耐久社の修理工事を見学しました

 今日、11月15日、語り部サークルのメンバーは、現在修理中の『耐久舎』を見学しました。『耐久舎』は、その起源は嘉永5年の「広村稽古場」です。浜口梧陵が浜口東江・岩崎明岳と相談して、広村青年子弟の教育の場として創立したものです。「広村稽古場」は吉田松陰の松下村塾の開設より5年も早かったのですよ。
 その『耐久舎』は、その後耐久学舎、私立耐久中学校、和歌山県立耐久中学校を経て現在の和歌山県立耐久高等学校、広川町立耐久中学校としてその伝統を受け継いでいるのです。
 現在、広川町立耐久中学校の校地内に『耐久舎』の記念館が保存されています。この建物は、明治3年に建設されたものを、移築したものですが、昭和21年の昭和の南海地震の際の津波の被害をうけ、修理再建されたものです。和歌山県の史跡に指定されて、文化財として保存されています。
 さて、この程広川町は痛みの激しい『耐久舎』を修理することになり、工事にとりかかっているのです。語り部サークルとしては、この修理工事の途中、解体して骨組みだけになった時に見学させて欲しいと教育委員会へ申し入れ許可されたものです。楽しみは、昭和の津波の名残が残っているかどうかでした。津波の後、痛みが激しく保存が非常に難しかったようですが、耐久中学校の卒業生の募金により再建できたそうです。津波の跡形は分かりませんでしたが、再建が難しかった名残があちこちに残っていました。床板の根座に使っている材木は、古い柱であったり、敷居であったりと古木をつかっているのがわかりました。当時の苦労の程が窺われました。

 歴史的遺産です、これからも大事にしていかなければなりませんね。
2008年11月15日(土) 19:58:43 Modified by hiromura2005




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