「ああ、丁度いま夜のニュースで、きょうの小波さんの試合やってます。わたしは野球のこと詳しくないですけど……
 最近は、テレビで小波さんの顔を見るときも多くなってきたような気がしますよ」
 『いつまでも二軍でくすぶってるわけにはいかないからね。出られるときに出とかないと』
 「……あ、ひっどい、まだあのときのこと根に持ってるんですかー?」

 電話口越しに笑い声が聞こえる。大枚をはたいて買った大きなモニターには、小波さんのユニフォーム姿が映っていた。
 試合の結果は、事務所帰りに車のラジオで既に聞いていたけど、わたしは家に帰ってすぐにテレビをつけた。

 小波さんのいるモグラーズは、シーズンも三分の二を過ぎて、リーグの首位争いをしている状況と聞いていた。
モグラーズ――ここ数年は、優勝どころかAクラスにもなれなかった弱小球団。しかも開幕前には、かなり選手の首切りをやったらしい。
そんな状況からの予想外の躍進を見て、以前は軽く流していた新聞やテレビも、モグラーズを取り上げることが増えてきた。現金なものだ。
その主力選手である小波さんも、記者とかの目に気をつけなければならなくなったとこぼしていた。
おととしなんか、売り出して間もないわたしでも、適当に取材できたのに。今と比べてしまうと、本当に嘘のよう。

ニュースが終わってしまったので、テレビの電源を落とす。
 小波さんは試合で活躍できたからか、かなり上機嫌に話していた。その声だけで、わたしまで笑顔になれそう。
その代わり、負けた日や活躍できなかった日は、沈んでいるのが分かってしまうけれど。
 小波さんが一軍でレギュラーになってからは、毎日のように試合があるので、前みたいに遊びに行くことはできなくなった。

その寂しさを少しでも忘れるために、こうして夜に電話で話すことが多くなった。
 今は、小波さんの声を聞かないと一日が終わった気がしない。話そのものは、とりとめもないことばかりだけど。
 延長戦で試合終了が遅くなったり、わたしの仕事が長引いたりで、電話する時間さえ取れないこともある。
そんな夜は特につらい。

 「――そういえば、もう少しで小波さんの誕生日ですね」
 『誕生日も試合だけどね。3連戦の真ん中だから、移動の忙しさは無いけど』
 「その日は……何とかして会えません? 最近あまり会えてないじゃないですか、だからわたしも、何とかしてお仕事空けます」
 『空けますからって、俺もかすみちゃんには会いたいよ。でもアイドルって、そんな簡単に休みが取れたっけ?
  前は翌日のデートの約束とかしても平気だったけど……かすみちゃんだって前より仕事増えてるじゃないか』
 「わ、わたしのことは気にしないでください、小波さんの誕生日なんですから!」
 『……会えるとしたら、球場入り前の早い時間かな。そっちのが確実だと思う』

 野球の試合は時間で区切られていないから、時間で待ち合わせしても当てにならない。
 延長戦なんか、前は深夜アニメの録画をするときくらいにしか気にしなかったのに。
 試合後のミーティングが長引いてもだめ。これも以前のわたしならまったく考えなかったこと。
 野球を見るようになったのも、小波さんと親しくなってから。
わたしはモグラーズの選手に取材にいく仕事で小波さんと出会ったけど、よくもあんな適当な状態で取材なんか出来たと思う。

 小波さんの誕生日に会う約束をするため、仕事用の携帯でスケジュールを確認する。
 今使っている電話はプライベート用。といっても履歴が小波さんの名前でほとんど埋まっているから、実質専用機かも知れない。
ふと時刻表示を見ると、だいぶ遅い時間になっていた。あまり引き止めても朝に響くので、約束をして通話を切る。
 耳をつけていたところが汗ばんでいた。けっこう長い間話し込んでいたらしい。

ブラックアウトしていたモニターに、わたしの顔が映っていた。
 旧型ブラウン管のそれとは違う、まっ黒い水面のようなLCDから、色の無い視線がこちらを見返してくる。
ひどい顔だった。いくら家にひとりきりとはいえ、アイドルがしていい表情じゃない。
いや、仕事ならまだどうにかできるかな。ドラマならともかく、今のわたしはそこまで演技力のいる番組には出られていない。
 小波さんが一軍に上がった頃から、わたしの仕事も増えてきた。相変わらず思うような仕事はできてないけど。
 今では取り繕い方――手の抜き所とでも言うか――を覚えないと、やっていけないぐらいの忙しさにはなっている。

 「あーあ、だめねだめね、こんな顔小波さんには見せられないって。一発で幻滅されちゃうかも」

わざと声に出して気分を変えようとする。そういえばまだお風呂にも入っていなかった。
きょうはチェックしている番組も無いし、すぐに寝たほうがいいよね。



 夏は半ばを過ぎていた。残暑にうんざりしてた気持ちと、夏の終わりの何とも言えない寂しさが綯い交ぜになっていた。
まだまだ厳しい暑さは、過ごしにくいわ、いろいろと神経を使わせるわで……早く夏が終わってしまえばいいのに。
とにかく寝苦しい。汗も流して、エアコンも一応つけているはずなのに。
 夏が終わって、秋がきて、冬がきたら、シーズンが終わったら、少しは小波さんと会う時間が増やせるのかな。
いや、年末に近づけば、今度はわたしの仕事が忙しくなる。
まかり間違っても、クリスマスや初詣に押しかけるなんて真似は、もうできない。

クリスマス。あの時はわたしの仕事が遅くなって、けっこう遅い時間に小波さんの部屋にお邪魔した。
 小波さんは、自分の部屋だというのに居心地悪そうにしていた。どうしてかしら。

 貧乏だ、お金が無いといいながら小波さんはスポーツカーを乗り回しているから、あの建物に住んでいるところを見られたくなかったのかな。
 建てられてから相当経ったらしい寮の壁。それも、ティッシュを箱から引き出す音さえ通しそうな薄さ。確かにひどいと言えばひどい。
だけど、そんな見栄を気にするかと思えば、マニアショップでわたしにお金を借りたこともあったっけ。
あとは……その薄い壁の向こうから、隣部屋のテレビの音が聞こえてきたせいかな。しかもあれはアニメだったっぽい。
そんな音量でテンションの高いロボットアニメ見るなら、ヘッドフォンぐらい付けなさいよ――
と、わたしが説教しに行こうかと思った頃、ぱったりと音が止んだ。小波さん曰く『きっと寮長に絞られた』らしい。
わたしがこの部屋に上がり込んでいるのがばれたら、小波さんも怒られるのか、と聞いたら苦笑いされた。

 薄手のタオルケットを口に含む。あの時は声が漏れないように、小波さんのタオルを使った。
 普通に洗濯されていたはずの代物なのに、それを小波さんの使ってたと思うだけで興奮してた。
タオルだけじゃなかった。あの時敷いていた布団も、小波さんが普段寝ているものだった。

 「んうっ……」

 薄手の夜着の中に手を伸ばす。あのときの小波さんの手つきを脳内で重ねて、薄手のブラ越しに胸を包む。
 心臓の奥が締め付けられて、苦しくなって、きっとそれを解きほぐせるのは小波さんだけだって。
 肌を見られるのが恥ずかしかった。すごく久しぶりな感覚だった。骨の髄を炙られて、肌から蒸発していきそう。

 既に堅くなり始めた乳首の感触を、布の上からてのひらに感じる。でもまだ、まだ小波さんは触ってくれない。
わたしからは触ってなんて言えない。それをいいことに、さわさわと指を滑らせて、じっくりと胸を撫でてくるんだ。
 夜着のボタンを外して肌蹴る。小波さんが息を呑むのが分かってしまった。こんなにいやらしく興奮してるのを見られてる。
タオルを咥えていても息が荒くなっていくのが分かる。唾がタオルを濡らしていく。
 乳輪を爪先で軽く引っ掻いてくる。他の指がわたしのからだに食い込んでは離し、食い込んでは離しを繰り返す。
 焦れて焦れて、わたしが恨めしげに小波さんを見上げると、小波さんはわたしをもっと近くに引き寄せて、それで、

 「……んんんっ!」

くぐもった声が漏れる。背筋からからだがびくつく。
 小波さんの指はおもむろにブラを外して、すっかり堅くなった乳首を転がしてくる。
 何事か耳元で囁かれても、わたしにはそれが小波さんの声だということしか知覚できなかった。
こんなに近くにいて、スポーツ選手らしい引き締まったからだにしっかり抱かれてしまう。
わたしはもう離れられなかった。与えられる甘い疼きに手足を捩らせた。そうすればきっと、もっと強く抱きしめてくれるから。
 責める指が二本から三本になる。だめ、もうちょっとだけ強く、乳首がもう少しで、でもそんなことをしたら、胸だけでわたしは――



『かすみちゃんは可愛いなあ』
 鼻にかけるわけじゃないけど、そのくらいのことば、わたしは今まで結構もらってきた。
 可愛いのひとことも言われずに、アイドルになろうと思う女の子などいない。けれど、

 「あ、い、いいですっ、こなみ……さんっ」

 触っただけで糸を引きそうなショーツをなぞった。こんな感じに、じくじくとわたしを弄んで、いやらしい声を出させていた。
そんな時に、まさか可愛いなんて言うとは思わなかった。小波さんは物言いがいつも直球だから、本気で言ってたんだろう。
わたしはもう声を抑えていなかった。あの時と違って、指は敏感なところを自重しないで触ってくる。
タオルが口から離れても、隣部屋を気にしてペースを落とすなんてことはない。

 「だ……めっ、も、もっと優しく」

ことばとは裏腹に、小波さんを重ねた指はわたしを責め立てる。ショーツの中に指を突っ込み、潤みを塗して広げていく。
 既に滑らかになっているあそこで指が滑って、不意打ちでクリトリスに触れてしまう。反射的に腰が浮く。
あのときの小波さんは、わたしの後ろに座っていた。わたしは脚を大きく開いて、小波さんの胸板に背を預けて、小波さんが後ろから支えて、

 「好き、です、こなみさんっ! もっと、わたしを……」

 背筋から肩からにぞくぞくするような感覚が走る。小波さんが、わたしのうなじあたりにキスしたみたい。
だめ、そんなところにキスマーク付けられちゃ、そんな意識も、気持ちよさと幸福感でどこかに流されてしまう。
 指の動きが小刻みに、どんどん早くなっていく。喘ぎ喘ぎするわたしを、小波さんは食い入るように見てる。
 腰骨のあたりには、熱くなった男の人のあれの感触がはっきりとあった。それを意識するだけで、あそこが切なくなってしまう。
 指からじゅぷじゅぷ卑猥な音がしてる。爪先で押されて、指の腹で擦られて、潰されて、捻られて、それでも足りない。
 襞を割りひらいて、深く浅く突く。撫でる。上下からの刺激に、充血しきったクリトリスが悶えて震える。中の襞がきゅうと締め付けてくる。
 行き場を求めて内奥を渦巻いていた熱気が、わたしの意識の綻びに殺到する。ぐずぐずになって剥がれ落ちていく。
 指が暴れてる。十本の手の指がわたしを好き放題いじめてる。ぐりぐりと容赦無くわたしを飲み込む。
このままじゃ、もう、溢れて、何も入ってこない、苦しい、どうして、早く、もっと、激しく、おかしく、だめに、なって、

 「やぁ、あああっ、もう、いっちゃ、んああああっっっ」



 気分は最悪だった。最悪以外に相応しいことばがないぐらい最悪だった。
タオルケットはわたしの涎といやらしい露で台無しに。シーツも皺だらけで、大きな沁みがついてしまった。
 夜着や下着なんか、自分のものなのに、指でつまんで洗濯機に放り込んだ。
そうして、そんな後始末を行っていても、頭から重苦しさが離れない。

 何がこんなにだめなんだろう。
モグラーズ寮の小波さんの部屋で、小波さんに預けていたはずの背中が、実際は自室のシーツの上をのたうっていたから?
 自分を慰め始めるときにそんなのは承知だった。あの小波さんは所詮、わたしの記憶から引っ張り出した幻影でしかない。
 小波さんが絶対しないような乱暴な指使いで、くたくたになるまで一人遊びしていたから?
だって小波さんは、最初のほうはいつもじれったいぐらい優しい。わたしが勝手にいっちゃっても、落ち着くまで撫でたりしてくれる。
 小波さんを、抑制の効いてない自分のみだらな身体の捌け口にしたこと?
 小波さんは自重はしないけど、わたしのことは気遣ってくれてた。
 前にデート中『帰らないとだめ?』って言われて、わたしは純情ぶって『ぜったいだめ』って返した。それが今は……
そもそも小波さんと会えないことがだめ? プロ野球の一軍選手が、シーズン中に、そんなにスケジュールの融通が効く訳無いなんて前から分かってたのに、
 聞き分けも無く淋しがって、それを全部仕事とか……自分以外の周りのせいにしてることかな。
あーあ、考えれば考えるほど最悪も最悪、むしろフォローするところが無い。

 後始末が済んで、寝場所を作り直す。替えのシーツを探していると、ふと小波さんから譲ってもらった人形が目線に重なった。
 部屋いちばんの特等席に鎮座しているそれが、さっきまでのわたしを見ていたような気がして、わたしはますます惨めになった。

 早く小波さんに会いたい。
でもこんなわたしを見られるのは怖い。



あなたに向けられる歓声が大きくなって、あなたとわたしは会えなくなっていきます。
あなたの夢に、あなたの目指す先に、わたしはついていくことができるんでしょうか。

とても小波さんに聞く勇気はなかった。
お気楽な学生だったならともかく、わたしたちはお互い仕事のある身。しかも何の因果か、どっちもやくざな稼ぎ口。

 小波さんが実際に野球の試合をしているのを見ると、複雑な気持ちになる。
 小波さんは自分で『子供の頃から、ずっと野球ばかりやってきた』と言ってた。でもわたしは、それよりグラウンドの外の小波さんの方をよく知っている。
 小波さんの野球での活躍が知られていくにつれて、ひとの知らない小波さんを知っている優越感と、小波さんが変わってしまったような不安が同時に頭をもたげる。

 約束の日がやってくる。相当早い時間に目が覚めてしまった。がらにもなく緊張していたのかも。
 顔を合わせてすぐ、わたしの方から腕を引っ張ってホテルに行った。小波さんはかなり面食らっていた。
 小波さんを置いてけぼりにして、わたしだけ勝手に盛り上がってるような気がしたけど、そういう冷めた意識は強いて押し殺した。
 今はただ、わたしを小波さんのものにして欲しかった。小波さんのことしか考えられないようにして欲しかった。
……きょうは小波さんの誕生日なのにね。

 「別にその、『プレゼントはわ・た・し』とかって展開じゃないですから、安心してくださいね。
  ちゃんとプレゼントも用意してありますよー。あ、小波さんがそっちもお望みなら今からなんとかしますけど……?」
 「あ、ああ、そう、俺はその発想はさすがに無かったな……」
 「まだまだですね小波さん、定番中の定番じゃないですか」

おどけた顔をして小波さんに擦り寄ってみせる。わたしより二周りくらい背の高い小波さんを見上げる。
 男らしい筋肉と骨ばったからだが、夏の薄手の服を通して感じられる。少し汗ばんだ肌。小波さんのにおい。

 「かすみちゃん、なんかいつもより積極的だね」
 「こういうの、きらいですか?」
 「……さては長いこと俺に会えなくて、いろいろ寂しかったとか」
 「きゃっ、いろいろって何ですかもう! 小波さんったら、何を考えてるんですかー」

こんな他愛もない会話が、電話越しだと殆ど出来ないことに気付いたのは、会えなくなってからだった。
 面差しが、息遣いが、体温が、目線が、近くじゃないと、こんなこと、とてもできたものじゃない。
 電話じゃどれだけ耳を押し付けても、どれだけ熱っぽく語りかけても、フラットパネルに邪魔されて、小波さんの元に行けないから。

 「ねぇ、小波さん、キス、してもいいですか?」
 「うん。ただ、なんか、その。改めて口で言われると……ちょっと恥ずかしいかな」
 「いつも小波さんの方からしてくれるくせに、意外とシャイなところがありますね」

 目を閉じてくちびるを合わせる。まずは軽いフレンチ。じれったくなるのを抑えながら、少しずつ雰囲気を作っていく。
 小波さんがこんなに近くにいると感じられれば、じりじりともどかしい気持ちさえ、期待を煽るスパイスになる。
 小波さんの手がわたしの髪を撫でる感触がした。片手でするするとリボンを解いていく。
 前に身体を交わす時に『一度髪を解いたかすみちゃんが見たかったんだ』なんて言って、小波さんがわたしのリボンをいじりだして、
それ以来、はじめる前に小波さんがわたしのリボンを解くのは、暗黙の合図になっている。
ふたりだけの秘密。ほんの些細な動作も、そう呼んでみれば胸が弾む気がする。我ながら単純なあたましてる。

 舌が小波さんの吐息と絡む。たぶん小波さんも同じような舌触りを感じてるんだろう。
 空気の流れが味蕾をざわめかせる。舌先でつつきあう。ペパーミントの匂いがかすかに混じっていた。
くちびるの間に舌を割り入れる。歯列に届く。ぬるいエナメルの温度がする。もっと顔を近づける。肩を引き寄せられる。
 互いの口内に侵入する。口蓋のざらつき。混ざりだした唾液。舌を歯で甘噛みしてみる。
まだこの味を堪能していたいと思うところもあったけど、生殺しも辛くなってきたのでくちびるを離す。
 意識がどろどろしかけていたのは、呼吸が適当になってたせいだけじゃないはず。

 「まだシャワーも浴びてないのに、いけないひとですねー。こんなに硬くなってます」
 「あっ当たり前だろ! かすみちゃんとこんなことやってたら……」
 「わたしは嬉しいですよ? きょうはわたしも、いけないひとになりたいと思ってましたから」

ズボンを大きく押し上げている小波さんのペニスに触れる。二枚の布越しに感じられる堅さが懐かしい。
 皮のベルトを緩め、ボタンを外し、ファスナーを下ろす。ここまでくればもう熱がはっきりと伝わってくる。
 指を絡ませる。手のひらを押し付ける。ぎゅっとにぎりしめる。さわさわと弄ぶ。
 視線を移して小波さんを見上げる。見られてることに気付いたらしく、まなじりを歪めてなんとも言えない顔つきになった。
 照れることなんかないのに。わたしは何でもするから、もっと気持ちいいところを教えて。わたししか知らない顔を見せて。

わたしは服を着たまま跪いて、堅さを増してきたペニスに舌を這わせる。くちびるを擦り付ける。
 血が流れ込んで脈打ってる感じがわたしの中にも伝わってきそう。人間のからだがこんなに熱くなれるのかとも思う。
 生臭い味が口の中に広がる。亀頭をくわえ込む。まだ触れたばかりなのにあたまが惚けて、あそこがじくじくしてくる。
ちょっと苦しいけど、くわえたまま顔を上げて小波さんに視線を投げる。いつの間にか、目の色が変わっている。
 今まで小波さんと口でしたことはあったけれど、こんな体勢でやったのははじめてだった。
 思い浮かべたことだけならある光景だった。実際にやってみると、想像以上に精神的にくるものがある。
 媚びた表情なら浮かべ慣れている。でも今は勝手に顔が緩んでいってしまう。粘膜を行き来する肉塊にやられてしまいそう。

 「――あうぅっ」
 「……? あ、ご、ごめんなさい小波さん、痛かったですか……?」

 抑えた呻き声が一瞬途切れた。悦に入ってる間に、歯を立ててしまったんだろうか。
わたしは自分でも驚くぐらい痛々しい声を出していた。自分が噛み付かれたみたいな顔をしていた。
やだなあ、涙目になんてなることないじゃない。調子に乗って深く入れ過ぎたかな。

 「ベッドに行こうか。やられっぱなしの時間は、ここまでってことで」

 小波さんの声を聞いて、うなじのあたりからまたからだが火照ってきた。
 心なしか、下着が湿っている気さえしてきた。わたしはもういけないひとになってしまっているかも知れない。



 背中を撫でられると、首の座りの悪い心地がする。しょうがないと思う。
 背面座位みたいに完全に背中を預けられるならともかく、手指のあるかないかの触感が背中を行くのは、怖いような心細いような、とにかく落ち着かない。
 小波さんにはクリトリスとか膣内とか舐めさせたことさえあったのに、どうにもこれだけは苦手だった。別に凄腕のスナイパーじゃないのに。

 「ひっひゃうっ、小波さんっ、そこはっ」
 「かすみちゃん、やっぱりここは敏感なんだなぁ」
 「いじわるですよぉ……知ってて触るなんて」

 小波さんはベッドの上でわたしを横抱きにしていた。ふたりとも重心が偏らないので、割と楽な姿勢。
だからいちゃつく分にはいい。ただその代わり密着感が薄くて、どうもやられちゃってるって情緒がない。
それでどこか物足りないのを小波さんに見抜かれたのか、時折いたずらっぽく背中を奇襲してくる。
わたしが背筋をなぞられる度にむずかるのを、小波さんはにやにやしながら見ていた。
おもちゃにされているというのも、それはそれでそそるものはあるけれど、それだけじゃだめ。

 「ふ〜ん、いいですよーだ。小波さんがそんなことするなら、わたしにも考えがあります」

 小波さんの厚い胸板に頬を寄せる。ここまで近くにいると、鼓動がはっきりと伝わってくる。
このままそれを堪能してもいいが、敢えて私はそうしないで、小波さんの乳首を歯で撫でた。
その感触は小波さんは予想外だったようで、筋肉が戸惑ったように反射運動する。

 「知ってましたか? 男の人も乳首いじられると感じるらしいですよ?」
 「どこで聞いたんだよ、そんな与太話」
 「そーいう本があるんですよ。今度貸してあげましょうか」
 「え……遠慮しておくよ」
 「むー、残念です」

あまり思わしい反応は得られなかった。
 小波さんは結構えっちぃので、わたしのおっぱいに色々するのが好きな様子だったが、自分がいじられるのはお気に召さないよう。
 少々目算がずれてしまったらしい。そこで遊ぶほどの余裕は、今のわたしたちには無かった。

 「小波さん。ひとつ、お願いがあるんですけれど」



 右手と左手、左手と右手を重ね合わせる。互いのてのひらを合せて指を組む。
その状態のまま、わたしは小波さんに馬乗りになっていた。

 「終わるまででいいですから、きょうはずっと手を繋いでいてくれませんか」

 手を繋いだり、腕を組んだり、肩を寄せ合ったり、キスをしたり。
 以前は人前で見せ付けていたことだった。小波さんは恥ずかしがっていたけど。
 外でべたつくのは格別の気分。視線を集めるのはとてもいい気分。少し羨望が混じっていれば言うことなし。
 勿論最近はそんなことできない。いっそ見つかってしまえという思いがあたまを過ぎったこともある。
 恐ろしいこと。そんなことになったら、小波さんの邪魔になってしまう……わたしの生計も破綻する。

 「今はわたしが上になります。いつもと違って、新鮮な心持ちがするでしょう?」
 「それはそうなんだけど、生はちょっとまずいんじゃ」

 手を正面から組んだままとなると、体位は限定されてくる。
 息遣いやかすかな囁きまで感じられるのが好きで、わたしたちはいつもだいたい座位で交わっている。
しかし手を組んだままでは、支点の狭い座位は安定しないし、近くまで寄れない。
さらに手を離さないまま背面座位なんかやろうとしたら、良いポジションに収まる前にあたまがこんがらがる。

 「心配いりませんって。きょうはだいじょうぶな日ですから」
 「いやそういう問題なのか……?」

 小波さんが備え付けのスキンを手に取る前に、わたしは手を組んでしまった。当然わざとだった。
 仰向けに寝転がった小波さんを、わたしは膝立ちで跨いでいる。
この体勢は本当にはじめてだけど、小波さんを犯しているような気がしてひどく興奮を煽ってくる。
 小波さんのものにしてもらった趣きを味わうには、騎乗位より正常位のが良かったんだけど、小波さんが逡巡したので押し倒してしまった。

 「あぁ……んん、なかなかじれったいですね。あ、小波さんは動かないでください、失敗しちゃいます」
 「ねぇ、かすみちゃん」
 「そういえば、小波さんも最初はしくじりましたっけ。意外と難しいものなんですね?」
 「かすみちゃんってば」
 「たぶんぎこちないと思いますけど、そこは勘弁してくだ――」

 予期せぬベクトルの力がかかって、わたしのからだはバランスを崩して、小波さんに向かって倒れ込んでいた。
 組んだ手の片方が先にぶつかったからか、衝撃とか痛みは感じなかった。わたしは小波さんの肩口に顔を埋めていた。

 「電話してるときからずっと気になってたんだけど、かすみちゃん、俺に何か言うこと無いか?」
 「……え」

 組んだ指先が力んでしまった。もう片方の手は上に高く突き上げるかたちになっている。
たぶん、さっきは小波さんがこっち側の手を引っ張ってわたしを引き倒したんだ。

 「そんな、わたしが小波さんに隠し事なんて……」
 「隠し事っていうより、なんか無理してる感じがするんだよ。切羽詰ってるというか」

その瞬間、わたしの表情は凍り付いていたと思う。わたし自身を含めて誰も見ていないけど、その確信があった。
 火照っていたはずのからだもただでは済まなかった。総毛立つというのは、きっとこういうことなんだろう。

 「やだなぁ小波さん、わたしは、小波さんの前では、いつも元気なかすみちゃんですよ?」
 「だめだ。かすみちゃんが素直になるまで、今日は離してあげない」

そう言われても、わたしは頷けなかった。
 肯定してしまえば、今まで必死になって守ってきたものが、がたがたと崩れ去ってしまうから。

 「離してあげないって、そんなことしたら……試合は、試合はどうするんですか、きょうもナイターが」
 「ずっと手を繋いでいてって言い出したのはかすみちゃんだろ? ああ、俺のこと心配してくれてるんだ」
 「そんなことあたりまえでしょう!」
 「その割には、俺にかすみちゃんの心配はさせてくれないんだね」

ああ、どうやら、しばらく顔を突き合わせていなかったうちに、わたしはだいじなことを忘れてしまっていたみたい。
 電話口越しじゃできないことは、他愛ない会話だけではなかった。
わたしの内心を覆った盾を飛び越えることばを放つのも、この距離で、小波さんからじゃなきゃ出来ない芸当。
 小波さんは全部見透かしてて、きっと、この日、このときが来るまで、狙い澄ましてわたしを待っていたんだ。

いったい、いつからこんなわたしになっちゃったんだろう。



 「初めて会った時のこと、覚えてる?」
 「モグラーズ球場に、わたしが取材に行ったときのことですよね」
 「うん。その次に会ったのはマニアショップで」

 出会った経緯とか偶然とか、いろいろあって最初から小波さんは特別だった。
アイドルになる前は、男のひとにわたしの趣味をおおっぴらにしたことはなかった。アイドルになってからは、恋愛自体がご法度だった。
 小波さんには、わたしの趣味や仕事を隠す必要が無かった。最初からバレてたし。
あのころから、わたしが素を見せられる男の人は小波さんだけだった。

 「おかしくなりはじめたのは……小波さんに告白したときでしょうか。柄にも無いこと言った覚えがありますよ?
 『わたし、最近変なんです。ず〜っと小波さんのことがあたまから離れないんです。なんか、胸の奥が――』
  って、台詞被せないでくださいっ、恥ずかしさ倍増じゃないですか」
 「いや、あの時はかなりどきっとしたものだから……」

 誰かに思慕のことばを囁くなんて、わたしに似合わないことだった。でも、そうしないではいられなかった。
だからぜったい、わたしがこんなになっちゃったのは、小波さんのせい。小波さんのせいったらせいなの。

 「“彼女”って、何したらいいかわたしには分かりませんでしたから。何か特別なことをしたほうがいいのかなって」
 「正直、俺もそうだな。彼氏と言われても……」
 「小波さんは、わたしをあっちこっち連れて行ってくれましたね。わたしが行った事ない場所とか。
  わたしは……わたしが知ってる、男のひとの気を引く術って言ったら、アイドルとしてのそれしか無かったんです」

いつしか、わたしは小波さんの前で、小波さんのためだけに作った“彼女”を演じるようになっていた。
それはアイドルと同じようなもの。いろいろ試行錯誤するより、わたしには楽なことだった。だってお仕事で慣れてるし。

 顔を合わせて、小波さんと直に触れ合えるうちは良かった。
 演じるような気分じゃなくなるときが、素をさらけ出してしまえるときが、自然とやってくるわけで。
 今から考えればそれは、小波さんが“彼氏”としてある程度意図していたことだったと思う。
でも、流石の小波さんも電話口越しで、わたしの“彼女”の面を引っ剥がすのは無理だった。わたしも敢えてそれを脱ぎ捨てようとはしなかった。
わたしは自分の本心と食い違った役を演じ続けて、その面の重さに素の心がのしかかられて悲鳴をあげていた。

 「わたし、ほんとうはアイドル歌手になりたかったんですよ。なかなか、そういうお仕事はもらえてませんけど。
  思い通りの仕事がもらえなくて、そのくせ忙しさだけはひどくなって、お仕事に関しては、結構前から横着してたところがあります」

けれど、わたしは、小波さん相手に、そんな不精はできない。
 心の底から“彼女”でありたいと思っていたから。“彼女”がどんなものなのか、よく考えもしなかったのに。
とにかく、アイドルが媚を売る相手に心配なんかさせちゃいけない、みたいなノリだった。これ、もしかして職業病かな。

 「あ、電話か……この音は携帯じゃないな。って、げ、もうこんな時間か! かすみちゃん、ちょっと手を」
 「わたしが出ますよ」

まぁ、全部がそうとは言えない。わたしは、職業病って言い訳が効かないこともしてた。
まさか、男のひとの手を引いてホテルに連れ込んだり、フェラチオしたり、騎乗位で迫ったりするアイドルなんかいないわね。

だからそれは、きっと、いやぜったい、わたしの素直な気持ち。

 「延長お願いしまーす」

ホテルの内線の電話口に向かって、わたしは高らかに宣言した。



 「やっぱり生はだめだよ」
 「小波さんのいけずー、わたしにこんなことまで言わせておいてっ」
 「だって、もしできたら、俺の年俸でかすみちゃんと子供を食べさせていくんだろう?
  自分で言うと悲しくなってくるけど、1500万じゃね……野球選手の寿命は短いから」

“彼女”にそんな所帯染みた話するなんて、と言おうとして、わたしは思いとどまった。
 小波さんの顔つきが真剣そのものだったから。それに、思い出したこともあった。

 『かすみちゃんて、結構器用なんだね。いいお嫁さんになれるよ』
 『ほんとー? うれしい! 小波さん、もらってくれる?』

……そんなことも言ったわね。確かバレンタインのときに。

 「かすみちゃんさ、普通そこで赤面するかなぁ?」
 「してもいいじゃないですか。わたしとのこと、真剣に考えてくれるのは嬉しいですから。
  でもあんまりうかうかしてて、わたしの方が先に一流のアイドルになっちゃっても知りませんから」
 「いいじゃないか。かすみちゃんの夢なんだし。素直に応援できるかはともかく、邪魔はしたくないよ」
 「そんなこと言って。わたしは小波さんの夢を邪魔しちゃうかも知れませんよ?」

 実際、現在進行形で、きょうの試合前の練習時間を奪っちゃってるし。

 「かすみちゃんには無理だよ。だってさ、最初から」
 「最初から?」
 「……この話はまた後でね」

 不満の声を上げようとしたら、くちびるを塞がれてしまった。ずるい、キスで有耶無耶にしようとしてる。
でもきょうはいいんだ。小波さんの誕生日だから、許してあげる。

 二人の手のひらの間が、じっとりと汗ばんでる。仕切りなおしだ。
 改まってみると、この格好――仰向けの小波さんを膝立ちで跨いで、ペニスをくわえ込む――は結構恥ずかしい。
ゆっくり、慎重に、わたしの中に小波さんを誘導していく。
 手を組んだままだから、しっかり小波さんに支えてもらわなきゃ狙いが付けられない。

 「かすみちゃんのあそこ、つゆが滴ってきそうだよ。まさしく時雨ってことかな」
 「やぁん、そんないやらしい目で見るからです。えっちぃ小波さん、きょうというきょうは覚悟しなさーい!」

すっかり出来上がってしまってる膣内に、小波さんのペニスを呑み込ませて行く。
 完全に主導権が小波さんにある座位と違って、今はわたしが自由に動ける。抉られる角度の違いに、早くも締め付けてしまう。
 小波さんが呻き声をあげた。もっと、わたししか知らない声を聞かせて。

 「あうう、かすみちゃん、っそんな締めたら」
 「好き、です、こなみさんっ! もっと、わたしを……」

 久々にみっちりと膣内を満たされて、自分が主導権を握っているという陶酔感に巻かれて、
わたしは逸る気持ちを抑えながら、探り探り腰を使った。小波さんのいつものやりくちといっしょ。最初からがっついたりしない。
じれったさは、病み付きになるスパイス。芳ばしく後を引く味は、わたしだけのもの。

 「はぁああんっ、小波っ、さんっ、き、気持ちよすいて、わたしっ」

いやらしいのはわたしの声もだった。こんなの、小波さんにしか聞かせられないよ。
だからもっと聞いて欲しい。奥までぐりぐりして、いたぶって、

 「かすみ、ちゃん……も、もう出る、我慢できないかもっ」
 「あは、上からだと、小波さんの、おちんちんの動きっ、よく分かりますよ」

じゅぷじゅぷとくぐもった水音がする。肉同士がぶつかり合う音がする。全部聞いてる。聞かれてる。
 熱い感触に蕩かされる。快楽と幸福感を流し込まれて、代わりに余計なものが溢れ出していく。
 早く、もっと、激しく、おかしく、だめに、なって、
しっかり掴んでて、手離さないで、もう、どこかに、いっちゃうから、ずっと、あなたと――



ウグイス嬢の声が、スターティングメンバーの名前を呼ぶ。古びた電光掲示板が、小波さんの名前を示した。
わたしはそれを、サングラス越しに眺めていた。だってそこは球場の外野席。アイドルが無闇に素顔を晒せる場所じゃない。
 小波さんは、球場入りの時間は大幅に遅れることになったけれど、試合には出られることになったらしい。
そういえば、一軍の試合前の光景は、滅多にテレビ中継では見られない。わたしも見たのははじめてだった。たまの休みはいいものだ。

 「夢……か。負けられないわ、わたしも」

わたしの夢は、小波さんの夢と比べると、まだ遠い道のりだけど。
 小波さんのおかげで、歩いていけそう。だから小波さんだって、わたしの夢は邪魔できない。

きょうもモグラーズの試合がはじまる。
やっとわたしは、純粋な気持ちでそれを観戦できそうだった。 .

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