最終更新: greenland4 2009年03月02日(月) 20:10:21履歴
対抗宗教改革とは、宗教改革におけるプロテスタント諸派の動きに対し16世紀におこなわれたカトリック教会側の刷新運動。イエズス会が大きな役割をになった。
宗教改革に対し、同じころ、カトリック教会の側でも内部からの建てなおしをはかる必要にせまられ、1545年、ローマ教皇領?のトリエントで宗教会議をひらいた(トリエント公会議)。この会議では、聖職者の腐敗や怠慢にたいする対策が話し合われ、教会の規律の再建をめざしてローマ教皇を頂点とするカトリックの位階秩序と権威を回復させた。また、聖書の各国語訳を認めず、禁書目録を作成して異端審問を強化させた。
対抗宗教改革の中心をになったのは、イグナティウス・ロヨラ?やフランシスコ・ザビエル?らが1534年に結成したイエズス会であった。軍隊をモデルにした厳格な規律と組織をもとに、熱心な布教がなされ、地中海域にはプロテスタント?の布教はおよばず、また、ヨーロッパの中東部ではカトリック勢力が復活し、中南米ではその多くがカトリックに帰依した。また、アジアにも海港を中心にカトリックの伝道がさかんになされた。
対抗宗教改革の中心をになったのは、イグナティウス・ロヨラ?やフランシスコ・ザビエル?らが1534年に結成したイエズス会であった。軍隊をモデルにした厳格な規律と組織をもとに、熱心な布教がなされ、地中海域にはプロテスタント?の布教はおよばず、また、ヨーロッパの中東部ではカトリック勢力が復活し、中南米ではその多くがカトリックに帰依した。また、アジアにも海港を中心にカトリックの伝道がさかんになされた。
タグ
コメントをかく