韓国ドラマ「宮廷女官 チャングムの誓い」の関連記事・二次小説置き場です。特別寄稿『今英嘆 水天の月編 終章 霽月』は7/6にUPされました。

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 夕刻から降り出した淡雪は、濃緑の肩に幾重にも留まる。
 王の夜食が運ばれるのを見届けて部屋に戻り、上着に残る滴(しずく)をひと拭いして衣紋掛(えもんかけ)に干した。

 己の居場所と定められた座に、腰を下ろす。

 軒から滴り落ちる雪解け水。
 障子越し、その響きに耳を傾けていたが、うつむく我が身に気付いて居住まいを正した。
 引き出しから綴りを出し、今日の御膳を簡単にしたためる。いつものこと、なのに一字一字記すごとに、思いが過ぎる。

  ―――ヨンノは今頃伯父の屋敷にいる。
      身の振り方について、叔母様から指示を受けているだろう……。

      叔母様も、明日の昼前までお帰りにならない。

 そして…………。
  ―――遺書はあると、念を押すように告げていた……。
      もう考えることはない。なすべきことは全て終わった。考えることは
     何もないのだから。

 筆を置き、表紙を閉じて。書き終えた綴りをしまいざま、秘伝の書が手に触れた。
 思えばあの子が戻ってきてからは、見るゆとりが無かった……しかし。
  ―――今夜は長い夜に私一人……。

 文机に広げ、綴られた文字に目をやる。
 チェ・マリ様から始まる一族のお歴々。私もお教えを受けた大伯母様の後は、チョン尚宮様の、いや、代わりにチェ尚宮様が書かれていた時代である。
 貴重な錦鶏や初めて打った冷麺、あの子が味見もせず調理した鯨肉。食材を見るだけで、水剌間や周りにいた皆の様子が浮かぶ。
 この書がチョン尚宮様の手に渡ってからは、競い合いのいきさつと、チェ尚宮様と私、そしてチャングムが御前に並べた料理への、王族方のお言葉が書かれている。
 献立を改めて見てみても、私たちの方がずっと洗練されている、なのに。

 気を取り直して、先を読み進めた。
 最後の下(くだ)りは最高尚宮の就任式が予定されていた日で、ひとこと『―誰もが分け隔て無く精進し、実力を培うべし―』とある。
 このチョン尚宮様のご意志を、ハン尚宮様も頑なに引き継いでいこうとされた。

 その後は太平館で何をするでもなく、水剌間の動きも分からず。ただ心焦り……我が身のふがいなさと、ハン尚宮様を許し難く思うばかりの日々だった。

 『なぜハン尚宮様の方法で…』

 チャングム。あの方は何も無いところから最高尚宮に成られた。もちろん、相当な料理の手腕をお持ちだったと思う。
 それ以上に素晴らしいのは、あなたの味を描く力をお作りになられたこと。
 自分の内側から、伸びやかに自在に未知の領域を切り開いていける方法。未だに衰えず、様々な状況で応用の利く能力をあなたに与えられた。

 そして私が目指していたのは、最高尚宮の“座”ではなくて。
 料理の高みに立ち、新しい境地を開くことを追い求めていた。それが自分の誇りとなり、料理への思いをかき立ててくれるのではないかと。
 あなたと同じような情熱があった時、私は勝てた。あの喜びを、今一度……この心に。
 それにはこれまでのやり方、一族の伝統や教えを受け継ぐだけでは限りを感じ……贅を極めた食材でも補えない何かがあり……必要なのはあなたのような……力……。

 今の私は最高尚宮であるがために、思い通りどころか何かを試みるのもままならない。
 でもサリョンたち、次の世代には望みがある。それは諦め切れない私の夢だから。

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 薬草を整理し記録を付け終えたチャングムは、夜遅く菜園を後にした。小降りになってきたものの、雪片が頬をかすめては道の上に溶けていった。

 歩を進める彼女の心に、昼中の出来事が朧に浮かぶ。

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 けれど。
 『遺書はございます』
 もしかしたら、もう……時は残されていないのかもしれない。

 頁をめくり、ハン尚宮様の筆跡(ふであと)を追う。
 まだ宮から追われる前。御膳に随行し大殿の外に控える私にも、王様の大笑いされる楽しそうな様子が聞こえてきた。ここに書かれているのも、そして記憶に残る日々の献立も、ありきたりなのに。

 変わったものといえばあの家鴨くらいで、『湯治も料理もたいそうお喜びいただいた』と、珍しく誇らしげに書かれている。

 その御成(おなり)から戻られて間もなく王様がお倒れになり……状況は一転する。
 数行おきに墨の調子が違うのは、何度も中座されたからだろうか。何も分からず回復を願い、奔走されるご様子のおいたわしさに……開き続けることができなかった。
 でも、今は。
 終わりに至るまで全てに目を通していった。

 ことの重さから、この座に戻れない予感があったのか。最後は『―料理は真心―』と、誰に宛てるでもなく走り書いてある。
  ―――この言葉。
 そう言えばずっと前に……あの遠い昔……私たちが見習いだった頃、厨房でチャングムがハン尚宮様の口調まで真似て話してくれた。
 お言い付けにいろんな方法を試し、何日も考え続けて。
 やっとお飲みいただいて、『料理は真心、そして人への気持ち。召し上がる方のことをよくよく考えなさい』と言われたって。

 もう一度秘伝の書を――私が修練に明け暮れ、そしてあの子がいた頃を――たどった。

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 ぼってりとした雲に遮られ、道まで曇り色をしている。けれど、いつも寒さに指をかじかませる家路なのに、今夜はなんだか様子が違う。
 並木を抜ける風は柔らかく、雪をはらはら吹き渡らせた。

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 思えばハン尚宮様は、チャングムに厳しいことをたくさん言われた。けれどいつも信じ、受け入れ、そして最後まで身を挺して守ろうとされた。
 でも競い合いの一回目だけは。
 一晩中駆けずり回り、遠くまで良い材料を探して、そしていつものように工夫したのに。負けて、泣き出さんばかりに詫び続けたあの子を……遥かウナム寺に送られた有り様は、まるで人が違ったかのようだった。
 あの時も気にはなっていた。競い合いの最中になぜそんなことを。もしかしたら何かがあるかもしれない。だから様子を知りたいって……。

 ハン尚宮様は……あの子に教えようとされた。

 チャングムが失くしかけたのを見抜かれ、だからあれほどまできつく。そして知らしめるためならご自身の不利など躊躇もされなかったのだろう。
 “真心”、それは最初の教えであり、最後にお残しになった言葉であり、そして最も厳しい戒め。食材や料理の工夫よりも大切な、譲ることのできない志だと。

  ―――それからのあの子は、お教えを守り、真心を込め……最高のもてなしを尽くし
     ……医女となっても、忘れることなく……。
      競い合いの時の献立や、明の使臣様への質素な野菜料理、中殿様が請われた
     夜食、大妃様の口に馴染んだ丸薬……王様の病の原因を突き止めようと、
     水剌間は元より、牧場まで調べに回ったり……。
 チャングムの料理や言葉や仕草のあれこれを、ぼんやりと思い浮かべながら、紙面をぱらりぱらり繰(く)っていった。

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 時折こぼれる月光は、凍てついた足元を一瞬照らす。そのたびチャングムは空を見上げたが、月はすぐに雪雲に隠れ、またあたりは薄闇に包まれた。

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 私が公主様にお出ししたお粥のことも書かれていて、少し懐かしい気持ちになる。
 あの一大事をなんとかしなければと意気込んで。チャングムの実験を見て思い付いたままに、どれほど立派にとか誰に勝つなんて……相手を喜ばせようとすら思わないて、公主様のお身体だけを考えて一心に取り組んだ。
 叔母様が後になって、『こんな粗末なものを』と周りから責められ、命が縮む思いだったと笑いながらおっしゃったように、確かに臭みを抜いただけの見栄えのしない一品(ひとしな)だった。誰も考え及ばず……前例も無く……でも不安すら感じないくらい、これだって思って。
 だからお口に運んでいただいた時は、本当に嬉しかった。
 皆も心から、公主様の無事を安堵していた。

 そんなことが、私にもあった。


 どこかで、あの子を……手が届くことなんてないと思い込んでいた。

 やっと分かった気がする。
 私に足りなかったものが。


 秘伝の書に記されたハン尚宮様のお志を、チャングムが目にすることはないだろう。けれどその教えは、あの子の身体の隅々にまで染み込んでいる。
 怨みに押し潰されず踏み止まり、ひたすらハン尚宮様の汚名を雪(すす)ごうとして、お志を守ろうとして、あえて困難な道を選んできた。
 そしてあの子は輝き続けている。

 私は……何を残そうとしてきたのだろう? 自分の名前の他に?
 最高の料理を作ることや最高の女官であること。それらは全て、己の栄誉に過ぎないではないか。


 いずれ……サリョンがこの書を見ることを信じて、書き残しておこう。
  ―料理は愛しみである―
 揺るがぬ志は、サリョンの支えとなり、一族のこれからの道標となるだろう。

 いや、誰とは言わない……水剌間の道標となればいい。
 私が伝えられるもの全てを、皆に伝えていこう。残された時間の限りで。

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 トック家に帰ったチャングムが、遅い食事を終え台所で後片付けをしていると、窓越しに月明かりが差し込んだ。彼女は引かれるかのように外へ出た。

 雲の切れ端が残るばかりの夜空には、上弦の、細いながらもくっきり、見惚れるほど美しい弓張月があった。
 空から舞い降る雪はちらちらと、その微かな光に照り輝いていた。

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 書を片付け、座り直しかけて。ふと思い、立ち上がって引き戸を開けた。雪は、ほぼ収まったようだ。
 上着も持たずに部屋を出る。

 久しぶりに四阿に向かう。ひとりで来るのは、あの子が遠く宮中から離れた日以来のこと。
 腰を下ろし、細雪(ささめゆき)の音を聞く。

 『どうか、心の中で思うなら行動で示して!』
 チャングムの言葉が耳に、また戻る。

 『私にあなたを許せるようにして欲しいの』
 立ち去る間際の小さな、悲しげなため息。

 子供の頃から真っすぐで、子供の頃から面と向かってものを言う。
 『それは違うわ。それは言い訳よ』
 間違ってますって、また言われてしまった。

 『あなたには誇りがあったわ。それを何より大切にしていたはずでしょ?』
 私の胸に飛び込んできたあなたに、心を奪われ、振り回されてばかりだった。
 あなたなんて気にもせず、決められた道を歩めばよかったのに。それができなかった。そうさせてくれなかった。いつだって……今だって。

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 彼女はそのまま縁側に座った。

 少しずつ雪は消え、時折月が顔を覗かせては、雲の上辺を明るく照らし始めた。

 そして夜更け、ついに傾き見えなくなるまで、月を眺め続けた。

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 あれから、いろいろな出来事があり、いろいろなことを知った。
 なぜあなたが、どんな時でも諦めようとしなかったのか。

 あなたはたくさんのものを持っているからだと、昔は思っていた。
 持って生まれた才能と努力を続けられる心の強さがあり、素晴らしい師匠や、いつも味方でいてくれる友達、そしてご自身のことは二の次にしてでも側にいて下さる方がいる。だから頑張り抜くことができるのだって。空と海が遠く離れているように、あなたは恵まれた別の世界の人……と自分を慰めるしか無かった。
 でも、本当の支え……あなたの願いは……。

 あなたから、心の支えを奪い取るなんてできなかった。引き離すことさえもできないものだった。

 お母様があなたへ託した願いが、あなた宛の手紙に記されていたわ。
 まだ幼かったあなたの行く末を、どれほど案じておられたか。ほんの短い言葉だったけれど、深く愛される思いが伝わってきた。どれだけその祈りに守られていただろう。導かれていただろう。
 あなただけのあなたじゃなかった。

 そうと知るまでは、ただただ驚かされていたけれど、知ってますます怖くなった。私だけが辛いしがらみに捉われていると思い込んでいたのに、あなたも同じ。果たさなければならない誓いを、胸に重く秘めていたなんて。
 あなたは、そのお気持ちに応えたかったのね。それがあなたの希望、情熱の源だった。 だからひたむきに歩み続けた。

 でもね、チャングム。
 その方、あなたの心の支えこそは、叔母様の心からも離れない人だったのよ。
 幼い頃から内人になるまで、叔母様はハン尚宮様と一緒に、お母様と楽しい日々を過ごされた。共に学び遊び、教え合い励まし合い慰め合い。心を分かち合うような、支え合うような仲だったそうよ。
 だけど二度と会うことはできない……叔母様のせいで。一族のせいで。
 叔母様はその痛みを拭うことができず、なくした友をずっと思い続けておられた。

 私たちは他の人と志を同じくすることは許されない。私たちがしてきた務め、慈悲もない行いは、誰に知られてもいけない。それはお互いを深く傷つけるだけ。
 だから私のことを心配されていた。仲の良い私たちに、何度も楽しかった頃を思い浮かべては、胸が締め付けられたって。

 あの手紙は、叔母様と私……一族の苦しみの始まり。そして、あなたの苦しみの始まり。読み直すたびに、罪深さを骨身に染み込ませた。

 そしてもうお一方、ハン尚宮様までをも、私たちは。

 あなたにとって、叔母様は到底赦すことのできない仇にしか見えないでしょうけれど。それでも叔母様を責める気持ちにはなれない。
 あなたがハン尚宮様をお慕いしていたように、私にとって叔母様は大切な方。私をここまで育て、案じ、愛しんで下さった、本当は情け深い方なの。
 だけど友との深い絆を断ち切って、一族に身を捧げられた。それを知り、私もためらう心を定めようとした。何かを犠牲にしなければ、何かを得ることはできない……そして私には、もう一族を守ることしか残されていない。たとえそれが滅び行く道だとしても。
 だから、私とあなたは赦し合うことは絶対にできないし、してはならない。


 だけど……私は欲しかった。見つめてくれる真っすぐな眼差しが。私を分かってくれる人が、しっかりと思ってくれる。そんな人と気持ちを分かち合えたら、どれだけ強くいられるだろう。

 あなたと遠く離れてしばらくは、眼差しどころか姿さえ見えなくなったのに……料理がうまくできた時つい嬉しくて、
「ねえ、味をみてみて」
と言いかけて、何度その言葉が宙を舞ったことか。
 スンチェを見ては新味祭で競い合ったのを思い出し、冷麺を作っては力を合わせたことが頭に浮かび、二人で水剌間を盛り立てていけるんじゃないかと思ったりもしたと……それを打ち消し。
 思い出すまいとしても、味が分かり、あれこれ工夫し、時に突拍子もないことをしでかす人との思い出を……消すことは結局できなかった……。
 上手ねと褒めてくれる方も、もっと精進しろと叱ってくれる方もいない。
 誰も見てくれない中で誰かと張り合うことも、心を分かち合うこともできず、ただ黙々と作り時をやり過ごす。それは虚しく心を擦り減らすだけ。張り合いのない毎日が戻ってしまったの。

 そうなって分かった。誰かにではなく、誰よりもあなたに分かってもらいたいと思っていたと。
 あなたなら分かってくれると思っていて、それで余計にあなたの態度を腹立たしく感じたのかもしれない。
 でも私も、あなたのことを分かっていなかった……。

 あなただけでなく長年共に過ごしてきた叔母様のことも。お気持ちを汲み取れていないことが、まだたくさんあるのだと今になって感じたりもする。
 そして、よくよく考えてみれば……人のことは誰にも分からないのかもしれない。他の人のことだけでなく、自分自身のことさえ。
 全てを知り全てを決することができるのは、それはこの月の浮かぶ空のかなたから見られるもの、あるいは天地神明だけなのか。

 それとも何もかもは、分からないのかも。

 だったら私たちは、すれ違ったまま、分かり合えることはないのかしら。

 そうではないと思えたの。今日あなたが来てくれて、その眼差しを見て。
 あんな形で向き合うことになったのは辛い……でもね、とても嬉しかった。
 私を見ようとしてくれて、そして信じようとしてくれた……。

 まだ私の中に……誇りは……あるのだろうか。もしそうなら……私はこれから。
 分からない。分からないけれども、あなたが信じてくれるのだから……。

 チャングムの眼差しが心の中に広がり、染み渡っていく。

 ごめんなさい。私のせいで……昔は……きらきらと澄み切っていた瞳を曇らせてしまった。それがとても悔やまれる。
 あの笑顔に、どれだけ心が洗われ癒されたか。
 けれどもう、あの真っすぐな瞳を見ることはできないのでしょうね…………。

 人への思いは絶ったはずなのに……涙をこぼすまいと見上げた夜空は晴れ渡り、柔らかな風が木々に残る雪を、玉響(たまゆら)のように光り輝かせて……まだ……切ない心が残っていたなんて。

 この同じ月を、あなたもまた見ているのかしら。そして私のことを思ってくれているのかしら。

 ねえ、チャングム。いつか、あなたにだけは話したい。私を信じてくれたあなたを信じて、この思い、私の心を真正面から伝えたい。気持ちを明かせる、その時が来たら……。

                                  [完]


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☆39話の百合妄想

クミョンがヨリに「チャングムを私にささげるといったわね?」 と言いました。

クミョンがチャングムをもらったら
・「水を持ってきなさい」プレイ
・「私の足もお揉み!」とリフレクソロジー
・納屋に数日放置後、飲まず喰わずで衰弱しきったチャングムをおんぶして部屋まで連れて行く。
・その後重湯をあーんさせて介抱するも、介抱中延々と「そんな女官がいたことを」と自作ポエム披露。
・医女なんか呼ばないでクミョンがつきっきりで看病←これで治りがより一層遅くなる
・チャングムが回復するまで毎晩添い寝←これで治りがより一層遅くなる
・チャングムをだしにしてチョンホを呼び出し、ふられた腹いせに「チョンホ様より私の方が早くチャングムと出会った」と訳の分からないアピール。

なーんてやれば面白いのに(私だけが)

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