最終更新:ID:3V43I1oKww 2020年07月10日(金) 02:11:00履歴
東方鬼形獣3面ステージ名。舞台は「彼岸」。
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備考
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- 鬼渡
- ニワタリにあてられる漢字の一つ。(庭渡久侘歌 名前の項を参照)
- 関所
- 彼岸にある「地獄、鬼の国などの、異界との関所」*1。
- Lonely(ロンリー)
- 【形容詞】孤独な〜。寂しい〜。僻地の〜。
- Amaryllis(アマリリス)
- 植物の品種名。ヒガンバナ科ヒッペアストルム属 。
- ここではアマリリスそのものではなく、彼岸に咲くヒガンバナ(別名:曼珠沙華)を指すと考えられる。
ヒガンバナはヒガンバナ科ヒガンバナ属。
アマリリスとヒガンバナはヒガンバナ科であることは共通するが、全く別の品種である。
- ここではアマリリスそのものではなく、彼岸に咲くヒガンバナ(別名:曼珠沙華)を指すと考えられる。
- 植物の品種名。ヒガンバナ科ヒッペアストルム属 。
- 彼岸(ひがん)
- 仏教用語。
「涅槃(悟りの世界)に至る」ことを「至彼岸」と表現したことが由来。
悟りの世界に至るには煩悩を打ち消す必要があるが、この煩悩を川に例えた比喩表現。
「煩悩の川を超えることで悟りの世界に至ることが出来る」という意味。- 上記のように本来は「三途の川」とは無関係の用語であり、現在の日本仏教界でもこちらの意味で使用することが多い。
- その一方、民間信仰により「三途の川」の概念が広がり一般化すると、悟りに関しての比喩表現であった「彼岸」という言葉が
民間では「三途の川の向こう」という意味として認識されるようになる。
三途の川の向こうであるあの世を「彼岸」、三途の川のこちら側であるこの世を「此岸(しがん)」とする。 - 東方では、東方三月精 第四部 第五話 霊夢の地獄めぐりにおいて博麗霊夢が四季映姫・ヤマザナドゥと会うために彼岸を訪れている。
- 東方鬼形獣では彼岸華(曼珠沙華)が咲き乱れているが、三月精での描写では「桔梗(ききょう)」「蓮(はす)」「百合(ゆり)」「野菊」らしき花が一面に咲いていた。
- 東方茨歌仙 第46話 死の超越と、彷徨う生霊では小野塚小町が幽霊を舟で三途の川を渡して彼岸に送るシーンが描かれている。
こちらでは彼岸はほとんど描写されなかったが、かろうじて彼岸に咲いている彼岸華が確認できる。
- 仏教用語。
備考
- 東方花映塚において四季映姫・ヤマザナドゥが登場するステージでも彼岸華が大量に咲いているが、こちらは幻想郷内にある「無縁塚(むえんづか)」で彼岸ではない。
無縁塚では、秋には彼岸華が咲き春には紫色の桜が咲くとされ、東方花映塚では異変の影響により両方の花が同時に咲いていた。
魔理沙 その昔、 閻魔様(そいつ)もやっつけたことが あるからな
- 東方花映塚において、霧雨魔理沙は四季映姫・ヤマザナドゥと戦っている。
魔理沙 鶏風情が偉くなったもんだなぁ
久侘歌 鶏は鶏でも、私はニワタリの神です
人間に 取り憑いただけの大鷲 なんかより、ずっと偉いと思いますが
魔理沙 何だと? 私が何者か判って言ってるのか?
- 酉の市の起源として有名な大鷲神社(東京都足立区)はかつて「鷲大明神(わしだいみょうじん)」とも呼ばれ、別称として「鶏大明神」とも呼ばれていた。
元々は「鷲妙見大菩薩(わしみょうけんだいぼさつ)」という鷲に乗った菩薩のことであったが、のちに「鷲の背に乗った釈迦」とみなされるようにもなった。- ニワタリ神の呼称のひとつにも「鶏大明神」がある。
- 鷲大明神(大鷲神社)ではかつて祭りの日に鶏を奉納し、祭りが終わると奉納した鶏を放していたとされる。
また、かつて大鷲神社の氏子は鷲大明神(鶏大明神)を敬うために鶏肉を決して食べなかったとされる。
鶏肉を食べることを厭う風習は、かつて東方地方の一部の「ニワタリ神社」の周辺でも行われていたとされる。 - 鷲大明神の別称である「鶏大明神」とニワタリ神の呼称のひとつである「鶏大明神」が同じ存在(もしくは習合した存在)を指していたのかは不明だが、上記のように一部符合する要素がある。
- 参考:wikipedia:酉の市
浅草酉の市:酉の市(由来と歴史)
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