作家・堀辰雄についての資料室

1930年 昭和5年 26歳
2月 「レモン・ラジゲ」を「文学」に発表。
「芸術のための芸術について」を「新潮」に発表。
3月 「風景」(改作)を「文学」6号に発表。
「室生犀星の小説と詩」(のち「室生さんへの手紙」)を「新潮」に発表。
「文学」6号で終刊。
5月 「ルウベンスの偽画」(定稿)を「作品」に発表。
「死の素描」を「新潮」に発表。
7月 最初の作品集『不器用な天使』を改造社より「新鋭文学叢書」1巻として刊行。
−夏 軽井沢へ行く。
10月 「聖家族」脱稿後、喀血のため向島の自宅で療養。
「窓」を「文学時代」に発表。
「軽井沢風景」(のち「絵はがき」)を「週刊朝日」に発表。
11月 「聖家族」を「改造」に発表。

1931年 昭和6年 27歳
−− 神西清から贈られたブルースト「失われし時を求めて」を病床で読む。
1月 「本所」を「時事新報」に連載。(「向島」に改題、「冬の日」に改作、「水のほとり」に
改題、「墓畔の家」に)
3月 町名変更、本所区向島1の1となる。
4月 富士見高原療養所に入院。神西清にブルウスト「ソドムとゴモル」を借りて読む。
6月 富士見高原療養所を退院。
8月 中旬、軽井沢へ行く。月末からつるや旅館に滞在。
10月 帰京。安静。
12月 「恢復期」を「改造」に発表。
「あひびき」を「文科」3集に発表。

1932年 昭和7年 28歳
1月 「燃ゆる頬」を「文芸春秋」に発表。
2月 「聖家族」(限定版)を江川書房より刊行。
3月 「花売り娘」(のち「Say it with Flowers」)を「婦人画報」に発表。
5月 「馬車を待つ間」を「新潮」に発表。
−夏 軽井沢ですごす。
7月 ジャック・リヴィエール、シャルル・デュ・ボス等の「ブルウスト論」を読む。
8月 「花を持てる女」(初稿)を「文学界」に発表。
「プルウスト雑記」(のち「三つの手紙」)を「新潮」「椎の木」「作品」に発表。
9月 「麦藁帽子」を「日本公論」に発表。
「芥川龍之介の書翰に就いて」(「狐の手套 三」)を「帝国大学新聞」に発表。
ジョルジュ・ガボリイの「マルセル・プルウストに就いてのエッセイ」を読む。
発熱のため約1ヶ月臥床。
「ギルヘルム・マイステル」を読む。
11月 「文学的散歩」(「狐の手套 一」)を「リベルテ」創刊号に発表。
12月 末、神戸に旅行。ロシア人ばかりの小さなホテルに泊まる。
サミュエル・ベケットの「プルウスト」を買う。
1週間ほどで帰京した後、「再び見出された時」を読む。
「文学的散歩−プルウストの小説構成」(「狐の手套 二」)を「リベルテ」2号に発表。

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