波止場の一角で、一組の男女が立ち尽くしている。二人の視線の先には、すっかり群青色に染まった海と空。
日差しの短くなった秋空に、遠くから汽笛の鈍い音が響いている。
音の先では、船体にいくつもの灯りを据えられた連絡船が、水面を蹴立てて走っている。

「どうやら、間に合わなかったようですね。廉也さん」
「……おっしゃるとおりで」

沈黙を破ったのは女の方だった。彼女は海陸風に煽られる髪を手で抑えながら、視線を男の顔へ移した。
やや色素の薄いショートボブの毛先が、どうもくすぐったいようだった。
男も気まずそうな表情で彼女の顔を見た。筋肉質の立派な体格が、心なしか小さく見える。

黄昏時はとうに過ぎていた。波止場の夜間照明だけが、互いの顔を照らしていた。
またプラットフォームに目を向ける。彼らが家に帰り着く最後の手段は、既に失われていた。

「ごめん。やっぱり、時間危なかったのに観覧車なんか乗ったせいで、最後の船逃しちゃったんだよな」
「間に合わなかったものはしょうがありません。それに、確かに乗りたがったのはあなたですが、
 私だってあなたを一言も止めませんでした。あなたのせいであると言うなら、私のせいでもあります」

彼の名前は河島廉也、彼女の名前は天本玲泉といった。二人は日の出高校の三年生である。
二人は――少々特殊な経緯を挟んでいるが――いわゆる恋人同士である。
そして、この日は彼女の誕生日だったので、二人は朝からデートに出かけていた。

「それに、あの場所で見た夕日はとても綺麗でしたし、あなたと乗れて良かったと思ってますよ。
 お陰様で、皆さんが観覧車に乗りたがる理由が、ようやく分かったような気がしますよ」
「そうだね。俺も観覧車に乗った記憶なんて無くってさ。何が楽しいんだろう、と思ってたけど。
 玲泉もそう思ってくれたなら、帰りの船に乗り損ねた甲斐も少しはあるもんだ」

二人がデートの行き先に選んだのは遊園地だった。
そこは世間一般のカップルにとっては王道のデートスポットであったが、日の出島には遊園地が無かった上、
二人は家族で遊園地に出かける経験も無かったため、馴染みの薄い場所だった。
それでも二人は連絡船で日の出島を出て、存分に遊園地を満喫することができた。

そこまでは良かったのだが。

「……今日、これからどうしようか」
「とにかく、明日一番の便で島に帰りましょう。廉也さんは、お父さんへ連絡しましたか?」
「あっ、いけない。父さんにも連絡入れないといけないんだよな」

日の出島と本土には、毎日複数本の連絡船が行き来している。なので、明日まで待てば二人は島に帰ることができる。
それまでの時間を、どうにかして本土でしのがなければならなかった。

(どうしようかな。俺一人だったら、赤坂に頼み込んで泊めてもらうって手が使えるんだけど……
 あまり夜遅くにフラフラしてると警官に捕まるかも知れない。最悪それだけは勘弁して欲しいな)

「ちょっと寒くなってきたな。とりあえず、どこかの店探して座ろうか」
「賛成です。先のことは、そこで考えましょう」

10月も下旬、夜は肌寒さを感じる季節になっていた。
彼が父親へのメールを打ち終わると、二人は風に逆らうようにして、波止場を後にした。
どちらともなく繋がれた手は、赤みを帯びていた。湾から外海へ出ようとする連絡船の姿を背に、二人は市街へ歩き出す。

「廉也さん。あれは、泊まれるところなんでしょうか」
「泊まれるところ、それって――ぅえっ、いや、あっ」

あてもなく歩き続けていると、人間は思わぬ所に足を向けてしまうことがある。
波止場から市街地の中へ、歩き続けて小一時間。そろそろ足も疲れてきた塩梅だった。
廉也は玲泉の声に引かれて同じ方向に視線を移し、すぐに絶句した。
確かにその方向には、HOTELの五文字をぶら下げた建物がいくつも連なっていた。

「看板が見えたのでそう思ったのですが……私の勘違いでしたか」
「いや、あの、確かに泊まれるところなんだけど」

(あれ、どう見てもラブホテル街だよなぁ……俺、行ったこと無いんだよね。当たり前だけど)

彼女の示す先には、ネオンの蛍光色も華々しい宿泊施設がひしめいていた。いつの間にか、街の外れまで歩いてしまったらしい。
満や空といった空き室状況の表示や、白々しい位置に据えられた植え込みが、嫌でも廉也にその用途を意識させる。
異性関係の経験が玲泉しかない彼にとって、そこはまさしく別天地だった。

「玲泉、あそこは、その……えっちするための場所、なんだよ」
「なるほど。それなら、島で見かけないのも道理ですね。あの島では需要が無さそうな施設ですし」

早々に誤魔化すことを諦めた廉也は、歯切れの悪い答えを捻り出す。
その手の免疫が乏しいからか、彼女相手でも彼の言い方は決まり悪げだった。
しかし言われた側の玲泉は動揺の色も見せず、いつも通りの穏やかな微笑みを向けてくる。
それでさらに彼はたじたじとなった。彼女の冷静な反応のせいで、感じている羞恥が一層ひどくなる。

(だいたい、島の需要って……確かに、俺は島にアレがあったって絶対使わなかったけど。
 というか一応18歳以上だけど、高校生ってラブホテル使っていいのかな)

「それで、どこがいいと思いますか」
「どこが、と言われても俺は全然使ったこと無い――ねぇ、玲泉」
「はい、なんでしょうか」

やはり玲泉の浮かべている笑顔は、普段クラスメイトたちに見せるものとほぼ同じだった。
扇情的な街角の風景で、彼女だけが、やけにリアルな存在感を廉也に与えてくる。

「あれに、入るの?」
「はい。今の時間から他の場所を探すのは、もう厳しいと思います。
 都合のいいことに、外から見ただけで料金が分かります。この額なら、持ち合わせでも足は出ないでしょう」

廉也はその施設を代名詞でしか呼べなかった。
彼とて、玲泉と付き合いだしてから一年以上経っている。体を交わした経験もあった。
しかし慣れるほどの回数を重ねてはおらず、ラブホテルを前にして緊張していた。
入室したからといって、もちろん性交する義務は無い。けれど、一度意識してしまえば、それを頭から離すのは難しい。

「あんなところに入ったら、俺は君を襲っちゃうかも知れないよ」
「廉也さん。あらかじめそう言っておけば、後で襲っても名分が立つと思っていませんか」
「そ、それはちょっと、穿ち過ぎじゃないかな……」

こういう台詞こそ、穏やかな顔で言われるほど威力が増す。廉也もその威力を何度も味わったことがある。
そこまで頭を回していなかったはずなのに、何となく図星を突かれた気分にさせられる。

「私は、あなたに初めて抱かれて以来、あなたに求められた時のことは、いつも考えているつもりです」

廉也は思わず玲泉の顔を見つめ直した。
笑みで細められていた彼女の目蓋が薄く開く。夜の灯が彼女の瞳に反射して、廉也の視線を吸い寄せる。
繋いでいた手の温度が、より暖かくなった気がする。絡んだ指に力が籠もる。あからさまに喉が鳴る。

「……どこがいいと思う?」
「それは、あなたにお任せいたします」

廉也のためらいは、実に呆気無く吹き払われてしまったらしい。

「何だか、思ってたより普通にきれいな感じだね」
「そうですね。廉也さんは、どんな部屋を想像していたのですか?」
「うーん、場末っていうか、もうちょっとうらぶれた場所ってイメージがあったんだけど」

ずらりと並ぶ部屋内装の写真に圧倒され、スピーカー越しの受付とのやり取りで取り乱したものの、
どうにか廉也は部屋にたどり着くことができた。挙動不審の彼に対して、玲泉は終始落ち着いていた。

動揺から立ち直りつつあった廉也から、部屋に足を踏み入れる。
高校生にとってはかなり苦しい金額を出したおかげか、ホテルの内装は二人を素直に感心させた。
シンプルな調度はビジネスホテルのような佇(たたず)まいであったが、
天井が高めで、間取りも広く作られており、単にくつろぐだけでも快適に過ごせる空間だった。

「うわっ、ここのお風呂広い! それにジャグジーまであるんだ、すごい贅沢な気がしてきたよ」

数分前までのしおれていた表情はどこへやら、廉也はすっかり部屋が気に入った様子だった。
一方、玲泉は備え付けの椅子に腰掛けて一息ついていた。背凭れに体重をかけると、合成皮革がわずかに沈む。
楽しさのせいで感じていなかった疲れがじわりと押し寄せてくるが、それさえいい気分だった。

(誕生日がこんな充実した日になるなんて、廉也さんと出会うまでは考えもしなかった)

玲泉は、廉也を除けば、誕生日をまともに祝ってもらった経験が無かった。
父親は行方知れず。母親は焼身自殺。祖父も亡くなって、残った祖母とは最期まで家族として向き合うことが出来なかった。
島民も玲泉に対して、内心ではどこか腫れ物じみた見方をしていた。聡い彼女は、幼くしてそれに気づいていた。

彼女はずっと、心を開ける誰かを求めていた。
幸い彼女にも不器用な親友が一人いたが、やがてその親友にも打ち明けられない秘密を抱えてしまう。
その時、彼女のそばにいたのは廉也だった。近づいてきたのは、彼の方から。



「あれ、玲泉どこに――」
「こちらですよ。少し休ませていただいてます」

玲泉の回想が、廉也の声で破られた。彼女は背凭れから背中を離した。
すぐに浴室――彼の感想としては、むしろ浴場という言葉が相応しいものだったが――から、彼が戻ってきた。

「もしかして、かなり疲れてる? 一日中俺が引っ張りまわしちゃったし」

夏の甲子園を制した高校球児の彼と、どちらかと言えばインドア派の彼女では、疲労の感覚に開きがあったようだ。

「気にされることはありません。今日はいろいろと夢中になることがありましたから。
 荷物を片付けたら、お風呂をいただきましょうか。あなたの口ぶりだと、随分豪勢なのでしょう?」
「うんうん。うちのお風呂なんかよりよっぽど豪華だよ。思わず大声出しちゃったぐらいだ」

屈託無い顔つきの廉也に、つられて玲泉も表情を緩ませた。
日の出高校が甲子園で優勝して以来、島は大騒ぎだった。二ヶ月以上経っても、まだまだ野球部は地元の英雄扱い。
名実ともに部の中心であった彼など、銅像が立てられてしまいそうな勢いだった。
今日の彼がどこか浮ついているのは、そんな島内の注目から解放された気分のせいだろうか。

けれど、廉也が野球部として歩いてきた道程が、文字通りの命懸けであったことを知るのは、彼以外では玲泉しかいない。

(廉也さんがプロ入りするとしたら、もう気軽に会うことはできない。そう思うと)

内装に興味を示し始めた廉也を眺めて、玲泉は再び回想に沈みだした。
彼を相手にしていた動機は、最初は殆ど後ろめたさのせいだった。呪いの件があり、邪見に扱うのが忍びなかった。
しかし、彼が困難を乗り越えていく様を傍で見ている内に、彼の存在が彼女の心へ徐々に住み着いていった。
彼女がそれを自覚した時、矛盾に満ちた日々から抜け出す術は既に失われていた。

(廉也さんにひどいことをしてきたという重い記憶も、今ではふたりだけの特別な秘密のような気がして、
 とても貴重なものに思えてくる。真相を隠しながら彼と付き合っていたことといい、私はひどく現金らしい)

「――んぇぇえっ」
「どうされたのですか?」

廉也の声が、また玲泉の回想を途切れさせた。彼は奇声を漏らしたきり黙っている。
玲泉が見れば、彼は部屋脇に置かれた鏡台の引き出しに手をかけたまま、身じろぎもせず固まっていた。
不思議に思った彼女が椅子を立ち、彼の背中に近づくと、肩越しに引き出しの中身が見えた。

「おや、これはコンドームですね。お客さんが忘れた時のためでしょうか」
「そ、そっそそうだね、いや、なんか変な声出してごめん……改めて、ここがそういう場所なんだって思っちゃって」

苦笑いする廉也は、自分の取り乱しぶりに驚いている様子だった。
そんな彼を見て、玲泉にふと悪戯気が兆した。

「お風呂に入れば、身体もさっぱりしてリラックスできると思いますよ」
「うん……分かった。先に入ってもいいかな」
「お背中、流して差し上げましょうか」
「そ、そっ、それはまた別の機会でっ」

廉也はそそくさと脱衣所へ飛び込んでいった。
彼のそんなうぶな振る舞いが、玲泉にとってはひどく眩しかった。

廉也がひとっ風呂浴びて部屋に戻り、続いて玲泉が脱衣所に入った。備え付けのバスローブも身体に馴染まない。
それから彼は、壁一枚向こうの彼女に思いを馳せながら、うろうろと落ち着かない時間を過ごしていた。
もう部屋の探索をする気が失せていたので、自分の少ない荷物を手にとっては鞄に戻すのを繰り返した。
やがて、脱衣所の扉がからりと引かれ、彼の目前に彼女が姿を表す。

「おや、廉也さん、その格好もかなりお似合いですよ」
「はは。まさかバスローブを似合うと言われるとは思わなかったな」

水分を纏ったショートの銀髪。いつもはきっちり整えられた髪型が、濡れて形を乱していた。
色白の肌は湯で紅潮していた。湯上りの玲泉に目を奪われた、そんな瞬間に声が飛んできた。
練習で鍛えられ日に焼けた廉也の身体は、確かに白のバスローブに映えるだろうが、彼はその言葉でいくらか脱力した。

「湯冷めしてませんか? 少し、私が長湯してしまったかと思っていたのですが」
「冷めてても、俺のことなら、どうせすぐ熱くなるよ」
「まぁ、それはそれは」

笑ったことで、幾分神経がほぐれて、廉也にも軽口で応酬する余裕が出てきた。
そして、玲泉の浮かべていた微笑は、以前人前で構えていた盾の微笑ではなくなっていた。

「私は物心ついたときから敷き布団でしたが、ベッドの情緒もいいものですね」
「ダブルは俺も初めてだよ。それで、電気はどうする?」
「小さいものは点けておきましょう。あまり暗すぎて、ここから落ちてしまったら困ります」
「そんなアクロバティックな動きするの?」

ベッドに並んで座っていた二人が、どちらともなく身体を寄せ合う。バスローブは衣擦れ一つ立てない。
白い蛍光灯の明かりが落とされ、向き合う二人の顔に陰影が佩かれる。薄橙の世界が動きだした。
互いの睫毛の一本一本まで見える近さまで視線を交わす。おもむろに目蓋が降りて、くちびるを重ねる。
柔らかくも張りのある感触が触れ合い、混じり合った息遣いと共に、音も無く行き来する。

「ね、顔見せてくれないか。もっと、近くで」
「そんなに面白いものですか。あなたは、いつもそばで見ているでしょう」
「俺にだけ見せてくれる顔ってのが、あるじゃないか」

くちびるを離してから、廉也は玲泉の首筋を、触れるか触れないかの調子で撫でた。
手が顎のラインから頬を伝い、眉をなぞり、くすぐったそうな動きをした目元から、髪の毛へと移っていく。

「くすぐったい、かな」
「悪い気はしませんよ。あなたがそうしてくださると、すごく安心できます。ただ……」
「ただ?」
「今は少し、焦れったいですね」

玲泉の髪を梳いていた廉也の指を、彼女の手が捕まえる。
擦り傷や肉刺の跡で固められた彼の指が、細くしなやかな彼女の指に包まれる。指を絡ませたまま、再びくちづけが始まる。
彼女から積極的に舌を纏わせていく。くちびるの間を催促するようにつつき、歯列に舌先をかすめさせる。
彼は軽くくちびるを開いて舌技に応じると同時に、彼女の顎から耳元にかけて手を添えた。

今では馴染んできたフレンチキス。もう息継ぎに困ったりもしない。
舌同士でじゃれたかと思えば、歯茎まで浚っていったり、口蓋を刺激し合ってみる。
ちゅく、ちゅく、と籠った水音を鼓膜が拾う。いつの間にか、唾液が溢れ出して顔を湿らせている。
頃合いと見た廉也が玲泉のバスローブに手をかけると、彼女はくちびるを離して話しかけた。

「廉也さん、今日は、私から……」
「そういう気分なの?」

玲泉が、熱っぽい吐息混じりにこくりと頷いた。
それを見た瞬間、廉也の気道から喉元にこみ上げるような熱さが広がっていた。

二人はバスローブを脱いで全裸になった。
廉也はベッドの上で足を崩しており、彼の対面に玲泉も座っている。

「改めて観察しますと、この大きさが私の中に入るってすごいことですよね」
「うん。それで初めての時は四苦八苦して……医者の息子としては、ちょっと情けないかな」
「それ、医者の息子というのに何か関係があるのですか」
「いや、ぜんぜん。ただの気分さ」

廉也の陰茎は既に天井を指していた。玲泉は身を乗り出して、彼の肩口に顔を近づけながら指で陰茎に触れた。
それで重心が前に傾いた玲泉を、廉也が腕で支える。白い肢体の柔らかさが掌に沁みる。

「この様子だと、あれだけで相当興奮したようですね」
「正直、ホテルに入ろうとした当たりから、結構ドキドキしてたよ。
 反射的に玲泉とこういうことするの想像しちゃったから」

陰茎からの刺激が腰から背筋を這い登る。亀頭が先走りにてらてらと光り、玲泉の指に糸を引く。
芒とした小さな灯りの中で指が陰茎に巻きつく。彼女の吐息が廉也の胸板をくすぐる。
彼女を支えていない方の片手が無沙汰になっていた彼は、無聊を慰めるように彼女の肩を撫でた。

「んっ、廉也さん……私の、方からって」
「ああ、つい。こんな近くにいるのに触れないなんて、生殺しじゃないか」

玲泉の腕や肩甲骨がぴくりと反応するのを感じて、廉也は気を良くした。
肩を抱く度に、自分と彼女でここまで身体の作りが違うかと思う。触れて確かめたくなる。
肌の瑞々しさ。美しくも華奢な線。汗まで天露の匂いがしてきそうだった。

「ぅ、ん、れ、廉也さんっ」
「心臓ってさ、よく身体の左側についてるって言われてるけど、
 実際はみんなが思うより真ん中寄りらしいよ。こうすると、玲泉もドキドキしてるの、分かるね」

廉也の手は、玲泉の肩から鎖骨に、そして胸のふくらみまで降りていた。
彼の掌にぎりぎり収まる大きさのそれは、まるで彼のために誂(あつら)えたようにしっくりきた。

「あんまり、胸触られるのは好きじゃない?」
「あの、いや、その……だって、私……ん、ひうっ」

廉也の指先が、玲泉の胸の稜線をくすぐる。震えが身体全体を一瞬だけ走り、陰茎を弄んでいた手が止まる。
彼の指は止まらず、彼女の稜線が盛り上がって、少しくすんだ色の乳輪をざわざわとさする。
蕩けそうな乳房とは趣の違った、やや主張の強い感触を、指先と指の腹で扱きだす。

「だ、だって私、あまり……その触り甲斐があるわけでも……」
「俺にとっては、玲泉は特別だよ。それに、とっても可愛い」
「んあぁっ! そんな、先っぽばかりいじめたらっ」
「そういう声、もっと聞かせて欲しいな」

玲泉の昂った乳房を、廉也は片手を塞がれながらも丹念に愛撫する。
熱を増してきた乳頭を嬲る。乳輪ごと抓り上げる。捻る。引っ掻く。
甘い声がふらふらと部屋に広がる。指先で綴られる手管の応酬が、生暖かい吐息の中で続く。

「あ、あまり意地悪しないでください……これでも、結構恥ずかしいんですから」
「やっぱりそんなものなのかな……じゃあ、このぐらいにしておこうか。それに、今日は玲泉から、だしね」

玲泉が恨めしげな瞳で見返すのを、廉也は楽しくてたまらないといった面で受けた。
薄暗いベッドの上でも、上気した頬は互いの目で見て取れた。

廉也はベッドの上に座ったまま、玲泉の口戯を受け止めていた。
彼が立ち上がった体位の方が、陰茎への口戯はやりやすいのだが、二人は特に姿勢を変えなかった。

ぴちゃ、ぴちゃと籠った水音がする。心なしか、キスの時より生々しい響きだった。
廉也が座ったまま、玲泉が口内に彼の陰茎を収めようとしているので、彼女は四つん這いの低い体勢になる。
それを見下ろす彼からすると、彼女に獣じみた辱めを与えている気分になって、一層興奮を高めた。

玲泉が口内で雁首に舌を回す。さらに粘膜全体を使って、廉也に悦びを送ってくる。
手戯の時よりも彼女からの上目遣いの視線が強くて、心臓の裏まで見通された錯覚を覚える。
彼女のすっきりとした顔立ちが、陰茎を突っ込まれて歪んでいる様が、見れば見るほど倒錯的だった。

「うん、そこっ……そうして、くれると、気持ちいいかな。玲泉は覚えるの早いな」

廉也は玲泉の頭を手で撫でた。子供にするような仕草だったが、彼女は満更でもない風だった。
そういう子供っぽいスキンシップに、彼女は飢えているのではないか、と彼は思っていた。
彼女の落ち着いた物腰からすると、ギャップのある一面だったが、彼にとってそれは無性に愛おしかった。

フェラチオのペースが上がっていく。廉也の反応に勢いづいて、さらに舌が動く。
決して巧みなものではなかったが、所作の端々に滲んでくる感情が、廉也の興奮を高めていく。
射精の気配が見えてくると、彼の下肢に力が入る。じゅぽ、じゅっぽ、と空気と粘液が混ざる。
筋肉の収縮を感じて、彼女はついに露骨な音を立てての責めに転じていた。
劇的に変化した刺激を逸らそうと、思わず彼は天井を仰いだ。

(あ、あれっ、これは――天井に、鏡?)

廉也が顔を上げると、ちょうどベッドの上をカバーするように、大きな円鏡が天井に仕込まれていた。
夜空をイメージしたのか、鏡面には北斗七星の柄杓型が透かしであしらわれている。
薄暗い鏡の世界の中で揺らめく影は、ベッドの上での二人を映したものに間違い無いだろう。

(部屋は思ったより普通かな、と思ってて油断してた……ラブホテルって、こんなものもあるんだ)

自分たちの姿なのに、他人の情事を覗きみている感覚がして、廉也は鏡を食い入るように見つめた。
鏡の向こうの自分と目が合う。そこから目をずらせば、玲泉の頭がもぞもぞと蠢く様子が映っている。
四つん這いで奉仕する彼女を、ほぼ垂直のアングルから見下ろすと、彼女を隷属させている趣がより高まった。

(そういえば、玲泉の背中を見ることって、あんまり無かったなぁ……改めて眺めると)

「いやらしいのに、すごく、綺麗だ」

呻き混じりの感嘆が、廉也の口から零れた。しばし鏡の向こうに見蕩れてしまう。
玲泉の後ろ姿は、彼女が身体を震わせるのに合わせて、白い肌に陰が踊った。
ウエストから背骨窪のあたりの、ゆらゆら変わる色味。せわしなく揺すられるふっくらとした尻肉。
時折、所在無さげにベッドを擦る膝下の動き。艶(なまめ)かしい、とはこの瞬間に使うべき形容だった。
特に腰のたどたどした動きは、彼に触れられるのをせがんでいるように見えて、

「あの、玲泉。さっきから、腰……動いて――んぐっ!」
「ぐ、んふっ! ふぁっ、あ、ご、ごめんなさい、つい……」

どうやらこれは、玲泉にとってまったく予想外の指摘だったらしい。

「すごいな。まだ触ってもいないのに、膝までびしょびしょになってて。こんなこと初めてじゃないか?」
「あまり言わないで下さい……自分でも驚いているんですから」
「これを中に入れられた時のこと、想像しちゃったんだ」

仰向けに横たわる玲泉は、目を伏せたままぼやいた。その正面に座る廉也は、本気で感心しているようだ。
彼の指摘通り、彼女の両腿は秘所からの愛液が幾筋も跡を残していた。

「さっき舐めてもらってる時にも、随分物欲しげな腰の動きしてたと思うけど」
「あなたって人は、一体どこ見てたんですか。あさっての方を向いてたかと思えば」
「すごいこと、して欲しかったのかな。どうなの?」
「どうあっても私の口から言わせるつもりですか、あなたは」

完全に緩みきった顔の廉也に、玲泉は呆れ半分、可笑しさ半分の溜め息をついた。
口戯の時から、いやそれよりも前から今まで、下腹部がじわじわと疼いていたのは確かだったが、
彼女自身でそう感じているのと、彼から指摘されるのでは、心境が大きく違う。

「そうやって私を狼狽させるの、好きなんですか」
「好きか嫌いか、と言えば好きだな。でも、玲泉だって今日は随分飛ばしてくれたよね。
 街のど真ん中であんなこと言われてさ、正直頭が真っ白になったよ」
「それなら、おあいこということで」

玲泉は秘所を廉也の前に曝していた。薄めの陰毛が、愛液に濡れてべったりと張り付いている。
小さな灯りからの照り返しが、陰翳の中の女唇を可視領域に浮かび上がらせる。
彼は足腰の位置をあれこれ調整しながら、陰茎を秘所に宛がっていった。

「いつもと勝手が違う様ですが、もしかして備え付けの方を着けているんですか?」
「うん……何だか、いつもより薄い気が。まさか、追加料金取られたりするかな。別にいいけどさ」

雰囲気が削がれない程度に、あえて軽口を叩いてみる。まだ色欲に身を任せ切れていない面が、二人にあった。
照れ臭さに近いものが残っていた。それはそれで、心理的な興奮の種になっていたが。

「じゃあ、行くよ。玲泉――好き、だよ」
「来て、ください。廉也さんの、思うままに」

廉也が腰を突き入れ、陰茎が玲泉の秘所を咥え込む。粘膜と熱を籠らせた肉が擦れ合う。
彼女は女唇が陰茎に割り開かれる感触を、半ば夢心地で受け入れていた。

抽送が始まる。最初はゆっくり、余裕のあるリズムで浅いところから深いところを往復する。
嬌声と嘆息が混じり合って、玲泉のくちびるから溢れてくる。
まだ激しくも深くもないのに、子宮が待ち遠しがってむずかるようだった。

(廉也さんは、私にこんな悦びまで教えてしまった。私の誰にも触れられない所が、覚えてしまった)

「廉也、さん、もっと、奥まで……奥まで、あなたを、教えて下さい」
「あ、いや、また焦れったくなったのかい。ごめん、ちょっと、いつもに増して余裕が……」

玲泉から見える廉也の顔は、息苦しそうに汗を浮かせていた。そこにあるのは、本当に快楽なのだろうか。
我慢したほうが気持ちいい、とかつて彼から聞いた記憶があったが、玲泉はその言い分が理解出来ない。
ここまで情交で深く繋がっている時に、わざわざ辛抱するなんて彼女は一慮もしない。
彼女は彼の手首を捕まえてぎゅっと握っていた。それで、指先まで肉体を重ねられた気がした。

荒い吐息を漂わせながら、二人の肌がぶつかり合って、ぱん、ぱん、と弾けた音を立てる。
薄暗いベッドの上で、二人の四肢が縺れ合う。愛液が後から後から流れ落ちて、廉也までも濡らしていく。
女陰の中を蹂躙される度に、玲泉は嗚咽めいた声を上げてしまう。

「ふあぁっ! れ、廉也さん、そこ、突かれる、と――っ」
「ここかな。気持ち、いいって、こんなに奥が好きなんだ」

廉也は玲泉の懇願に応じて、こつこつと女陰を探った。
陰茎に注意を払いながらの探索は、動きこそ緩慢ながら念入りだった。
そして、隙あらば絡みつき精を絞りとろうとする女陰の襞の内、微妙に感触の異なる部分を捉える。
そこを廉也が繰り返し陰茎で押し叩きだすと、玲泉の下腹部で茹だっていた悦楽が、一気に強くなって彼女の全身を覆う。

「ひっ――い、いぃっ、そこ、そこ感じてっ――んあぁ! ぁあっ、はぁああっ!」

玲泉の脚は熱に突き動かされて、無意識で廉也の腰に巻き付いていた。
抽送でダイレクトに揺さぶられる下腹部は、受容の限界を超えて淫欲に躍っていた。
臍から胸まで、全てが熱に埋め尽くされたように麻痺して、肺の呼吸さえままならない。

廉也がスパートをかけるべく、彼の身体を倒して玲泉に密着させる。
さらに彼女の肩に両腕を回して安定させ、子宮そのものを揺さぶらんばかりに陰茎を打ち付ける。

「ひああっ、い、いいです、奥、突いて、はぁああっ、んあぁあっ!」
「玲泉、玲泉っ、俺、もうすぐ……っ」

絶頂の波が寄せて返し、寄せて返し、それがどんどん深く大きくなっていった。
それがついに玲泉の琴線まで滲み通す。軽い絶頂が走って、玲泉は首を天井に向ける。

(あ、あれ……何、あれは、私……?)

天井の鏡に映った人間を、玲泉は直感で自分だと悟った。
湯気が出そうなほど汗ばんだ顔に、銀髪が乱れて張り付いている。相好は泣き笑いに染まっている。
男に肉孔を抉られ、かすれかすれの嬌声を上げて、女の姿が鏡面をのたうっている。

(私、私があんな顔して……でも、すごく幸せそう……)

玲泉の全身が不規則に震えだす。廉也は奥底に陰茎を押し付けながら、彼女を強く抱き寄せた。
拍動のようなリズムで迫ってくる絶頂感に意識を洗われながら、玲泉はまだ鏡の中の自分を見つめていた。
鏡の中の玲泉も見つめ返してきた。羨望とも優越感ともとれそうな双眸だった。
やがて、その視線が恍惚に塗り潰されていく。

「ひっ、ひぁっ、も、もう、わたし――んあぁっ、ふぁああっ!」
「う、くっ、俺も、すぐ、出そう、で――」

感覚が溶けていく。口を衝いて出る喘ぎが、もう玲泉自身にもコントロールできない。
廉也の腕の締め付けを感じる。陰茎で奥深くまで貫かれる。鼓動が伝わりそうなほど身体を寄せている。
すぐそばで荒れた息遣いが耳朶を撫ぜている。混ざり合った二人の匂いが、鼻腔を喉まで満たしている。

廉也の陰茎が不意に大きく跳ねた。ついに彼の限界が訪れたらしい。
玲泉の脚は力を失って、がっくりとベッドの上に投げ出されていた。腕だけはかろうじて彼の背に引っかかっていた。
快楽が脳髄で飽和して、溢れたそれが霞のように立ち現れて、彼女の血肉を覆っていた。
そんな朦朧とした彼女の中で、女陰だけが本能に従って、なおも陰茎を貪るべく散発的に蠢いていた。

「誕生日プレゼント、ですか」
「うん……本当は帰りの船で渡すつもりだったんだけど、タイミングが無くて、さ」

情事の翌朝、チェックアウトのための身支度が終わった時に、廉也は玲泉に声をかけた。

「なるほど。昨日の廉也さんはどこか挙動不審だと思ってましたが、タイミング測ってたせいですか。
 ……それとも、さっき荷物を整理してる時に、渡しそびれたのを気がついたとか」
「え、いや、そんなことは、と、とにかく今見て欲しいんだ。昼間の船じゃ、雰囲気が出ないからさ」
「雰囲気……ですか。それでは失礼して」

廉也が渡してきたものは、掌よりやや大きい程度の、丸みを帯びた正方形の箱だった。
外装は肌慣れない濃紺の起毛だった。正方形の側面には、黒い線が水平に走っていた。
玲泉は両手でその箱を持っていたが、右掌に箱の底面を載せて、左手で箱の蓋を開いた。

「あら、これは。指輪ですね。これを、私に?」
「そうだよ……まだ俺は高校生だけど、来年の誕生日は一緒に過ごせないかも知れないんだ。
 だから、どうしても今年の誕生日に渡しておきたかったんだ。一日遅れになっちゃったけど」

濃紺の箱の中に、銀色に光るシンプルなリングが鎮座していた。
つるつるとした細い環が二つ重ねられて、途中でメビウスの輪のように捻られて上下が入れ替わっている。

「廉也さん。折角ですから、今ここでつけていただけませんか」
「分かった、ちょっと手貸して――その、やっぱり左手に?」

玲泉は右手に指輪のケースを載せたまま、廉也に向かって左手を差し伸べていた。

「気分の問題です、気分の。さあ、あまりまごついてると部屋の時間が来ますよ」
「それじゃ行くよ……あっ、しまった。もう一号小さくしとくべきだったかな……」

廉也が玲泉の薬指にリングを填めた。リングは関節を掠める程度で、すんなりと指に収まった。
どうやら彼の見立てよりも、リングがやや大きかったらしい。
玲泉は左手を顔の近くまで寄せて、じっとリングを眺めていた。

「これ、島でも着けていていいですよね」
「あ、それはその……玲泉が着けていたいのなら」
「ふふ、それはさすがに……ということですか。それでは、これは私だけの宝物にしておきましょう」

玲泉は、視線を自分の左手から廉也の顔へ移した。どちらからともなく、笑みが浮かんできた。



秋の潮風と快晴の空の下、廉也と玲泉は島行きの連絡船の座席に、並んで座っていた。
乗客は船内にちらほらと見えるくらいだったが、二人は膝が触れ合うほど近くにいた。
二人の話は、学校のこと、それから島の住民のことなど、普段通りのお喋りだった。
それらの話題がひと通り尽きて、二人で海を眺めているときに、不意に玲泉が話を切り出した。

「そういえば、今朝これを渡すときにあなたは、確か……来年は一緒に過ごせないかも知れない、
 と言ってましたよね。ということは、島を出てプロになるおつもりですか」
「……うん。まだ俺と父さんしか知らないけど、スカウトの人が何球団か入れ替わりに来ててさ。
 大神目当てで島に来てたんだろうな、と思ってたけど、どうやら俺をドラフトで指名するつもりらしい。
 もう、プロ志望届けも出してしまったよ。プロに入ったら、呪いとは別の意味で命懸けだ」

廉也は笑ってみせたが、玲泉はその笑いの裏に緊張が横たわっているのを察した。
プロ野球選手の道には、一度きりの甲子園で勝つことにも負けないプレッシャーがかかっているようだ。

「今度は、私も本当に純粋な気持ちであなたを応援できるんでしょうか。そうであれば、私は嬉しいです。
 あなたが満足するまで、プロで野球をやってきてください。それが、私の望みです」

思い返せば、玲泉が素直な心で廉也たち日の出高校野球部を応援できるようになったのは、
やっと彼らが甲子園出場を決めてからだった。彼女が吹っ切れるのに、そこまで時間がかかった。

「何だかね……玲泉がそう言ってくれると、どうにかなりそうな気がする」
「買い被りですよ。今までだって、結局あなたとその周りの方々の力でやってきたわけでしょう」
「昨日言っただろ。玲泉は特別だ、って」

廉也はそれ以上説明しなかった。玲泉も追求しなかった。
理屈では説明できないところに、彼らの絆があったから。

その絆が実を結ぶまで、あともう少しだけ時間がかかりそうだった。

(おしまい)

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