曹洞禅・仏教に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々について管理人が研究した結果を簡潔に示しています。曹洞禅・仏教に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

タグ検索で御抄7件見つかりました。

正法眼蔵聞書

が著したと考えられている。詳細は、『[[御抄]]』項参照のこと。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%b5%cb%a1%b4... - 2023年05月18日更新

御抄

眼蔵抄』が正式な名前だが、敬意を表して『御抄』と略されたり、[[泉福寺]]の[[影室]]に伝わったことから『[[影室抄]]』ともいい、長く秘せられていたため『秘鈔』とも呼ばれた。もし、『正法眼蔵』を参究したいならば、参照すべき第一級資料である。 &color(blue){''【内容】''} [[道元]]禅師の直弟子・京都[[永興寺]][[開山]][[詮慧]]禅師は、[[道元]]禅師の[[説法]]を聞いて、それによって諸宗への批判を行い、その上に達意的に[[曹洞宗]]の立場を構築しようとした。それを『正…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b8%e6%be%b6... - 2007年01月04日更新

梵網経略抄

蔵]]』の註釈書である『正法眼蔵抄([[御抄]])』を完成させた[[経豪]][[禅師]]が、それに引き続いて完成させた『梵網経』に関する註釈書のこと。ただし、その全文への註釈ではなく、あくまでも[[宗門]]所伝の[[十六条戒]]に因む、[[十重禁戒]]・四十八軽戒に関する内容となっている。延慶2年(1309)6月16日になったという。伝写本が大分県泉福寺に残り、『正法眼蔵抄』に付録される形で見ることが出来る。なお、この『梵網経略抄』は江戸時代の学僧・[[万仭]]道坦師が、[[禅戒]]論を展開するにあたって…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%db%f0%cc%d6%b7... - 2010年02月18日更新

正法眼蔵抄

''【定義】''} 通称『正法眼蔵[[御抄]]』と呼ばれる『[[正法眼蔵]]』の註釈書のこと。詳細は『[[御抄]]』項参照のこと。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%b5%cb%a1%b4... - 2016年11月06日更新

寂光

細は知られないが、『[[正法眼蔵]][[御抄]]』の成立に関わった。 生没年:不明 俗姓:不明 出身地:不明 &color(blue){''【内容】''} 『[[正法眼蔵抄]]』「[[諸悪莫作]]」巻の奥書には、次のようにある。 ''弘長三年二月日 寂光と我と聞書の上、予の聞書の言葉を加うる也。取捨すべき者也。 菩薩比丘ヽヽ'' ここから、『[[正法眼蔵聞書]]』の成立が弘長3年(1263)の頃であり、また[[詮慧]]とともに寂光が加わっていたことが分かる。また、[[面山]]瑞方師は『[[訂…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bc%e4%b8%f7... - 2010年08月19日更新

打任

最初の註釈書である『[[正法眼蔵]][[御抄]]』では、この一句を通常の人間の常識という意味で捉え、そのような凡夫の思考に任せてしまうことを批判するために使う言葉。そして、『御抄』はその解釈を通して『[[正法眼蔵]]』の論理の特殊性を際立たせている。 ''迷いを[[大悟]]するを諸仏と云、悟に大迷なるを[[衆生]]と云ふ、是は打任て、[[凡夫]]等の思ならはしたる義に同じぬべし。但是は其義なるべからず。迷悟諸仏衆生但[[同事]]也。不可有差別故、[[悟上得悟]][[迷中又迷]]と被結。只[[諸法]]…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%c7%c7%a4... - 2007年12月16日更新

経豪

法眼蔵]]』の註釈書である『正法眼蔵[[御抄]]』を著した。 生没年:不詳 出身地:京都と推定 俗 姓:五辻宣経の子という説がある &color(blue){''【略歴】''} [[出家]]して比叡山に上り、法印位にまで上ったものの、叔父の花山院宰相入道が[[道元]]禅師に参じた因縁から、道元禅師の会下に入り、道元禅師示寂後は[[法嗣]]である詮慧の弟子となり、その法嗣となった。詮慧にしたがって京都・[[永興寺]]に赴き、師の成果を受けて『正法眼蔵御抄』を撰述した。 &color(blue){''…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b7%d0%b9%eb... - 2007年04月27日更新

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