撃した。ザリィ族は勇猛で強大な部族だったが、メール平地の砦群に足を止められ、よく訓練され連携のとれたプロキオン軍に撃破された。
 トクタムらはそのままザリィ族を山岳地へ追い返し、更にザリィ族に協力したメール現住部族の征伐と懐柔をも行った。

 ◆ ◆ ◆

 そして、冬になり双方の軍は停止し、剣を収めた。サイスの冬は決して優しくなく、戦いには不向きだ。ジュラはクレー、セルギリウスはブロバと冬営が可能な拠点で待機した。レドネス族の領域は占領はしていないので冬営は出来なかった。勿論、ただ冬が明けるのを待っている訳ではなく、占領地の整備、軍の再編、各部族への調略や交渉も進めいている。特に初めての土地である為に地理情報と兵站の確保は重要事で、優先して人員が回された。
 対するレイツ、ブレンノスも冬の間に何とか態勢を整えなおそうと奔走していた。

 サイス遠征の初年度だけでレイツ勢を追い込み、ブレン族の主力を撃破した。プロキオン家の勢力は大幅に拡大し、当主ジュラの業績と栄光は確固たるものとなった。翌年度もプロキオン軍の進行が続かないなどと言う事は誰も疑っていなかった。






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