最終更新: hshsh002000 2021年12月04日(土) 23:30:40履歴
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バラバ王国の支配する"全ホルシード"は大陸の丁度中央に位置する地域で、当然ながら大陸には他にも多くの地域がある。南東にはオドニアが、西にはトランクィルス海の島々とトラバスがあり、その先には更に別の地が広がっている。ソグディノと東の平原もそこが世界の端ではなく、大陸極東にはまた異なる文明が築かれているのである。
大陸東部は"織物の地 "と呼ばれ、ホルシードやミスルに遅れるものの、複数の大都市国家が繁栄していた。特に様々な織物が特産物だった。いずれ統一され大文明圏を構築していったことだろうが、歴史の必然か気まぐれか、残念ながらそうはならなかった。
北東部に広がる平原の地には騎馬遊牧民が住まい、度々シェレカに侵入し略奪を繰り返していた。そして、真歴300年頃、遊牧民ハイタール族は単なる略奪では済まさず、この地を征服した。
この事自体はホルシードでもクルディス人の侵略という形で類似して現れていたが、半農半牧のクルディス人はすぐに同化した為にホルシード文明を賃貸させることはなかった。しかしながら、この極東の地では攻め込んできたのが生粋の騎馬遊牧民で、シェレカを資源地としか認識していなかったのが運の尽きだった。
シェレカの文明だけではハイタールを変化させることは出来なかった。或いはシェレカ文明がより洗練され、よりきらびやかであったならば、ハイタールを同化吸収出来たかもしれない。シェレカ文明は消滅はしなかったが明らかに沈滞し、その精彩は衰えた。
ハイタールはシェレカの都市毎には自治させていたがその上から武力で支配し、資源産出場として扱った。特に平原の遊牧民が得難い、鉄と穀物の生産に重きを置かせた。鉄は当然武具に、穀物は兵糧や馬の飼料に使われた。そして、優れた後背地を持つことで"維持力"や"補充力"を得る事に繋がり、遊牧民の戦士の弱点が補強される形となった。
この様相はこれまで歴史に現れてきた奇民族・遊牧民とは異なる段階を示していた。クルディス人の様な半農半牧とも、かつてのテュサゲタイの様な都市民との共生とも、ウラーヴァタグの様な土着による変質とも異なっていた。遊牧民ならではの強みだけでなく、同時に定住国家ならではの強みもまたある程度要素にもつ新しい形の国家として出現したのだった。
ハイタールとはこれまでソグディノ以東の遊牧民諸部族を緩衝地帯として分かたれていたのだが、彼らを攻撃して衰退化させてバラバ王国自身が東に進出してしまっていたために接触することとなった。
異文明同士の接触は不幸の結末を辿ることが多い。ましてや、それが宗教的熱狂も含む拡張主義王国と好戦的な遊牧民国家となれば行き着く先は決まっている。即ち、戦争である。
ハイタール傘下部族の攻撃は度々行われていたが、あくまで辺境の小競り合い程度で済み、中央宮廷でも然して取り上げるべき問題とはなされなかった。それよりもオドニアや西方への拡張の方が重要だった。
本格的な攻撃が始まったのは真歴351年、折しも、トラバス遠征が始まった時のことであった。ハイタール軍は突如としてソグディノ州へ侵入した。その数一万、東方騎馬民族らしくその全てが騎兵である。軽装の弓騎兵、槍も弓も備える重装備の騎兵などからなり、彼らはこれまでバラバ王国が戦ってきた遊牧民軍より遥かに組織として統制がとれた集団であった。
国境沿いの駐屯地を巧みに迂回してソグディノへ入り込んだハイタール軍は各地を略奪しながら州都ケシュカンドへ接近した。補給段列を持たず略奪で物資を得る手法は遊牧民のそれであり、遊牧民軍特有の高機動力を発揮することもハイタール軍には可能だった。
遊牧民の用いる馬は定住国の馬に比べて、必ずしも頑丈でもなければ足が速い訳でもない。純粋な体力としてより長距離を走れるという訳でもなければ、圧倒的に勇猛果敢で怯えを知らないという訳でもない。寧ろ単純な速度や体の作りなら、より良い飼葉や飼料を得られる定住国の軍馬の方が優っている時も珍しくない。
遊牧民の馬の強さは様々な環境に耐える能力にある。粗食に耐え、渇きに耐え、地形の変化に耐え、気候の変化に、音の変化に、────そして、戦闘への変化に耐える力に優っていた。環境という絶えず変化していく要素を乗り越えることができるだけで、ことに戦争という極限状態では優位に立ちやすくなる。これに騎手自身の能力──経路選択や馬の管理──が加わると、更に効果を上げることが出来るのだ。
ソグディノ駐留軍はハイタール軍の動きに対応しきれなかった。ケシュカンドの壁も決して高い訳ではなく、ハイタール軍の攻撃を前に陥落した。ハイタール軍はケシュカンドを支配はせずに略奪だけし、炎と煙に包まれた街を後に進軍を再開した。国境沿いには他のハイタール軍部隊が虎視眈々と侵入の時を見計らい、バラバ軍守備部隊は動くことも出来ずに見ているしかなかった。
ミフルダードは急遽軍勢を召集して東方に投入し、その指揮官にキアラシュを任命した。東方の地勢や遊牧民との戦いをよく知るキアラシュ以上にこの事態を任せるに足る将はホルシードにはいないことをミフルダードも理解はしていた。
352年5月、キアラシュは3万の兵を与えられて東方へ向かった。名将の赴任にバラバ軍守備隊は活気づき、ケシュカンドの劫掠に消沈していたソグディノ諸勢力も勇気を取り戻した。
しかし、ハイタール軍との戦いはキアラシュの指揮でも苦戦を強いられた。それはハイタール軍の武具が今までの遊牧民軍のそれより強力であったこともあるが、何より組織的機動が可能となったハイタール軍を戦略的劣勢に追い込むことが困難になったからだ。従来の遊牧民は勇敢な戦士であるが、一方で軍に属する兵ではないという性質が強く、余程強力な指導者に統率されていなければ挑発や欲求に非常に乗せられやすかった。その分、相手側からすれば誘導が可能だった。だが、ハイタール軍は、バラバ軍に比べればまだまだ未熟とは言え、命令に服する兵士という性質を濃くさせていた為に誘導の難しい厄介な敵と化していた。勿論、遊牧民軍としての勇敢さや強みは失っていない。
また、ハイタール軍はソグディノ各地を動き略奪して回って物資を補充しているが、キアラシュらバラバ軍はそういう訳にはいかない。後方から補給部隊を連れて長々と兵站線を確保するが大軍の要する物資全てを賄うことは難しく、足りない分はソグディノのような遠方地でも現地からの徴収で充当するしかない。戦いに時間がかかり物資が不足すれば、軍勢を維持するという短期的な目的は勿論のこと、ソグディノの維持――敵にも味方にも物資を奪われ続けることが忠誠の維持につながる訳がない――という長期的な目的にも支障をきたしかねなかった。ハイタール軍は行動を続けているだけでバラバ軍の兵站を圧迫することも出来たのだ。
キアラシュは意を決して能動的作戦を実行に移すことにした。高度な組織・運営能力が必要な作戦であるが、自身と選び抜いてきた幕僚達なら可能だという自身を裏付けとしていた。それはかつてクシアスがアルサメス朝との戦いで行ったような腕木通信や伝書鳩など特殊通信設備を駆使する作戦だった。キアラシュは遊牧民との戦いにも有用と理解し、以前からソグディノ各地の街や駐屯地にこれらの通信設備を整備させていたのだが、今こそその真価を発揮させるときと至った。
大変な苦労は必要だったが、バラバ軍はハイタール軍の動きを掴み、キアラシュは騎兵部隊を集中投入して敵軍を効果的に追撃することが出来た。この時、ヴォロガセスという棟梁 が情報収集・偵察に大いに活躍した。
ハイタール軍は数でも勝り、動きの良くなったバラバ軍を警戒し、戦闘を回避して動き続けた。しかし、ハイタール軍の動きはキアラシュに巧みに操られたもので、彼らはバラバ軍歩兵部隊の待ち構える場所に誘い込まれていった。追い込まれた事に気づいたときにはハイタール軍は既に袋の鼠であった。死中に活を見出すしかなかったハイタール軍は果敢に攻勢に出るが、今までの苦戦のお返しとばかりに激しく戦ったバラバ軍に粉砕された。ハイタール軍は一兵も逃れられず、その全てが討ち死にするか虜囚となった。
国境沿いのハイタール軍は今の所はもう戦い意味がないとばかりに引き上げ、バラバ軍守備隊は安堵の息をついた。ソグディノ住民は救い主のキアラシュを讃えたが、彼らが受けた戦争の被害は甚大だった。キアラシュにとってはソグディノ住民の支持を上昇させられただけまだ良かったかもしれないが、ミフルダードやバラバ王国にとっては得るものの殆どない戦いだった。
そして何より、打ち破るのが困難な組織的遊牧民軍という強敵が東方に現れたこと、東への守りに莫大な費用を投じければならなくなってしまったことを嫌でも思い知らされたのだった。
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西方ではトラバス侵攻は留まっていたが、行動が無かった訳ではない。
ティリダテスは熱心にトラバス諸国への調略と交渉を続けていた。本格的な軍事行動ではなかったものの、投じた労力と費用は決して劣るものではない。
またトラバス本土への軍事行動には踏み出していなかっただけで、周辺地域へは兵を送っていた。無傷の艦隊を用いてホルシードとの中間に位置するテマキスモス諸島を服属させ、海路安定や輸送交易等の中継地を確保した。また政治的宣伝として、バラバ王国が単なる侵略者ではないと示すべく、トラエスクスへも兵を出した地方。トラエスクス人はトラバス人とは友好とも敵対とも言えない関係性で、交易しつつも度々略奪行に出ていたぎ、これを討伐し、トラバスへの攻撃を停止させた。
ティリダテスの交渉・調略重視姿勢は当初は柔弱とトラバス人に受け取られたが、熱心に継続に、バラバ軍の威容という背景も加わると効果が明らかになってきていた。人間が言葉により社会を形成している以上、対話の継続とは無視しえない威力を発揮するものである。
本格的な再侵攻に移ったのはキアラシュがハイタール軍を撃破して後である。
真歴354年、ティリダテスらバラバ軍は本土からの増援を受け、総勢5万の兵力をもってトラバス本土への本格的な攻撃を再開した。この軍勢にはバラバ側についたトラバス兵4千も含まれている。海上からは帆船含めて艦隊四百隻が援護、物資輸送を務めた。
バラバ軍の二度目の進撃速度は速かった。対抗 連盟諸都市はバラバ軍の猛攻とティリダテスの調略で次々と陥落、幸福していった。既にバラバ側についたトラバス人も調略に加わり、成功率を上昇させていた。
そして、対抗 連盟の盟主オリオン市も遂にバラバ軍の前に屈した。内部で政権争いも発生し、反バラバ派はカリュドンへ亡命を余儀なくされた。オリオン市の陥落で対抗 連盟は事実上崩壊し、残る加盟都市もその殆どがバラバ側に与することを選択した。
バラバ軍の侵攻がこれほどの快進撃を達成できたのは、トラバス側の主力であるゼスメル軍の動きが鈍かったことも大きかった。
というのも、この時ゼスメル軍は多方面戦闘を強いられ、兵力を分散せざるを得ない状態にあったからだった。
トラバス諸国のもう一つの雄ドラナ市はバラバ王国の侵攻という事態を前にして、無論相応の警戒を抱いていたものの──特に海洋交易権──、尚古くからの競合国ゼスメルを弱める機と感じていた。市民による民会が政策を決める電撃トラバス都市国家であるドラナ市では市民の感情により政策・政権が左右され易く、バラバ王国より近いゼスメルへの敵意が方がまだ勝っていた。
但し全面衝突までは考えていないドラナ市は緩衝国クレオナイに軍資金を渡して戦争をけしかけさせた。ゼスメルの圧力を古来受け続けていたクレオナイにとっては、ドラナ以上にその感情は強かった。
アギス王らゼスメル軍は西から攻めるクレオナイ軍に対応し、沿岸部を荒らすバラバ艦隊の迎撃もし、その上でバラバ本軍に立ち向かわなければならないという不利な態勢にあった。
アギスが漸く軍を率いてバラバ本軍との戦いに赴けた時には既にカリュドンが前線と化していた。
ゼスメル・カリュドン連合軍はバラバ軍との会戦に突入するが、数で勝り勢いにも乗るバラバ軍に敗北を喫する。ゼスメル軍は態勢を整える為に後退し、カリュドンは包囲され苛酷な防衛戦を強いられる。
トラバス人がこの危機を乗り越えるには、最早何としてでもドラナ市を動かすしかなかった。エウクラティデスは捕縛を逃れて単身ドラナ市に向かい、交渉に尽力した。エウクラティデスが選んだのはニキアスという男で、ドラナ有数の富豪だった。彼は極めて野心的な権勢家だが、現実もよく理解する力があった。ニキアスはエウクラティデスの言を是とし、早速ドラナ民会の説得に動いた。
ニキアスは財を惜しまず"説得"に励み、得意の弁舌を駆使して民会の流れを変えた。ドラナ市民自身もバラバ王国の脅威から今までは目を背けていただけかもしれない。ドラナ市はゼスメルとの対バラバ同盟の締結を決定した。アギス王はドラナ市が同盟締結を受け入れたことに驚きつつも、計画の成功を喜んだ。
ドラナ市から話を付けられたクレオナイ市もゼスメル攻撃を停止し、軋轢はあろうが、同盟に加わった。
エウクラティデスはニキアスに接触した直後には他の有力都市を同盟に引き込もうと動き、ドラナを離れていた。パルフォス島のエピュダレス市、リンドーン島のイアネス市に対して、ドラナ市が対バラバ同盟に参加する前提で外交交渉を進めた。共に豊かな都市で、陸海共に強大な軍隊を保有している。エウクラティデスにはドラナ市が同盟に加わる確信があったのだろうが、全く博打的な交渉術であった。
エピュダレス市は既にバラバ艦隊の襲撃も受けており、エウクラティデスの誘いに乗った。イアネス市はバラバ王国傘下のフォカニア勢との本格的にことは構えたくないが牽制もしたいという消極的状況から物資と資金提供のみ行った。
こうして結成された対バラバ同盟を、エウクラティデスは"隣保同盟 "と呼んだ。これは汎トラバス的性質を持つ同盟で、理念上のみ、或いは神話の中にしか存在しない概念であったが、ゼスメル・ドラナを中心とする同盟成立によって遂に現実に姿を現したのであった。そして、神々への誓約という建前を持たせることで対立しがちなトラバス人同士を結び付けようというのがエウクラティデスの狙いだった。"隣保同盟 "の主座はシグ島の神殿に置かれる事となった。
このトラバス側の動きにティリダテスも手をこまねいて見ていた訳ではない。トラバス諸国軍との決戦の下準備に、艦隊を動かしてトラバス沿岸部攻撃を進めると共に、先ず包囲中のカリュドンを攻略せんと総攻撃を掛けた。
バラバ軍のカリュドン攻撃は激しく、城壁が突破される寸前まで至った。しかし、交渉を終えたエウクラティデスが舞い戻り、市民を鼓舞し、士気を回復したカリュドン軍の反撃でバラバ軍の総攻撃は頓挫した。
結果として、カリュドンの奮戦はバラバ軍の足を止め、"隣保同盟 "軍の到着までの時間を稼ぐ事が出来た。
トラバス軍主力の到着を受けたバラバ軍は様々な意見が噴出し、方針を二転三転させてしまう。というのも、ラクスス派とキアラシュ派だけでなく、トラバス遠征の中で生まれた幾つもの派閥争いの末、互いにいがみ合い、連携を取れずにいたからだった。そして、ティリダテスはトラバス軍との決戦とカリュドン攻撃を同時に行う二正面作戦を採用してしまう。その決定が如何なる結果を導き出すのか、すぐに答えは分かるだろう。
カリュドン近郊の平野部に両軍は布陣した。
トラバスの隣保同盟 軍は計2万5千からなり、総大将はアギス、副将はニキアスが務めた。右翼からゼスメル軍騎兵5百騎、アカルナニア騎兵1千騎、決定者 "重装歩兵5千、"従属民 "重装歩兵8千、クレオナイ軍重装歩兵1千7百、ドラナ軍重装歩兵8千、ドラナ軍騎兵3百騎が配置された。
前衛には少数のゼスメル正規兵に指揮された"従属民 "軽装歩兵3千5百──、後衛にはドラナ軍軽装歩兵2千、クレオナイ騎兵1百騎と軽装歩兵2百が展開した。
カリュドン市内には武器を持てる者をかき集めて3千人が防御を続けている。
バラバ軍本隊3万5千は三列に陣を敷き、それぞれ左翼・中央・右翼に別れた。
前衛は左翼からディリュア軍管区郷土衆兵団 歩兵4千、ディリュア軍管区・ウェロス西軍管区郷土衆兵団 騎兵2千騎、ウェロス西軍管区郷土衆兵団 歩兵5千、バラバ派のトラバス重装歩兵3千。
中央列は左翼から、ウェロス西軍管区正規兵団 の騎兵旅団 2千騎、ディリュア軍管区・ウェロス西軍管区正規兵団 の戦弓射手 と重戦列兵 1万4千、ディリュア軍管区正規兵団 の騎兵旅団 2千騎。
後衛は左翼から、ゴンディノ軍管区正規兵団 の騎兵旅団 5百騎、ゴンディノ軍管区・正規兵団 の戦弓射手 と重戦列兵 5千、ミフルダードから借り渡された近衛軍 1百騎、不死隊 5百、各騎兵旅団 から抽出した装甲騎兵 5百騎。
そして、カリュドン包囲に歩兵1万、他に地方派遣部隊、物資徴発隊や襲撃部隊として5千──トラバス兵2千を含む──が在った。
緒戦ではトラバス軍前衛の軽装歩兵は数でも質でも勝るバラバ軍前衛にはね除けられたが、続くトラバス軍本隊との交戦では、トラバス重装歩兵の威力が発揮された。バラバ側のトラバス兵が戦意に乏しいこともあり、バラバ軍前衛が逆に弾き返され、両軍中央列の主力同士がぶつかり合う形となった。
トラバス最強のゼスメル兵はアカルナニア騎兵の援護も受け、バラバ軍に優勢に立ち回っていた。ドラナ軍もバラバ軍の騎兵旅団 相手にも退かずに互角の戦況を見せた。
しかし、中央部に布陣するクレオナイ軍は戦弓射手 の斉射に射竦められ、損害を増していた。まだトラバス軍の戦列は保たれているが、クレオナイ軍が崩れればゼスメル・ドラナ両軍は分断されることとなる。トラバス軍の予備には軽装兵しかおらず、戦列を穴埋めするには頼りなかった。更に、バラバ軍には勇名を以て為る"装甲騎兵 "が控えており、近衛部隊も無傷で存在している。
状況は決してトラバス側に傾いている訳ではなかった。
アギスは一計を案じた。ドラナのニキアスやクレオナイ勢にもある程度作戦は伝えているが、実行には言外の協同、呼吸を合わせる必要があった。ただ、アギスはニキアスならば合わせられると確信していた。
アギスは作戦の前段階として、ゼスメル軍に攻勢が命じた。ゼスメル歩兵の攻撃は激しく、バラバ軍左翼は押し込められていった。ティリダテスは慌てて後衛の正規兵団 歩兵隊を投入し、戦線を押し返させた。
ゼスメル軍の勇戦とは対照的に、クレオナイ軍はバラバ軍に圧され、後退を続けていた。陣列に切れ目が出来る寸前の状態に見えた。
ティリダテスは中央列部隊だけでクレオナイ軍を突破できそうな状態だと判断し、トラバス軍中央部への攻撃を命じた。ゼスメル軍の猛攻を見て、尚のことその方面での優勢が彼の目を引いた。
そして、バラバ軍は遂にクレオナイ軍を押し退け、トラバス軍の戦列を分断した───その瞬間である。アギス直属のゼスメル精鋭部隊とニキアスが送り出したドラナ選抜兵が戦列に飛び込んだ。
しかし、彼らの目的は千切れた戦列の穴埋めではない。戦列の連結が薄くなったのはバラバ軍の方も実は同じでらクレオナイ軍を押し退けたことで突出した部隊と他の部隊との間隙を狙うのがアギスの作戦だった。歩兵隊を引きずり出して敵後衛を手薄にするのも作戦の内で、更に敵最強の戦力"装甲騎兵 "が動く前に戦況を決定付けようという狙いもあった。
この局面において、先手を取られて懐に入り込まれた"装甲騎兵 "は事実その強みを活かせず、ただの騎兵以上の役割は果たせなかった。
想定外の事態に流石に狼狽するティリダテスは近衛軍 や不死隊 らに守られて急いで撤退した。大将不在でもバラバ軍はよく戦ったが既に鄒勢はトラバス軍の方に傾いていており、バラバ軍は撤退に移らざるを得なかった。
カリュドン市を包囲するバラバ軍部隊も追い払い、トラバス軍は辛くも勝利を手にした。。
カリュドンで陸軍が会戦に至っていた間、海上でも両軍の戦いは発生していた。
ドラナ市はトラバス最大の海軍を保有し、同じく同盟構成国のエピュダレス市も強力な艦隊を持つ。彼らは海上から攻撃するバラバ艦隊を阻むべく、積極的に攻撃を仕掛けた。
メリヒコス島沖で両軍艦隊は戦闘を突入した。ドラナ艦隊100隻、エピュダレス艦隊30隻、バラバ艦隊150隻という大規模な海戦である。
トラバス海軍はドラナ人のステシラオスが指揮した。彼はニキアスとは政治的に対立していたが、有能な指揮官で、ニキアスたっての推薦で艦隊指揮を任されていた。
トラバス艦隊はフォカニア式から発展した三段櫂船 と呼ばれる有櫂軍船で、船首に衝角と呼ばれる構造を持ち、これを用いた敵船への突撃を主戦法とする。
トラバス艦隊の衝角突撃もまた、陸上での重装歩兵戦術と同様にバラバ軍にとって異質な戦法であった。トラバス人と接触を持つフォカニア人はこの戦法を警戒していたが、ホルシード本土の将兵は侮っていた。
残念ながらその代償は高くついた。トラバス艦隊の攻撃を前にバラバ艦隊は次々と沈められるか、行動不能に陥った。バラバ側も切り込み戦闘や弓矢での攻撃で果敢に反撃するが、機動力と攻撃力を同時に発現出来る衝角突撃戦法の方が上回った。
メリヒコスの海戦もまたトラバス軍が勝利を手にした。
陸海双方でトラバス勢は何とか勝利を収め、バラバ王国の二度目の侵略を防いだ。とは言え、トラバス北部はバラバの掌握下にあり、彼らの意欲はまだ挫けたとは言えない状態であった。
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ミフルダードの大望を果たす為、バラバ王国は東方、オドニア、トラバスなど各地で戦争を繰り広げていた。戦いは勝とうが負けようが多額の資金が必要になるもので、オドニアの様な豊かな地の略奪ならある程度は補填できるだろうが、東方の草原など取っても利は少ない。超大国バラバ王国といえど、長期間に渡る多方面戦争の負担は大きなものになりつつあった。
この費用の増大はミフルダードが単なる侵攻だけでなく、征服と恒常的な支配を望んでいた為に、飛躍的な高まりを見せていた。
そして、巨大な財源を必要としたミフルダードは複数の新税を創設した。それらは総称して"聖戦税 "と呼ばれた。
文字通り、神聖なるバラバ王国の拡大の為の税であり、神殿や神官勢力にも例外なく課せられた。勿論、課税には多くの不満が発生したが、ジェタ統原理のある種の"悪用"によって民衆の不満は抑え込まれた。
多くは収入に対する定率税として創設されたが、実際には臨時税や人頭税として乱発され、後々の世に渡り為政者にとって都合の良い財源として用いられていくこととなる。
このミフルダードの政策を支え実行に移させたのは大宰相 シュファウテスや王筆館 の知事 達である。
大貴族出身のシュファウテスはミフルダードの娘婿で、娘を嫁がせられるだけあり王の信頼も厚い。実務にも調整にも長け、大宰相 として十二分の人材であるが、独創性や想像力には残念ながら欠けるところがある。
知事達の中でも特筆して才を見せたのはハルフベドという男だった。彼はセパ―ハーン生まれの元下層民で、幼少期に巡幸中のクシアスに才を見出され王筆館 への入学が許されたのだった。クシアスの見立て通り、彼は急速に文官としての能力を身に付け、特に弁舌に優れた能を発揮した。その才から話手 という渾名を得、最早本人も公的にそちらを名乗るようになった。その生い立ちや経歴から数多の妬みや蔑視を受けてきたが、それに匹敵するほどの支持者と派閥も獲得している。
これら"聖戦税 "の一環という名目で、豊かなオドニアから大規模な徴収が計画された。繰り返すが、土地自体も豊かであるし、未だ各地の都市や神殿には多量の財物が蓄えられている。
しかし、この動きにキアラシュが強く反対した。オドニアは征服の立役者であるキアラシュの縄張りでもあり、その地の力を弱めるのは望むところではなく、また、平定・統治の点でも徴収を進めるのは先年のような動乱を再び招くだけであると考えていたからだ。勿論、キアラシュの懸念自体は当然のものであるが、大王ミフルダードにとってはそれは二の次の問題でしかない。王族ではない家臣達もミフルダードがそうだと言えばするしかないのだった。
結局キアラシュの反対は押し込められるが、公然と反対意見を出してきた叔父の態度はミフルダードの勘気に触れた。ミフルダードは激情のまま、叔父から権限や土地の没収をしようと意気込んだ。
キアラシュが強硬な態度に出たのには、彼自身の勲功での慢心はあったろうが、加えて対抗馬だったラクスス派が弱体化したことも影響していた。
国軍総帥 ラクススは体調を崩して第二次トラバス遠征中に死去し、次の国軍総帥 にはルサシデス将軍が選出されていた。
ルサシデスは他の例にもれずホルシードを代表する大貴族出身で、元々はラクスス派筆頭の将軍だった。しかし、ラクススの体調が思わしくないことを知ると密かに勢力切り崩しに走り、旧ラクスス派の過半をもぎ取って自派閥とし、その力を背景に国軍総帥 の地位を獲得したのだった。彼はラクススから乗り換えたフラアテスと共同体制をとる一方でキアラシュとも決して敵対はせず、上手く勢力を保たせた。
ただし、その経緯からラクススの息子ハルパゴスとの仲は険悪で、ラクススの縁者であったマエサデス家門との関係もまた緊張状態となった。
宮廷内の不和を執り成し上手く軌道に乗せたのは王累フラアテスだった。フラアテスは数多の経験と人脈を得て、今や小賢しい宮廷闘争者の枠を超え、大政治家になり遂げていた。また、フラアテスは必要だった西方権益に食い込み、ラクスス派からルサシデスに乗り換えるなど、自身の権勢を強める策動にも手抜かりはなかった。
しかし、大王 と最も功績ある王族将軍との間の亀裂が目立って現れた事実が、王国にとって喜ばしい道を敷く訳がなかった。
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ミフルダードは三度のトラバス侵攻を企図していた。彼の心中においてトラバスの抵抗は自らの神聖性への重大な挑戦であると認識するようになっていた。次の遠征には自らも加わる親征とすると語り、宮廷内を騒然とさせた。
その為には膨大な兵力と資金、ある程度の準備期間が必要だった。"聖戦税 "は何よりもこの準備に当たるために徴収が開始されたのだ。
だが、西に目が向くということは東の注視は弱まることになる。バラバ王国の動きを知ったハイタールが再び攻め込んできたのだった。
真歴359年から始まるハイタールの攻撃は先年のそれより規模でも意欲でも上回っており、三千人規模の集団が四か所から同時に攻撃・侵入を果たし、最も防備の弱体となった地点からは更に一万騎の主力軍が侵攻してきた。
ハイタール軍は先の敗北がバラバ軍の通信技術によるところが大きいと理解していた。分隊は通信設備を狙い、一万騎の本隊が都市攻撃や略奪を行うという分担態勢を取った。
この効果は大きく、バラバ軍は後手に回らざるを得なくなった。ソグディノ全土はまたしても戦火に包まれ、バクトラ東部やゲドロシアも略奪に見回れた。
また、バラバ軍が後手に回ったのは、ミフルダードがキアラシュに軍を預けるのを忌避し、指揮系統が統一されないままに増援が漫然と送り込まれていたからであった。
とは言え、ホルシードの中心へ近付けば近付く程、通信網の整備された地域になる。バラバ軍も徐々にハイタール軍に追い付き、損害を与えられるようになった。
この時、またしても活躍したのが棟梁 ヴォロガセスであった。彼は義侠心が篤く、民衆に人気のある典型的な"大親分"だった。部族集団も、それらを統括する他の棟梁 達も彼との繋がりを持ち、事実上複数の部族を束ねるに至っている。更に先の勲功も加わり、非公式にだが東方系部族を主力とする"アルギィ軍管区"を掌握するようになっており、強力な軍勢を影響下に置いていた。無論、中央宮廷からは危険視する声も上がったが、前線地帯を支えている柱であることは確かなこと、肝心のミフルダードがヴォロガセスに好意的で、権勢の強化を是認していた。
ヴォロガセスは独自の情報・人脈でハイタール軍の一部隊を捕捉すると、軍勢を率いてこれを襲撃、撃破した。
文官も動きを見せ、ハルフベドが特に積極的活動した。
彼はハイタール軍の動きが鈍い部隊に目を付けた。戦利品を直接奪える任務ではない為に意欲が低下しているのだろう、というのがハルフベドの見立てであった。ハルフベドの巧みな説得と調略の甲斐もあり、その見立て通りにハイタール軍部隊は買収に応じ、撤退していった。勿論買収費用は安くはないが、まともに軍勢を叩きつけるよりは高くなかった。
ハイタール軍は自軍が追跡され始め、徐々に削られていることを知り、兵を集結させながら後退した。しかし、ハイタール軍本隊の元に集まった部隊は一個のみであった。
何があったのかといぶかしむハイタール軍をバラバ軍が襲い掛かったのはその直後のことであった。
そして、そのバラバ軍先鋒は何とハイタール兵であった。恐るべきことに、ヴォロガセスの侠気と自ら乗り出してきたハルフベドの弁舌と──加えて多額の金貨──に取り込まれ、ハイタール軍の最後の一部隊はバラバ王国に寝返っていたのだった。数で劣り、想定外の事態に追い込まれたハイタール軍は奮戦虚しく粉砕され、残党はソグディノ各地へ散らばった。
結局、ハイタール軍を撃破するのにその年一年が掛かり、残党の掃討と国境地域の固め直しに翌一年を必要とした。
ミフルダードはヴォロガセスにこれらの任を与え、更に軍政両面での権限を持つ官職として"帥司使 "を創設し任命した。
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ハイタールを押し退けたバラバ王国に今度は南の動乱が襲い掛かった。事の主はやはり今度もジャラセーナ王ウラグセーナであった。
先のオドニア戦争以来、ジャラセーナ王国とダホード国はバラバ王国に与したソッティガラ王国と交戦していた。その中、ダホード王ナーガパタは老齢で死に、ダホード国は娘婿となっていたウラグセーナ王に遺贈されることとなった。
不屈の闘士ウラグセーナは盟友にして舅の死に寧ろ奮起し、ソッティガラ王国に対して激しい反撃に打ってでた。戦意の乏しい戦いを続けていたソッティガラ軍は、決して弱兵ではないのだが、ウラグセーナの猛攻に意欲が態勢を崩され、大敗を喫する。
逆転して追い詰められたソッティガラ王国はバラバ王国に救援を求めるが、ハイタール撃退とトラバス遠征に注力してオドニアからも兵を抽出していたバラバ軍は正規兵を出せず、ミフルダードは従属国軍に攻撃を命じた。当然、キアラシュの出馬はさせなかった。
従属国軍2万はジャラセーナ領へ侵攻するが、足並みは全く揃わないばかりか互いに足を引っ張りあい、兵站線も整っていない状態で、反転したウラグセーナ率いるジャラセーナ軍7千に完膚なきまでに叩き潰された。
この敗北はバラバ軍の侵攻よりも致命的で、有力者が多数討死し、オドニア諸従属国の軍勢はほぼ機能を喪失した。
ウラグセーナはオドニア諸国への攻撃を進めながら、その不屈ぶりを更に示す行動を見せた。彼は戦争を部下に任せ、西の山脈を少数の随行と共に越え、マスカス地方に入った。この地の首長や有力者を説き伏せ、海上からバラバ王国を襲わせることを目的としていた。
マスカス地方はゲルメズ海東岸一帯を指し、多数の首長や都市が割拠している。マスカス地方が土地としては豊かな農地はないこともあり、これらの勢力は陸海の交易に従事し、それと同じ程に海賊行為に従じていた。
マスカス人はバラバ王国を交易相手としながらも、ゲルメズ海交易を巡って争ってもいた。特に海賊行為はマスカス人の主要産業かつ伝統でもあり、彼らも海賊行為をし合うことを前提に社会体制を構築していた。それを抑制し討伐しようとするバラバ王国に反発する機運も高まりつつあったのだ。マスカス諸勢力は不屈のウラグセーナに好意的で、彼の説得を受け入れて大々的にゲルメズ海に兵を繰り出した。
マスカス人の攻撃の主対象に選ばれたのは対岸のミスル、そして北岸のハレブである。
ミスルは言うまでもなく財も土地も豊かで、マスカス人は予てから襲撃を繰り返していた。ミスルは元々前線から遠い為にペーローズ朝時代から兵の数は少なく、更にゲルメズ海沿岸はフォカニア人のいるトランクィルス海側に比べて防備は弱かった。ミフルダードの遠征準備で兵が引き抜かれていた事もあってマスカス人の攻撃をミスル諸地方は防げなかった。
ハレブはマスカス同様に豊かではないが交易の中継地点として重要な土地であったが、ミスルとは違い、都市を狙ったマスカス攻撃は然程の成功を見せなかった。ハレブ太守にしてナバタエ系民の長マアムーンが素早く兵を率いてこれを撃退したのだった。軍管区司令 が動けた頃にはハレブからマスカス人の軍兵は押し返されていた。
マアムーンはそこから独断で兵を動かし、ミスル地方への救援に赴いた。ミスルの諸官はこれに不満を示したが、剛毅な勇者マアムーンは一喝して寧ろ支援を取り付けさせた。ハレブ兵の反撃はミスルでも効果的に進み、マスカス人海賊首魁の一人はマアムーン自身の手で打ち取られた。だが、海上に逃げられるとハレブ兵も追い掛けることはできず、マスカス人の撤退はそれ以上阻止できなかった。
マスカス人の攻撃が撃退された頃にはウラグセーナはオドニアに戻り、侵攻作戦の指揮を執り直していた。オドニア諸国は先の敗戦以降、ジャラセーナ軍に押され続けていた。主要都市も次々に陥落し、クーマラ王国もジャラセーナ側に寝返り、オドニア北西部は殆どウラグセーナの掌中に収められていた。
ウラグセーナは戦争に躊躇しない闘士だが、現実的な外交手腕も優れていた。彼はミフルダードに和睦を求めた。バラバ王国の宗主権は受け入れ、征服地の半ばを返還する代わりに、全ジャラセーナ領、ソッティガラ領、旧ザプラーナー朝系小王国群領をウラグセーナのものと認めさせようとした。
ミフルダードは憤り、ウラグセーナ討伐の意欲は十分にあったが、それよりもトラバス攻撃を優先した。いずれウラグセーナを打ち破るとして、今はやむを得ないと考えた。また、オドニアがキアラシュの縄張りであったことも間違いなくミフルダードの判断に影響していた。
ミフルダードはウラグセーナの和睦案を受け入れ、オドニア北西部の半ばはウラグセーナの領土となった。加えて、クーマラ王国、カセエラ王国も旧領回復を果たし、立役者のウラグセーナを盟主とする同盟結成を受け入れた。
もし、攻めるのであれば、トラバスよりもバラバ王国にとって重要な財源であるオドニアの方をこそ攻めとるべきだったのだろうが、政治的・軍事的要求より常に感情的要求が優先されるのである。
その反動として、ミフルダードは勝利を遂げたハレブのマアムーンを大いに賞賛し、彼に過剰な程に報いた。
マアムーンは旧ペーローズ朝の裔姫ナーヒードの血を引く。その血統は第二王朝初代クシアスにより王族としても、"ジェタ統"としても外されていた。驚くべき事に、ミフルダードはマアムーンを同じ血を引く同胞と認め、その血統が"ジェタの一族"であると認めたのだった。
血統に関する決定だけは、どうあっても家臣には口出しすることはできない。王族の増加は取りも直さず王位についての混乱を生むことに繋がりかねないが、それは後の話である。
また、ミフルダードはマアムーンを"帥司使 "に任命し、南部方面での政戦の権限が付与された。
ミフルダードはハレブ風の流儀や文化にも好意を見せ、以後、宮廷を通じて全国に徐々にハレブ風の名前や流儀も広まっていくこととなる。
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バラバ王国の支配する"全ホルシード"は大陸の丁度中央に位置する地域で、当然ながら大陸には他にも多くの地域がある。南東にはオドニアが、西にはトランクィルス海の島々とトラバスがあり、その先には更に別の地が広がっている。ソグディノと東の平原もそこが世界の端ではなく、大陸極東にはまた異なる文明が築かれているのである。
大陸東部は"
北東部に広がる平原の地には騎馬遊牧民が住まい、度々シェレカに侵入し略奪を繰り返していた。そして、真歴300年頃、遊牧民ハイタール族は単なる略奪では済まさず、この地を征服した。
この事自体はホルシードでもクルディス人の侵略という形で類似して現れていたが、半農半牧のクルディス人はすぐに同化した為にホルシード文明を賃貸させることはなかった。しかしながら、この極東の地では攻め込んできたのが生粋の騎馬遊牧民で、シェレカを資源地としか認識していなかったのが運の尽きだった。
シェレカの文明だけではハイタールを変化させることは出来なかった。或いはシェレカ文明がより洗練され、よりきらびやかであったならば、ハイタールを同化吸収出来たかもしれない。シェレカ文明は消滅はしなかったが明らかに沈滞し、その精彩は衰えた。
ハイタールはシェレカの都市毎には自治させていたがその上から武力で支配し、資源産出場として扱った。特に平原の遊牧民が得難い、鉄と穀物の生産に重きを置かせた。鉄は当然武具に、穀物は兵糧や馬の飼料に使われた。そして、優れた後背地を持つことで"維持力"や"補充力"を得る事に繋がり、遊牧民の戦士の弱点が補強される形となった。
この様相はこれまで歴史に現れてきた奇民族・遊牧民とは異なる段階を示していた。クルディス人の様な半農半牧とも、かつてのテュサゲタイの様な都市民との共生とも、ウラーヴァタグの様な土着による変質とも異なっていた。遊牧民ならではの強みだけでなく、同時に定住国家ならではの強みもまたある程度要素にもつ新しい形の国家として出現したのだった。
ハイタールとはこれまでソグディノ以東の遊牧民諸部族を緩衝地帯として分かたれていたのだが、彼らを攻撃して衰退化させてバラバ王国自身が東に進出してしまっていたために接触することとなった。
異文明同士の接触は不幸の結末を辿ることが多い。ましてや、それが宗教的熱狂も含む拡張主義王国と好戦的な遊牧民国家となれば行き着く先は決まっている。即ち、戦争である。
ハイタール傘下部族の攻撃は度々行われていたが、あくまで辺境の小競り合い程度で済み、中央宮廷でも然して取り上げるべき問題とはなされなかった。それよりもオドニアや西方への拡張の方が重要だった。
本格的な攻撃が始まったのは真歴351年、折しも、トラバス遠征が始まった時のことであった。ハイタール軍は突如としてソグディノ州へ侵入した。その数一万、東方騎馬民族らしくその全てが騎兵である。軽装の弓騎兵、槍も弓も備える重装備の騎兵などからなり、彼らはこれまでバラバ王国が戦ってきた遊牧民軍より遥かに組織として統制がとれた集団であった。
国境沿いの駐屯地を巧みに迂回してソグディノへ入り込んだハイタール軍は各地を略奪しながら州都ケシュカンドへ接近した。補給段列を持たず略奪で物資を得る手法は遊牧民のそれであり、遊牧民軍特有の高機動力を発揮することもハイタール軍には可能だった。
遊牧民の用いる馬は定住国の馬に比べて、必ずしも頑丈でもなければ足が速い訳でもない。純粋な体力としてより長距離を走れるという訳でもなければ、圧倒的に勇猛果敢で怯えを知らないという訳でもない。寧ろ単純な速度や体の作りなら、より良い飼葉や飼料を得られる定住国の軍馬の方が優っている時も珍しくない。
遊牧民の馬の強さは様々な環境に耐える能力にある。粗食に耐え、渇きに耐え、地形の変化に耐え、気候の変化に、音の変化に、────そして、戦闘への変化に耐える力に優っていた。環境という絶えず変化していく要素を乗り越えることができるだけで、ことに戦争という極限状態では優位に立ちやすくなる。これに騎手自身の能力──経路選択や馬の管理──が加わると、更に効果を上げることが出来るのだ。
ソグディノ駐留軍はハイタール軍の動きに対応しきれなかった。ケシュカンドの壁も決して高い訳ではなく、ハイタール軍の攻撃を前に陥落した。ハイタール軍はケシュカンドを支配はせずに略奪だけし、炎と煙に包まれた街を後に進軍を再開した。国境沿いには他のハイタール軍部隊が虎視眈々と侵入の時を見計らい、バラバ軍守備部隊は動くことも出来ずに見ているしかなかった。
ミフルダードは急遽軍勢を召集して東方に投入し、その指揮官にキアラシュを任命した。東方の地勢や遊牧民との戦いをよく知るキアラシュ以上にこの事態を任せるに足る将はホルシードにはいないことをミフルダードも理解はしていた。
352年5月、キアラシュは3万の兵を与えられて東方へ向かった。名将の赴任にバラバ軍守備隊は活気づき、ケシュカンドの劫掠に消沈していたソグディノ諸勢力も勇気を取り戻した。
しかし、ハイタール軍との戦いはキアラシュの指揮でも苦戦を強いられた。それはハイタール軍の武具が今までの遊牧民軍のそれより強力であったこともあるが、何より組織的機動が可能となったハイタール軍を戦略的劣勢に追い込むことが困難になったからだ。従来の遊牧民は勇敢な戦士であるが、一方で軍に属する兵ではないという性質が強く、余程強力な指導者に統率されていなければ挑発や欲求に非常に乗せられやすかった。その分、相手側からすれば誘導が可能だった。だが、ハイタール軍は、バラバ軍に比べればまだまだ未熟とは言え、命令に服する兵士という性質を濃くさせていた為に誘導の難しい厄介な敵と化していた。勿論、遊牧民軍としての勇敢さや強みは失っていない。
また、ハイタール軍はソグディノ各地を動き略奪して回って物資を補充しているが、キアラシュらバラバ軍はそういう訳にはいかない。後方から補給部隊を連れて長々と兵站線を確保するが大軍の要する物資全てを賄うことは難しく、足りない分はソグディノのような遠方地でも現地からの徴収で充当するしかない。戦いに時間がかかり物資が不足すれば、軍勢を維持するという短期的な目的は勿論のこと、ソグディノの維持――敵にも味方にも物資を奪われ続けることが忠誠の維持につながる訳がない――という長期的な目的にも支障をきたしかねなかった。ハイタール軍は行動を続けているだけでバラバ軍の兵站を圧迫することも出来たのだ。
キアラシュは意を決して能動的作戦を実行に移すことにした。高度な組織・運営能力が必要な作戦であるが、自身と選び抜いてきた幕僚達なら可能だという自身を裏付けとしていた。それはかつてクシアスがアルサメス朝との戦いで行ったような腕木通信や伝書鳩など特殊通信設備を駆使する作戦だった。キアラシュは遊牧民との戦いにも有用と理解し、以前からソグディノ各地の街や駐屯地にこれらの通信設備を整備させていたのだが、今こそその真価を発揮させるときと至った。
大変な苦労は必要だったが、バラバ軍はハイタール軍の動きを掴み、キアラシュは騎兵部隊を集中投入して敵軍を効果的に追撃することが出来た。この時、ヴォロガセスという
ハイタール軍は数でも勝り、動きの良くなったバラバ軍を警戒し、戦闘を回避して動き続けた。しかし、ハイタール軍の動きはキアラシュに巧みに操られたもので、彼らはバラバ軍歩兵部隊の待ち構える場所に誘い込まれていった。追い込まれた事に気づいたときにはハイタール軍は既に袋の鼠であった。死中に活を見出すしかなかったハイタール軍は果敢に攻勢に出るが、今までの苦戦のお返しとばかりに激しく戦ったバラバ軍に粉砕された。ハイタール軍は一兵も逃れられず、その全てが討ち死にするか虜囚となった。
国境沿いのハイタール軍は今の所はもう戦い意味がないとばかりに引き上げ、バラバ軍守備隊は安堵の息をついた。ソグディノ住民は救い主のキアラシュを讃えたが、彼らが受けた戦争の被害は甚大だった。キアラシュにとってはソグディノ住民の支持を上昇させられただけまだ良かったかもしれないが、ミフルダードやバラバ王国にとっては得るものの殆どない戦いだった。
そして何より、打ち破るのが困難な組織的遊牧民軍という強敵が東方に現れたこと、東への守りに莫大な費用を投じければならなくなってしまったことを嫌でも思い知らされたのだった。
◆ ◆ ◆
西方ではトラバス侵攻は留まっていたが、行動が無かった訳ではない。
ティリダテスは熱心にトラバス諸国への調略と交渉を続けていた。本格的な軍事行動ではなかったものの、投じた労力と費用は決して劣るものではない。
またトラバス本土への軍事行動には踏み出していなかっただけで、周辺地域へは兵を送っていた。無傷の艦隊を用いてホルシードとの中間に位置するテマキスモス諸島を服属させ、海路安定や輸送交易等の中継地を確保した。また政治的宣伝として、バラバ王国が単なる侵略者ではないと示すべく、トラエスクスへも兵を出した地方。トラエスクス人はトラバス人とは友好とも敵対とも言えない関係性で、交易しつつも度々略奪行に出ていたぎ、これを討伐し、トラバスへの攻撃を停止させた。
ティリダテスの交渉・調略重視姿勢は当初は柔弱とトラバス人に受け取られたが、熱心に継続に、バラバ軍の威容という背景も加わると効果が明らかになってきていた。人間が言葉により社会を形成している以上、対話の継続とは無視しえない威力を発揮するものである。
本格的な再侵攻に移ったのはキアラシュがハイタール軍を撃破して後である。
真歴354年、ティリダテスらバラバ軍は本土からの増援を受け、総勢5万の兵力をもってトラバス本土への本格的な攻撃を再開した。この軍勢にはバラバ側についたトラバス兵4千も含まれている。海上からは帆船含めて艦隊四百隻が援護、物資輸送を務めた。
バラバ軍の二度目の進撃速度は速かった。
そして、
バラバ軍の侵攻がこれほどの快進撃を達成できたのは、トラバス側の主力であるゼスメル軍の動きが鈍かったことも大きかった。
というのも、この時ゼスメル軍は多方面戦闘を強いられ、兵力を分散せざるを得ない状態にあったからだった。
トラバス諸国のもう一つの雄ドラナ市はバラバ王国の侵攻という事態を前にして、無論相応の警戒を抱いていたものの──特に海洋交易権──、尚古くからの競合国ゼスメルを弱める機と感じていた。市民による民会が政策を決める電撃トラバス都市国家であるドラナ市では市民の感情により政策・政権が左右され易く、バラバ王国より近いゼスメルへの敵意が方がまだ勝っていた。
但し全面衝突までは考えていないドラナ市は緩衝国クレオナイに軍資金を渡して戦争をけしかけさせた。ゼスメルの圧力を古来受け続けていたクレオナイにとっては、ドラナ以上にその感情は強かった。
アギス王らゼスメル軍は西から攻めるクレオナイ軍に対応し、沿岸部を荒らすバラバ艦隊の迎撃もし、その上でバラバ本軍に立ち向かわなければならないという不利な態勢にあった。
アギスが漸く軍を率いてバラバ本軍との戦いに赴けた時には既にカリュドンが前線と化していた。
ゼスメル・カリュドン連合軍はバラバ軍との会戦に突入するが、数で勝り勢いにも乗るバラバ軍に敗北を喫する。ゼスメル軍は態勢を整える為に後退し、カリュドンは包囲され苛酷な防衛戦を強いられる。
トラバス人がこの危機を乗り越えるには、最早何としてでもドラナ市を動かすしかなかった。エウクラティデスは捕縛を逃れて単身ドラナ市に向かい、交渉に尽力した。エウクラティデスが選んだのはニキアスという男で、ドラナ有数の富豪だった。彼は極めて野心的な権勢家だが、現実もよく理解する力があった。ニキアスはエウクラティデスの言を是とし、早速ドラナ民会の説得に動いた。
ニキアスは財を惜しまず"説得"に励み、得意の弁舌を駆使して民会の流れを変えた。ドラナ市民自身もバラバ王国の脅威から今までは目を背けていただけかもしれない。ドラナ市はゼスメルとの対バラバ同盟の締結を決定した。アギス王はドラナ市が同盟締結を受け入れたことに驚きつつも、計画の成功を喜んだ。
ドラナ市から話を付けられたクレオナイ市もゼスメル攻撃を停止し、軋轢はあろうが、同盟に加わった。
エウクラティデスはニキアスに接触した直後には他の有力都市を同盟に引き込もうと動き、ドラナを離れていた。パルフォス島のエピュダレス市、リンドーン島のイアネス市に対して、ドラナ市が対バラバ同盟に参加する前提で外交交渉を進めた。共に豊かな都市で、陸海共に強大な軍隊を保有している。エウクラティデスにはドラナ市が同盟に加わる確信があったのだろうが、全く博打的な交渉術であった。
エピュダレス市は既にバラバ艦隊の襲撃も受けており、エウクラティデスの誘いに乗った。イアネス市はバラバ王国傘下のフォカニア勢との本格的にことは構えたくないが牽制もしたいという消極的状況から物資と資金提供のみ行った。
こうして結成された対バラバ同盟を、エウクラティデスは"
このトラバス側の動きにティリダテスも手をこまねいて見ていた訳ではない。トラバス諸国軍との決戦の下準備に、艦隊を動かしてトラバス沿岸部攻撃を進めると共に、先ず包囲中のカリュドンを攻略せんと総攻撃を掛けた。
バラバ軍のカリュドン攻撃は激しく、城壁が突破される寸前まで至った。しかし、交渉を終えたエウクラティデスが舞い戻り、市民を鼓舞し、士気を回復したカリュドン軍の反撃でバラバ軍の総攻撃は頓挫した。
結果として、カリュドンの奮戦はバラバ軍の足を止め、"
トラバス軍主力の到着を受けたバラバ軍は様々な意見が噴出し、方針を二転三転させてしまう。というのも、ラクスス派とキアラシュ派だけでなく、トラバス遠征の中で生まれた幾つもの派閥争いの末、互いにいがみ合い、連携を取れずにいたからだった。そして、ティリダテスはトラバス軍との決戦とカリュドン攻撃を同時に行う二正面作戦を採用してしまう。その決定が如何なる結果を導き出すのか、すぐに答えは分かるだろう。
カリュドン近郊の平野部に両軍は布陣した。
トラバスの
前衛には少数のゼスメル正規兵に指揮された"
カリュドン市内には武器を持てる者をかき集めて3千人が防御を続けている。
バラバ軍本隊3万5千は三列に陣を敷き、それぞれ左翼・中央・右翼に別れた。
前衛は左翼からディリュア軍管区
中央列は左翼から、ウェロス西軍管区
後衛は左翼から、ゴンディノ軍管区
そして、カリュドン包囲に歩兵1万、他に地方派遣部隊、物資徴発隊や襲撃部隊として5千──トラバス兵2千を含む──が在った。
緒戦ではトラバス軍前衛の軽装歩兵は数でも質でも勝るバラバ軍前衛にはね除けられたが、続くトラバス軍本隊との交戦では、トラバス重装歩兵の威力が発揮された。バラバ側のトラバス兵が戦意に乏しいこともあり、バラバ軍前衛が逆に弾き返され、両軍中央列の主力同士がぶつかり合う形となった。
トラバス最強のゼスメル兵はアカルナニア騎兵の援護も受け、バラバ軍に優勢に立ち回っていた。ドラナ軍もバラバ軍の
しかし、中央部に布陣するクレオナイ軍は
状況は決してトラバス側に傾いている訳ではなかった。
アギスは一計を案じた。ドラナのニキアスやクレオナイ勢にもある程度作戦は伝えているが、実行には言外の協同、呼吸を合わせる必要があった。ただ、アギスはニキアスならば合わせられると確信していた。
アギスは作戦の前段階として、ゼスメル軍に攻勢が命じた。ゼスメル歩兵の攻撃は激しく、バラバ軍左翼は押し込められていった。ティリダテスは慌てて後衛の
ゼスメル軍の勇戦とは対照的に、クレオナイ軍はバラバ軍に圧され、後退を続けていた。陣列に切れ目が出来る寸前の状態に見えた。
ティリダテスは中央列部隊だけでクレオナイ軍を突破できそうな状態だと判断し、トラバス軍中央部への攻撃を命じた。ゼスメル軍の猛攻を見て、尚のことその方面での優勢が彼の目を引いた。
そして、バラバ軍は遂にクレオナイ軍を押し退け、トラバス軍の戦列を分断した───その瞬間である。アギス直属のゼスメル精鋭部隊とニキアスが送り出したドラナ選抜兵が戦列に飛び込んだ。
しかし、彼らの目的は千切れた戦列の穴埋めではない。戦列の連結が薄くなったのはバラバ軍の方も実は同じでらクレオナイ軍を押し退けたことで突出した部隊と他の部隊との間隙を狙うのがアギスの作戦だった。歩兵隊を引きずり出して敵後衛を手薄にするのも作戦の内で、更に敵最強の戦力"
この局面において、先手を取られて懐に入り込まれた"
想定外の事態に流石に狼狽するティリダテスは
カリュドン市を包囲するバラバ軍部隊も追い払い、トラバス軍は辛くも勝利を手にした。。
カリュドンで陸軍が会戦に至っていた間、海上でも両軍の戦いは発生していた。
ドラナ市はトラバス最大の海軍を保有し、同じく同盟構成国のエピュダレス市も強力な艦隊を持つ。彼らは海上から攻撃するバラバ艦隊を阻むべく、積極的に攻撃を仕掛けた。
メリヒコス島沖で両軍艦隊は戦闘を突入した。ドラナ艦隊100隻、エピュダレス艦隊30隻、バラバ艦隊150隻という大規模な海戦である。
トラバス海軍はドラナ人のステシラオスが指揮した。彼はニキアスとは政治的に対立していたが、有能な指揮官で、ニキアスたっての推薦で艦隊指揮を任されていた。
トラバス艦隊はフォカニア式から発展した
トラバス艦隊の衝角突撃もまた、陸上での重装歩兵戦術と同様にバラバ軍にとって異質な戦法であった。トラバス人と接触を持つフォカニア人はこの戦法を警戒していたが、ホルシード本土の将兵は侮っていた。
残念ながらその代償は高くついた。トラバス艦隊の攻撃を前にバラバ艦隊は次々と沈められるか、行動不能に陥った。バラバ側も切り込み戦闘や弓矢での攻撃で果敢に反撃するが、機動力と攻撃力を同時に発現出来る衝角突撃戦法の方が上回った。
メリヒコスの海戦もまたトラバス軍が勝利を手にした。
陸海双方でトラバス勢は何とか勝利を収め、バラバ王国の二度目の侵略を防いだ。とは言え、トラバス北部はバラバの掌握下にあり、彼らの意欲はまだ挫けたとは言えない状態であった。
◆ ◆ ◆
ミフルダードの大望を果たす為、バラバ王国は東方、オドニア、トラバスなど各地で戦争を繰り広げていた。戦いは勝とうが負けようが多額の資金が必要になるもので、オドニアの様な豊かな地の略奪ならある程度は補填できるだろうが、東方の草原など取っても利は少ない。超大国バラバ王国といえど、長期間に渡る多方面戦争の負担は大きなものになりつつあった。
この費用の増大はミフルダードが単なる侵攻だけでなく、征服と恒常的な支配を望んでいた為に、飛躍的な高まりを見せていた。
そして、巨大な財源を必要としたミフルダードは複数の新税を創設した。それらは総称して"
文字通り、神聖なるバラバ王国の拡大の為の税であり、神殿や神官勢力にも例外なく課せられた。勿論、課税には多くの不満が発生したが、ジェタ統原理のある種の"悪用"によって民衆の不満は抑え込まれた。
多くは収入に対する定率税として創設されたが、実際には臨時税や人頭税として乱発され、後々の世に渡り為政者にとって都合の良い財源として用いられていくこととなる。
このミフルダードの政策を支え実行に移させたのは
大貴族出身のシュファウテスはミフルダードの娘婿で、娘を嫁がせられるだけあり王の信頼も厚い。実務にも調整にも長け、
知事達の中でも特筆して才を見せたのはハルフベドという男だった。彼はセパ―ハーン生まれの元下層民で、幼少期に巡幸中のクシアスに才を見出され
これら"
しかし、この動きにキアラシュが強く反対した。オドニアは征服の立役者であるキアラシュの縄張りでもあり、その地の力を弱めるのは望むところではなく、また、平定・統治の点でも徴収を進めるのは先年のような動乱を再び招くだけであると考えていたからだ。勿論、キアラシュの懸念自体は当然のものであるが、大王ミフルダードにとってはそれは二の次の問題でしかない。王族ではない家臣達もミフルダードがそうだと言えばするしかないのだった。
結局キアラシュの反対は押し込められるが、公然と反対意見を出してきた叔父の態度はミフルダードの勘気に触れた。ミフルダードは激情のまま、叔父から権限や土地の没収をしようと意気込んだ。
キアラシュが強硬な態度に出たのには、彼自身の勲功での慢心はあったろうが、加えて対抗馬だったラクスス派が弱体化したことも影響していた。
ルサシデスは他の例にもれずホルシードを代表する大貴族出身で、元々はラクスス派筆頭の将軍だった。しかし、ラクススの体調が思わしくないことを知ると密かに勢力切り崩しに走り、旧ラクスス派の過半をもぎ取って自派閥とし、その力を背景に
ただし、その経緯からラクススの息子ハルパゴスとの仲は険悪で、ラクススの縁者であったマエサデス家門との関係もまた緊張状態となった。
宮廷内の不和を執り成し上手く軌道に乗せたのは王累フラアテスだった。フラアテスは数多の経験と人脈を得て、今や小賢しい宮廷闘争者の枠を超え、大政治家になり遂げていた。また、フラアテスは必要だった西方権益に食い込み、ラクスス派からルサシデスに乗り換えるなど、自身の権勢を強める策動にも手抜かりはなかった。
しかし、
◆ ◆ ◆
ミフルダードは三度のトラバス侵攻を企図していた。彼の心中においてトラバスの抵抗は自らの神聖性への重大な挑戦であると認識するようになっていた。次の遠征には自らも加わる親征とすると語り、宮廷内を騒然とさせた。
その為には膨大な兵力と資金、ある程度の準備期間が必要だった。"
だが、西に目が向くということは東の注視は弱まることになる。バラバ王国の動きを知ったハイタールが再び攻め込んできたのだった。
真歴359年から始まるハイタールの攻撃は先年のそれより規模でも意欲でも上回っており、三千人規模の集団が四か所から同時に攻撃・侵入を果たし、最も防備の弱体となった地点からは更に一万騎の主力軍が侵攻してきた。
ハイタール軍は先の敗北がバラバ軍の通信技術によるところが大きいと理解していた。分隊は通信設備を狙い、一万騎の本隊が都市攻撃や略奪を行うという分担態勢を取った。
この効果は大きく、バラバ軍は後手に回らざるを得なくなった。ソグディノ全土はまたしても戦火に包まれ、バクトラ東部やゲドロシアも略奪に見回れた。
また、バラバ軍が後手に回ったのは、ミフルダードがキアラシュに軍を預けるのを忌避し、指揮系統が統一されないままに増援が漫然と送り込まれていたからであった。
とは言え、ホルシードの中心へ近付けば近付く程、通信網の整備された地域になる。バラバ軍も徐々にハイタール軍に追い付き、損害を与えられるようになった。
この時、またしても活躍したのが
ヴォロガセスは独自の情報・人脈でハイタール軍の一部隊を捕捉すると、軍勢を率いてこれを襲撃、撃破した。
文官も動きを見せ、ハルフベドが特に積極的活動した。
彼はハイタール軍の動きが鈍い部隊に目を付けた。戦利品を直接奪える任務ではない為に意欲が低下しているのだろう、というのがハルフベドの見立てであった。ハルフベドの巧みな説得と調略の甲斐もあり、その見立て通りにハイタール軍部隊は買収に応じ、撤退していった。勿論買収費用は安くはないが、まともに軍勢を叩きつけるよりは高くなかった。
ハイタール軍は自軍が追跡され始め、徐々に削られていることを知り、兵を集結させながら後退した。しかし、ハイタール軍本隊の元に集まった部隊は一個のみであった。
何があったのかといぶかしむハイタール軍をバラバ軍が襲い掛かったのはその直後のことであった。
そして、そのバラバ軍先鋒は何とハイタール兵であった。恐るべきことに、ヴォロガセスの侠気と自ら乗り出してきたハルフベドの弁舌と──加えて多額の金貨──に取り込まれ、ハイタール軍の最後の一部隊はバラバ王国に寝返っていたのだった。数で劣り、想定外の事態に追い込まれたハイタール軍は奮戦虚しく粉砕され、残党はソグディノ各地へ散らばった。
結局、ハイタール軍を撃破するのにその年一年が掛かり、残党の掃討と国境地域の固め直しに翌一年を必要とした。
ミフルダードはヴォロガセスにこれらの任を与え、更に軍政両面での権限を持つ官職として"
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ハイタールを押し退けたバラバ王国に今度は南の動乱が襲い掛かった。事の主はやはり今度もジャラセーナ王ウラグセーナであった。
先のオドニア戦争以来、ジャラセーナ王国とダホード国はバラバ王国に与したソッティガラ王国と交戦していた。その中、ダホード王ナーガパタは老齢で死に、ダホード国は娘婿となっていたウラグセーナ王に遺贈されることとなった。
不屈の闘士ウラグセーナは盟友にして舅の死に寧ろ奮起し、ソッティガラ王国に対して激しい反撃に打ってでた。戦意の乏しい戦いを続けていたソッティガラ軍は、決して弱兵ではないのだが、ウラグセーナの猛攻に意欲が態勢を崩され、大敗を喫する。
逆転して追い詰められたソッティガラ王国はバラバ王国に救援を求めるが、ハイタール撃退とトラバス遠征に注力してオドニアからも兵を抽出していたバラバ軍は正規兵を出せず、ミフルダードは従属国軍に攻撃を命じた。当然、キアラシュの出馬はさせなかった。
従属国軍2万はジャラセーナ領へ侵攻するが、足並みは全く揃わないばかりか互いに足を引っ張りあい、兵站線も整っていない状態で、反転したウラグセーナ率いるジャラセーナ軍7千に完膚なきまでに叩き潰された。
この敗北はバラバ軍の侵攻よりも致命的で、有力者が多数討死し、オドニア諸従属国の軍勢はほぼ機能を喪失した。
ウラグセーナはオドニア諸国への攻撃を進めながら、その不屈ぶりを更に示す行動を見せた。彼は戦争を部下に任せ、西の山脈を少数の随行と共に越え、マスカス地方に入った。この地の首長や有力者を説き伏せ、海上からバラバ王国を襲わせることを目的としていた。
マスカス地方はゲルメズ海東岸一帯を指し、多数の首長や都市が割拠している。マスカス地方が土地としては豊かな農地はないこともあり、これらの勢力は陸海の交易に従事し、それと同じ程に海賊行為に従じていた。
マスカス人はバラバ王国を交易相手としながらも、ゲルメズ海交易を巡って争ってもいた。特に海賊行為はマスカス人の主要産業かつ伝統でもあり、彼らも海賊行為をし合うことを前提に社会体制を構築していた。それを抑制し討伐しようとするバラバ王国に反発する機運も高まりつつあったのだ。マスカス諸勢力は不屈のウラグセーナに好意的で、彼の説得を受け入れて大々的にゲルメズ海に兵を繰り出した。
マスカス人の攻撃の主対象に選ばれたのは対岸のミスル、そして北岸のハレブである。
ミスルは言うまでもなく財も土地も豊かで、マスカス人は予てから襲撃を繰り返していた。ミスルは元々前線から遠い為にペーローズ朝時代から兵の数は少なく、更にゲルメズ海沿岸はフォカニア人のいるトランクィルス海側に比べて防備は弱かった。ミフルダードの遠征準備で兵が引き抜かれていた事もあってマスカス人の攻撃をミスル諸地方は防げなかった。
ハレブはマスカス同様に豊かではないが交易の中継地点として重要な土地であったが、ミスルとは違い、都市を狙ったマスカス攻撃は然程の成功を見せなかった。ハレブ太守にしてナバタエ系民の長マアムーンが素早く兵を率いてこれを撃退したのだった。
マアムーンはそこから独断で兵を動かし、ミスル地方への救援に赴いた。ミスルの諸官はこれに不満を示したが、剛毅な勇者マアムーンは一喝して寧ろ支援を取り付けさせた。ハレブ兵の反撃はミスルでも効果的に進み、マスカス人海賊首魁の一人はマアムーン自身の手で打ち取られた。だが、海上に逃げられるとハレブ兵も追い掛けることはできず、マスカス人の撤退はそれ以上阻止できなかった。
マスカス人の攻撃が撃退された頃にはウラグセーナはオドニアに戻り、侵攻作戦の指揮を執り直していた。オドニア諸国は先の敗戦以降、ジャラセーナ軍に押され続けていた。主要都市も次々に陥落し、クーマラ王国もジャラセーナ側に寝返り、オドニア北西部は殆どウラグセーナの掌中に収められていた。
ウラグセーナは戦争に躊躇しない闘士だが、現実的な外交手腕も優れていた。彼はミフルダードに和睦を求めた。バラバ王国の宗主権は受け入れ、征服地の半ばを返還する代わりに、全ジャラセーナ領、ソッティガラ領、旧ザプラーナー朝系小王国群領をウラグセーナのものと認めさせようとした。
ミフルダードは憤り、ウラグセーナ討伐の意欲は十分にあったが、それよりもトラバス攻撃を優先した。いずれウラグセーナを打ち破るとして、今はやむを得ないと考えた。また、オドニアがキアラシュの縄張りであったことも間違いなくミフルダードの判断に影響していた。
ミフルダードはウラグセーナの和睦案を受け入れ、オドニア北西部の半ばはウラグセーナの領土となった。加えて、クーマラ王国、カセエラ王国も旧領回復を果たし、立役者のウラグセーナを盟主とする同盟結成を受け入れた。
もし、攻めるのであれば、トラバスよりもバラバ王国にとって重要な財源であるオドニアの方をこそ攻めとるべきだったのだろうが、政治的・軍事的要求より常に感情的要求が優先されるのである。
その反動として、ミフルダードは勝利を遂げたハレブのマアムーンを大いに賞賛し、彼に過剰な程に報いた。
マアムーンは旧ペーローズ朝の裔姫ナーヒードの血を引く。その血統は第二王朝初代クシアスにより王族としても、"ジェタ統"としても外されていた。驚くべき事に、ミフルダードはマアムーンを同じ血を引く同胞と認め、その血統が"ジェタの一族"であると認めたのだった。
血統に関する決定だけは、どうあっても家臣には口出しすることはできない。王族の増加は取りも直さず王位についての混乱を生むことに繋がりかねないが、それは後の話である。
また、ミフルダードはマアムーンを"
ミフルダードはハレブ風の流儀や文化にも好意を見せ、以後、宮廷を通じて全国に徐々にハレブ風の名前や流儀も広まっていくこととなる。
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