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タグ検索で損翁は4件見つかりました。
損翁
戸時代[[日本曹洞宗]]が輩出した学僧。損翁は号であり、名は宗益。 生没年:慶安2年(1649)〜宝永2年(1705) 出身地:山形県 俗姓:青木氏 &color(blue){''【略歴】''} 慶安2年12月27日に、出羽国米沢で生まれた損翁師は、12歳の時の[[出家]][[得度]]し、禅林寺の蘭州や、館山寺の要山に就いて参究し、後に江戸に上って諸方の[[尊宿]]に[[尋師訪道]]した。 加賀国[[大乗寺]]の[[月舟]]宗胡や[[卍山]]道白も尋ね、その後に仙台の泰心院の[[可山]]洞悦に就い…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%bb%b2%a7... - 2010年12月01日更新
坐禅箴弁話
'} 江戸時代初期の[[学僧]]・[[損翁]]宗益師が和文体で著した『[[坐禅箴]]』についての註釈書。内題は『永平正法眼蔵坐禅箴損翁和尚弁話』。江戸時代初期に、それまでの口伝中心の坐禅法から、宗典に基づいた「正伝の坐禅法」が再確認され、新たな宗風として構築されていく様子を伺える。具体的には、「薬山非思量」「南嶽磨甎」、そして宏智禅師『坐禅箴』などをを下地に提唱されたものである。『[[続曹洞宗全書]]』「注解二」で見ることが出来る。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ba%c1%c1%b5%e4... - 2010年12月01日更新
隻履西帰
に、熊耳峰に葬られたとする。江戸期の[[損翁]]宗益も、道元禅師が否定的に扱ったことを議論した(『[[見聞宝永記]]』)。ただ、[[道元]][[禅師]]の[[真賛]]や、[[瑩山]][[禅師]]も『[[瑩山清規]]』所収の『達磨忌疏』などでは、この西帰の説を入れて文を編まれたため、安直な理解は出来ない。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%c9%cd%fa%c0... - 2011年10月05日更新
見聞宝永記
ue){【定義】}'' 江戸時代の[[損翁]]宗益の言葉を、弟子である[[面山]]瑞方が筆録したもの、随聞記。全1巻。宝永3年(1706)から同6年(1709)までの間に成立したが、自題は延享元年(1744)12月24日に書かれている。冒頭には、[[卍山]]道白の手になる、損翁像への賛や、面山と卍山とで遣り取りした手紙が収録される。本書を書いた経緯については、面山自身の後序に見える。 ''時に、琳(僧の桂琳)、東遊して青松に寓し、乃ち余の相州に閉関するを聞いて特に訪れること二回。留宿すること数日、…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b8%ab%ca%b9%ca... - 2008年05月11日更新