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タグ検索で比叡山4件見つかりました。

瑩山

慧暁などから密教禅の系統を学んだとされ、比叡山では天台教学に接し、20歳の秋には紀伊国由良の興国寺にいた無本覚心を訪ねたともされる。この無本覚心も密教禅である。なお、近年ではこの密教禅の瑩山禅師への影響については、限定的だったという見解もある。 弘安8年(1285)、瑩山禅師は『法華経』「法師功徳品」の一文である「父母所証眼悉見三千界」を聞き、大いに悟るところがあって、「自己を変じて万物と為し、万物を変じて自己と為す、清風と明月と依然として目前に在り」とその理解したところを述べられた。義介禅師は、これを…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%e0%f2%bb%b3... - 2008年02月27日更新

懐弉

093〜1165)の曾孫であるとされる。比叡山横川に円能法印に就いて[[出家]]し、建保6年(1218)に[[菩薩戒]]を受けた。比叡山に於いては止観・倶舎・成実・三論・法相・[[浄土]]など、多くの仏教諸学を[[参究]]したが、当時流行していた[[禅宗]]の道に進むようになった。 当時、[[禅宗]]を[[挙揚]]していたのは、一方では鎌倉幕府の[[帰依]]を受けて流行した明庵栄西禅師、そして一方では、悟りを開いたと自称し中国の拙庵徳光に偈を送って認めてもらった日本[[達磨宗]]の大日房能忍の系統があっ…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%fb%d7%b2... - 2020年08月24日更新

仏法房

】''} [[道元]][[禅師]]が、比叡山時代に用いていたと思われる房号であり「[[仏法上人]]」とも、或いは「[[仏法禅師]]」とも呼ばれたようである。ところがこの呼称は、『[[正法眼蔵]]』『[[永平広録]]』等の自身の著作には使われずに、[[日本曹洞宗]]の後代の文献や、他宗派の文献にのみ登場する。 ''中比建仁寺の本願、入唐して、[[禅門]]・[[戒律]]の儀伝られしも、只校床にて事々しき[[坐禅]]の儀無りけり。国の風儀にまかせて、天台・真言などあひならべて、一向に禅院の儀式、時至て仏…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ca%a9%cb%a1%cb... - 2007年12月11日更新

詮慧

幼い頃に[[出家]]した詮慧禅師は、比叡山横川にて天台教学を学んでいたという。しかし、宋から帰国した道元禅師の評判を聞いて、尋ねていき、その時に道元禅師が行った説法を聞いて門下に入ったという。その説法とは以下のものだと伝わっている。 ''上堂。直饒、周遍大法界と[[道得]]すとも、未だ春の夢に吉凶を説くことを免れず。直饒、出入微塵裏と道得すとも、未だ紅粉作美女を免れず。若し、也、真に一微塵裏を見、親しく恒沙界を見るは、忽然として従来枉用の[[功夫]]を省覚するなり。沙界、甚と為てか大と為る。微塵…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c1%a7%b7%c5... - 2006年10月05日更新

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