ティグラネスは"賢者マギ"の援助も得て勢力を増大させた。その行く先は勿論、統一と制覇である。
 東メライノイの衰退に応じて勢力を増した南メライノイが次に狙われた。幾ら勢力を伸ばしたとはいえ西メライノイとの共同攻撃を防げる程には無く、必死の奮戦も空しく拠点ラオキタは陥落し、真歴246年、南メライノイは滅びた。
 西メライノイは南メライノイ残党を討ち滅ぼすか吸収するかを望んでいた。しかし、ティグラネスは西メライノイの意向を是とせず、ホルシードの別場に南メライノイ残党へ土地を与えて自国に吸収することを決めた。西メライノイ王小マエサデスはこのティグラネスの決定に不満を感じたが、同時に既に西メライノイ単独ではフルウリ王国に立ち向かえない程にその勢力は広がっていた。小マエサデスは憤懣やるかたないとはいえ、現実を直視できる男だった。無意味な抵抗より、フルウリ体制下でのよりよい地位を占める方が得策と考え、ティグラネスとの交渉を続けた。ティグラネスの方も小マエサデスの態度を理解し、西メライノイに高圧的に対することはなかった。
 尚、南メライノイ残党は主にペルシス東部の都市メイマンドに集住させられ、男子はティグラネス直下の戦闘部隊として編成される事となった。

 ゴンディノ南部に押し込められた東メライノイはぺーローズ朝との緩衝地帯として残そうとティグラネスは考え、幸か不幸か、今暫くは命脈を保つことが出来た。

 西メライノイと同様の方向に舵を切ったのが、マガンディノの後ヤーシャール朝である。
 ダレイオス朝に東のオドニアまで追い立てられた後、捲土重来を果たしてホルシードに舞い戻った後ヤーシャール朝であるが、敢えなく内乱と不和に見舞われ、ホルシード側とオドニア側で分裂することとなる。オドニア側は程なくオドニア諸王朝の攻撃や現地勢力の反乱で衰退し、在ホルシード勢もトゥラノ地方を失った上にマガンディノから外に出ることが叶わずにいた。
 マガンディノ地方は豊かな耕地、ゼロバウ高地という馬の産地、多数の鉱山を持ち、山に囲まれた守りに向いた土地である。トゥラノ地方もおさえれば、オドニアとの交易も密接に関われ経済的にも有利である。しかしながら、裏を返せば囲まれ易く外に出にくいという事でもあり、オドニアとの関係が悪化すれば閉じ込められて"干される"ことにもなる。現実、今まさに後ヤーシャール朝はその苦境に陥りつつあり、かつてダレイオス朝に追い立てられたように国力差のまま蹂躙される未来を辿ったとしてもおかしくなかった。
 後ヤーシャール朝の君主ヤーシャール=ダッラーブはフルウリが本格的な東方進出に移っていない今こそが傘下に降る有効な時であると判断し、王位を献上してティグラネスに降った。
 真歴248年、ティグラネスは自らアジナバールに出頭して忠誠を顕したヤーシャールを"マガンディノ太守"及び"棟梁パシャ"に任じて後ヤーシャール朝領を正式に併合した。

 ティグラネスは傘下に入った後ヤーシャール朝や、西メライノイに対しても"賢者マギ"から得た技術を──絞ってだが──供与した。明らかな利益を与え、復活バラバ王朝の元に集うことの有意義さを示した。また、統合の証に交易路や道路整備も始め、経済上の利を実感させた。
 同時に、ティグラネスの軍勢が容易に到達できるような環境を構築する事の意思表示でもあり、それを受け入れる側もまた忠誠と屈服の表明であった。

 北部最大の勢力に成長したティグラネスは東方の平定に乗り出した。手始めにウラーヴァタグ残党、旧ダレイオス朝分離勢力、在地豪族の割拠するベビュラ地方を攻め、新技術や統合勢力圏の経済という餌を見せて傘下入りを誘い、抵抗する者は装甲騎兵グリブパンバールが薙ぎ倒していった。
 攻撃先としては南のぺーローズ朝という選択肢もあったが、南方に対しては地勢上守りに入りやすいが東方からの経路を防ぐのは厄介で、先に東方を片付けようとティグラネスは考えていた。一部には東メライノイという緩衝地帯もあり、今のところは手を出さずに置いておくべきと判断した。
 また、ぺーローズ朝は内乱で疲弊しているものの、ぺーローズ王家という"ジェタ統原理"での結束があり、無策に手出しして抵抗の泥沼に引き込まれたところをアルサメス朝に横から撃たれることを危惧した。
 そうして東方への進出を続けるティグラネスだったが、その歩みが鈍らざるを得ない事態が訪れる。ぺーローズ朝の混乱を巧みに収めたファラーズが東メライノイを制圧し、ティグラネスに圧迫を加えてきたのだ。
 してやられたティグラネスは東方から転進してゴンディノに向かった。このままぺーローズ朝にも攻撃されることを懸念され、特に制圧したばかりの王都アジナバールはペーローズ朝との境界に未だ程近く、このペルシス方面だけの守りなら兎も角ゴンディノからの同時攻撃は避けたかった。それでも今のティグラネス勢ならば最終的には勝利出来るだろうが、大変な苦戦は免れない。と、その時、ファラーズの方から交渉が持ち掛けられた。
 ファラーズは制圧したゴンディノ南部を割譲する代わりに"「ティグラネスとその後継者」との和平"、そして、"ぺーローズ王家を同じバラバ王家の係累と認めること"を求めた。
 ティグラネスは相手がただ者ではないと悟った。ファラーズが"フルウリとの和平"や"ぺーローズ王家を正統と認めること"といった条件を提示してきていたのなら、もしかしたら大したことのない相手と評価を下げ、思い切って東方との両面作戦に踏み切ったかもしれない。しかし、ファラーズが北部王国の本質がフルウリ王国ではなく"ティグラネスの国"であること、ティグラネスが己の根源としようとしているのが"ジェタ統原理とバラバ王家の名"であることを理解していると認めたのだった。
 ティグラネスにとってフルウリ人の結束、装甲騎兵グリブパンバール、そして"賢者マギ"から伝授された技術さえも、事の切っ掛けやあれば便利な道具に過ぎず、本当に手にしたい武器は"バラバ王家が普遍の頂点であるという共通認識"であった。民が生み出す一つ一つは小さいが集めれば世界を左右しうる力となるとティグラネスは確信していた。その武器を永遠の、絶対の力とするためにあらゆる手を尽くしていたのだった。
 真歴253年、抜き差しならぬ交渉の末、ティグラネスはゴンディノ南部を獲得し、ぺーローズ朝との間に和平が結ばれた。そして、一定の友好関係を保つ根拠として"互いに同じ祖を持つ"同胞であるからとされた。とは言え、ぺーローズ朝の自称はあくまでも"バラバ王朝"であること、ティグラネスもまたバラバ王国の復活を掲げている以上、いずれは両国は衝突することになるだろうことは疑いない。が、それまでの間に利用できる和平は結ばれるだけの価値があるのだ。
 この平和をどのように使い、どのような結果を導けるかが、ティグラネスとファラーズの統治者としての腕の見せ所である。

 その間、東方での調略も抜からないティグラネスはダレイオス朝──弱体化し家臣筋の傀儡と化している──領の半ばに勢力を及ぼしつつあり、バクトラへの地歩を固めつつあった。
  当然、東方の大勢力として君臨するアルサメス朝がティグラネスの進出を手をこまねいて見ている訳はなく、特にダレイオス朝残存領を舞台に激しい外交戦や調略戦を繰り広げ、ダレイオス朝領は真っ二つに分裂した。
 本格的な戦いが発生したのは、ぺーローズ朝と和平を結び後方を確かにしたティグラネスが軍勢を連れて東方進出を再開してからであった。決戦となったハリヴァトでの戦いはフルウリ軍の大勝に終わり、アルサメス朝は残存ダレイオス朝領から退かざるを得なくなった。
 真歴254年、ダレイオス朝は大王シャー位の主張を放棄し、王号さえも放棄した。既に力無き傀儡となっていたダレイオス朝家はアジナバールに連れられ、領土はティグラネスの下に併合される事となった。旧バラバ王朝の頃から続く名門、一度はホルシード北部を統一したダレイオス家門の終焉であった。

 ここで再びフルウリの東方遠征は停止する。その理由はティグラネスの不予である。ティグラネスは生来頑健な偉丈夫であるが、この年五十半ばに至っており、戦乱に次ぐ戦乱は如何な彼にも大きな負担で、遂に限界を迎えたのだ。

 真歴255年、ティグラネスは56歳の生涯を閉じた。しかし、ティグラネスにとって、そして、復活バラバ王家にとって、彼の死も切っ掛けの一つでしかない。何故なら次代の王こそが真の意味でバラバ王家復活を顕現させているからだ。

 同年、ティグラネスの嫡子クシアスが"大王シャー"に即位した。クシアスの母はカドフィセス家門の娘ロクサネであり、正真正銘"ジェタの一族"の血を引いていた。19歳の若き王クシアスは"ジェタ統原理"の恩恵を最大限に受けることが出き、王号もディグラネスのようなフルウリ王だけでなく、"ホルシードの大王"を明確に名乗っていた。ただ、完全な"バラバ王国"の復活宣言はされず、それは最終目標――ホルシード統一――がなされた時に行われるという暗黙の了解があった。
 彼の名前もフルウリ風の方言であるが、その名はバラバ王朝の公式言語であるペルシス語での"クセルクセス"と同じで、彼の期待された役割を示していた。
 成年を迎えてすぐから従軍しているクシアスも王国の主として戦うにはまだ若く、父から受け継いだ宿将や家臣達の補佐を得、"賢者マギ"からも同じように支援を受けた。クシアスはティグラネス以上にフルウリ系と非フルウリ系を分け、フルウリ系への優遇措置を演出した。フルウリ系は特に軍人として用い戦士の優越感を与える一方で、一部を除いて政治・統治には用いずに少しずつ排除を続けた。だがそのフルウリ系軍人も次第に傍近く置いても戦闘には投じず、華美な名誉称号を与えた典礼部隊の様相を呈するようになっていった。"フルウリ馬"も他部隊へ配備し、装甲騎兵グリブパンバールもフルウリ系人より馬の扱いに長けた諸族からの選抜兵で編成していった。一方で旧バラバ王朝軍の伝統を再興させ、"近衛軍プシュティグバン"や"不死隊アタナトイ"といった王の側近部隊を編成した。



 クシアスへの代替わりの最中もアルサメス朝との競り合いは続いていた。正面からの戦闘では勝ち目がないことを改めて悟ったアルサメス朝は東方の利点を生かした軽騎兵による遊撃攻撃に移った。かつてテュサゲタイ人も使った小規模襲撃戦術で敵側の兵站を圧迫したり疲労を誘い後退に追い込もうというのである。この遊撃戦には東方から雇った騎馬民族兵――ウラーヴァタグという前例があっても尚戦争の為に雇い入れていた――も多く用いられ、ホルシードにおける戦争の形態が旧王朝の頃とは異なっている事を如実に表していた。
 しかし、この遊撃戦術はクシアス軍の前に効果を発揮できなかった。クシアス軍はティグラネス時代から整備していた伝書鳩や腕木通信を十全に用いて動き回る襲撃部隊の情報を素早く取得すると直ちに迎撃部隊を送り込み、アルサメス朝軍の勝ち目の薄い正面戦闘に引きずり込んだ。遊撃戦術を潰されたアルサメス朝軍は籠城による耐久と乾坤一擲の会戦に運命を託すが、どちらもクシアス自ら率いた親征軍の前に粉砕された。中心拠点マルギアスも陥落し、アルサメス朝の威勢は大きく衰えた。
 クシアスは無理に攻勢を続けず軍勢と兵站を整え直すと、真歴259年、アルサメス朝勢力の最後の軍勢が籠るギースヤードを包囲した。アルサメス朝のティスぺス王は降伏を拒否しクシアスとの悲痛な決戦に挑もうとするが内通を受けていた家臣に殺された。ギースヤードは開城し、アルサメス朝はここに滅びた。残党はゲドロシアやソグディノに離散したがドゥズル湖畔など主要地域はクシアスの下に降り、最早歴史に名を遺すことは無かった。

 クシアスの東方平定により、北部で残る独立勢力は西メライノイのみとなった。小マエサデス王は最早クシアスの前に跪き併合されるしか道はないと理解しており、これまでの協調体制も役立ち、今なら相応の待遇をもって受け入れられるだろう事も確かであった。しかし、小マエサデスは勇武の民メライノイの系譜であることに自負を持ち、単なる屈服にはその自尊心故に許すことが出来なかった。特に併合と言う形をとる以上、小マエサデス自らクシアスの下に出頭し忠誠を誓わなければならない。
 クシアスも小マエサデスらメライノイの心理は分かっており、彼らの自尊心を保ちながら併合に持っていけるよう交渉を続けていた。その様な情勢の中、ウェロス地方の小川である剣が発見された。全く錆びつく事も無く鋭いままの刀身を持つ剣、それはかつて失われた宝剣流星シャハーブであった。小マエサデスはこれを機として遂に動いた。宝剣流星シャハーブ聖火アタル・ジェタ神殿に奉納するという名目でクシアスのいるアジナバールへ向かったのだ。そして流星シャハーブを奉納すると、"聖火アタル・ジェタの守護者"に同じく忠誠を誓う、と宣言した。"聖火アタル・ジェタの守護者"とは正しくバラバ大王シャーのことで、宗教上の称号を理由とすることで小マエサデスの自尊心と折り合いをつける事に成功した。

 真暦264年、西メライノイ併合によってクシアスはホルシード北部の統一を達成した。ヒュロス王国、カルカディス諸国──統一王国では無くなっていた──、トラバス諸都市からも友好親善の使者が訪れ、クシアスの偉業を祝賀した。

 ◆ ◆ ◆

 クシアスはホルシード北部全域に及ぶ事業に着手した。これは先鞭に過ぎず、いずれ全ホルシードを統一した暁には大陸全土で行われるだろう。
  
 着手した事業は大小数多の分野に及んでいるが、"永遠の都"アジナバールの復興は最優先事項であった。それはバラバ王朝復活の象徴であると同時に現実的な面でも経済・流通の一大拠点である。あらゆる意味でホルシードの中心として再び、いや旧王朝以上にその存在意義を強めさせようとしていた。
 同様に経済・流通の拠点として諸都市の整備や建設を推進したが、港湾都市への注力が特記されるべきであろう。特に主要となりうる地点は併合平定した諸国から割譲させ、直接統治の下に整備した。西のトランクィルス海に於てティグラノケルタ──偶然にも父王と同じ名を冠する──やラオキタなどが外港の役割を期待され、アジナバールは大河を通じてやはり大集結点の機能を持った。

 商業路や交易路の整備は道そのものの整備も多分に含まれ、特に"王の道"の再整備と拡張が行われた。旧王朝末期から神贈の時代ヴァクト・ヤサミーンの戦乱で荒れ果てた"王の道"の再整備は難事で、完成は遥か先のことであるものの、整えられ広げられた道はアジナバールの復興以上に王国の復活をあまねく目に見える形で示していた。

 商業圏の再編という意味で、貨幣の統一と再整備も進められた。実のところ旧バラバ王国でも貨幣の統一は途上であった。古の諸王朝が発行し使われ続けた貨幣はいずれも質がよく、これをわざわざ統一するのは難事でもあったのだ。だが、分裂と戦乱の中で諸勢力が新たに発行した貨幣は悪銭も多く、経済を混乱させる一因となっていた。
 クシアスは新たに満月マハ金貨──"賢者マギ"の技術により極めて精度が高い──を制定し、これを全ての経済の基盤としようと図った。そして、後々は銀貨、銅貨なども制定し、安定した経済圏、より進んだ貨幣経済制度を築こうと考えていた。紆余曲折はあったものの、クシアスのある意味で全ホルシード統一以上に壮大な構想は確かに実を付け始めていった。
 
 経済政策は単なる国力増強の為だけの手ではない。今なお商人勢力の半ばを占める神官達に直接的な利益を示し味方に付けるためである。"他人の不幸"は金になるが自己に降り掛かる不幸は金にならないものである。神官達もまた平和と安定を求めていた。そうして味方に付けた神官の影響力で宗教的方向からもジェタ統原理とバラバ王朝崇拝を強化させようというのもクシアスの狙いであった。

 とは言え神官が力を付け過ぎれば政権に介入してくるだろうことは疑いない。何といっても神官は知識階級なのである。
 またクシアスは官僚機構を再整備すると共に歴史上最初の国立学校とも言われる"王筆館ケターブ"を設立した。才さえあれば身分問わず入学が許される──後には解放奴隷からさえも受け入れるようになる──"王筆館ケターブ"では王に強い忠誠心を持つ有能な文官が育成され、王座を強化しながら官僚団に機能も向上させることに繋がった。"王筆館ケターブ"出身の文官は"知事ダビーラーン"と呼ばれ、活躍していった。

 ◆ ◆ ◆

 "バラバ王国"としてホルシードを治めていくクシアスが遂に本格的に手を付けた事象があった。それは"フルウリ人"の処遇である。
 ミトリダテス朝の王達はフルウリ民族優先主義を取ることでフルウリ人の支持を獲得し、忠実で豪然たる力を手に入れてきた。その支持ゆえに度々訪れた敗北にも勢力が揺るがなかった。
 しかし、先王ティグラネスの頃からフルウリ人は少しずつ軍や政治での地位を取り外されていった。当初は巧みに言いくるめ、さもフルウリ人を優先しているからであるかのように装っていたが、クシアスの頃にはその様な"気遣い"は失せていった。ティグラネスもクシアスも"ジェタ統原理に基づき全ホルシードを統治するバラバ王朝"を力の本質としたからで、最早フルウリ人にだけ足元を支えて貰う必要も意味も無かったのだ。寧ろ、本当の意味での統一を妨げるフルウリ民族優先主義など害でしかないとすら考えていた。
 フルウリ人も、時代の変化を受け入れ他の民族と同様に扱われる事を是とした者もいたが、多くは既得権益の喪失に不満を示した。とはいえ、王に真っ向から反逆することまではなく燻り続けていた。
 クシアスはこれら燻りを完全に叩き消し、フルウリ民族優先主義という思想を消滅させようと考えていた。
 クシアスは敢えて重臣のイェリドを旗頭にフルウリ民族優先主義者を集結させ、決起させ一網打尽に逮捕した。この"イェリド政変"での捕縛者は三百人に及び、残党も意気消沈するか非フルウリ民族優先主義の同胞に説得され、フルウリ民族優先主義はほぼ終わりを迎えた。
 事の発端となったイェリドは譜代家臣の出ながら、代々ティグラネスやクシアスの統治姿勢をよく理解しており、自分からこの策を提示していた。クシアスもイェリドには隠居させるものの、十分に安定した生活を保証した。家門も決して不遇にならないよう配慮した。

 だが、厄介な生き残りというのは必ずいるもので、ガーヴバラス将軍が怪しい火種として残っていた。ガーヴバラスはフルウリ名門出身の将軍で、ティグラネスの下でもクシアスの下でも活躍した勇将だった。彼は"イェリド政変"では賢くも王側についたが、だからと言ってフルウリ民族優先主義を捨てていなかった。
 最終的にガーヴバラスは王との軋轢からぺーローズ朝に亡命する事となる。

 ◆ ◆ ◆

 真歴253年、ぺーローズ朝は漸く平和を手に入れた。フルウリ王国との交渉でゴンディノ南部から撤退する代わりに平和条約を結び対外的な平穏を、ファラーズらイザード家門が実質的な統治者として治めて内部の安定を取り戻させた。
 ペーローズ朝王家は傀儡として生き残るのみであった。玉座に復帰したホルミズドは政治への意欲無く、奢侈に浸った後に早世した。しかし、跡を継いだ弟のシャープールは兄同様御世辞にも有能とは言えなかったが、事態をよく理解しており、ファラーズに協力的であった。
 ファラーズは決して善人などではないが、その統治は民にとり十分善政で、ぺーローズ朝の中興と呼ぶに相応しい繁栄を手にした。フルウリのティグラネスも次王クシアスもファラーズの手腕には警戒し、熾烈な戦争に見舞われることも無かった。

 ぺーローズ朝の繁栄はファラーズの死後も暫く続いた。シャープール王は自身の力量をよく理解し、イザード家門の新主イーラジュも優秀な人物であった───ただ惜しむらくは"優秀"であってもそれ以上でなく、ファラーズの本質を継ぐには足りなかった。

 互いに当面の目的を達成したフルウリとぺーローズ朝の間は徐々に緊張感が増していった。
 真歴268年、イーラジュはガーヴバラスの亡命を受け入れてしまう。イーラジュはフルウリ王国との対決自体はいずれは避けられないのだから、離反者を吸収して勢力を強化しようと図ったのだろう。それそのものは策としては決して間違ってはいない───間違っていたのは受け入れた相手がガーヴバラス一党だったことである。

 亡命したガーヴバラスはヌリスタンに土地を与えられ、対北部防衛の一翼を担うこととなった。敵手を知るものに戦わせようというイーラジュの思惑である。
 ガーヴバラスは亡命した先であるというのにフルウリ民族優先主義を捨てなかった。徴発や収奪も頻繁に行い、傲慢な態度は在来人の恨みを買った。彼の兵団も全てがフルウリ民族優先主義を盲信している訳ではなかったが、暴力的な態度というのは簡単に身内に伝播するものである。
 彼への反発からヌリスタン州民と衝突し始めたガーヴバラスだがその全てを力ずくで破った。猛将の名に恥じず彼は強く、配下も亡命に付いてくる程であるからガーヴバラスに忠実で、戦場では手足の如くに従った。
 そうして捩じ伏せた相手にガーヴバラスはフルウリ民族優先主義を突き付け、当然相手は理念の面からも"ジェタ統原理"に反するガーヴバラスへの不満を増した。
 イーラジュは流石に失策を悟り、ガーヴバラスを制肘しようと図った。粛清すべきであったろうが、彼の一党の持つ武力を利用したいという政治的要求が勝ったのは失敗の上塗りであった。

 ガーヴバラスはイーラジュの動きに警戒を強めた。そもそも自らの行いが原因であるということはこの場合問題ではない。自身の欲求が果たせないのでは元の居場所から逃れた意味などない。
 ガーヴバラスの疑心は燃え上がり、同じジェタ統原理という共通点のあるクシアスと共謀して自分を消すつもりだと思い至るようになった。そして、ガーヴバラスは事態を打破するために自分の力を最大限に活用し、自分の欲求を果たせる道を選んだ。即ち、武力蜂起と政権奪取の為の戦争である。

 真歴270年、配下の軍勢を率いたガーヴバラスは直ちに都ダイマクスへ向かった。兵数は一千騎程でしかないが、戦闘経験豊富な騎兵隊である。その機動力は高かった。
 イーラジュはガーヴバラスの暴挙に驚きながらもすぐさま一万強の兵を集め、責任を取るとばかりに討伐に向かった。
 しかし、運命とはままならぬものである。幸運と偶然の大渦はぺーローズ朝軍に対するガーヴバラス軍の奇襲成功という理不尽を捻り出した。雨滴る夜半、イーラジュは奇襲の初撃で戦死し、ぺーローズ朝軍は大敗を喫してしまう。

 ガーヴバラス軍は敵軍を撃破した後も速度を緩めず、数日後にはダイマクスに到達した。それはイーラジュの死の報よりも早かった。
 ダイマクスは指導者イーラジュの死で混乱しており、効果的に対応が取れずにいた。また皆がイザード家門に従おうとしていたのではなく、イザード家門から権勢を奪おうとしていた者も足並みを乱させた。
 フルウリ民族優先主義のガーヴバラスを手懐けて上手くやり抜き益を得ようと考えた者──何時の世にもいるものである──の内応を受け、ガーヴバラスは少数の軍勢でダイマクスの制圧に成功する。速攻と奇襲の威力が十分に活かされた好例である。

 シャープール王は離脱に失敗しガーヴバラスに捕らえられた。ガーヴバラスはシャープールを監禁し、王位禅譲を強要した。素早くガーヴバラスは大王シャーを名乗り、"ガーヴバラス朝"の設立を宣言したのであった。
 では、ガーヴバラスがぺーローズ朝領域を受け継いだかといえば、そのようなことは全く無かった。ガーヴバラスの勢力圏はダイマクスなどシラエア南部に限定され、他の地域には僅かの影響力も持たなかった。
 シャープール王の子カイぺーローズはミスル州に逃げ、統治を任されていたイザード家門のファールザードに擁立され、大王シャーを名乗った。監禁されているとはいえ父王はまだ存命であるが、シャープールを"脅された程度で"大王シャー位を反乱者に譲り渡した卑怯者として王位の正当性を主張したのだった。フォカニア州も一応はファールザードやカイぺーローズらに従う動きを見せていたが、フォカニア人は大陸方面よりもトランクィルス海への進出を重視し始めており、その協力は消極的だった。
 ハレブ州ではナバタエ王国が新王の下、復興を宣言し、シャープールの娘ナーヒードを匿った。新ナバタエ王は旧王家の傍流で、密かに漠野民ベドウィン諸部族の支持を集めていたのだ。とはいえ、王よりも王子マルワーンが大きな信望を集めていた。マルワーンは精悍で仁義に篤く、また漠野民ベドウィン達の価値観において重要な優れた戦士、秀でた将帥だあった。マルワーンの活躍もあり、ハレブ州は新ナバタエ王国の制するところとなった。
 シラエア西部はイザード家門の御膝元であったが必ずしもイザード家門と運命を共にしようとしているのではなく、いざイザード家門が失墜を始めるとジェタ統原理の下で彼らから離脱しようとする有力者は少なくなかった。イザード家門に忠実な者の多くは先の敗北で離散し、残った者も不安定なシラエアから離れてミスルへ移った。ファールザードが自己の兵力を増強しようと積極的に受け入れたのが事態を加速させた。そして、解体されたとはいえ東軍管区クースト・シャルグ系列の有力者の多いヌリスタン州はイザード家門に従わず、と言って他のペーローズ朝王族にも従わなかった。安定し繁栄しつつある北部にほど近いこれらの地では寧ろクシアスに好意的な動きすら起きていた。

 この混乱の瞬間こそクシアスの待っていた時であった。
 クシアスはシラエア北部とヌリスタンの諸勢力に調略を仕掛けた。真の平和の為にペーローズ朝から離れろ、北部王国──便宜的呼称──に従うことはジェタ統原理にも反しない、と言い包め、動揺を誘った。クシアスは殆ど無血で両地方を手中に収めることに成功した。彼が率いた大軍勢の威容もクシアスの正当性を受け入れるさせることに寄与した。脅威とうい意味でもそうであるが、これ程多くの民が付いてくるのならば国を治める真の王として相応しい、故に降っても仕方ないと納得させることに繋がったのだ。

 クシアスら北部王国軍の大軍は遮られることなく進軍を続けた。ダイマクスの占領するガーヴバラスは事態の急変に焦り、軍を出撃させて先の勝利を再現しようと狙った。即ち奇襲による勝利を狙ったのだが、そう何度も上手く行く筈が無かった。奇襲は失敗し、圧倒的兵力差の前にガーヴバラス軍は奮戦するも壊滅した。
 進軍から一月経たずしてぺーローズ朝都ダイマクスはクシアスの手中に収められ、ダイマクスの陥落でシラエア各地もこぞってクシアスに膝を屈した。捕らえられたガーヴバラスをクシアスは処刑し、監禁されていたシャープールを助け出すと、彼を名分にしてぺーローズ朝領の平定を進めた。まだシャープールには利用価値があった。

 クシアスは続けてミスル攻略に着手した。解放したシャープールも伴って、ホルシード北部の軍勢が遂にミスルの地に足を踏み入れた。
 ミスルのファールザードはかき集めた軍で防御態勢を敷くが戦力差は圧倒的で、理念上の勝負でも上回られており、戦いが始まった既に大勢は決していた。フォカニア人がクシアスにあっという間に鞍替えすると最早ファールザードらには対抗の術は残されていなかった。
 ファールザードは降伏すると同時に自身の自決を以てイザード家門の贖罪と為すこと、カイぺーローズの助命をクシアスに求めた。ファールザードは野心家ではあっても忠臣だったのだろう。クシアスはこれを受け入れ、イザード家門の領地と権勢を大幅に削減させたが存続を赦した。
 そして、あれだけのことがあってもシャープールもまた息子の助命を求め、クシアスはカイぺーローズを改易処分とするが年金と安穏な暮らしを与えるとした。カイぺーローズは消沈し、以後の消息は数十年後に王都アジナバールで逝去したこと以外歴史に残っていない。

 ミスル攻略は素早く終わったの対し、想定外に手間取ったのがハレブ平定であった。
 マルワーン王子率いるナバタエ軍は荒野と砂漠での戦いを熟知しており、如何に兵力で勝る北部王国軍も翻弄されてしまっていた。クシアスがミスル方面から転進して主力軍を投入して漸く戦局の秤が北部王国側に傾いたが、それでも物資不足も重なりナバタエ王国の抵抗は続いた。
 ナバタエ軍を指揮するマルワーンがこれ程必死に抵抗した最大の理由は匿っていたシャープールの娘ナーヒード姫と情を通じ、彼女との間に子を設けていたからであった。マルワーンはクシアスが勝利した暁にはナーヒード達が邪魔者として処分されるだろうと考えていたのだ。それは情実に篤いマルワーンには決して受け入れられないことであった。
 だが、クシアスは初めからその様な意図は無かった。寧ろナーヒード姫は彼の統治政策に必要な存在であった。というのも、クシアスはナーヒードを后に迎え、カドフィセス家門から続く北の"ジェタ統"とぺーローズ朝という南の"ジェタ統"を融合させようと考えていたのだ。
 ここで役立つのが今度もシャープールであった。クシアスはシャープールにナバタエへの使者となることを求め、シャープールは求め通り働き、ホルシードの平和と娘の未来の為に彼らを懸命に説得した。結果、ナバタエ王は王号を譲渡し、マルワーンも含めハレブの漠野民ベドウィンはクシアスに忠誠を誓った。ナーヒード姫はクシアスの妻となる事を受け入れた。
 そして、クシアスはマルワーンとナーヒード姫の間の子を殺しはしなかった。バラバ王家としての血筋からは排除したがマルワーンの後継者として遺すことも赦し、マルワーンもクシアスの寛大さに心を動かされた。これもまたクシアスの策であったのだが、マルワーンは気付かなかった。
 マルワーン王子とナーヒード姫の悲恋は以後も長く詩人の飯の種となるのであった。

 恐らく全面戦争となってもクシアスはぺーローズ朝を征服できただろう。だが、ガーヴバラスの反乱を契機とした混沌と分裂のお陰で、クシアスは"名誉ある征服"を成し遂げることが出来たのだった。

 真歴275年3月25日、クシアスはナーヒードとの婚姻と同じくしてシャープールにぺーローズ朝の王位を禅譲させた。勿論公式にはぺーローズ朝に大王シャー位を認めていないので、単なる王位である。また、クシアスの認識や公式見解がどうであろうと、征服地の臣民を納得させるにはこのような継承儀式が絶対に必要なのであった。
 この日、ペーローズ朝を吸収し、クシアスは全ホルシードを統一したのだ。そして、遂に、正式に"バラバ王朝"の復活を宣言した。それは全てのホルシード人にとっても混沌の終焉を意味していた。以後、クシアスはフルウリ王ではなく、何よりも"全ホルシードの大王シャー"として記録される。
 クシアスは再統一とバラバ王朝復興という偉業から"不滅王アノーシャグ"の異名を奉られることとなった。




 ◆ ◆ ◆

 "神贈の時代ヴァクト・ヤサミーン"は戦争吹き荒れる凄惨な時代であったことは疑いない。しかしながら、この時代は後の歴史を鑑みた時に大きな意味を持っていた。 苦難の中で"ジェタ統原理"が明確に、強固な形で世に現出し、人々の心の中に植え付けられるという結末を迎えたからだ。
 このジェタ統原理こそが、以後も全ホルシードを結びつけ、バラバ大王国を不滅の千年王国とする根源となるである!

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このページへのコメント

不滅王みたいな凄い奴が本編の主人公じゃだめなんですかね?

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Posted by 名無し(ID:8x9bEa3Y4Q) 2022年09月14日(水) 22:15:40 返信数(1) 返信

コメントありがとうございます。

本編はキャラもストーリーも雰囲気ももっと歪んでいびつな作りを目指しています。
代わりに外伝や前史で外連味の少ない英雄譚を展開しています。

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Posted by  rima_rima rima_rima 2022年09月14日(水) 22:29:43

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