最終更新:ID:wDz4+uLbFw 2021年05月06日(木) 20:09:57履歴
カズの特訓・前編 〜朱里先生のスパルタ授業〜
「はぁ…」
暖かな日差しの降り注ぐ放課後の屋上で、そびえ立つ柱が溜め息を吐いた。
否、それは柱の如き長身の少女だった。
カズこと大江和那。親切高校に通う、ごく普通の少女。
身長は190を越え、古武術の達人。
更に、自分や手に取った物の重力の方向を操る事が出来る超能力を持つ。
そんな事が出来るだけの、普通の、まっとうな高校生である。
そんな彼女が、校舎の屋上で溜め息を吐いている理由。
それは、今彼女が抱えている、ある悩みが原因だった。
「はぁ…」
再び大きな溜め息を吐くのとほぼ同時に、屋上の扉が開かれた。
「やっと来たか、待っとったで。」
振り返りながら言うカズに、来訪者は近付いていく。
「何の用かしら大江さん、こんな所に呼び出して。」
そう言ってにこやかに、来訪者―――浜野朱里は笑った。
「ここにはウチしかおらん。気色悪いしいつも通りでええで。」
カズの言葉を聞いて、朱里は周囲を見回す。
キュィィン、と機械の動く音が小さく聞こえた後、朱里の表情が消えた。
「で、用件は何?」
先程の笑顔はどこへやら、鋭い目つきでカズを睨む。
「また勝負がしたいって言うんなら相手になっても良いわよ?」
何があっても対応できる適当な距離を保ち、朱里が構える。
「いやいや。素の状態での勝負やったら、まだあんたにはかなわへん。」
言葉の通り、へらへらと笑うカズに戦おうという意思は感じられない。
「だったら何よ。」
苛立ちを露わにし、朱里の語気が強まる。
すると、カズはそれまでの陽気な表情に影を落とし、頭を掻く。
「そう怒るなや。その…言いにくい事やから、こっちかて心の準備がやな…」
「あぁそう。じゃあ出来てから呼んでね。」
「ま、待たんかい!」
ばっさり切って帰ろうとする朱里を慌てて止める。
「気が利かんなぁお前。そこはこっちが話しやすくなるように、どうしたのーとか何かあったーとか聞くところやないか?」
「あら、気が利かなくてごめんなさい。ならもっと優しい人に相談しなさい。」
「だー!わかった!言うからちょい待て!」
居直り気味に告げると、朱里はようやく向き直った。
「…どうぞ。早くね。」
「…あ、あんなぁ…」
カズは大きく深呼吸をすると、意を決して口を開けた。
「お、男の子って…ウチみたいな女の体でも、興味あるんかな…?」
「じゃあね大江さん、また明日。」
「あああ待って待って行かんといて〜!!」
カズは泣きながら、来た時以上のわざとらしい笑顔で立ち去ろうとする朱里の腕にしがみ付く。
「話ぐらい聞いてくれてもええやないか!」
「そんなくだらない事に付き合ってるほど暇じゃないのよ。」
「く、くだらないとはなんや!ウチにとっては一大事や!!」
「あんたにとっては一大事でも、あたしにとってはくだらないのよ!」
無視して帰ろうとする朱里の腕を引っ張ってぶら下がるカズ。
「ちょっと離れなさいよ!邪魔よ!!」
「嫌や!話を聞いてくれるまでは放さへんで!」
「ああそう、じゃあ勝手にすれば!」
無理やり引きずりながらも扉に向かい続ける朱里に、カズはなお縋り付く。
「この手放さで置くべきか〜!」
「どこの亡霊よ…ってこら!方向ずらすな痛い落ちる肩が抜ける!!」
掴まっていたカズの体が徐々に重くなっていく事に気付く。
カズの重力が真下から少しずつ、ほんの少しずつ横に傾いてきていた。
「ほーらこのままやと屋上から落っこちるで〜。」
「こ、この…!」
強化サイボーグである朱里が屋上から落ちた所で死ぬほどではない。かなりの怪我はするだろうが。
ただし、その怪我が修理できるかどうかは問題だ。
何せ朱里は旧世代型だ。修理するくらいなら破棄してしまった方が楽、と思われれば即処分である。
「…あぁもう!わかったわよ!聞いてあげるからまず手を放しなさい!!」
「そうそう、最初からそうやって素直に聞いてくれたらよかったんや。」
やれやれと言わんばかりに手を放すカズを見て、朱里は拳を握りしめた。
「…その前に一発殴ってもいい?」
「…お前に殴られたらコブじゃ済まんやろ。」
「なら言うべきことは?」
射抜くように睨みつける朱里の視線に、冷や汗が垂れる。
「あ、あはは…ごめん、相談に乗ってくれんか?」
「…………ふう、まあいいでしょ。」
渋々といった風に、朱里が拳を解く。
「で、何があったの?あいつと。」
「いや、その…な?こないだ久々に会ったんやけど…」
・・・・・・・・・
「や、遅かったな。来ないかと思ったわ。」
森の中にある広場で、草むらから現れた少年にカズは声をかけた。
「馬鹿言うな、来ない訳がないじゃないか。」
ユニフォームに付いた葉っぱを払いながら、彼は笑った。
「はっはっは、嬉しい事言うてくれるやないか、小波くん。」
軽口交じりの挨拶に、笑って返すカズ。
しかし彼―――小波と呼ばれた少年は、そんな様子を見て急に呆れた風になって言った。
「…なにせ、最近滅多に会えない彼女から久々に呼ばれたんだからな。」
「は」
途端、笑いが止まる。
小波からしてみれば嫌味のつもりだった。
二年の途中でバスケ部をやめて以来、なにやら危険な事に首を突っ込んでいる様子のカズ。
いつか話す、と言われ続けるも、未だにその全てを話してはくれなかった。
そんな彼女が久々に会おうとしてくれたのだ、内心喜びつつも嫌味の一つも言いたくなるというものである。
「なあ、いい加減何やってるのか教えろよ。」
「あ、あはは…ま、まぁええやんそんなことは。」
少しだけ怒ったような、しかし心配しているような彼の視線を、笑ってごまかす。
「久々会えたんやし、もっと身のある話をしようや。槍の話とか。」
「それのどこが身のある話なんだよ。」
いつもだったらごまかせば、話せないのだという事を汲んでくれる小波が、今日はなかなか引こうとしない。
「まま、ええからええから…ほら、座ろ?」
そう言って先に座るカズに続いて、小波は渋々座り込ながら返した。
「服、汚れるぞ?」
小波はユニフォーム姿だから地面についても構わない。
が、カズは制服だ。汚れると寮監の教師にまた説教を喰らうのではないか。
しかし、そんな彼の気遣いはあっさり笑い飛ばされた。
「えーのえーの。払ったら粗方落ちるし、どーせ明日には洗濯や。」
「…そ、そうか。」
洗濯。
ただそれだけの言葉に、何故か今は妙に反応してしまう。
まず思い浮かべるのは自分の洗濯風景―――ユニフォームや制服、下着などが並んだ光景。
そして、次に思い浮かべたのは―――女子寮に並ぶ女生徒の洗濯風景。
所狭しと並んで干されるブレザー、ブラウス、スカート…そして、下着。
今まで布だけ並ぶ光景に執着することは無かったが、イメージしてみると中々に興味をそそられる。
それを見るために再び女子寮を目指してもいいかもしれない。
そう思えるほどに、彼は今「ぼんのう」に支配されていた。
「せやから、槍の優れた点はやっぱりその長さにあるわけでやな…」
得意そうに語るカズの言葉を、小波は右から左に受け流していた。
今、彼の目に映るのは座り込んだ彼女の足元。
木に寄りかかる彼女の脚は、軽く膝を曲げた状態で投げ出されている。
彼女を長身たらせている、スラリと伸びた脚。
武術で鍛えたふとももは、スカートと学校指定のソックスの間で眩く輝いている。
今すぐにでも触れに行きたくなる。そして、その奥にはどんなお宝が…
そんな事を考えて、目が逸らせない。
ともすれば、流石に相手も自然と怪しむと言うものだ。
「ん?どこ見てるん?」
女性はこういった視線には得てして鋭い。
思わずちらりと目が行ってしまう程度の視線にも、意外と気が付いているものだ。
ましてや小波のように穴が開くほど凝視していては、気付かれて当然である。
(ま、マズイ!!)
慌てて目を逸らすももう遅い。
カズの視線は彼の視線の軌跡を追い、自分の脚に辿り着く。
「脚、見てたの?」
「い、いやその…」
しどろもどろになる様に、カズは首を傾げた。
何故彼が脚を見ていたのかも、それを指摘されて慌てふためいている理由もさっぱりわからない。
それだけならまだよかったが、彼女はその理由を曲解し、とんでもない事をやりだした。
「何かついとる?」
足に葉っぱか何かが付いていたのかと勘違いしたカズは、外側をさっと見て何もないのを確認すると、なんと膝を開いたのだ。
「ちょっ!」
思わず小波が声を上げると、お互いハッとなる。
片や、男の前ではしたない事をしてしまったと気付く。
片や、男としてとても勿体無い事をしてしまったと気付く。
慌ててスカートを押さえ、膝を閉じたが…
「…しろ…」
スカートの奥を透視するかの如く凝視する彼の目には、恐らくすでに焼きついているのだろう。
中身の色を言い当てられ、顔に熱が上る。
「きっ、きゃああああああああああああああああああ!!」
悲鳴と共に放った拳は、彼の頬を歪ませ、身体を宙に浮かせた。
「ごふぅ!」
「あああああほー!小波くんのアホーーー!」
捨て台詞を残して走り去るカズの足音を、小波は遠くなる意識の中で聞いていた―――
・・・・・・・・・
「…という具合で…」
「要するに、エロい目で見られた、と。
「え、エロいとかはっきり言うな!」
直接的な表現に、カズが顔を真っ赤にして怒鳴る。
本来の気質で言えば、カズもこういう話は嫌いではない。
しかし、自分の事となるとやはり違うのか、恥ずかしさが前面に出てしまうようだ。
「で、それのどこが問題なの?」
その様に半ば呆れつつ、朱里が言う。
「え、どこって、そら…」
もごもごと口ごもるカズ。
勿論、朱里にも問題などわかっていた。
彼女達の通う親切高校は、男女交際を固く禁じていた。
なにせ誰もいない場所に二人きりでいる事すらも校則違反となるほどだ。
ましてやその先、ABCを求め合うなど論外。噂の特別反省室送りもあり得る。
無論、その辺りが禁止なのはどこの学校でもそうだし、学生として当然ではあるのだが、そこはやはり若さ。
思春期真っ盛りの高校生ともなれば自重は難しい。
それを踏まえた上で、カズは朱里に相談に来ているのだ。
しかも、お互い監督生の長たる神条紫杏の友としての立場があるにも関わらず、だ。
「嫌じゃ、ないけど…でも…」
山積みの課題に押し潰されそうなのか、はっきりと答えられないでいる。
いつまでもモジモジしているカズにイライラしながら、朱里は直球で問う。
「したいの?あいつと。」
一瞬のフリーズの後、トマトも凌ぐほど顔を赤らめ、あ、とか、う、とか呻くように漏らす。
「…う、ん。」
そして、小さく、ミリ単位で頷きながら、同じく小さく、聞こえるかどうかの声でカズは答えた。
「じゃあ、どうしたい訳?」
「ど、どうって…?」
恐る恐るカズが訪ねる。わかっているのだろうが、自分から直接言うのが恥ずかしいらしい。
その態度にまた苛立つのか、朱里が言う。
「だから、犯されたいのか襲いたいのかそれともアイツが暴走しないように調教したいのか。どれ?」
「ど、どんな選択肢や!!」
どれを取っても過激で、普通の恋愛ルートには到底行けそうにない。
「お前は舌の上にオブラートを100枚重ねて貼っとけ!」
「そんなに貼ってあったらしゃべれないでしょ。」
カズの突っ込みをスルーしつつ、朱里がポケットを探る。
「はい、じゃあこれ。」
そう言って、朱里は何やら手渡した。
「何やコレ?」
「何ってコンドームでしょ。」
「…………はあぁ!?」
更に顔を真っ赤にして驚くカズ。思わず渡されたそれを取り落としそうになる。
「ここ、こんなモンいきなり渡されてどうせいっちゅうねん!!」
「どう、って…別にジャングルに水筒無しで行く予定でもなければ使い道は一つでしょうが。」
「なんやそれ!ってそうやなくてぇ!!」
完全に混乱しているカズに、朱里は追い討ちをかけるように言った。
「いい?あいつが着けたくないとか言っても絶対に生でとか駄目よ。あたし、腹の膨れた女とコンビ組むなんてご免だから。」
「はっ、腹ぁ!?」
ぼふん、と湯気がきのこ雲の如く出そうな程に赤くなった顔。想像の限界を越えたらしい。
カズは数秒の思考停止の後、我に帰った。大きく深呼吸をして、朱里に向き直る。
「いや…ちゃ、ちゃうねん。ウチが言いたいのは、その…」
「なによ。」
「だからな、その…こ、これだけ貰っても…な?」
ごにょごにょと呟くようなカズの言葉を、朱里は反芻する。
「これだけ…?…あぁ、何だそういう事。」
「わ、わかってくれたか?」
納得したように頷く朱里を見て、ようやくカズに安堵の表情が浮かぶ。
そして、朱里は再びポケットを弄りだした。
「若いんだもの一個じゃ足りないわよね。あと二つ三つあればいいかしら?」
「いやいや、そんなけち臭いこと言わんとどーんと一箱…ってちゃうわあ!!」
関西の血がそうさせるのか、こんな状況でもノリツッコミを欠かさない。
「なんでよ、これだけって『これっぽっちだけ』って意味でしょ?」
「深読みしすぎや!普通に『このモノだけ』でええねん!」
「物だけ…?」
意味がわからず首をかしげる朱里に、今度はカズが溜め息を吐く。
「せやから…せ、説明書?みたいな…つ、使い方がわからんねん。」
「…あぁ、何だそういう事。」
「ったくもう…わかれやそんぐらい…」
赤くなった顔を手で覆うカズ。
「…でも、そのくらいあいつが知ってるんじゃないの?中学校の保険の授業でもやるんでしょ、そういうの。」
ふと思いついた事を朱里が尋ねる。
朱里自身は受けた事などないが、データで得た知識では教材として使われていたはずだ。
しかし、カズは悟ったような表情で首を横に振る。
「アホ言え、保険だろうと何だろうと授業と名の付くものをアイツが起きて聞く訳ないやろ。」
「…納得。」
二人共、小波と同じクラスであるが故に。
他の男子がギラギラと興味深々に授業を受ける中、机に突っ伏す小波の姿が容易に想像出来た。
「じゃあ教えるけど、口頭で説明してわかる?」
「え、口頭でって…他にどう説明できるねん。」
「そりゃ実技でしょ。」
「…待て。待て待て待てぇ!じじ、実技て何やねん!!」
またも興奮して突っ込むカズだが、朱里は冷静だった。
「別に本物じゃなくてもいいでしょうが。ちょっと待ってなさい。」
そう言って屋上の出入り口へと向かう。
「ど、どこ行くん?」
不安げに尋ねるカズに、すぐ戻るわ、とだけ言い残して出て行く朱里。カズはただ待つしかなかった。
数分後、帰って来た朱里は鞄を持っていた。
「さて、と…」
屋上の真ん中まで来ると、朱里は再び周囲をサーチした。
「別に誰も来てへんで?」
「流石にこんなもの持ってると、人目があったら不味いからね。」
駆動音が止むと、朱里は鞄を開けて中を探り出す。
そして、取り出したものは…一本の棒状のモノだった。
「…なあ、これ…」
「コレが大体高校生の平均サイズね。小さければこの程度、大きいとこんなものよ。」
言いながら指で線を引き、その長さと太さの違いを説明する。
「一応ゴムのサイズは平均用だけど、よっぽど大きいとか小さいとかでなければある程度の汎用性はむぐ」
「ハイ待った!ちょっと待った!!」
女としては大きな掌が、朱里の口を押さえつける。
「むむも」
「なによとちゃうわ!さっきのといいコレといい何でこんなもん持ってんねん!てかそんな淡々と説明すな!ついて行けんわ!!」
空中に地震が起こりそうなほどの振動が、カズの口から飛び出した。
その大声を、眉間にしわを寄せながら聞き流した朱里は、カズの手をぐい、と押しのけてから言った。
「ただの模型よ、保健の授業用。桧垣に言って借りてきただけ。
コンドームは…没収品よ。どこかの女子生徒が外から持ち込んだらしいわ。」
「…保健室、行くの止めよかな…」
こんなものがあると聞くだけで、妙に嫌悪感を感じてしまう。
カズの中で桧垣の株価が大きく変動した。
「もう一つ。説明に感情がいる?あたしとしてはこういう行為自体に特に何の感情も持ってないし持ちたくもないんだけど。」
とても不機嫌そうな声。とてもとても不機嫌そうな顔。
まるで、その行為自体を憎み、恨んでいるかのような。
それを見て、カズは何も言えなくなった。
「…じゃ、説明を続けるわよ。」
・・・・・・・・・
「…出来た。これでええ?」
そう言ってカズが見せた模型には、試しにと渡したコンドームが丁寧に被せてあった。
「…いいんじゃない?これなら破れたりはしないでしょう。」
「ほんまか?こんなにぴっちぴちでも?」
言いながら、余った先端をちょいちょいと触れる。
「入れて出すだけなら問題ないわ。」
「…そう言われると、凄い生々しく見えるなぁ、コレ…」
触るのも躊躇われてきたのか、朱里に押し付けるように渡す。
「…もういいでしょ?後は自分で何とかしなさい。」
「え、あ、ちょ、ちょっと待った。」
それを鞄にしまいながら、帰り支度を整える朱里を再び引き止める。
「も、もう一つだけ、ええかな?」
「…ああ、もう!今度は何!?」
いい加減うんざりしながら返すと、カズは顔を真っ赤に染めて言った。
「え、エッチって、どうやったらええの?」
「…………」
「な、何か言うてくれ、頼むから…」
可哀想なものを見るような目で、朱里はカズを見つめた。
その突き刺さる視線に、カズは更に顔を赤くする。
「それすらわからないとは思わなかったわ。あんたも保険の授業受け直してくれば?」
「あ、いや、どうやるかはわかるんやけど…」
先ほどと180度変わった返事。意味を取りあぐね、朱里の眉間にしわが寄る。
「えーと、ほら、あの…お、男の人への、やり方?の方を…」
ああ、と納得するように朱里は頷いた。
つまりコイツは、男に奉仕したいのか、と。
馬鹿みたいな考えだ、と思いながら、朱里は面倒臭そうに言った。
「…マグロにでもなってればいいじゃない。」
「マグロ…?赤身か?トロか?」
今度こそ殴ろうかと朱里は拳を作るが、カズの顔を見て呆れ返る。
その表情はいつものボケのノリとは違い、純粋にわからない様子だった。
「…もう全部あいつに任せればいいんじゃないのってこと。好きにさせてやれば?」
「そ、それはアカン!」
急に大声になるカズ。朱里が怪訝な顔をすると、気が付いたようで、少し顔を伏せた。
「出来るだけ、肌…見せたくないねん。傷とかあるし…」
彼女の身体には無数の傷跡がある。それを見られる事を彼女は、否、普通の女性は良しとはしないだろう。
しかし、自分からしようと思う理由はそれだけではなかった。
「それにウチ、臆病やから。襲いかかられたら怖くなりそで…」
元々男に対して抵抗があったカズだ。
彼に対して恐怖を感じたことはないにせよ、いざそう言う事態になれば多少なりどうなるかわからない。
「あぁ、あなたなら思わず握り潰したりしそうだものね。」
「う…」
本当にやりかねないのでぐうの音も出ない。
「せ、せやから、こっちからすることで少しでも慣れられたらと…な?」
自分を納得させるように呟いてから、意を決してパン、と両手を合わせて拝むように頭を下げる。
「頼む!教えてくれ!この通りや!」
「嫌。」
「早!んな殺生な!!」
取り付く島もなく断られ、泣きそうな顔で朱里を見るカズ。
「何であたしがそんなことまでやらなけりゃならないのよ。そんな義理はないわ。」
「う、そやけど…そもそもお前らがウチを巻きこまなきゃ、こんな事にならなかったかも…あぁ!」
何かに気付き、言葉を途中で切って大声を上げる。
そして、何か切り札を見つけたかのようにニヤリと笑う。
「なによ。」
その表情に嫌な気配を感じた朱里。その直感は間違いではなかった。
「そうや、お前には一回分の負けと助けられた借りがあるはずや!」
「…!」
そう、朱里は一度カズにやられているのだ。
「あ、あれは引き分けだって、あんた自分で言ってたじゃない!決着も完全には着いてない!!」
確かに、あの時は奇襲と小波の協力があった。後に幸せ草の作用で倒れてしまったりもした。
それに、銃を取り出してから先の結果は出ていない。
「朱里がそれでええんやったらな。」
「〜〜〜〜〜!!!」
だが、こう言われてはあそこまでボロボロにやられた朱里のプライドがそれを良しとはしなかった。
「ま、それでなくとも助けた借りは間違いないやろ?」
「…ジュース、奢った。」
「ケチくさー。」
「…さっきのゴム。」
「もう一声。」
「………」
ついに止まった言葉。朱里の顔には怒りが見える。
だがカズは、ここで引くわけには行かなかった。
「ははぁ、もしかして、教えるほど知らんのか?」
たった一言の軽い挑発。その安易な言葉が、どれほどの効果を持つか…カズは知らなかった。
ピシリ、と空気の固まる音が聞こえた―――ような気がした。
それと同時に、朱里の顔が固まった。
先程までの怒りの表情ではなく、心が消えてしまったかのように。
そう、カズは彼女の逆鱗に触れたのだ。
「…わかった、教えてあげる。」
「本当か!?」
嬉しそうに笑うカズの顔を、未だ変わらぬ無表情で睨む。
その瞳には、地獄のような闇が見えた。
「ただし、逃がさないわよ。」
「…は?」
・・・・・・・・・
「違うわ、もっと舌を出して。柔らかく這わせるように。ほら、もう一回。」
「…も、もう…堪忍や…」
涙の滲んだ瞳で、カズは朱里を見上げる。
しかし、逆から見下ろすその瞳に、容赦の色はない。
「駄目。逃がさないって言ったでしょ。」
「うへぇ…」
「ほら、もっと奥まで飲み込む!」
朱里はそう言うと、わずかに開いた口の隙間に無理やり模型を捻じ込み、奥まで押し込んだ。
「ぐぅっ!?げはっ、ちょ、いきなりは…」
突然の苦しさに吐き出すも、朱里は手を休めない。
「もっと吸い付かないと意味無いわよ。ほら早く!」
「むぐぐー!!」
暴れながら抗議の声を上げるカズの鼻を、朱里は摘まみ上げた。
「喋らない。歯が当たったら…へし折るわよ。」
「っ…」
無感情の表情ほど恐ろしいものは無い。
そんな顔で凄まれ、カズは抵抗する気力を失ってしまった。
「…さ、続けるわよ。」
そう告げる朱里の心を支配する怒りは、カズへではなく、別の何かに向けられているようだった―――
・・・・・・・・・
「ま、こんな所ね。」
「お、終わったぁ…」
肩で息をしながら、カズは寝そべって疲労を逃がしていた。
その強行演習ぶりは、いつもの訓練の数倍の気力と体力を使った。
「なあ、ホンマにここまでせんとアカンのか?」
訪ねながら朱里を見上げる。朱里は、遠くの空を睨みながら、呟くように答えた。
「…男なんてね、入れて出すことしか考えてないの。
だから、女が学ぶことはそれを出来る限り早くそれを促すこと。それだけよ。」
「…なんか違うよ、それ。」
その悲しそうな顔と、苦しそうな言葉を、カズは否定した。
「朱里の言うそれは、早く終わらせたい、みたいな感じやんか。」
起き上がって、視線に割り込む。朱里の目付きが、更に鋭くなる。
「ウチは違う。ウチは小波に気持ち良うなって貰いたい。求められるからやなくて、自分が小波の為にしてあげたいからや。」
朱里の眼力に負けないくらい強く、カズは見つめ返す。
その言葉が真実だと、嘘偽りはないと、示すように。
やがて、先に視線を逸らしたのは朱里の方だった。
「…アンタがそう思うなら、そうしたらいいわ。技術は教えた。それ以上は…心の持ち様なんじゃないの。」
まるで奇麗事だと掃き捨てるような言葉だった。その怒りが、悲しみが、カズには痛いほど伝わった。
(…本当にそれでいいんか?だったら、お前の心は…)
そこまで考えて、しかし声に出すことはしなかった。
カズはまだ、朱里の事を殆ど知らない。そんな自分が下手に慰めても逆効果だと思った。
「朱里…ありがとう。」
だから、ただそれだけ。心からの感謝を告げて、カズは屋上を後にした。
「男の為に、ね…」
一人になった屋上で、朱里は空を見上げる。
朱里は一つだけ嘘をついた。
いくら紫杏のサポートをする朱里でも、生徒の私物を没収する権限など無い。
あれは、抹殺任務の失敗や黒猫との敗戦など、最近の失態続きの朱里に下された『懲罰』の際、朱里が自分で用意したものだった。
しかし、当然の如くそれが使われることは無かった。
カズに教えたことは、つい最近朱里が『やらされた』ことだった。
そういう点で、カズは本当にタイミングが悪かったのだ。
「あれだけの事をさせられて、まだ何かしてあげたいと思えるなんて…バカね。」
理解できない感情を、切り捨てるように。
「あたしは、男なんて大嫌い。」
自分自身に言い聞かせるように。
「男なんて…皆同じよ。」
呟きながら、ただただ遠くを見ていた。
「それがわからないの…カズ?」
青に僅かに朱の混ざる空は、やがてくる夏を感じさせた…
「はぁ…」
暖かな日差しの降り注ぐ放課後の屋上で、そびえ立つ柱が溜め息を吐いた。
否、それは柱の如き長身の少女だった。
カズこと大江和那。親切高校に通う、ごく普通の少女。
身長は190を越え、古武術の達人。
更に、自分や手に取った物の重力の方向を操る事が出来る超能力を持つ。
そんな事が出来るだけの、普通の、まっとうな高校生である。
そんな彼女が、校舎の屋上で溜め息を吐いている理由。
それは、今彼女が抱えている、ある悩みが原因だった。
「はぁ…」
再び大きな溜め息を吐くのとほぼ同時に、屋上の扉が開かれた。
「やっと来たか、待っとったで。」
振り返りながら言うカズに、来訪者は近付いていく。
「何の用かしら大江さん、こんな所に呼び出して。」
そう言ってにこやかに、来訪者―――浜野朱里は笑った。
「ここにはウチしかおらん。気色悪いしいつも通りでええで。」
カズの言葉を聞いて、朱里は周囲を見回す。
キュィィン、と機械の動く音が小さく聞こえた後、朱里の表情が消えた。
「で、用件は何?」
先程の笑顔はどこへやら、鋭い目つきでカズを睨む。
「また勝負がしたいって言うんなら相手になっても良いわよ?」
何があっても対応できる適当な距離を保ち、朱里が構える。
「いやいや。素の状態での勝負やったら、まだあんたにはかなわへん。」
言葉の通り、へらへらと笑うカズに戦おうという意思は感じられない。
「だったら何よ。」
苛立ちを露わにし、朱里の語気が強まる。
すると、カズはそれまでの陽気な表情に影を落とし、頭を掻く。
「そう怒るなや。その…言いにくい事やから、こっちかて心の準備がやな…」
「あぁそう。じゃあ出来てから呼んでね。」
「ま、待たんかい!」
ばっさり切って帰ろうとする朱里を慌てて止める。
「気が利かんなぁお前。そこはこっちが話しやすくなるように、どうしたのーとか何かあったーとか聞くところやないか?」
「あら、気が利かなくてごめんなさい。ならもっと優しい人に相談しなさい。」
「だー!わかった!言うからちょい待て!」
居直り気味に告げると、朱里はようやく向き直った。
「…どうぞ。早くね。」
「…あ、あんなぁ…」
カズは大きく深呼吸をすると、意を決して口を開けた。
「お、男の子って…ウチみたいな女の体でも、興味あるんかな…?」
「じゃあね大江さん、また明日。」
「あああ待って待って行かんといて〜!!」
カズは泣きながら、来た時以上のわざとらしい笑顔で立ち去ろうとする朱里の腕にしがみ付く。
「話ぐらい聞いてくれてもええやないか!」
「そんなくだらない事に付き合ってるほど暇じゃないのよ。」
「く、くだらないとはなんや!ウチにとっては一大事や!!」
「あんたにとっては一大事でも、あたしにとってはくだらないのよ!」
無視して帰ろうとする朱里の腕を引っ張ってぶら下がるカズ。
「ちょっと離れなさいよ!邪魔よ!!」
「嫌や!話を聞いてくれるまでは放さへんで!」
「ああそう、じゃあ勝手にすれば!」
無理やり引きずりながらも扉に向かい続ける朱里に、カズはなお縋り付く。
「この手放さで置くべきか〜!」
「どこの亡霊よ…ってこら!方向ずらすな痛い落ちる肩が抜ける!!」
掴まっていたカズの体が徐々に重くなっていく事に気付く。
カズの重力が真下から少しずつ、ほんの少しずつ横に傾いてきていた。
「ほーらこのままやと屋上から落っこちるで〜。」
「こ、この…!」
強化サイボーグである朱里が屋上から落ちた所で死ぬほどではない。かなりの怪我はするだろうが。
ただし、その怪我が修理できるかどうかは問題だ。
何せ朱里は旧世代型だ。修理するくらいなら破棄してしまった方が楽、と思われれば即処分である。
「…あぁもう!わかったわよ!聞いてあげるからまず手を放しなさい!!」
「そうそう、最初からそうやって素直に聞いてくれたらよかったんや。」
やれやれと言わんばかりに手を放すカズを見て、朱里は拳を握りしめた。
「…その前に一発殴ってもいい?」
「…お前に殴られたらコブじゃ済まんやろ。」
「なら言うべきことは?」
射抜くように睨みつける朱里の視線に、冷や汗が垂れる。
「あ、あはは…ごめん、相談に乗ってくれんか?」
「…………ふう、まあいいでしょ。」
渋々といった風に、朱里が拳を解く。
「で、何があったの?あいつと。」
「いや、その…な?こないだ久々に会ったんやけど…」
・・・・・・・・・
「や、遅かったな。来ないかと思ったわ。」
森の中にある広場で、草むらから現れた少年にカズは声をかけた。
「馬鹿言うな、来ない訳がないじゃないか。」
ユニフォームに付いた葉っぱを払いながら、彼は笑った。
「はっはっは、嬉しい事言うてくれるやないか、小波くん。」
軽口交じりの挨拶に、笑って返すカズ。
しかし彼―――小波と呼ばれた少年は、そんな様子を見て急に呆れた風になって言った。
「…なにせ、最近滅多に会えない彼女から久々に呼ばれたんだからな。」
「は」
途端、笑いが止まる。
小波からしてみれば嫌味のつもりだった。
二年の途中でバスケ部をやめて以来、なにやら危険な事に首を突っ込んでいる様子のカズ。
いつか話す、と言われ続けるも、未だにその全てを話してはくれなかった。
そんな彼女が久々に会おうとしてくれたのだ、内心喜びつつも嫌味の一つも言いたくなるというものである。
「なあ、いい加減何やってるのか教えろよ。」
「あ、あはは…ま、まぁええやんそんなことは。」
少しだけ怒ったような、しかし心配しているような彼の視線を、笑ってごまかす。
「久々会えたんやし、もっと身のある話をしようや。槍の話とか。」
「それのどこが身のある話なんだよ。」
いつもだったらごまかせば、話せないのだという事を汲んでくれる小波が、今日はなかなか引こうとしない。
「まま、ええからええから…ほら、座ろ?」
そう言って先に座るカズに続いて、小波は渋々座り込ながら返した。
「服、汚れるぞ?」
小波はユニフォーム姿だから地面についても構わない。
が、カズは制服だ。汚れると寮監の教師にまた説教を喰らうのではないか。
しかし、そんな彼の気遣いはあっさり笑い飛ばされた。
「えーのえーの。払ったら粗方落ちるし、どーせ明日には洗濯や。」
「…そ、そうか。」
洗濯。
ただそれだけの言葉に、何故か今は妙に反応してしまう。
まず思い浮かべるのは自分の洗濯風景―――ユニフォームや制服、下着などが並んだ光景。
そして、次に思い浮かべたのは―――女子寮に並ぶ女生徒の洗濯風景。
所狭しと並んで干されるブレザー、ブラウス、スカート…そして、下着。
今まで布だけ並ぶ光景に執着することは無かったが、イメージしてみると中々に興味をそそられる。
それを見るために再び女子寮を目指してもいいかもしれない。
そう思えるほどに、彼は今「ぼんのう」に支配されていた。
「せやから、槍の優れた点はやっぱりその長さにあるわけでやな…」
得意そうに語るカズの言葉を、小波は右から左に受け流していた。
今、彼の目に映るのは座り込んだ彼女の足元。
木に寄りかかる彼女の脚は、軽く膝を曲げた状態で投げ出されている。
彼女を長身たらせている、スラリと伸びた脚。
武術で鍛えたふとももは、スカートと学校指定のソックスの間で眩く輝いている。
今すぐにでも触れに行きたくなる。そして、その奥にはどんなお宝が…
そんな事を考えて、目が逸らせない。
ともすれば、流石に相手も自然と怪しむと言うものだ。
「ん?どこ見てるん?」
女性はこういった視線には得てして鋭い。
思わずちらりと目が行ってしまう程度の視線にも、意外と気が付いているものだ。
ましてや小波のように穴が開くほど凝視していては、気付かれて当然である。
(ま、マズイ!!)
慌てて目を逸らすももう遅い。
カズの視線は彼の視線の軌跡を追い、自分の脚に辿り着く。
「脚、見てたの?」
「い、いやその…」
しどろもどろになる様に、カズは首を傾げた。
何故彼が脚を見ていたのかも、それを指摘されて慌てふためいている理由もさっぱりわからない。
それだけならまだよかったが、彼女はその理由を曲解し、とんでもない事をやりだした。
「何かついとる?」
足に葉っぱか何かが付いていたのかと勘違いしたカズは、外側をさっと見て何もないのを確認すると、なんと膝を開いたのだ。
「ちょっ!」
思わず小波が声を上げると、お互いハッとなる。
片や、男の前ではしたない事をしてしまったと気付く。
片や、男としてとても勿体無い事をしてしまったと気付く。
慌ててスカートを押さえ、膝を閉じたが…
「…しろ…」
スカートの奥を透視するかの如く凝視する彼の目には、恐らくすでに焼きついているのだろう。
中身の色を言い当てられ、顔に熱が上る。
「きっ、きゃああああああああああああああああああ!!」
悲鳴と共に放った拳は、彼の頬を歪ませ、身体を宙に浮かせた。
「ごふぅ!」
「あああああほー!小波くんのアホーーー!」
捨て台詞を残して走り去るカズの足音を、小波は遠くなる意識の中で聞いていた―――
・・・・・・・・・
「…という具合で…」
「要するに、エロい目で見られた、と。
「え、エロいとかはっきり言うな!」
直接的な表現に、カズが顔を真っ赤にして怒鳴る。
本来の気質で言えば、カズもこういう話は嫌いではない。
しかし、自分の事となるとやはり違うのか、恥ずかしさが前面に出てしまうようだ。
「で、それのどこが問題なの?」
その様に半ば呆れつつ、朱里が言う。
「え、どこって、そら…」
もごもごと口ごもるカズ。
勿論、朱里にも問題などわかっていた。
彼女達の通う親切高校は、男女交際を固く禁じていた。
なにせ誰もいない場所に二人きりでいる事すらも校則違反となるほどだ。
ましてやその先、ABCを求め合うなど論外。噂の特別反省室送りもあり得る。
無論、その辺りが禁止なのはどこの学校でもそうだし、学生として当然ではあるのだが、そこはやはり若さ。
思春期真っ盛りの高校生ともなれば自重は難しい。
それを踏まえた上で、カズは朱里に相談に来ているのだ。
しかも、お互い監督生の長たる神条紫杏の友としての立場があるにも関わらず、だ。
「嫌じゃ、ないけど…でも…」
山積みの課題に押し潰されそうなのか、はっきりと答えられないでいる。
いつまでもモジモジしているカズにイライラしながら、朱里は直球で問う。
「したいの?あいつと。」
一瞬のフリーズの後、トマトも凌ぐほど顔を赤らめ、あ、とか、う、とか呻くように漏らす。
「…う、ん。」
そして、小さく、ミリ単位で頷きながら、同じく小さく、聞こえるかどうかの声でカズは答えた。
「じゃあ、どうしたい訳?」
「ど、どうって…?」
恐る恐るカズが訪ねる。わかっているのだろうが、自分から直接言うのが恥ずかしいらしい。
その態度にまた苛立つのか、朱里が言う。
「だから、犯されたいのか襲いたいのかそれともアイツが暴走しないように調教したいのか。どれ?」
「ど、どんな選択肢や!!」
どれを取っても過激で、普通の恋愛ルートには到底行けそうにない。
「お前は舌の上にオブラートを100枚重ねて貼っとけ!」
「そんなに貼ってあったらしゃべれないでしょ。」
カズの突っ込みをスルーしつつ、朱里がポケットを探る。
「はい、じゃあこれ。」
そう言って、朱里は何やら手渡した。
「何やコレ?」
「何ってコンドームでしょ。」
「…………はあぁ!?」
更に顔を真っ赤にして驚くカズ。思わず渡されたそれを取り落としそうになる。
「ここ、こんなモンいきなり渡されてどうせいっちゅうねん!!」
「どう、って…別にジャングルに水筒無しで行く予定でもなければ使い道は一つでしょうが。」
「なんやそれ!ってそうやなくてぇ!!」
完全に混乱しているカズに、朱里は追い討ちをかけるように言った。
「いい?あいつが着けたくないとか言っても絶対に生でとか駄目よ。あたし、腹の膨れた女とコンビ組むなんてご免だから。」
「はっ、腹ぁ!?」
ぼふん、と湯気がきのこ雲の如く出そうな程に赤くなった顔。想像の限界を越えたらしい。
カズは数秒の思考停止の後、我に帰った。大きく深呼吸をして、朱里に向き直る。
「いや…ちゃ、ちゃうねん。ウチが言いたいのは、その…」
「なによ。」
「だからな、その…こ、これだけ貰っても…な?」
ごにょごにょと呟くようなカズの言葉を、朱里は反芻する。
「これだけ…?…あぁ、何だそういう事。」
「わ、わかってくれたか?」
納得したように頷く朱里を見て、ようやくカズに安堵の表情が浮かぶ。
そして、朱里は再びポケットを弄りだした。
「若いんだもの一個じゃ足りないわよね。あと二つ三つあればいいかしら?」
「いやいや、そんなけち臭いこと言わんとどーんと一箱…ってちゃうわあ!!」
関西の血がそうさせるのか、こんな状況でもノリツッコミを欠かさない。
「なんでよ、これだけって『これっぽっちだけ』って意味でしょ?」
「深読みしすぎや!普通に『このモノだけ』でええねん!」
「物だけ…?」
意味がわからず首をかしげる朱里に、今度はカズが溜め息を吐く。
「せやから…せ、説明書?みたいな…つ、使い方がわからんねん。」
「…あぁ、何だそういう事。」
「ったくもう…わかれやそんぐらい…」
赤くなった顔を手で覆うカズ。
「…でも、そのくらいあいつが知ってるんじゃないの?中学校の保険の授業でもやるんでしょ、そういうの。」
ふと思いついた事を朱里が尋ねる。
朱里自身は受けた事などないが、データで得た知識では教材として使われていたはずだ。
しかし、カズは悟ったような表情で首を横に振る。
「アホ言え、保険だろうと何だろうと授業と名の付くものをアイツが起きて聞く訳ないやろ。」
「…納得。」
二人共、小波と同じクラスであるが故に。
他の男子がギラギラと興味深々に授業を受ける中、机に突っ伏す小波の姿が容易に想像出来た。
「じゃあ教えるけど、口頭で説明してわかる?」
「え、口頭でって…他にどう説明できるねん。」
「そりゃ実技でしょ。」
「…待て。待て待て待てぇ!じじ、実技て何やねん!!」
またも興奮して突っ込むカズだが、朱里は冷静だった。
「別に本物じゃなくてもいいでしょうが。ちょっと待ってなさい。」
そう言って屋上の出入り口へと向かう。
「ど、どこ行くん?」
不安げに尋ねるカズに、すぐ戻るわ、とだけ言い残して出て行く朱里。カズはただ待つしかなかった。
数分後、帰って来た朱里は鞄を持っていた。
「さて、と…」
屋上の真ん中まで来ると、朱里は再び周囲をサーチした。
「別に誰も来てへんで?」
「流石にこんなもの持ってると、人目があったら不味いからね。」
駆動音が止むと、朱里は鞄を開けて中を探り出す。
そして、取り出したものは…一本の棒状のモノだった。
「…なあ、これ…」
「コレが大体高校生の平均サイズね。小さければこの程度、大きいとこんなものよ。」
言いながら指で線を引き、その長さと太さの違いを説明する。
「一応ゴムのサイズは平均用だけど、よっぽど大きいとか小さいとかでなければある程度の汎用性はむぐ」
「ハイ待った!ちょっと待った!!」
女としては大きな掌が、朱里の口を押さえつける。
「むむも」
「なによとちゃうわ!さっきのといいコレといい何でこんなもん持ってんねん!てかそんな淡々と説明すな!ついて行けんわ!!」
空中に地震が起こりそうなほどの振動が、カズの口から飛び出した。
その大声を、眉間にしわを寄せながら聞き流した朱里は、カズの手をぐい、と押しのけてから言った。
「ただの模型よ、保健の授業用。桧垣に言って借りてきただけ。
コンドームは…没収品よ。どこかの女子生徒が外から持ち込んだらしいわ。」
「…保健室、行くの止めよかな…」
こんなものがあると聞くだけで、妙に嫌悪感を感じてしまう。
カズの中で桧垣の株価が大きく変動した。
「もう一つ。説明に感情がいる?あたしとしてはこういう行為自体に特に何の感情も持ってないし持ちたくもないんだけど。」
とても不機嫌そうな声。とてもとても不機嫌そうな顔。
まるで、その行為自体を憎み、恨んでいるかのような。
それを見て、カズは何も言えなくなった。
「…じゃ、説明を続けるわよ。」
・・・・・・・・・
「…出来た。これでええ?」
そう言ってカズが見せた模型には、試しにと渡したコンドームが丁寧に被せてあった。
「…いいんじゃない?これなら破れたりはしないでしょう。」
「ほんまか?こんなにぴっちぴちでも?」
言いながら、余った先端をちょいちょいと触れる。
「入れて出すだけなら問題ないわ。」
「…そう言われると、凄い生々しく見えるなぁ、コレ…」
触るのも躊躇われてきたのか、朱里に押し付けるように渡す。
「…もういいでしょ?後は自分で何とかしなさい。」
「え、あ、ちょ、ちょっと待った。」
それを鞄にしまいながら、帰り支度を整える朱里を再び引き止める。
「も、もう一つだけ、ええかな?」
「…ああ、もう!今度は何!?」
いい加減うんざりしながら返すと、カズは顔を真っ赤に染めて言った。
「え、エッチって、どうやったらええの?」
「…………」
「な、何か言うてくれ、頼むから…」
可哀想なものを見るような目で、朱里はカズを見つめた。
その突き刺さる視線に、カズは更に顔を赤くする。
「それすらわからないとは思わなかったわ。あんたも保険の授業受け直してくれば?」
「あ、いや、どうやるかはわかるんやけど…」
先ほどと180度変わった返事。意味を取りあぐね、朱里の眉間にしわが寄る。
「えーと、ほら、あの…お、男の人への、やり方?の方を…」
ああ、と納得するように朱里は頷いた。
つまりコイツは、男に奉仕したいのか、と。
馬鹿みたいな考えだ、と思いながら、朱里は面倒臭そうに言った。
「…マグロにでもなってればいいじゃない。」
「マグロ…?赤身か?トロか?」
今度こそ殴ろうかと朱里は拳を作るが、カズの顔を見て呆れ返る。
その表情はいつものボケのノリとは違い、純粋にわからない様子だった。
「…もう全部あいつに任せればいいんじゃないのってこと。好きにさせてやれば?」
「そ、それはアカン!」
急に大声になるカズ。朱里が怪訝な顔をすると、気が付いたようで、少し顔を伏せた。
「出来るだけ、肌…見せたくないねん。傷とかあるし…」
彼女の身体には無数の傷跡がある。それを見られる事を彼女は、否、普通の女性は良しとはしないだろう。
しかし、自分からしようと思う理由はそれだけではなかった。
「それにウチ、臆病やから。襲いかかられたら怖くなりそで…」
元々男に対して抵抗があったカズだ。
彼に対して恐怖を感じたことはないにせよ、いざそう言う事態になれば多少なりどうなるかわからない。
「あぁ、あなたなら思わず握り潰したりしそうだものね。」
「う…」
本当にやりかねないのでぐうの音も出ない。
「せ、せやから、こっちからすることで少しでも慣れられたらと…な?」
自分を納得させるように呟いてから、意を決してパン、と両手を合わせて拝むように頭を下げる。
「頼む!教えてくれ!この通りや!」
「嫌。」
「早!んな殺生な!!」
取り付く島もなく断られ、泣きそうな顔で朱里を見るカズ。
「何であたしがそんなことまでやらなけりゃならないのよ。そんな義理はないわ。」
「う、そやけど…そもそもお前らがウチを巻きこまなきゃ、こんな事にならなかったかも…あぁ!」
何かに気付き、言葉を途中で切って大声を上げる。
そして、何か切り札を見つけたかのようにニヤリと笑う。
「なによ。」
その表情に嫌な気配を感じた朱里。その直感は間違いではなかった。
「そうや、お前には一回分の負けと助けられた借りがあるはずや!」
「…!」
そう、朱里は一度カズにやられているのだ。
「あ、あれは引き分けだって、あんた自分で言ってたじゃない!決着も完全には着いてない!!」
確かに、あの時は奇襲と小波の協力があった。後に幸せ草の作用で倒れてしまったりもした。
それに、銃を取り出してから先の結果は出ていない。
「朱里がそれでええんやったらな。」
「〜〜〜〜〜!!!」
だが、こう言われてはあそこまでボロボロにやられた朱里のプライドがそれを良しとはしなかった。
「ま、それでなくとも助けた借りは間違いないやろ?」
「…ジュース、奢った。」
「ケチくさー。」
「…さっきのゴム。」
「もう一声。」
「………」
ついに止まった言葉。朱里の顔には怒りが見える。
だがカズは、ここで引くわけには行かなかった。
「ははぁ、もしかして、教えるほど知らんのか?」
たった一言の軽い挑発。その安易な言葉が、どれほどの効果を持つか…カズは知らなかった。
ピシリ、と空気の固まる音が聞こえた―――ような気がした。
それと同時に、朱里の顔が固まった。
先程までの怒りの表情ではなく、心が消えてしまったかのように。
そう、カズは彼女の逆鱗に触れたのだ。
「…わかった、教えてあげる。」
「本当か!?」
嬉しそうに笑うカズの顔を、未だ変わらぬ無表情で睨む。
その瞳には、地獄のような闇が見えた。
「ただし、逃がさないわよ。」
「…は?」
・・・・・・・・・
「違うわ、もっと舌を出して。柔らかく這わせるように。ほら、もう一回。」
「…も、もう…堪忍や…」
涙の滲んだ瞳で、カズは朱里を見上げる。
しかし、逆から見下ろすその瞳に、容赦の色はない。
「駄目。逃がさないって言ったでしょ。」
「うへぇ…」
「ほら、もっと奥まで飲み込む!」
朱里はそう言うと、わずかに開いた口の隙間に無理やり模型を捻じ込み、奥まで押し込んだ。
「ぐぅっ!?げはっ、ちょ、いきなりは…」
突然の苦しさに吐き出すも、朱里は手を休めない。
「もっと吸い付かないと意味無いわよ。ほら早く!」
「むぐぐー!!」
暴れながら抗議の声を上げるカズの鼻を、朱里は摘まみ上げた。
「喋らない。歯が当たったら…へし折るわよ。」
「っ…」
無感情の表情ほど恐ろしいものは無い。
そんな顔で凄まれ、カズは抵抗する気力を失ってしまった。
「…さ、続けるわよ。」
そう告げる朱里の心を支配する怒りは、カズへではなく、別の何かに向けられているようだった―――
・・・・・・・・・
「ま、こんな所ね。」
「お、終わったぁ…」
肩で息をしながら、カズは寝そべって疲労を逃がしていた。
その強行演習ぶりは、いつもの訓練の数倍の気力と体力を使った。
「なあ、ホンマにここまでせんとアカンのか?」
訪ねながら朱里を見上げる。朱里は、遠くの空を睨みながら、呟くように答えた。
「…男なんてね、入れて出すことしか考えてないの。
だから、女が学ぶことはそれを出来る限り早くそれを促すこと。それだけよ。」
「…なんか違うよ、それ。」
その悲しそうな顔と、苦しそうな言葉を、カズは否定した。
「朱里の言うそれは、早く終わらせたい、みたいな感じやんか。」
起き上がって、視線に割り込む。朱里の目付きが、更に鋭くなる。
「ウチは違う。ウチは小波に気持ち良うなって貰いたい。求められるからやなくて、自分が小波の為にしてあげたいからや。」
朱里の眼力に負けないくらい強く、カズは見つめ返す。
その言葉が真実だと、嘘偽りはないと、示すように。
やがて、先に視線を逸らしたのは朱里の方だった。
「…アンタがそう思うなら、そうしたらいいわ。技術は教えた。それ以上は…心の持ち様なんじゃないの。」
まるで奇麗事だと掃き捨てるような言葉だった。その怒りが、悲しみが、カズには痛いほど伝わった。
(…本当にそれでいいんか?だったら、お前の心は…)
そこまで考えて、しかし声に出すことはしなかった。
カズはまだ、朱里の事を殆ど知らない。そんな自分が下手に慰めても逆効果だと思った。
「朱里…ありがとう。」
だから、ただそれだけ。心からの感謝を告げて、カズは屋上を後にした。
「男の為に、ね…」
一人になった屋上で、朱里は空を見上げる。
朱里は一つだけ嘘をついた。
いくら紫杏のサポートをする朱里でも、生徒の私物を没収する権限など無い。
あれは、抹殺任務の失敗や黒猫との敗戦など、最近の失態続きの朱里に下された『懲罰』の際、朱里が自分で用意したものだった。
しかし、当然の如くそれが使われることは無かった。
カズに教えたことは、つい最近朱里が『やらされた』ことだった。
そういう点で、カズは本当にタイミングが悪かったのだ。
「あれだけの事をさせられて、まだ何かしてあげたいと思えるなんて…バカね。」
理解できない感情を、切り捨てるように。
「あたしは、男なんて大嫌い。」
自分自身に言い聞かせるように。
「男なんて…皆同じよ。」
呟きながら、ただただ遠くを見ていた。
「それがわからないの…カズ?」
青に僅かに朱の混ざる空は、やがてくる夏を感じさせた…
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