慰霊碑を倒したことから全てが始まり、当時のキャプテンが神隠しを被り、 
 部室が真っ赤に燃え上がり、悪夢で眠れなくなった高校一年生の秋。それから 
部員確保のため島中を走り回り、どうにか試合をできる状態にまで作り直した。 
  二年生になり、俺は事実上のキャプテンになり、練習を休んでまでバイトを 
 して稼いだ汗の結晶である金で部室を改築――ほぼ新築だったけど――したり、 
しかし山本くんが消え、つい天本さんに当たったこともあった。 
  対外試合初勝利を果たし、しばらくたって、俺は天本さんに告白した。 
  天本さんは何かためらっていたようだったけど、結果として俺の気持ちは 
伝わったらしい。それから、天本のおばあさんのマークはきつくなったけど。 
  大神くんが加わっていよいよ見えてきた甲子園、赤坂率いる大安高校を打ち 
破り、ついに甲子園の土を踏む。それでも消えたキャプテンと山本くんは戻って 
 こないまま決勝戦に挑んだ。運と勢いもあり奇跡の優勝、どこか夢心地だった 
俺の前には、山本くんがいた。あとで聞いた話で、菱村キャプテンも何事も 
 なかったかのように本土へ渡っていたとか。 
  それから天本さんのおばあさんが亡くなり、俺は真相を知った。 
  全ては天本セツの仕業であり、天本さんも色々と野球部の妨害に協力した 
 らしい。昔の恋人について語る祖母を、彼女は無視できなかった。おばあさん 
 のことは嫌いだと言った天本さんの本心は、きっと違う。彼女は優しいから、 
 人を嫌いになるなんてことはないんだ。 

  この島はのどかだ。都会の喧騒を離れ、穏やかな空気に包まれた日の出島も、 
 何かと危ないらしい。どこかの大企業がリゾート開発のためにここに来ている 
 ようだ。 
 「今日もいい天気ですね」 
  天本さんは、巫女さん姿で庭を掃いている。由緒正しき竹ぼうきだ。 
 「あっちとは全然違うよ。向こうは冬でも、なかなか寒くならないんだ」 
  甲子園優勝よりもあり難いことで、俺はなぜかスカウトの目にとまり、プロ 
 としてやっていけることになった。今はまだ二軍でくすぶっている。キャチャー 
 だから先輩を追い抜くのは難しい。 
  枯れ葉もすっかりなくなった季節で、掃除も幾分か楽になっただろう天本さん 
 を、俺はぼうっと見続けている。まだ午前ということもあって、かなり肌寒い 
 のであまり外にはいたくないけど、屋内からじゃ境内はよく見えない。 
  一段落着いたらしく、ほうきを置いた天本さん。 
 「お茶、飲みますか?」 
 「俺が淹れるよ」 
  所在ないので丁度いい暇つぶしだ。これくらいは俺にだってできる。 
  最近の野球界はお騒がせな世界となって、毎日ニュースで試合結果以外の 
 ことが取り上げられる。一年前はモグラーズが大神くんの会社に買収されて、 
そこへ大神くんが入団した。今シーズンは日本一といきなりの飛躍を見せた。 
 「あの」 
  天本さんが、切り出す。 
 「何?」 
 「結婚しませんか?」 
 「……それはまた、突然だね」 
 「今すぐに、とは言いません。いつか、あなたがしたいと思ったときに」 
  確かに、俺も二十歳を過ぎて社会的な自立をするべきだろうけど、まだまだ 
未熟な男だ。一軍で獅子奮迅の活躍をしているならまだしも、俺はまだ二軍で 
育てられている身だ。 
  一人の女性を背負う力はない。そんな覚悟はできない。 
  大舞台に立ち、客を沸かせ、充分な年俸を貰うまでは、恋人として付き合って 
 いきたいと思っている。 
 「いつかって……いつまで待たせるかわからないけど」 
 「ええ、構いません。高校時代の三年間、迷惑をかけましたから」 
  いつもの柔和な笑みを見て、なんだか胸が苦しくなった。迷惑だなんてのは 
天本さんの考え過ぎで、逆に感謝しているくらいなのに、天本さんは罪悪感を 
抱いているのではないだろうか。 
  俺の姓を名乗り、一生支え続けることが贖罪なのだと考えているなら、間違い 
 だ。それこそ迷惑だ。 
 「天本さんは、俺と結婚したいの?」 
 「はい。今すぐにでも」 
  笑顔が一層輝く。それは、本当の笑顔なのか? 
 「好きですよ」 
  人当たりのよい微笑みが少し抑えられ、俺にしか見せない表情になる。満面 
の笑みではないけれど、愛想笑いでもない、恐らく、本物の笑顔。 
 「俺も、好きだよ」 
  でも、俺が本物だと思っているこの表情も、仮面だとしたら……天本さんは 
表情が不器用だからいつも笑っている、と話したことがある。泣いていてくる 
幸せなんていらないと、だから笑っていると言った。 

  すっと笑顔が沈み、静かな雰囲気を湛えた真顔になる。 
 「私は物静かで情熱的ですから」 
 「ああ、十月二十五日生まれの、さそり座だったね」 
  さそり座の女、って歌があったな。なんてことは関係ない。 
 「沈没船がある岸でロマンに耽っている天本さん、活き活きしてて驚いたよ」 
 「そんなこと覚えてるんですか? ふふ、あなたしか知らない私ですね」 
  そうだ。俺はみんなが知らない天本さんをたくさん知ってる。猫の臨終に 
立ち会ったり、初めての誕生日プレゼントが俺からだったり、贈ったのも俺に 
対してが初めてで、そのときは山田くんに贈り物を相談していた。 
 「夜の方も、情熱的だもんね」 
  天本さんが、頬を真っ赤に染める。 
 「そんな……私はそういうことに奥手でしたし……あなたとが初めてですし…… 
情熱的と言われても……何と比べて……」 
 「俺だって、天本さんとしかしたことないよ。でも、情熱的だって分かる」 
 「それは、あなたは、成人向けの娯楽に精通しているでしょう?」 
 「精通って、エキスパートみたいに言われてもなあ……」 
  俺は普通にAVを見て、エロ本を読むだけだよ。変わった性癖もなければ、 
だれかれ構わず性欲の対象にするわけじゃないよ。 
 「シーズン中はほとんどできなかったんですから、オフのときくらい我慢しない 
 でくださいね」 
  昨日は帰ってきたばかりで、疲れていた。天本さんに興味がなくなったのでは 
 なくて、我慢しているのでもない。 
  ともかく、お許しが出た。 

  起伏に乏しい身体の天本さんだけど、その曲線美はどんな男も欲情させて 
 しまうに違いない。細身だけど女性らしい肉感をちゃんと持っていて、スレンダー 
 と言えばわかりやすい。 
  ベッドもそれはそれでムードがあるけど、敷布団も情感があっていい。なに 
 より天本さんのイメージに当てはまる。 
  既に一糸纏わぬ姿の天本さんを抱きながら、首筋に舌を這わせる。 
  熱っぽくて甘い吐息が、俺の耳をくすぐる。 
  悦んでいる天本さんを眺めるのは大好きな行為で、もっと悦ばせたい、もっと 
愉しませたいとい欲望が蒸気のように、むわむわと湧き上がってくる。 
 「上手になって……私以外のヒトも抱いたんじゃないんですか?」 
 「俺にそんな甲斐性はないよ」 
  背中を撫でて口付けすると、向こうから絡ませてきた。不慣れだけど濃密な 
 キス。唾液を混ぜ合い交換する。一旦 口を離すと、銀糸が架かった。 
  薄い胸はふんわりと柔らかく、中心部はピンと硬い。指で弾くと、天本さん 
 は身を震わせた。優しく乳房を揉みつつ、舌を絡ませ続ける。 
  積極的な天本さんが、握ってきた。 
  しっとりとした細い指が、怒張を撫で、やや控えめな刺激を与える。 
 「うっ……」 
  天本さんの温かい口が、充血した海綿体を包む。 
  俺は股を広げ、天本さんがやりやすい状況を作る。 
  咥えられるのは好きだった。恍惚の表情を浮かべながらぴちゃぴちゃと舐める 
様子は、艶めかしい。 
  慣れたもんだ。最初は恥ずかしがって、顔を近づけることさえ拒んでいた 
 のに、今では自分から吸い付いてくる。 
  小川の水を掬うような手付きで髪に触れた。指の間をさらりと滑る。ほのか 
 に甘い香りが広がり、その芳香に酔ってしまいそうになる。 
  ちらっと天本さんが上目遣いに俺を見る。 
 「うん、上手、気持ちいいよ」 
  嬉しかったのか、一瞬 目を細めたけど、十秒も経たないうちに艶っぽい瞳に 
戻る。 
  自己処理すらも数日怠っていたせいか、早くも絶頂が近い。 
 「俺、もう、やばいかも……」 
  それに応え、天本さんの口淫は激しさを増した。 
  下腹部全体が熱くなる。身体の奥から何かが昇ってきて、天本さんに吸い上 
げられる。 
 「くっ、出る、出る――」 
  陰茎がびくびくと跳ねて、天本さんの口内に白濁を吐き出した。 

  翌朝、起きると、天本さんが台所に立っていた。軽快な包丁とまな板がぶつ 
 かり合う音と共に味噌汁の香りが俺の眠気を吹き飛ばし、食欲を沸かせた。 
 「ああ、起きました? おはようございます」 
 「おはよう。いい匂いがしたもんだから」 
  さて、昨夜のことを思い出すと、あれから三連戦をこなして、俺も天本さん 
 も力尽きた。避妊具を付けずにしたのは初めてで、まあ妊娠したとしても結婚 
する意志はお互いにあるので、責任は取る。 
  乱れる天本さんの姿を浮かべた途端、あれだけ出したにも関わらず俺は元気 
を取り戻した。朝だからね、しょうがないんだ。 
  なんとなく抱き締めたくなって台所までは来たものの、包丁を持っている女 
に抱き付くのは怖い。まさか刺したりはしないだろうけど、万が一があったら 
 と思うとためらわれる。 
 「もうできますから、座っていてください」 
  この家の食卓はちゃぶ台である。数年前までは、このちゃぶ台でおばあさん 
 と食事を摂っていたのだろうか。 
  牛乳とコップが置いてあったので、注いで飲むことにした。朝の牛乳は上手い。 
 「はい、できましたよ」 
  焼き魚と味噌汁とご飯。日本の朝には欠かせないメニューだ。 
  きっちりと頂きますの挨拶をして、箸を持った。 
 「美味しいね」 
 「ふふ、ありがとうございます」 
  天本さんは嬉しかったようで、いつもの微笑みに三割ほど明るさを足した 
顔になった。こんな顔は、俺にしか見られないんだろう。 
  静かな朝、こたつの横に一台のストーブがあり、テレビを見る習慣が天本さん 
 にはないので、俺もそれに合わせている。ときどき食器と箸が当たるだけで、 
 他の音は全くない。 
 「天本さん」 
 「はい、なんでしょう」 
 「結婚しようか」 
 「それは……突然ですね」 
 「そっちから言い出したことじゃないか」 
  そうでした、とはにかむ天本さん。持っていたお椀を置いた。 
 「はい、喜んで」 
  それは、今まで見た中で、最高の笑顔だった。 .
 


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