最終更新: fan_arrow_1185 2008年07月06日(日) 00:48:42履歴
「宮廷女官チャングムの誓い」というドラマは、いろいろな視点で楽しむことができます。
舞台設定としては、料理ドラマ、医療ドラマ、また女性の一代記として見ることができますし、勧善懲悪の復讐劇として見ることもできます。
主人公を取り巻く人間関係では、チャングムとハン尚宮の師弟愛、ヨンセンとの友情、チャングムとミン・ジョンホのラブストーリーに注目することができるでしょう。
このため二次小説においても、これら様々な着眼点から、数多くの作品が作られてきました。
けれど、悪役――チェ尚宮とクミョン――を無視しては、このドラマは語れません。この二人がいなくてはストーリ自体が成り立たないのですから。
しかし、二次小説界においては、チェ一族の二人に光が当てられることは、あまりありませんでした。
「今英嘆」は、クミョンによるチャングムとの関わり合いを中心にして話を構成しました。
ですからこの作品は、マイナーなキャラクターを中心に置いた作品といえます。
前書でも書いたように、基本的にクミョンというキャラクターは、(チャングムへの)才能面での敗北、そして(ミン・ジョンホへの)叶わぬ恋という視点で、行動様式や心理状況を語られることが多いと思います。
このため、もしかすると「今英嘆」を読んで違和感を覚えた方もいらっしゃるかもしれません。あるいはまた、「本当にチャングムとクミョンの間にあのような感情があったのか?」と疑問に感じた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、48話の台詞からは、クミョンの悩みは恋愛面にとどまらず、もっと多面的であった――他のキャラよりも更に――ということが伺えると、私は思いました。
※シナリオブックより
完璧な一族の一員にもなれず、
だからと言って完璧な主張も持てず
完璧な自信もなく
完璧な自戒の念もなく
完璧な才能を持つこともなく
完璧な真心も持たず
完璧な思いを寄せられることもなく
完璧な恋もできず……
※NHK吹替版より
一族の一員としては迷いを捨てきれず
かといって、自分の意志を貫く事も出来ず
心から自分を信じることも出来ず
心から自戒することもなく
曇りのない才能を持つこともなく
曇りのない真心を持つこともなく
ひたむきな想いを寄せられる事もなく
ひたむきに恋に生きる事も出来ず
(吹替版は大幅に意訳されていますが、もともとの台詞は「完璧な」という言葉が頭韻を踏んでいます。)
一族の、料理の方針や悪行による繁栄に疑問を持ちながらも、確固とした信念を持つことができずに模索を続け、「完璧な」自分になれないことに苦悩する。それに対しチャングムは、「完璧な」自分になることができたとクミョンの目には写った。
自分の理想を実現することを望み、多くの制約の中で自分の在り方を自分に問い続けていた。それがクミョンではないでしょうか。
ところでドラマでは、クミョンとチャングムの間にあまり台詞はありません。
また、女官編のチャングムは感情表現が豊かですが、クミョンは全編を通して派手に感情表現をするキャラクターではありません。そして医女編になってからは、チャングムもあまり表に感情を出さなくなります。このためクミョンとの間に流れる感情が、ハン尚宮他のキャラクターと比較して興味を引きにくく感じられるのか、ブログ等でもあまり取り上げられることはありませんでした。
しかし、ドラマを注意深く見ていくと、言葉はなくともこの二人は、“目”で頻繁に会話しているということが分かります。
例えば、6話。言葉を交わすクミョンとチャングムの視線は、親愛の情に満ちていました。
そして16話以降のクミョンの視線は恨めしさ、チャングムの視線は困惑を表していました。医女編になってからは、チャングムの目は怒りと共に憂いも漂わせています。
それらは例え、怒りや憎しみといった負の感情であったとしても、クミョンとチャングムの各々が他のキャラクターに対するものとは明らかに異なっていました。つまり互いの奥底に、常に強い執着を感じさせるものでした。
ここから私は両者の間には、並々ならぬ感情、ある意味、深い“絆”が存在していたのではないかと思い、それをこの作品に流れるテーマにしました。
この作品を作るにあたっては、DVD(韓国語版)で何度もドラマの一場面を確認し、場合によっては数話を通して鑑賞するなどしました。
上で述べたように、各キャラクターの表情(役者の演技)を細かく見ていくと、台詞がない場面でさえも、(役者は)表情で、キャラクターの内面を表現しようとしていました。
また、日本語吹替版の吹替の声と、韓国語版の役者の声の違いに驚くこともしばしばありました。
吹替では、どのキャラクターも絶えずはきはきと言葉を話しています。それに対し、役者は声の調子の変化・息遣いで感情を繊細に表現していました。
(特に、医女チャングムは、日本語吹替版と韓国語版では、かなりイメージが異なります。)
それらキャラクターの意図をできるだけ汲み取り、文章に反映させました。
もちろん、これはとても手間がかかる作業です。けれど多くのテレビドラマが、一、二度見れば「それでもう十分だ」と思ってしまうこともあるのに対して、「チャングムの誓い」は、脚本と役者の演技が秀逸で、見れば見るほど新しい発見がありました。
ですから、制作作業もとても楽しく、繰り返しの鑑賞に耐えうるドラマだと改めて感じています。
NHKでの放送が終了して熱気も過ぎ去り、二次作品も様々な舞台設定や感情に着目したものが発表され、既に全てが網羅されているかのようにも思えます。けれど、まだまだ注目すべき部分、そして創作の余地は残されているのではないでしょうか。
最後に、作品掲載にあたって様々な方のお力添えを頂きました。角田様、九本様、この場をお借りして、心よりお礼申し上げます。
また、長期に渡る連載にも関わらず最後までお読み下さった読者の皆様、ありがとうございました。
2008年7月6日 パンスル(有)
舞台設定としては、料理ドラマ、医療ドラマ、また女性の一代記として見ることができますし、勧善懲悪の復讐劇として見ることもできます。
主人公を取り巻く人間関係では、チャングムとハン尚宮の師弟愛、ヨンセンとの友情、チャングムとミン・ジョンホのラブストーリーに注目することができるでしょう。
このため二次小説においても、これら様々な着眼点から、数多くの作品が作られてきました。
けれど、悪役――チェ尚宮とクミョン――を無視しては、このドラマは語れません。この二人がいなくてはストーリ自体が成り立たないのですから。
しかし、二次小説界においては、チェ一族の二人に光が当てられることは、あまりありませんでした。
「今英嘆」は、クミョンによるチャングムとの関わり合いを中心にして話を構成しました。
ですからこの作品は、マイナーなキャラクターを中心に置いた作品といえます。
前書でも書いたように、基本的にクミョンというキャラクターは、(チャングムへの)才能面での敗北、そして(ミン・ジョンホへの)叶わぬ恋という視点で、行動様式や心理状況を語られることが多いと思います。
このため、もしかすると「今英嘆」を読んで違和感を覚えた方もいらっしゃるかもしれません。あるいはまた、「本当にチャングムとクミョンの間にあのような感情があったのか?」と疑問に感じた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、48話の台詞からは、クミョンの悩みは恋愛面にとどまらず、もっと多面的であった――他のキャラよりも更に――ということが伺えると、私は思いました。
※シナリオブックより
完璧な一族の一員にもなれず、
だからと言って完璧な主張も持てず
完璧な自信もなく
完璧な自戒の念もなく
完璧な才能を持つこともなく
完璧な真心も持たず
完璧な思いを寄せられることもなく
完璧な恋もできず……
※NHK吹替版より
一族の一員としては迷いを捨てきれず
かといって、自分の意志を貫く事も出来ず
心から自分を信じることも出来ず
心から自戒することもなく
曇りのない才能を持つこともなく
曇りのない真心を持つこともなく
ひたむきな想いを寄せられる事もなく
ひたむきに恋に生きる事も出来ず
(吹替版は大幅に意訳されていますが、もともとの台詞は「完璧な」という言葉が頭韻を踏んでいます。)
一族の、料理の方針や悪行による繁栄に疑問を持ちながらも、確固とした信念を持つことができずに模索を続け、「完璧な」自分になれないことに苦悩する。それに対しチャングムは、「完璧な」自分になることができたとクミョンの目には写った。
自分の理想を実現することを望み、多くの制約の中で自分の在り方を自分に問い続けていた。それがクミョンではないでしょうか。
ところでドラマでは、クミョンとチャングムの間にあまり台詞はありません。
また、女官編のチャングムは感情表現が豊かですが、クミョンは全編を通して派手に感情表現をするキャラクターではありません。そして医女編になってからは、チャングムもあまり表に感情を出さなくなります。このためクミョンとの間に流れる感情が、ハン尚宮他のキャラクターと比較して興味を引きにくく感じられるのか、ブログ等でもあまり取り上げられることはありませんでした。
しかし、ドラマを注意深く見ていくと、言葉はなくともこの二人は、“目”で頻繁に会話しているということが分かります。
例えば、6話。言葉を交わすクミョンとチャングムの視線は、親愛の情に満ちていました。
そして16話以降のクミョンの視線は恨めしさ、チャングムの視線は困惑を表していました。医女編になってからは、チャングムの目は怒りと共に憂いも漂わせています。
それらは例え、怒りや憎しみといった負の感情であったとしても、クミョンとチャングムの各々が他のキャラクターに対するものとは明らかに異なっていました。つまり互いの奥底に、常に強い執着を感じさせるものでした。
ここから私は両者の間には、並々ならぬ感情、ある意味、深い“絆”が存在していたのではないかと思い、それをこの作品に流れるテーマにしました。
この作品を作るにあたっては、DVD(韓国語版)で何度もドラマの一場面を確認し、場合によっては数話を通して鑑賞するなどしました。
上で述べたように、各キャラクターの表情(役者の演技)を細かく見ていくと、台詞がない場面でさえも、(役者は)表情で、キャラクターの内面を表現しようとしていました。
また、日本語吹替版の吹替の声と、韓国語版の役者の声の違いに驚くこともしばしばありました。
吹替では、どのキャラクターも絶えずはきはきと言葉を話しています。それに対し、役者は声の調子の変化・息遣いで感情を繊細に表現していました。
(特に、医女チャングムは、日本語吹替版と韓国語版では、かなりイメージが異なります。)
それらキャラクターの意図をできるだけ汲み取り、文章に反映させました。
もちろん、これはとても手間がかかる作業です。けれど多くのテレビドラマが、一、二度見れば「それでもう十分だ」と思ってしまうこともあるのに対して、「チャングムの誓い」は、脚本と役者の演技が秀逸で、見れば見るほど新しい発見がありました。
ですから、制作作業もとても楽しく、繰り返しの鑑賞に耐えうるドラマだと改めて感じています。
NHKでの放送が終了して熱気も過ぎ去り、二次作品も様々な舞台設定や感情に着目したものが発表され、既に全てが網羅されているかのようにも思えます。けれど、まだまだ注目すべき部分、そして創作の余地は残されているのではないでしょうか。
最後に、作品掲載にあたって様々な方のお力添えを頂きました。角田様、九本様、この場をお借りして、心よりお礼申し上げます。
また、長期に渡る連載にも関わらず最後までお読み下さった読者の皆様、ありがとうございました。
2008年7月6日 パンスル(有)
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