『君には心底失望させられたよ』
大陸北部の過半を支配する、大英雄が築きし帝国。
その覇道を支える研究院において僕がそう告げられたのは、つい先日の事だった。

幼い頃から、僕には一つの衝動がある。
この世の全てを知り尽くしたい。
魂の奥底にこびり付いているとすら確信出来るそれは、常に僕を突き動かしてきた。
初めは極簡単な物。
生まれた村にあった井戸を見れば、掘り方に興味が沸き。
畑の作物を見れば、調理法を聞いて回る。
その程度の、多少知りたがりな子供として、僕は育った。
そう、そこまではどこにでも居る、ただの子供だった。
転機は突然の啓示。
十歳の洗礼を受けるために訪れた神殿で聞き取った、神の声である。
"求め、穿ち、暴くが良い。
 お前が挑み続ける限り、私は与え続けよう"
それで、全てが変貌した。

神の言葉は真実であった。
それまで理解の及ばなかった物事にも手が届くようになったのだ。
無論、何の代価も無しにという訳ではない。
必死で学び、幾夜も悩み、自身の不足に臍を噛む。
しかし、その心を苛む苦難を乗り越えれば、全てが自身の血肉と化した。
何もかもが正しく報われる。
かの試練を司る神の権能は、そういう物なのだと理解した。
そこに自身の性能など、一切が無関係。
僕は狂喜し、あらゆる物事を学んだ。
学び、学び、学び、神の導きに従って未知に対して挑み続け。
そうして、いつしか辺境の賢者などと大層な名で呼ばれるようになった頃。
帝国の研究院から僕に誘いがかかったのは、いっそ当然の事であったのかも知れない。

帝国が誇る研究院は、僕にとってまさしく楽園そのものと言えた。
この世の知を集積させたそこは、巷に曰く大陸の脳髄。
数多の未知を既知に変え、無数の既知から未知を生み出す。
物を知らぬ愚者は大袈裟だと吹くその評価は、僕に言わせれば的確という言葉すら不足であった。
そこでも僕の行動は変わらなかった。
学んだのだ。
学び、学び、学び、学び、学び……飢えた獣のように知を貪った。
辺境の賢者という呼び名から、辺境の文字が取れるまでにかかった時間は酷く短い。
研究院の大図書館、そこに置かれる蔵書の内容、全てを呑み尽くした頃には、僕は既にそう呼ばれていた。
順風満帆。
胸を張ってそう誇る事の出来た生活は、しかし突然に終わりを告げた。
失敗はただ一つ。
僕は、人間という物に関して余りに無知過ぎたのだ。

『君をこれ以上ここに置いておく訳にはいかない。
 これほどの混乱を引き起こしたのだ。
 よもや異論はあるまいね』
僕を研究院に引き込んだ恩人は言う。
僕の行いによって、院の派閥が大混乱に陥ったのだと。
僕自身はどこの派閥にも所属していなかった。
興味の赴くままにあらゆる部署を渡り歩き、その全てを暴き立てた。
学び。
それは人生における最大の幸福であると、僕は確信している。
そしてそれを求める他者に、相応の代価と引き換えに分け与える事は、神の使徒として当然の事である。
僕は優秀であるという。
少なくとも、院の重鎮達はそう判断していたようだ。
必然、僕を手元に引き込むために、派閥の秘とされる研究にすら触れさせて貰えたのだ。
……そうして得た全てを、僕は誰にでも公開した。
『命があるだけでも望外の幸運だと思いたまえ。
 もし院外に漏洩していたなら、その首は今頃刑場で落とされていた』
折衝に当たってくれたという恩人は、怒りを滲ませながらそう語った。

知識の漏洩を防ぐため。
そう言って差し出された、魔法によって他言を禁じる証文に署名した次の日には、僕は路頭に迷う事となった。
財産は制裁として奪われている。
残されたのは旅装と、僅かな銀貨のみ。
この年まで知に全てを注いできた僕である。
手に職がある訳でもなく、得た知も他者に伝える事はもう出来ない。
一月もせずに野垂れ死ぬのは間違い無いと、院の誰もが語っていた。
……その予想は正しい。
僕はきっと、もうすぐ死ぬのだろう。
ただし、死に場所だけは、彼らの予想の外にある。
立つのは、山中の洞窟、その只中。
岩で構成された道を抜けた先の、迷宮の入り口。
結局、僕に出来る事はたった一つ、未知を暴き立てる事だけだ。
神が作りし迷宮。
その未知は人界の比ではない。
これまで挑まなかった理由は、死の危険が余りに高すぎるため。
せめて死んでも良いように、世の全てを知り尽くしてからにすべきと後回しにしていたに過ぎない。
僕の死は恐らく確定した。
人界の未知を暴く手段は奪い去られた。
ならば、迷宮に挑まない理由は残っていない。

"捨て鉢になっているだけと人は言うだろう。
 その自覚も十分にある。
 きっと僕はこの選択を後悔する。
 恐怖に震えて涙に塗れ、今この瞬間の自分自身を罵倒するだろう。
 ……だけど、逸る心を押し留めるなど、どうしてこの僕に出来るというのか!"
◆ ダンジョン 【葉脈の迷宮】 の攻略を開始します。

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