冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

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Hard Rock演習概要(1982)


英国とソビエト連邦の間の戦争は9月27日午前4時30分に始まり、5日後に核戦争になる。内務大臣が、今月末に計画されていた民間防衛演習Hard Rockを中止に追い込まれていなければ、机上で起きることになっていたことだ。強制的な「延期」の理由は、参加を望まない「非核地帯」地方自治体に、そのような演習の計画と実施を義務付ける法規制を計画していることだった。

Hard Rockは、1968年の民間防衛隊及びすべて大規模民間防衛計画の中止以後の、過去15年でそのような演習の最大規模のものとなるはずだった。Inside Rightに始まる、そのような一連の演習で最大とはるはずだっと。1978年にScrum Halfが行われ、スポーツのメタファーで、1980年にSquare Legが続けられた。

Hard Rockはサッチャー政権における民間防衛活動の改訂の中心的なものだった。しかし、その詳細を調べたところ、軍事戦略家の仕事に泥を塗るような、核戦争に関する最も馬鹿げた概念に基づいてたことわかる。これまでの演習では、最低200メガトン、すなわち広島の爆弾の15,000倍という、英国へのありそうな核攻撃に対する民間防衛手段の(自明な)能力を評価する者だった。

Hard Rockでは、英国への核攻撃規模は、これまでの仮定の1/4である、54発、48メガトンにスケールダウンされた。しかし、内務省が民間防衛の有効性を信じさせるのを手助けする計画に対しては、さらに多くの改訂が行われた。核爆弾は、小さな村(例えば、スコットランドの人口953人のMallaig、ウェールズの人口1,287人のBuilth Wells)や無人の荒野(例えば、デボンのビデフォードの近く)を攻撃目標にしている。

同時に、主要都市は攻撃を受けず、London, Manchester, Edinburgh, Liverpool, Bristol, Cardiff, Sheffieldなどは特に無傷であると仮定された。これらの都市を狙う核爆弾は、攻撃目標をはずれることになtっていた。いかなる米軍基地や主要な戦略軍事拠点は、狙われるが、直撃しないと仮定された。ClydeのHoly LochとFaslaneのポラリスミサイル潜水艦基地は攻撃されないことになっていた。英国やNATOの司令部も攻撃されないことになっていた。

今も部分的に機密になっている演習計画で使われた完全な「爆弾プロット」を次ページに示す。「DISTAFF(直接目標) EYES ONLY」と記された攻撃目標リストは、おそらく、Hard Rockに先立って、地方自治体に参加を義務付ける法規制成立しても、内務省は将来的にも使う予定のものである。攻撃目標リストは次の2つの理由で修正されたように見える。第1に、内務省は、特定のサイトが、たとえ明白であっても、実際に核の攻撃目標となる可能性があること認めたくないと考えた。したがって、米軍基地と主要な核攻撃目標はリストから除外された。これは、国防省による「政治的クリアランス」の計画の提出中に行われたであろう。

第2に、明白な核攻撃目標の大半を除外するという、馬鹿げた核戦争演習シナリオを描くことで、内務省は結果的に、自分たちの「計画」が人命を救うことに機能することを証明しようとした。1981年6月に演習計画が始まったとき、既に楽観的な低レベルの105の攻撃目標が想定された。内務省と国防省が「政治的に」望ましくない攻撃目標を削除し、(民間防衛計画に都合の良いように、直撃をミスヒットにしたことにして、)、その数は半減した。

Hard Rockが基礎とすることにしていた核戦争シナリオは、攻撃目標リストよりも納得感のあるものだった。演習のためにバンカーを用意することになっていた、中央政府及び地方政府が準備するため、内務省は9月19日に始まる10日間のテレビニュース報道と公式ブリフィーグンを制作した。これらは、10月2日の核戦争勃発まで、大臣たちがすべて順調だとアナウンスしながら、戦争へとなだれこむ姿を描写していた。

いつものように、ソビエト連邦は侵略者と想定された。9月始めに、ソビエト連邦は「軍事同盟をただちに解消する」ことを求め、9月18日までに、NATO(青色同盟)は、これに対抗しなければ、ソビエト(橙色条約機構)の行動が必然的に、NATO加盟国に対するソビエトの軍事支配へとつなあることを怖れた。9月19日に首相は、英国がNATOの強化を決定したことを表明する:

夕方の全英への放送で、首相は国内に向けて冷静にし、ポイントオブノーリターンからの撤退をソビエト連邦に対して説得する政府を支持するよう求めた。世論調査では、依然として政府の取り強硬策を過半数が支持していた。


翌日までに、ソビエト艦船が北海油田を遊弋し、国民はパニックの様相を呈する:

公開の集会がニュースになり続けていた。NATOとワルシャワ条約機構の敵対関係が不可避だろうと認識する国民の不安が高まってくる。西側では、休暇宿泊施設の移動の増加が目立ち始めている。

一部の政府官僚や地方自治体要員には、秘密の戦時本部へ移動して準備うするようにとの指示を受けており、事態は悪化している。


9月22日、危機は深まり、内務省は動く。報道によれば:

議会の圧力に応じて、内務省「Protect and Survive」ガイダンスが翌日の新聞に4ページで掲載されることになる。ガイダンスはラジオとテレビで一週間にわたり放送されることになる。内務省はこれらが、英国への核湖撃の可能性の高まっていたり、差し迫っていたりといったことを意味するではないことを強調する。


(Hard Rock計画のこの部分も、修正されることになっていた。都市部からの避難者や難民たちについての記述はトーンダウンされ、騒乱やデモは意図的に曖昧にされた。前の草稿から、大きく変更されたのは、嘲笑われた公式ブックレット「Protect and Survive」に関する部分だった。このタイトルは内務省にとって、うんざりしていたので、第2稿から削除された。置き換えられた「Public Do-It Yourself Civil Defence」も、大してよくなっていなかった。少なくとも、より正確になるというメリットがあった。)

9月25日までに、国民は反抗的になり始めると想定された。公式郷土防衛計画の最優先課題が、実際には、反抗的国民の「内的脅威」であり、Hard Rockは破壊工作を強調していた。計画によれば:

交通機関はロンドンから西に向かう交通量の増加を報告している。昨夜の政府テレビ及びラジオ放送は、家を離れることの不利益を強調した。

この早朝、ウェールズの主要な原油基地が攻撃を受けた。複数の同時爆発で、基地の主要な燃料タンクが破壊された。


最終的に、「家に留まれ」という政府の呼びかけにもかかわらず、150万人の避難民が移動している。Hard Rockはいろいろな時点での、別荘や田舎のコテージを持つ人々は自主避難可能だが、それ以外の都市住民は家に留まり、来るべき自体を待つほかないことが、記述されていた、

9月26日、新聞には、空襲警報や上級陸軍士官に対する暗殺未遂報道が載せられた。

9月27日、戦争が始まる。午前4時50分に、戦車が西独国境線を越える。午前7時に、ソビエトは英国に対して、一連の通常兵器による空襲を始める。これらの空襲目標(地図参照)は、核攻撃目標に比べれば、現実的なものだった。最初の空爆は、スコットランド北東部のSt Fergus North Seaガス基地に対して行われる。英国とソビエト連邦が戦争状態に入ったことが発表された。9月28日の放送によれば:

過去24時間、英国への空襲が続いている。昨日、ソビエト軍は英国空軍基地を攻撃した。今朝、ソビエトの空襲が50近くの目標を攻撃した。今朝のHMGを支援する平和運動のラリーで、ソビエトの目的に対して強い反対があったが、核戦争へのエスカレーションを怖れて、NATOへ平和希求を強める呼びかけが為された。

都市から外へ向かう交通がさらに問題を起こしている。さらに、道路上の膨大な交通量に加えて、燃料不足で動けない車両で状況は悪化する。

~^ 一連の夜明けの空襲で、Manchester, Liverpool, Chester, Oxford, Lutonや港湾が、軍事目標とともに爆撃される。翌朝、Bristol, Doncaster, Lincoln, Swindonが爆撃された。

民間防衛演習自体は、開戦2日後の9月29日に始まる。この時点で、ウォーゲームHard Rockはバンカーで実施され、「戦争が通常から核へエスカレートするだろうという深い懸念が国民にある」という状況レポートが気分を高める。

Hard Rock計画によれば、この段階で、患者は病院から避難し、医療スタッフは避難できる。一方、階段下やテーブル下のProtect and Survive (Public Do-It-Yourself Civil Defence)のシェルターを作るための資材を買う「特別なニーズ」を求める失業者たちを、DHSS事務所がかき集める。1000人を除いて、囚人が刑務所から釈放される。9月30日までに、芸術的に調整された計画でも、内務省は、人口の30%が今では必要な食料を入手できないと予測した。(初期段階で「Protect and Survive」が世帯主に2週間の食料を備蓄するよう具体的に指示しているにもかかわらず、計画は食料の「買いだめ」を問題にしている)。

今や、"Do-It-Yourself Civil Defence"の資材も32%不足し、ガソリンや原油が25%不足した。主要な攻撃目標から、150万人近くが避難した。この段階で、地方自治体本部および政府地域本部にいるプレイヤーのために、演習は適切に開始されていただろう。 実際の屋外演習はないが、空軍は核攻撃対象地域の上空を模擬偵察飛行し、英国海軍は攻撃されていない港に船を出し入れする演習を行った。

10月2日まで、演習は通常兵器爆撃の影響のみについてだった。その累積影響は、第2次世界大戦の累計よりも少ないと想定された。10月2日土曜日午後2時、Hard Rock演習はさらに次のニュース報道を読み上げることとなっていた:

欧州では、前線での激しい戦闘が続き、両陣営で死傷者数が増大していた。ソビエトの浸透がどの程度かは明確ではないが、第2派部隊が投入され、NATO軍は強い圧力にさらされている。英国では、空軍基地に通常兵器による攻撃が続いた。これらの攻撃目標周辺では、大量の死傷者が出ていた。局地的な交通と燃料供給の崩壊にyり、食料不足が起きた。失敗が続く和平活動に対する国民の反応は止まっていたが、誰の心にも、エスカレーションへの恐怖があった。残存する民間防衛措置が発動され、残存する政府部門と軍司令部が攻撃後のポジションに配備されていた。


標準的かつリハーサルが繰り返されたNATOのシナリオでは、民間防衛措置が完了するまで、都合により核攻撃は行われず、NATO軍は退却し、戦術核兵器で進軍を押しとどめるというNATOドクトリンが使われる。ソビエトの方針も同様に明確だ。彼らは核兵器の先制使用は行わないが、ひとたび攻撃を受ければ、大規模報復する。

そして、土曜日夕方、Hard Rock核爆弾の投下が始まる。最初の3発が、ミドルエセックスのWest Draytonと、サセックスのNewhavenとヨークシャーのCatterickに近くに行われる。核攻撃は日曜日朝の午前2時46分まで続き、重要度の低いSkipwithのHumberside townに最後の500キロトンが投下される。バンカーでは、Hard Rockのプレイヤーたちが、攻撃後のサバイバルフェーズの演習に一日を費やす。さらに2日間(机上では2か月後)、内務省が気まぐれに「復旧」と呼ぶリハーサルを行う。これが終わると、非常時計画者たちが演習全般について、公開の場で論じ、注意深く作られた爆弾シナリオのおかげで、いかに民間防衛措置がうまくいったかを宣言することになっていた。Hard Rock演習仕様によれば:

通常爆弾シナリオと核爆弾シナリオは、内務省の演習要件に合致するよう作られた。計画スタッフによるコメントで、UKCICC(英国軍委員会)から国防省まで政治クリアランスを得ている。


さらに計画では:

演習計画は敵攻撃の重みや分布の現実的記述と受け取るべきではない。


爆弾シナリオを詳細に調べれば、そんな間違をする人はいないだろう。

驚くべきことに、Hard Rock核攻撃の影響が詳細に調べると、これは驚くべき、そして内務省にとって好ましくない、核攻撃によって生じる破壊の描像を提示していた。内務省には、あらゆる種類の核攻撃後の死傷者を推定するコンピュータープログラムがある。同様に構築された、より正確なコンピューター分析が、Open UniversityのPhilip SteadmanとNewcastle UniversityのDr Stan Openshawによって作られている。Hard Rock核攻撃もこれらによって評価されている。大都市の代わりに小さな集落で爆弾が爆発したとしても、現実的な仮定では約1200万人が死亡または重傷を負うことになる。200万人が爆弾の直接的影響で、500万人が放射性降下物で死亡し、重傷者の大半も必要な治療が受けられずに、まもなく死亡する。逆説的に、Hard Rockの都合の良いフィクションであっても、政府の事例を損うものである。

7月にHard Rockの「延期」が報道されると、内務大臣は「計画が無駄にならないように、計画を全力で作り直すことを約束する。演習が後日に実施されることで、経験がより役立つようになることを保証する」と述べた。1948年民間防衛法に対する新法規制で、Hard Rockのような民間防衛演習に参加し、計画を検証することを、自治体に義務付けようとしている。しかし、法規制によって、社会に見せかけのプレイを強制できるだろうか?



Hard Rock: 核攻撃目標
'この演習では、重要な軍事目標と大都市以外の全域に爆弾が投下される。Leicester都心部のみが直撃を受ける。GlasgowとPlymouthははずれて、近くに着弾。CarlisleやPerthのような小規模な都市でも、目標を8〜20kmほどはzhれることになっていた。現実的な攻撃目標は石油関連のSt Fergus, Sullom Voe, Fawley, Falmouth, Milford Haven, Runcomだけだった。
軍事目標は、Catterick, Wyton, Wattinsham, Lossiemouth, Scampton, Prestwick, (Spitheadの)Portmouthだけだった。これらのうち後の5つは、はずれることになっていた。核攻撃の1/3は、村や町や無人地帯に対するものである。そのようなナンセンスな核攻撃であっても、1250万人が死傷する。'



Hard Rock: 通常攻撃目標
'演習の通常兵器攻撃目標はおおよそ現実的だった。新型巡航ミサイル基地以外の米軍基地の大半も含まれていた。もし、大都市もリストに含まれていれば、これは権威ある核攻撃目標リストとなり、NSが報道した1980年のSuare Leg演習など、以前の民間防衛演習の核攻撃目標リストと同様になる。'''

[ Duncan Campbell: "Civil Defence - Bad day at Hard Rock (1982/09/17) on New Statesman]




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