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迷宮。

神が作りし試練。
魔物が蔓延る人外魔境。

人の想像しうるあらゆる悪夢が恋人のごとく隣に侍る、死の坩堝。


その最奥を暴き、支配者たる主の首を落とした者を、人は英雄と呼び讃える。


人間種の規格外たる英雄。
その中にも更に規格外とされる者達が居る。

大英雄と呼ばれる彼らは、五人。

五百年の長きに渡り攻略不能と断じられ続けた 【竜の巣】 の主、その首を落とした、竜殺しの男。
【天を往く魔城】 を地に落とし、今なお続く大帝国の礎を築き上げた、魔道帝。
戦で滅びた小国を丸ごと飲み込んだ 【死者の王国】 、その全てを浄化した、救国の聖女。
武器すら持たず、己の体ただ一つで数多の迷宮の地図を描いた、探索王。


そして、最も新しく、最も多くの吟遊詩人がその名を語る、五人目の大英雄。


九つの迷宮の主を制し、手にした秘宝で万の民を救い上げた、双剣の少女。


吟遊詩人の詩に曰く、彼女は清廉潔白を絵に描いたような人だったという。

不正を嫌い、悪を許さず、弱きを助け、強きを導く。
英雄たるものかくあるべし。

誰もが知り、誰もが憧れ、しかし誰も歩けぬ光の道。

そこをただ真っ直ぐに歩み続けた、人の形を取った善なる神の使徒であると。



だけど、それは少しだけ違っていると、私は知っている。

あの人は……私の姉は、ただ何もかもを楽しみたかっただけなのだ。


"気に入らないのよ。
 私は面白おかしく観光を楽しみたかっただけなのに、誰も彼もお葬式みたいな顔してるんだもの。

 たまったもんじゃないわ"


冒険の後は、決まってそんな風に語っていた。


私と姉が生まれた家は、貧乏過ぎず、裕福過ぎず、子供二人を十分に健やかに育てられる環境にあった。
家族の間に諍いはなく、姉にも過剰なくらい愛されて育ったからか、姉が嘘を言っているかどうかはすぐに分かる。

姉の言が照れ隠しでも謙遜でもない、ただの心の底からの本心だと分かってしまって、
私はいつもいつも何と言えば良いのかと困ってしまったものだった。


この時は確か、西の砂漠へ赴いた後の事だ。
英雄業はお休みして太古の王の墓に登頂してくる、などと言って飛び出し、結局いつも通り小国を救ってしまったのだ。


"でも、働かされちゃったのは予定外だったけど、良い物見れたから良しかな。
 まさかオアシスが幾つも繋がって、水竜が住むなんてね。
 この私でも砂漠であれはビックリだったわ"


オアシスがダンジョンの奥へと呑まれて、砂漠の民は亡国すら覚悟しただろう。
きっと、姉がたまたま訪れなければ、沢山の死人だって出たはずだ。

それを食い止めた姉は、彼らが助かって良かったなどとは語らない。

皆が笑顔になれた国で、私も気分良く笑顔になれて良かったと、そう語るのだ。


そんな姉が数年前、森林浴を楽しんでくる、などと言って家を飛び出した時、私は何の心配もしていなかった。

帰りが遅いと思ってみれば、大森林が迷宮に変じたという話が届き、
それでも私は暢気に、きっとまた姉が解決するんだろうな、と思うだけだった。

……あんな事になるなんて、ほんの少しも、思ってはいなかった。



数ヶ月が経って、家に帰ってきたのは、二つの物だった。


一つは、半ばで折れた姉の剣。
同じ物を毎日見ている私が、それを見紛うはずもない。

自由気ままに冒険に憧れる私に、姉が贈ってくれた、同じ作りの二振りの剣。
守り刀という異国の文化だと語り、楽しそうに壁に掛けてくれたそれを、私は毎日眺めて過ごしていた。


もう一つは、黄金に輝く、迷宮の果実。


"剣は邪魔なら捨てていっても良い。
 だけど、この実だけは何があっても届けて欲しい"


それを運んできてくれた、姉の片腕と引き換えに命を助けられたという冒険者達が、最期の言葉を教えてくれた。


迷宮の中に、極希に実るというその果実は、多くの伝説に語られている。

曰く、山すらも動かす力を与える。
曰く、海すらも割る魔法を授ける。

そして曰く、あらゆる傷と病を癒す。


まだずっと幼い頃、私は馬車に轢かれて足を失った。

あらゆる傷と病を癒す。
大神殿の神官達は、彼らの祈りが齎す奇跡を、そう自称する。
伝説の果実と同じ言葉を真似て。

それが言葉通りのものではないと、私は身をもって知っている。
奇跡は、時間が経ち過ぎた傷は癒せない。


私の家は貧しくはない。
けれど、奇跡を受けるためのお布施を支払えるほど、豊かでもない。

だから私は何もかもを諦めていた。

姉さえ健やかなら、それで良い。
姉さえ笑顔で、世界を駆け巡ってくれるなら、ここで憧れ続けていられるなら。

私は他に何も、いらなかったというのに。



声が、聞こえるような気がした。



"気に入らないのよ。

 面白おかしく冒険を楽しみたいのに、
 可愛い妹がずっとベッドで寝てるんじゃ、何もかもが台無しじゃない"



姉が居なくなってから、家の中はいつも陽が沈んだようだった。

父は口数が減って、酒場へ出かける事が多くなり、
母は気丈に振舞っていても、姉の面影を見つける度に息を止める事を知っている。

きっと、姉が居たなら、こう言うはずだ。


"気に入らない"

と。



私には何も出来ない。

迷宮の秘宝の力で人を超えようとも、その本質は姉に憧れるだけのつまらない女でしかない。
私は、姉の帰りを待つ事しか出来ない、鈍臭くて頭も悪い家族のお荷物なのだ。

だから、私には何も出来ないから。

結局今度もまた、姉に頼る事しか出来ない。



"だから、お願い。
 一緒に家に帰ろう、姉さん"

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