韓国ドラマ「宮廷女官 チャングムの誓い」の関連記事・二次小説置き場です。特別寄稿『今英嘆 水天の月編 終章 霽月』は7/6にUPされました。

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 次第に重責にも馴れ、雑多な仕事も順調にこなせるようになった。
 けれど、尚宮たちを集めての会議でのこと。
「……で、このような新しい献立をお出ししてみようかと思う」
 黙っている。
 いいの? 駄目なの? どっち?
 見回しても問うでもなく、頷くでもなく。そんな態度にいらっとする。
「では……これでいいのだね?」
「はい、最高尚宮様」
 怖じるような目がさっと向けられ、口を揃えて答える。

 チェ女官長様は、段取りよく進めていると褒めて下さるのだけれど。

 前も同じだった。
「……というわけで、これからは先ほど述べた教え方で内人や見習いを訓育しようと思うのだが」
 何か物言いたげな顔をしている尚宮がいた。
「皆、自由に意見を述べよ」
 少し期待してその方に声をかけてみたが、隣の尚宮に袖を引っ張られて目を伏せてしまう。
 この者たちはいったい何を考えているのか。それとも何も考えていないのか。少し待ってみたが……。
「何もないようなので、異存は無いとみなしてよいか?」
「はい」

 手応えがない。
 もっといろいろな考えを知りたいのに。私の言うことをきちんと聞いて答えて欲しいのに。

 しかし時間が空いたので、訓練用の厨房へ向かった。久しぶりにサリョンに教えよう。
 サリョンはもちろん、見習いの中ではずば抜けている。
 私が尚宮と成ってからこの子と同じ部屋で過ごしていて、最初の頃はずっと側で見てやることができた。
 最高尚宮に就いて以降、忙し過ぎてあまり目をかけられないのが残念だが、それでもなるべく一緒に料理をして過ごした。
 ひたむきな目で、私から必死に学び取ろうとする。ひとつひとつ味を覚え技を磨き、成長が日一日とはっきり見て取れる。
 時々思いもかけない問いかけが微笑ましく、またはっと気付かされることも多い。
 この子と過ごすのが宮で唯一の心安らぐひとときで、本当に楽しいと秘かに思う。

 そしてサリョンと過ごして思うのは、叔母様のこと。私もこうして、手取り足取り教えていただいたものだった。
 全てを注ぎ込んで下さったことにとても感謝しています。うんざり、なんて思って申し訳ございませんでした。
 けれど叔母様、私は時にお教えを物足りなく感じ、何かが違っているのではないか、そんなことさえ考えてしまったのです。
 私はサリョンに希望を託したい。料理を究め、実力で水剌間を束ねる最高尚宮となって欲しいのです。そう強く願ってしまうのです。そのために私がした以上の厳しい訓練を、繰り返し繰り返し、あえて積ませているのです。
 時折泣いているのは知っているけれど、きっとこの子のためになるからと。

 ただ、いつの日にかこの子にも辛い思いをさせなくてはならないのか。慕ってくれる眼差しは、この一族の別の姿を告げたその後も、同じように私に向けてくれるのだろうか。 ……あの時の叔母様は、私以上にお苦しみだったのだろう。
 いや、先々のことを思わないようにしよう。この子が私を凌ぐほどの料理人となること、それだけを考えよう。
 この子もいずれはこの座に就く。その時に、心の支えとなるものが必要だと思うから。それは誰にも負けないという自負だと、私は信じるから。

 そしてできればいつの日か……。この子の代で、いやその下の代になろうとも、純粋に料理だけに打ち込めるようにしてやりたい。

 しかしそれは……。
   
   

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 庭を横切り、回廊の下をくぐる。
 医女が女官たちの部屋に向かう時は、鍼や薬を入れた箱を抱えているのがお定まりだ。けれど今、彼女は何も持たず、ただ心の中に“あるもの”を抱えている。目指す場所が近付くにつれ、それは重みを増し、歩みもまた重くなる。
  ふーっ
 上がり口の石段が目に入ると吐息を漏らした。その医女、チャングムが宮に入ってから、ここに来るのは初めてではない。けれどあの時は感慨に耽る暇など無かった。

 思い出に満ちあふれた場所だったのに。
 以前ここで暮らしていた折には、時に転びそうになるほど走り回った中庭。頭をぶつけそうになりながらも勢いはそのままに回廊を抜け、石段を駆け上がり声をかけるのももどかしく中に飛び込んでいく。
 ここには私の全てであった方が、静かに座っておられた。慌しく駆け込む私を口ではお諌めになるけれども、微苦笑が目許に湛えられ……だから呼ばれるのが、いつだってたまらなく嬉しかった。

 懐かしかった部屋も、だけど今は……。

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 最高尚宮の任命を受けたその夜。
 この部屋に入る前に女官長室に向かい、チェ尚宮様から最後の教えを受けた。
 それは宮における私たち一族の始祖の、生い立ちやご活躍の話だった。

「お前も知ってのとおり、日々の献立を書き留めてある綴りは、水剌間や各厨房の倉庫に積み重なっているでしょ。でもそれは単にどんなものをお出ししたか、順番に書いてあるだけ。尚宮なら誰でも見ることができる」

「この秘伝の書も元々は、御膳の中で特に気付いたことなどを抜き書きした冊子だった。いわば要領や心構えを集めたものだとか。
 しかし高麗末期の政治的動乱を経て、次第にその内容は変わっていった」

「情勢の波は時に水剌間にまで押し寄せ、ただ調理に携わる者までが巻き添えとなり、儚(はかな)く露と消えた。
 ほんの些細な味付けの手違いで、謀反を疑われたりとかね。
 そうした中降りかかる火の粉を避けようと、秘伝の書には次第に王の性格や体質、持病、食べ物の好き嫌い……そのような記述が尚宮たちの手でなされるようになった」

「チェ・マリ様は凡そ百年近く前、この王朝がようやく安定した時期の方で、やはり料理がお好きだった」

「その頃の一族は一介の商人として、宮中に塩や近場で取れた野菜を細々と納めていた。
 商いをする父に付いて来たマリ伯母様は、宮の絢爛(けんらん)な世界を目にされて、ここに入ることを望まれた。
 家の方針としては、その頃始めた小さな料亭の女将に据えるつもりだったそうだけど……誼(よしみ)のお役人を通じて、そのお役人と懇意の尚宮様のお引き立てを得て、見習いになることができた。
 今は権勢を誇る一族も、最初はその程度の力しか無かったって、兄上が感慨深げに話しておられるのを聞いたことがあるわ」

「憧れて入られた宮だけど、後見(うしろみ)の無い者が冷遇されるのはよくあること。料理が上手かった分妬みもされて、ずいぶんひどい意地悪もされたそうよ。
 けれどくじける方ではなかった。そして皆を見返したいという、強い野心をお持ちだった」

「お前も学んだように、宮では歴代王朝の歴史を一通り教えられる。
 マリ伯母様はそれに飽き足らず、幼い頃から、尚宮様たちにお話をせがまれた。高麗がいかにして滅び、この王朝と成ってしばらくの間にも繰り返された混乱。それを水剌間がどう凌いできたのか。
 尚宮たちが物語として伝承してきた、内幕の類を好んでおられたとか」
   
   

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 チャングムはその――クミョンがいる最高尚宮の――部屋を見上げた。
 外から見るだけで、感情が噴き出しそうになった。

 あなたたちはハン尚宮様に謂れの無い、それも料理人として最も屈辱的な罪を着せ、この部屋から追い出しそこに収まった。恥を知れ、そしてすぐに退け。
 あなたのような者が、同じ部屋にいる資格なんて無いわ!

 それは中殿の急病の折り打ち合わせに呼ばれて、クミョンが頭に戴く髪飾り(オヨムチョクトゥリ)を見た瞬間、腹の底からあふれたのと同じ気持ちだった。

 あなたが……? どれほど重いものなのか、知っているでしょ。

 叫びたくなるのをあの時必死で抑えた。今も同じように抑えている。
 けれど抑え切れない思いが心を跳ねた。

 ハン尚宮様があんなことをされるはずが無いと、分かっていたでしょ。
 あなたのことをハン尚宮様も褒めておられたじゃない。それなのに。亡くなられたと聞いても、泣き叫ぶヨンセンを前にして顔色一つ変えなかったってね。
 懸命な人だって、正直な人だって思っていたのよ。
 淑媛に成ったヨンセンにまでしようとした酷い仕打ち。この部屋であんな策略を巡らせるなんて。
 信頼も友情も裏切り撥ね退け、その座はあなたにとって何なの?
 その地位を悪用して利を追う浅ましい有り様。努力もひたむきさも忘れ、ただ権力を求め、今や当たり前のようにそこに座っている信じられない姿。
 あなたが最高尚宮に相応しいと思うの? いや食材に触れることすらおぞましい。

 もう何を言うまでもない。どうなろうと、それは当然の報い。私はあなたを断罪する!

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 女官長様の話しはさらに続いた。

「ちょうどその頃、名君と謳われた世宗(セジョン)大王が崩御された。
 もう三十年余り……稀なほど長い間玉座にあられ、しかもその次の文宗(ムンジョン)王は大王の摂政として、これまた長く治世に尽くしてこられたから……即位といってもほとんど形ばかり。そしてまだお若い……それを倦み嫌う者たちもいて。
 それは陰で、徐々に数を増していった……」

「その気配を察したのが、マリ伯母様だった。
 それまで懸命になって……今と違って実家にお金があるわけでもなかったけれど、腕は確かだったから。人の仕事を手伝ってあげたりとか、おやつを作って護衛の兵士たちにさりげなく差し入れしたりとか。
 そんなちょっとした機会を通して方々(ほうぼう)との連絡を密にされ、様々な情報が入るようになっていたのでしょうね」

「マリ伯母様はお考えになられた。そして……心密かに次の時代を思い描く者たちに、ある提案をされた」

 さすがに憚られたのか、女官長様の声は一段低くなった。
「床擦れの殿下に、豚肉をお出しし続けようと。
 当時、水剌間で筆頭格の尚宮だったこともあり、周りにその意図を疑う者はいなかった」

「それに、我が一族にはこのことを口伝(くでん)している。けれど普通の人は、味や見栄えの違いしか……病と食べ物の、奥深い繋がりなど知らぬから。ましてや昔ならなおさらでしょう」

「懸念があるとすれば、医官たち。だから事前に充分な根回しもされた上でね」

 聞いて、思った。
 なるほど、私と同じように内医院を取り込まれたのか。これからもあそこに、手の者を絶やさぬようにしなければ。

「お前には今まで、この書を料理の神髄を集めた、いわば教本としか言ってこなかった。
 けれどこれからは、見る目を変えなさい。マリ伯母様が気付かれた、真の価値を学びなさい」

「つまり……これがあれば、王族の健康状態を意のままにできるということ。
 水剌間は御膳を作るだけではなく、政(まつりごと)を作り変えられる要(かなめ)の部署だということを」

「聞くところによると歴代王の体調や病を記録した日誌があって、内侍府が厳重に保管しているという。
 これはその日誌に匹敵するくらい、しかも公にその存在すらも知られないから、なおのこと貴重なもの」

「この書はマリ伯母様が最高尚宮に成られて以降、我ら代々が秘かに受け継ぎ、宮中で隠然たる影響力を保持し、今の繁栄を築いてきた」

「マリ伯母様の決意された道。中人に過ぎず、実家の商売も伝(つて)なくしてはままならぬ有り様で、どこへ行ってもまともに相手にもされぬ。この惨めな境遇から抜け出そう、宮にいる自分が一族を盛り立てていこうと、そう思って開かれた道を皆がたどってきた。
 わたくしもお前もこの家に生まれ、先代たちと同じように最高尚宮としてここにいる。
 だから同じように引き継いでいかなくてはならない。そしてもっともっと、盛り立てていかなくてはならない」

 何も無いところから上り詰められ、確かにご立派だとは思う。
 だけど逆に、そのような面でしか評価されないということではないか。いつまでたっても料理を賞美される日は来ないのでは……。
 嫌だ!
 私は……一族で語られるだけでなく、この水剌間に名を残し……宮にいる皆の記憶に残り続けるような、そんな最高尚宮になってみせる。
 そしてその完璧な技量を、次の代にも絶えることなく引き継がせていく。それこそが本当に誇れる一族の姿ではないだろうか。

 そう決意してこの部屋の主となり、数年が過ぎた。
 以来、この書を紐解かなかった日は、一日だって無い。
 ここに記された先代の技を、全て覚え自分のものとするために。そしていつかはその誰にも劣らぬ最高尚宮となるために。
   
   

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 息が詰まるほど喉元まで、怒りがせり上がってくる……。
 それを感じてチャングムは、長く息を吸いそして長く吐き出した。数度繰り返す。これはシン・イクピル先生が教えてくれた、心を静める方法だった。

 ……いいや違う。怨みに来たのではないのだから。

 訓練用の厨房で、毎日のようにクミョンと並んで練習していたあの頃。
 自分とは比べ物にならないほど立派な家の子だけれど、あなたは一度だって私を見下したような目で見ることは無かった。
 腕前も凄いのに、もっと上手になろうと、もっと美しくおいしくできないかと懸命に修練していたわね。
 そんなあなたがいつも気になって。

 あなたが私をびっくりさせたこともあった。私が菜園から採ってきたスンチェであなたは水キムチを工夫し、新味祭で披露したでしょ。
 とてもおいしかったから、今度は私が、糖尿を患われている明国の使臣様にお出しした。

 御膳は腕を試すものではない、料理は勝ち負けではないとハン尚宮様は常々おっしゃっていた。けれど私は、最初の競い合いでは、あなたに勝つことで頭がいっぱいだった。

 そしてあなたも最高尚宮に成ろうとしていた。あの一門に生まれたから……でも、それだけじゃない何かを追い求めているって、私は感じていたのよ。




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このページへのコメント

>最後のチャングムの思い、うーん、マンダム。

以前のコメントで、クミョンは感情を汲み取りにくいキャラクターと書きましたが、医女チャングムも結構感情を汲み取りにくいと私は感じています。
「ヨンエの誓い」でイ・ヨンエ氏は、

人は誰でも善の部分と悪の部分を持っています。多種多様な感情が内在しているものです。外見は穏やかそうでも、誰かを憎んでいることだってあるかもしれない。そうした心理や行動を探究していくことがドラマの醍醐味でもあると思います。チャングムは決して聖人君子ではないし、邪悪な心を持つことだってあったかもしれない。

と書いておられました。
ですから、「多種多様な感情が内在している」チャングムを表現できればいいなあと思っているのですが、ヨンエ氏の演技には及びません……。
でも、スルメを食べるように味わって頂けたようで、とてもうれしく思います。

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Posted by パンスル(有) 2008年04月05日(土) 23:14:51 返信

チボクの針様
コメントありがとうございます。

>チェ・マリ観もしっくりいって、うんうん頷いてました。

チェ・マリの話は第1話にしか出てこないので、「そもそもこの人物のことを読者の人は覚えているだろうか」など、その他いろいろなことを考えてしまい不安でした。
納得して頂けたようで、ホッとしています。

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Posted by パンスル(有) 2008年04月05日(土) 23:11:45 返信

こんばんは。
クミョンの心とチャングムの心、じわりじわりと物語りは2人の間をまた、ちぢめてきましたね。ちぢめるといっても、歩み寄るではなく、間合をせばめてきたとでもいうように。

でも。

最後のチャングムの思い、うーん、マンダム。^^

深いなあ。噛めば噛むほど・・・みたいな。^^

ありがとうございます。美味しく頂きました。

チェ・マリ観もしっくりいって、うんうん頷いてました。

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Posted by チボクの針 2008年04月05日(土) 00:51:16 返信

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☆39話の百合妄想

クミョンがヨリに「チャングムを私にささげるといったわね?」 と言いました。

クミョンがチャングムをもらったら
・「水を持ってきなさい」プレイ
・「私の足もお揉み!」とリフレクソロジー
・納屋に数日放置後、飲まず喰わずで衰弱しきったチャングムをおんぶして部屋まで連れて行く。
・その後重湯をあーんさせて介抱するも、介抱中延々と「そんな女官がいたことを」と自作ポエム披露。
・医女なんか呼ばないでクミョンがつきっきりで看病←これで治りがより一層遅くなる
・チャングムが回復するまで毎晩添い寝←これで治りがより一層遅くなる
・チャングムをだしにしてチョンホを呼び出し、ふられた腹いせに「チョンホ様より私の方が早くチャングムと出会った」と訳の分からないアピール。

なーんてやれば面白いのに(私だけが)

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