スペイン共和国軍(スペイン語: Ejército de la República Española)は、スペイン共和国の保有する軍隊である。
陸軍、海軍、空軍の三軍のほか、衛兵部隊であるラファエル・デル・リエゴ衛兵連隊からなる。
スペイン共和国軍 Ejército de la República Española | |
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スペイン共和国軍の紋章(国章) | |
指揮官 | |
最高司令官 | ペドロ・サンチェス首相(緊急時) |
国防相 | マルガリータ・ロブレス |
司令官 | 国防参謀総長 フェルナンド・ガルシア・サンチェス提督 |
総人員 | |
兵役適齢 | 18歳から |
徴兵制度 | なし |
現役軍人数 | 307,000人 |
予備役 | 609,000人 |
財政 | |
予算 | 1兆9574億8800万ペセタ? |
軍費/GDP | 1.2% |
- 陸軍
- 海軍
- 空軍
- ラファエル・デル・リエゴ衛兵連隊(衛兵)
改革後、1904年に前合わせがフライフロントの野戦服が導入された。基本的にポケットはないが、上級下士官や将校では個人の裁量で付けているものもある。色はプルシアンブルーだが、騎兵は灰色となった。またピッケルハウベも1905年に導入された。1912年に「野戦灰色」の生地を歩兵および砲兵の野戦服に採用した。1913年3月5日にウーラン、竜騎兵、胸甲騎兵、1914年2月23日には将校服にも導入された。軽騎兵はウーランカ、徒歩砲兵はブランデンブルグ型袖で前合わせのパイピングが赤、袖が黒。工兵はスウェーデン型袖で胸、襟ともに黒。航空部隊は袖章を除き砲兵と同様で、肩章はグレーの台にプロペラが付く。略衣の襟章は黒に赤淵。制帽は砲、工、通信、鉄道兵は赤パイピングに黒い鉢巻であった。
1918年には、袖口ボタンなどを廃した略式戦闘服が制定される。また全兵科共通野戦服が制定され、同時に兵科色が制定される。前合わせはフライフロントとなった。なお、特技兵であった猟兵、狙撃兵、騎猟兵、乗馬猟兵はグレーグリーンであった。この他、1919年に年に平時礼装が制定された。
第一次世界大戦中の1918年からピッケルハウベはシュタールヘルムに変えられた。
野戦灰色の制服を着てシュタールヘルムを被り、行進する兵士たち
植民地では主に灰色の軍服に防水帽が使用された。防水帽のパイピングの色は、モロッコが赤、プエルトリコは青、ギニアでは黄色であった。その後、詰襟6つボタンの簡素な野戦服が着用されるようになった。1905年に青の詰襟やポーランド式の袖に銀のパイピングを配したコーデュロイの被服が制定された。防水帽のほか、フランス風のケピ帽も使用した。襟、ボタン合わせ、袖に青のパイピングを配したカーキの防暑モデルもある。1909年にコーデュロイ、カーキともに折襟となる。1918年11月19日にされる。帽子が官帽となるほか、袖もポーランド式の山形袖から直線に変更された。1931年には本国軍の新型制服(1929年型)に統一された。
1929年に陸軍の将兵の野戦服はフィールドグレーを基調とし、襟のみダークグリーンで、胸と腰の左右に貼り付けポケットが付けられていた。肩章で階級が示される。襟章は将官がラーリシュ刺繍というアラビア風唐草模様、非将官はドッペルリッツェン という並行した2本の線のデザインである。制帽の顎紐は将校が捻り紐(将官は金、非将官は銀)、下士官以下は革だった。制帽は携帯に便利な略帽や規格帽に変えることができた。1935年に戦闘用ヘルメットのシュタールヘルムは新型となり、デザイン的により洗練され、軽量化、耐破片能力向上も図られていた。靴ははじめ全兵に黒革のブーツが支給されていた。スペイン内戦中はフランコ派らがそのままの軍服を着たのに対し、共和国派は従来の軍服だけでなくソ連やイギリス、フランスから支給されたものを着ている兵士が多く、民兵や市民は私服を着ていることも多かった。
1929年に導入された新型制服を着た将校たち
内戦中、私服で戦う市民達
内戦後は、内戦前によく似た折襟軍服が将校・下士官兵ともに使用されていた。ヘルメットはM56ヘルメットに変更された。幾度のマイナーチェンジを繰り返し、1970年頃より、将校は4つボタンの開襟軍服と、親衛隊の軍服のようなデザインとなった。下士官兵は、多少デザインが変更された5つボタンの折襟であったが、70年代後半より、4つボタンでネクタイを締めることが主であった。帽章は国家章をオークの葉で囲ったものである。
戦闘服については「フィヨルドパターン」と呼ばれる4色迷彩と、1960年代より登場して主流となった「レインドロップパターン」と呼ばれる、黄土色を基調とし、縦に茶色の点線が入った迷彩の2種類が採用されていた。後者は少し離れてみると点線が目立たなくなり、結局ただの単色布地に見えることから、酷評だった。初期型の戦闘服は胸ポケットが2つのみだったが、後期型では切り込み型の腰ポケットと、袖の上腕に小ポケットと包帯包を取り付けるためのループが追加された。 1970年代半ばより採用された新型では、貼り付け型腰ポケット2つが追加され、階級章を付ける位置が、肩から上腕へ移動するなど、改良されている。1988年からは新型迷彩とフリッツヘルメットが導入された。2018年からは改良されたACHヘルメットに置き換えられた。は2019年からはより洗練されたACU迷彩服が導入されている。なお現在も儀礼用としてM56ヘルメットは着用されている。
1988年までの戦闘服
M56ヘルメットを着用したラファエル・デル・リエゴ衛兵連隊の兵士
現在の戦闘服
1918年には、袖口ボタンなどを廃した略式戦闘服が制定される。また全兵科共通野戦服が制定され、同時に兵科色が制定される。前合わせはフライフロントとなった。なお、特技兵であった猟兵、狙撃兵、騎猟兵、乗馬猟兵はグレーグリーンであった。この他、1919年に年に平時礼装が制定された。
第一次世界大戦中の1918年からピッケルハウベはシュタールヘルムに変えられた。
野戦灰色の制服を着てシュタールヘルムを被り、行進する兵士たち
植民地では主に灰色の軍服に防水帽が使用された。防水帽のパイピングの色は、モロッコが赤、プエルトリコは青、ギニアでは黄色であった。その後、詰襟6つボタンの簡素な野戦服が着用されるようになった。1905年に青の詰襟やポーランド式の袖に銀のパイピングを配したコーデュロイの被服が制定された。防水帽のほか、フランス風のケピ帽も使用した。襟、ボタン合わせ、袖に青のパイピングを配したカーキの防暑モデルもある。1909年にコーデュロイ、カーキともに折襟となる。1918年11月19日にされる。帽子が官帽となるほか、袖もポーランド式の山形袖から直線に変更された。1931年には本国軍の新型制服(1929年型)に統一された。
1929年に陸軍の将兵の野戦服はフィールドグレーを基調とし、襟のみダークグリーンで、胸と腰の左右に貼り付けポケットが付けられていた。肩章で階級が示される。襟章は将官がラーリシュ刺繍というアラビア風唐草模様、非将官はドッペルリッツェン という並行した2本の線のデザインである。制帽の顎紐は将校が捻り紐(将官は金、非将官は銀)、下士官以下は革だった。制帽は携帯に便利な略帽や規格帽に変えることができた。1935年に戦闘用ヘルメットのシュタールヘルムは新型となり、デザイン的により洗練され、軽量化、耐破片能力向上も図られていた。靴ははじめ全兵に黒革のブーツが支給されていた。スペイン内戦中はフランコ派らがそのままの軍服を着たのに対し、共和国派は従来の軍服だけでなくソ連やイギリス、フランスから支給されたものを着ている兵士が多く、民兵や市民は私服を着ていることも多かった。
1929年に導入された新型制服を着た将校たち
内戦中、私服で戦う市民達
内戦後は、内戦前によく似た折襟軍服が将校・下士官兵ともに使用されていた。ヘルメットはM56ヘルメットに変更された。幾度のマイナーチェンジを繰り返し、1970年頃より、将校は4つボタンの開襟軍服と、親衛隊の軍服のようなデザインとなった。下士官兵は、多少デザインが変更された5つボタンの折襟であったが、70年代後半より、4つボタンでネクタイを締めることが主であった。帽章は国家章をオークの葉で囲ったものである。
戦闘服については「フィヨルドパターン」と呼ばれる4色迷彩と、1960年代より登場して主流となった「レインドロップパターン」と呼ばれる、黄土色を基調とし、縦に茶色の点線が入った迷彩の2種類が採用されていた。後者は少し離れてみると点線が目立たなくなり、結局ただの単色布地に見えることから、酷評だった。初期型の戦闘服は胸ポケットが2つのみだったが、後期型では切り込み型の腰ポケットと、袖の上腕に小ポケットと包帯包を取り付けるためのループが追加された。 1970年代半ばより採用された新型では、貼り付け型腰ポケット2つが追加され、階級章を付ける位置が、肩から上腕へ移動するなど、改良されている。1988年からは新型迷彩とフリッツヘルメットが導入された。2018年からは改良されたACHヘルメットに置き換えられた。は2019年からはより洗練されたACU迷彩服が導入されている。なお現在も儀礼用としてM56ヘルメットは着用されている。
1988年までの戦闘服
M56ヘルメットを着用したラファエル・デル・リエゴ衛兵連隊の兵士
現在の戦闘服
改革後は5個ボタン4ヶ掛けダブルの制服となった。この制服は将校の他、准士官および上級下士官も着用した。水兵および下級下士官の制服は一般的なセーラー服である。この制服は1988年までほぼ変更がなかった。
1989年からは帽章は、錨を柏の葉が囲む意匠が胴部につき、クラウン部には円形章がつく。兵士は水兵帽のクラウン部に円形章のみがつく。
尉官制帽の庇には金色の波模様、佐官制帽の庇には1列の金の柏葉、将官制帽の庇には2列の金の柏葉が飾られる。
階級は兵・下士官が上腕部の臂章で、将校が袖口の金線で表される。従来将校の上衣に併用されていた、陸軍に準じた肩章は廃され、他の多くの国で用いられている例に準じて、黒地に袖口の階級章と同じ金線を配した肩章が夏服・コート・セーターに用いられるようになった。
現在の海軍の制服
1989年からは帽章は、錨を柏の葉が囲む意匠が胴部につき、クラウン部には円形章がつく。兵士は水兵帽のクラウン部に円形章のみがつく。
尉官制帽の庇には金色の波模様、佐官制帽の庇には1列の金の柏葉、将官制帽の庇には2列の金の柏葉が飾られる。
階級は兵・下士官が上腕部の臂章で、将校が袖口の金線で表される。従来将校の上衣に併用されていた、陸軍に準じた肩章は廃され、他の多くの国で用いられている例に準じて、黒地に袖口の階級章と同じ金線を配した肩章が夏服・コート・セーターに用いられるようになった。
現在の海軍の制服
帽章は、翼を柏の葉が囲む意匠が胴部につき、クラウン部には円形章がつく。
尉官制帽の庇には銀色の波模様、佐官制帽の庇には1列の銀の柏葉、将官制帽の庇には2列の金の柏葉が飾られる。階級は陸軍のパターンに準じた肩章で表される。襟章は兵科色の長方形の台布に、兵・下士官が銀色の飛ぶ鳥の意匠、尉官が半円形の柏葉のリースの上に飛ぶ鳥の意匠、佐官が長円形の柏葉のリースの内側に飛ぶ鳥の意匠を配したものが用いられる。
尉官制帽の庇には銀色の波模様、佐官制帽の庇には1列の銀の柏葉、将官制帽の庇には2列の金の柏葉が飾られる。階級は陸軍のパターンに準じた肩章で表される。襟章は兵科色の長方形の台布に、兵・下士官が銀色の飛ぶ鳥の意匠、尉官が半円形の柏葉のリースの上に飛ぶ鳥の意匠、佐官が長円形の柏葉のリースの内側に飛ぶ鳥の意匠を配したものが用いられる。
上記でも述べたとおりプロイセン式の軍楽が導入され、その伝統は今にも引き継がれている。大帰営業譜(スペイン語: Gran tatuaje ドイツ語: Großer Zapfenstreich )などもドイツ式である。しかし、ナチスで多用された軍楽などは忌避されている。また近年ではプロイセン風の独自曲の作曲も盛んである。
日本語名 | スペイン語名 | ドイツ語名 | 採用年 | 廃止年 | 試聴 | 備考 |
導入行進曲 | Marcha señuelo | Lockmarsch | 1901 | 試聴 | 各行進曲の前や行進曲間の繋ぎに演奏する | |
プロイセンの栄光 | Gloria de Prusia | Preßens Gloria | 1901 | 1939 | 試聴 | |
ヨルク軍団行進曲 | Marcha del Cuerpo Yorck | Marsch des Yorckschen Korps | 1901 | 試聴 | ||
1756行進曲 | Marzo 1756 | Marsch 1756 | 1901 | 1939 | 試聴 | |
フィンランド騎兵隊行進曲 | Marcha de la caballería finlandesa | Marsch der Finnländischen Reiterei | 1901 | 1939 | 試聴 | スウェーデンの行進曲 |
パッペンハイマー | El Pappenheimer | Der Pappenheimer | 1901 | 1936 | 試聴 | |
ムシナン行進曲 | Marcha de Mussinan | Mussinan Marsch | 1901 | 試聴 | ||
プロイセン・プレゼンティア・マーチ | Marcha de presentación prusiana | Preußischer Präsentiermarsch | 1901 | 1945 | 試聴 | |
海軍・プレゼンティア・マーチ | Marcha de presentación marina | Marine-Präsentiermarsch | 1901 | 1945 | 試聴 | 海軍用 |
ファーベリナー騎兵隊の行進 | Marcha de caballería fehrbelliner | Fehrbelliner Reitermarsch | 1902 | 1939 | 試聴 | |
ケーニヒスグレーツ行進曲 | Königgrätzer marzo | Königgrätzer Marsch | 1902 | 1945 | 試聴 | |
エリザベートの行進曲 | Marcha de la Elisabether | Marsch der Elisabether | 1902 | 試聴 | ||
ペテルブルク行進曲 | Marzo desde Petersburgo | Marsch aus Petersburg | 1903 | 試聴 | あまり演奏されない | |
アレキサンダー行進曲 | Alejandro March | Alexandermarsch | 1903 | 試聴 | ||
キールへの挨拶 | Saludos a Kiel | Gruß an Kiel | 1903 | 試聴 | 海軍用 | |
墨入れ | Tatuaje | Zapfenstreich | 1903 | 試聴 | 大帰営譜用 | |
連隊の挨拶 | Saludo de regimiento | Regimentsgruße | 1927 | 試聴 | ||
ラリダー | Laridah | Laridah | 1929 | 試聴 | ||
閲兵行進曲 | Revue marzo | Revue-Marsch | 1929 | 試聴 | ||
ストリート行進曲 | Marcha callejera | Straßenmarsch | 1931 | 試聴 | ||
1号ストリート行進曲 | Straßenmarsch Nr.1 | Marcha callejera No.1 | 1931 | 試聴 | ||
共和国軍1号行進曲 | Marchas de desfile de la ERE | Parademarsch der NVA Nr.1 | 1933 | 試聴 | ||
シルヴィア行進曲 | Marcha silviana | Silvianer Marsch | 1934 | 試聴 | ||
街への行進 | Marcha hacia el centro de la ciudad | Zum Städtele hinaus Marsch | 1935 | 試聴 | ||
乾杯 | Salud | Jubelklänge | 1935 | 試聴 | ||
国境警備隊行進曲 | Marcha de las tropas fronterizas | Marsch der Grenztruppen | 1936 | 試聴 | ||
友よ!太陽へ、自由へ! | Hermanos al sol, a la libertad | Brüder, zur Sonne, zur Freiheit | 1937 | 試聴 | ||
テンポ114 | Tempo114 | Tempo114 | 1940 | 試聴 | ||
共和国軍プレゼンティア・マーチ | Marcha de presentación de la ERE | Präsentiermarsch der NVA | 1945 | 試聴 | ||
共和国海軍プレゼンティア・マーチ | Marcha de presentación de la ARE | Präsentiermarsch der Volksmarine | 1945 | 試聴 | 海軍用 |
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