【定義】
禅宗の法要にて、諷経・回向が終わってから最後に読まれる偈文。伝統的に「略三宝」と呼ばれ、三宝がそれぞれに出て来るが、この偈文は「仏僧法」という順番になっている。
「略三宝」という呼び方が、最近の便宜的呼称だと主張する者がいるが、江戸中期の臨済宗妙心寺派・無著道忠が自らの文献で項目を立て、更に「旧説に曰く」とするからには、相当に伝統的な呼び方であったといって良い。
【内容】
仏僧法を讃歎する偈文は次の通り。
十方三世一切仏(仏)
じーほーさんしーいーしーふー
あらゆる空間・時間におわします一切の仏よ
諸尊菩薩摩訶薩(僧)
しーそんぶーさーもーこーさー
諸々の尊き菩薩たちよ
摩訶般若波羅蜜(法)
もーこーほーじゃーほーろーみー
大いなる完成された智慧よ
現在では全て七言で読まれるが、最初の「一切仏」は「一切諸仏」であったこともある。
祝聖諷経では、下記のような偈文も用いられた。祝聖諷経の特徴からいって、冒頭の「金剛無量寿仏」は、本来阿弥陀仏を示す語ではあるが、その字句を転用して、天子(皇帝・天皇)の寿命の無限なることを願っている。「仁王菩薩摩訶薩」は『仁王般若経』という護国経典の字句を入れることで護国を願っている。
また、日蓮宗で用いているものは以下の通りである。
【成立と展開】
略三宝の成立と、回向文への組み込みだが、現段階で分かっていることとして、一番早い時期だと推定されるのは、『禅苑清規』「沙弥受戒文?」や、中国曹洞宗の真歇清了禅師(1088〜1151)の作った楞厳会普回向であろう(下掲)。これらは、回向文自体の成立という観点からも早いものであり、更なる研究が期待される。
上来現前比丘衆 諷誦楞厳秘蜜咒 回向護法衆竜天
土地伽藍諸聖造 三塗八難倶離苦 四恩三有尽霑恩
国界安寧兵革銷 風調雨順民康楽 一衆薫修希勝進
十地頓超無難事 山門鎮静絶非虞 檀信帰崇増福慧
十方三世一切仏 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜
なお、「略三宝」は多分に、「十仏名」から3句のみを抜き出したと推定される。十仏名で古い形に近いと思われるのが、『正法眼蔵』「安居」巻に見える以下のものである。
清浄法身毘盧舎那仏
円満報身盧舎那仏
千百億化身釈迦牟尼仏
当来下生弥勒尊仏
十方三世一切諸仏(ここまで仏の讃歎)
大聖文殊師利菩薩
大聖普賢菩薩
大悲觀世音菩薩
諸尊菩薩摩訶薩(ここまで菩薩の讃歎)
摩訶般若波羅蜜(仏・菩薩の源泉たる智慧の讃歎)
そして、()を付記しておいたが、十仏名はこのように、本来は仏・菩薩の讃歎を行うための偈文であった。その意味では厳密に「三宝」と言えないかと思われる。だが、後に3句が抽出されると、仏名の総体、菩薩名の総体としての2句と、智慧の名が読まれていることから、これを「三宝」と解釈して、「略三宝」という名前も付いたのだろう。だが、元々は仏・菩薩であるから、「略三宝なのに仏僧法であるのはおかしいのではないか?」という疑問は、話が逆であるという可能性を指摘できよう。
禅宗の法要にて、諷経・回向が終わってから最後に読まれる偈文。伝統的に「略三宝」と呼ばれ、三宝がそれぞれに出て来るが、この偈文は「仏僧法」という順番になっている。
旧説に曰く、凡そ回向の尾に、必ず十方三世等の語有り。これを略三宝と名づく。 無著道忠『禅林象器箋』「略三宝」項
「略三宝」という呼び方が、最近の便宜的呼称だと主張する者がいるが、江戸中期の臨済宗妙心寺派・無著道忠が自らの文献で項目を立て、更に「旧説に曰く」とするからには、相当に伝統的な呼び方であったといって良い。
【内容】
仏僧法を讃歎する偈文は次の通り。
十方三世一切仏(仏)
じーほーさんしーいーしーふー
あらゆる空間・時間におわします一切の仏よ
諸尊菩薩摩訶薩(僧)
しーそんぶーさーもーこーさー
諸々の尊き菩薩たちよ
摩訶般若波羅蜜(法)
もーこーほーじゃーほーろーみー
大いなる完成された智慧よ
現在では全て七言で読まれるが、最初の「一切仏」は「一切諸仏」であったこともある。
十方三世一切諸仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。 『永平広録』巻1−69上堂
祝聖諷経では、下記のような偈文も用いられた。祝聖諷経の特徴からいって、冒頭の「金剛無量寿仏」は、本来阿弥陀仏を示す語ではあるが、その字句を転用して、天子(皇帝・天皇)の寿命の無限なることを願っている。「仁王菩薩摩訶薩」は『仁王般若経』という護国経典の字句を入れることで護国を願っている。
金剛無量寿仏、仁王菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。 『幻住菴清規』
また、日蓮宗で用いているものは以下の通りである。
十方三世一切諸仏、世尊菩薩摩訶薩、平等大慧一乗妙法蓮華経。 北尾日大編『日蓮宗法要式』15頁
【成立と展開】
略三宝の成立と、回向文への組み込みだが、現段階で分かっていることとして、一番早い時期だと推定されるのは、『禅苑清規』「沙弥受戒文?」や、中国曹洞宗の真歇清了禅師(1088〜1151)の作った楞厳会普回向であろう(下掲)。これらは、回向文自体の成立という観点からも早いものであり、更なる研究が期待される。
上来現前比丘衆 諷誦楞厳秘蜜咒 回向護法衆竜天
土地伽藍諸聖造 三塗八難倶離苦 四恩三有尽霑恩
国界安寧兵革銷 風調雨順民康楽 一衆薫修希勝進
十地頓超無難事 山門鎮静絶非虞 檀信帰崇増福慧
十方三世一切仏 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜
なお、「略三宝」は多分に、「十仏名」から3句のみを抜き出したと推定される。十仏名で古い形に近いと思われるのが、『正法眼蔵』「安居」巻に見える以下のものである。
清浄法身毘盧舎那仏
円満報身盧舎那仏
千百億化身釈迦牟尼仏
当来下生弥勒尊仏
十方三世一切諸仏(ここまで仏の讃歎)
大聖文殊師利菩薩
大聖普賢菩薩
大悲觀世音菩薩
諸尊菩薩摩訶薩(ここまで菩薩の讃歎)
摩訶般若波羅蜜(仏・菩薩の源泉たる智慧の讃歎)
そして、()を付記しておいたが、十仏名はこのように、本来は仏・菩薩の讃歎を行うための偈文であった。その意味では厳密に「三宝」と言えないかと思われる。だが、後に3句が抽出されると、仏名の総体、菩薩名の総体としての2句と、智慧の名が読まれていることから、これを「三宝」と解釈して、「略三宝」という名前も付いたのだろう。だが、元々は仏・菩薩であるから、「略三宝なのに仏僧法であるのはおかしいのではないか?」という疑問は、話が逆であるという可能性を指摘できよう。
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このページへのコメント
> とおりすがり さん
で、何でしょう?
仰っている意味を分かりかねました。
仏教徒は大乗菩薩であるとして、転化して行ったのではないかなあ、と。