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19年11月1日 合同分科会 議事録6

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○白石主査 品川委員お願いします。

○品川委員 幾つかお話しいたします。まず陰山委員がおっしゃったフィンランドやイギリスについてです。前提に法律や白書があることをご存知ない方が多いのですが、両国ともに法や白書が整備されて予算が倍増されるなどして政策が実行され子供たちの教育権が保障されていったという大きな流れがございます。再生会議ではぜひ踏み込んで、わが国でも子どもの成長発達権や自立する権利を保障するべく法をまずは整備するべきだと打ち出して欲しいと考えます。イギリスはEvery Child Mattersという白書が出たのち、社会的に排除される若者たちを少しでも早い段階で救えと世論も動き、教育予算が倍増され教育に具体的にお金をかけられるようになりましたし、アメリカもNo Child Left BehindActがあるからこそ、すべての子供への教育を保障しようと動けるようになったわけです。

 この法の場合は、お金の問題があいまいのため批判もかなり大きいわけですが、いずれにしましても、こういった法的整備がないまま、英国が、とかフィンランドが、と語るのはアンフェアだという気がしますので、そのことを先に申し上げたいと思います。法律ができますと国民の意識が変わります。これはどちらが先か、国民の意識が変わったから法が整備されたということもあるでしょうが、いずれにしても行政としてシステマティックに効果的に動けると痛感します。そうしませんと、文科省や厚労省が何かしようとしても財務省から「それは金がかかる」とストップされてしまう。法を整備し、まずは国をあげてEvery Child Mattersの発想をいかに政策に落とし込んでいくかを考えることが重要です。

 もちろん、なんでもかんでもお金をかければいいというわけではありませんが、教育には予防的な意味も大きいという発想がありませんと、結局はニートや若年ホームレスといった就労支援のところ、あるいは反社会的行動など社会保障費等でお金がかかるようになり、国家財政的にはコストはかかってしまう結果になってしまうのではないでしょうか。

 それから論点1から4までございます。すごくよくまとめていただいてわかりやすうございました。有り難うございます。一点、いい学校の定義というのは明確にする必要があるということを申し上げたいと存じます。そうしませんと、いい学校とはどうしても学力テストの平均点が高いところという意識を保護者も地域の人も持ちます。先ほど金森局長にそうではないということをおっしゃっていただきましたが、やはり保護者なら一点でも平均点の高いところに子どもを通わせたいと考えたとしても不思議ではございません。

 過日足立区で、教師がLD等のある子のテスト結果を集計から除外するとか、誤答を指で指示するなどということが起こったわけですが、そうなってしまいますと本末転倒ですよね。いい学校というのは、平均点が高い学校のことではないはずです。どれだけプラン・ドゥ・チェック・アクションして、今よりも子どもたちの学力を上げていくか、そこの伸び率の部分が問われるわけですし、そこに教師や学校としての腕の見せ所があるのだろうと考えます。ただ、今度、伸び率が大きいところがいい学校というと、もともと指導力があり平均点が高い学校は「ダメな学校」となってしまいますから、そこを両輪として捉えていく必要があります。こういった複眼的な評価に立ったとき、ここにございます「課題を抱える都道府県を支援」とありますが、課題とは何だろう、そもそもその自治体はどういう分析をして、どういう戦略のうえ指導をして、そのうえでなお課題といっているのだろうかと。なんでもかんでも「国が支援すればいい」わけでもないはずです。

 特に、取材をしているとき痛感することですが、教育現場側が求めている「支援の中身」について、細かくみていきませんと落とし穴があると思うんですね。よく「落ちこぼれ」と申しますが、子どもが自分から「落ちこぼれた」のではなく、子どもの認知と学習スタイルに応じた指導を教育者側がしてこなかったから、子どもたちを「落ちこぼしただけ」だというケースに多々遭遇します。IDA,全国ディスレクシア学会などに参加しましたときに学者や教育者たちがディスレクシア、つまり読み書きのLDの子どもたちはややもするとteaching disability、つまり教師の指導方法の問題、学校のマネジメントなどの問題で、勉強についてこれなくなってしまうことが話題になったのですが、全国を取材しておりますとつくづくその通りだと痛感いたします。「あの子は怠けているだけ」と大人は簡単に言いますが、学校で勉強できなくてもいいやと思っている子どもは一人もいません。一生懸命やってもできないから、どうせ自分はバカだからもういい、と諦めてしまう。もちろん分かりすぎて飽きてしまう子もいますが、そういう子はテストでは点がとれるわけですから。ですから、教師はすぐに子供の努力不足とか家庭の問題と言うのですが、努力不足ではなく教える側の教え方の問題であること、子どもには生まれてくる家庭は選べないのですから、すべての子どもの成長発達権、自立する権利等を保障する視点に立ち、いい学校とはどういう学校かを打ち出していただきたいと思います。

 また法整備とともに、認知の学習スタイルの多様性を踏まえ、個々の子どもの教育的ニーズに応じた指導を通常学級でやっていくということを根づかせる必要がございます。よく「保護者の理解が得られないから診断をうけてもらえないので指導できない」ということを平気でいう教育委員会や教師がいますが、改正学校教育法には一言も「診断がある子を支援する」とは書いていません。子どものでこぼこを知るために診断は必要な場合もありますが、診断名はときに子どものニーズをみる目を曇らせてしまうことがあります。また、発達障害についていえば正しく診断できる医者など非常に少なく、アメリカでも状態像を学際チームで数ヶ月かけて鑑別していくわけです。だから「保護者が納得しないから診断できないので支援できない」というのは教育者側の怠慢だとはっきり申し上げたい。

 また、学習困難の子供たちに対して、その認知と学習スタイルに応じた指導をすることが、結果的には学習不振の子どもたちの学力も上げることになり、結果的には学力全体の底上げに直結していきます。だから、そこを国としてはぜひ徹底していただきたい。

 ただ、小学校4年生レベルの基礎学力不足は反社会的行動のリスク要因でもあります。
だから「できなくてもしょうがない」ではなくて、力をつけさせていくことが大事なのです。そういった情報を国がバランスよく出していくことも必要であろうと思います。

 それから、基礎的学習の向上、すごくいいんですけれども、学習の向上ではなくて、やはり能力の向上、スキルの向上というところにターゲットをおいていただきたいんですね。

 そうしませんと、例えばここに書いてある事例で、「読み書き計算の反復学習」とございます。反復学習して伸びない子はどうするのでしょうか? しつこくて申し訳ないのですが、反復学習して伸びる子もいれば、認知や学習スタイルが反復学習に合わない子もいるのです。これはもうエビデンスもあることで、なにより文科省も認めていることであり、そういう子は通常学級のなかに全国調査では6.3%、欧米では通常10%はいるといわれています。だからこそ、先ほど来申し上げておりますEducation for Allとか、NoChild Left Behind Actみたいな発想がなければ、マジョリティの学び方ではない子は「落ちこぼされていく」可能性が大きい。大事なことは個々の子どもの持って生まれた能力を、認知と学習スタイルの多様性に応じて最大限伸ばし、社会で生きていける、自立する権利を保障することです。そこのところをしっかりと明文化してください。


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2008年01月13日(日) 16:50:21 Modified by ID:foT7vCcagg




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