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スペインキリスト教民主党は、スペイン共和国の中道右派政党。略称はPDCE。キリスト教民主主義を掲げた親欧州主義の中道右派政党であり、現在は与党第2党で、社会党と連立政権を組んでいる。支持層は主にカトリック信者の幅広い層であり、主に地方農民である。伝統的な政党であり根強い人気がある。
スペインキリスト教民主党
Partido Demócrata Cristiano Español
略称PDCE
名誉総裁フェルナンド・サバテール
党首ロサ・ディエス
創立1910年9月1日
前身スペイン保守党
下院代表ルイス・デ・ベラスコ・ラミ
上院代表アルバロ・ポンボ
本部所在地マドリード
党員数228,379人
政治的思想キリスト教民主主義
中道主義
親欧州主義
政治的立場中道右派
下院98/350
上院75/266
欧州議会26/97

歴史

結成まで

1910年にスペイン自由党(1874年に成立したカトリック派を含んだ右派政党)から離脱し、キリスト教カトリック派の政界進出を目論む敬虔なカトリック信者達によって後押しされ誕生した。

第二共和政開始後は議会制民主主義にある程度理解を示しつつも、不安定な人民戦線内閣や、カトリック教会のことを公然と否定する共産主義者達に反発して、極右のファヘランへ党と協力するようになった(ファヘランへ党のメンバー達は、キリスト教のことを軽蔑していたが、自らの人気取りのためにキリスト教民主党にすり寄った)。1936年にスペイン内戦が勃発すると、当初キリスト教民主党やその支持者らはフランコ派と共に共和国政府相手に戦った。しかし内戦勃発後、カトリック派らは残虐なフランコ派の兵士の行為(共和派や民間人、時にはカトリック派の虐殺や、教会を含む無差別略奪)を目の当たりにし、次第にフランコ派に対する不信感が高まっていった。そしてフランコ派らはカトリック派や王党派に対する内部粛清を始め、カトリック派はフランコに対する反乱を考え始める。

ちょうどその頃、1937年5月にソ連傀儡のスペイン共産党(現:スペイン左翼党が共和国政府に対し反乱を起こした。つまり、共和国政府の主導の民主主義派の手に渡り、共和派は反共・反フランコとなったのである。ついにカトリック派は利害の一致する共和国政府に寝返ることを決断した。カトリック派の兵士らは共和国政府の支配領域へと移動して寝返った。内戦は共和国政府の勝利で終わった。内戦後は党内右派への追及が始まり、共和国政府を裏切ったとして追放、逮捕された(とはいってもフランコ派や共産党員に比べれば相当軽い刑で済んだが)。

1940年には党内左派が党の主流となり、綱領を改定して、キリスト教民主主義の中道右派政党へと衣替えした。その後はスペイン社会党スペイン国民党と度々協力して、何回か与党を経験している。

欧州議会

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