「ふう…ちょっと重い…」
賑わいを取り戻しつつあるここ、ヴギウギ商店街。その中の惣菜屋より、ひとりの女性がよちよちと現れた。
両手いっぱいの袋の中身は、合わせて250個ものコロッケ。およそ、小柄な彼女には似つかわしくないほどの量だ。
「これだけあれば、2週間は暮らせる…かな」


しばらく歩いた彼女は、「…疲れた」と河原の土手に座り込んだ。
海パン姿の痩せた男が延々と準備体操をする様をぼんやりと眺めていたが、2メートル四方に渡り草が生えていないのを見て、また歩き出す。
「大波くん、お腹空かせて倒れてるかも…大変」
同居人のことを思い出す。彼女の親友の准をして、ペットとまで言わしめたナイスガイだ。
つい先日まで河原にテントを張り暮らしていたナイスガイ大波だったが、あえなくもテントを彼女に焼き払われ、それから奇妙な同居が始まったのだ。
2メートル四方に草がないのは、つまり彼女が焼き払ったものである。

牛のような速さで、だが彼女にしては全力で歩みを進めるが、自宅までは遠い。ついには自分の横を快速で行く自動車が疎ましく思えてきた。
「チーズコロッケ、内緒で食べちゃおうかな。お腹すいた」と呟く彼女。するとその前に、追い抜かれた覚えのある黒い自動車が戻ってきた。


「これはこれは、野崎様のお嬢様ではありませんか。お久しぶりでございます」
「城田さん」
調理服の男は、運転席から降り彼女に頭を下げる。
「ずいぶんと…重そうな荷物でございますな」
袋をしげしげと見つめ言う。
「よろしければ、ご自宅まで乗って行かれますかな?」
「いい。それより、冬子ちゃんはどうしてる?」 「お嬢様でしたら、変わりはありませんぞ。今など、お嬢様が急にチョコレートケーキが食べたいなど仰るもので、こうして材料を買いに行かされているほどです」
城田は自分の後頭部を撫でながら、目を細めて笑った。
「城田さんの…ケーキ?」
彼女は城田の作るケーキのおいしいことを思い出し、目を輝かせる。
「ほほ、維織お嬢様も召し上がりますかな?」
「…うん」


敷居の高い住宅街の中でも異彩を放つほどの屋敷の中、冬子は城田のケーキが待ちきれずに部屋で紅茶を用意していたところだった。
「あら、いらっしゃい。こんなにたくさんのお土産も」
「コロッケはお土産じゃない」 「分かってますわよ。もう、せっかく洒落てみたというのに…」
漂う高級感にも全く物怖じせず、維織は入る。


「冬子ちゃん、手伝おうか?」
「…その前にそのコロッケを置きなさいな」
執事の牧村がさっとコロッケを受け取ると、維織は面白くなさそうにむっとする。
「冬子ちゃん、いつもそう。私の方が年上なのに…」
「せめて年相応の振る舞いを身につけてからおっしゃいなさい」
むう、と頬を膨らます維織。
冬子は呆れたように指で維織の頬をつつくと、ぷうと空気がもれる。
「それが子供みたいだっていうのよ」
「…今度は私の冗談」
まったく…と息をつき、紅茶を注ぐ。
維織は薄地のコートを脱ぎ、そばにぱっと現れた牧村に手渡した。
「牧村さん、必殺仕事人って感じ」


淹れたばかりの紅茶を音もなくすすり、
「それにしても突然いらして、今日はどうしたんです?」と冬子は聞く。
「…城田さんがケーキ作るって言ったから…来た」
「あなたそれはわざと言ってるのかしら?」 「ケーキ、遅い」
言ったそばからの子供らしい発言を受け、冬子は密かに笑みを浮かべた。
「ケーキというものは、そんなに早くはできないのよ」
わたくしも作ったことはありませんけどね、と付け足し、カップを受け皿に戻す。と同時に、
「完成しましたぞ!改心の出来でございます!」
バアアンとドアが開く音がした。
「城田さんも、できる男って感じ」



あむ、と一口、維織はチョコレートケーキを口に運んだ。甘すぎない絶妙な味を、ふわりとした生地が引き立てる。
「…しあわせ」
「やはり城田のケーキは最高ですわ」
ありがとうございます、と言いながらふたりのカップに紅茶を注ぎ、城田は上機嫌で冬子の部屋から出る。
継ぎ足された紅茶にふうふうと息を吹きつけ、維織は言った。
「冬子ちゃんの家って、にぎやかで楽しそう」
「ふふ、ありがと。一人暮らしは寂しいでしょうし、これからもたまに遊びにいらっしゃい。」
冬子はまた、さっきのように慈愛の表情を浮かべ言う。
腹ぺこだった維織は、ケーキを頬張りながら答えた。
「ううん、私、今一人暮らしじゃないよ」
「…そうやって重大なことをさらりと。初耳ですわよ」 「大波くんって人」 「しかも男性!?この数ヶ月に一体なにが!」 「冬子ちゃん、食事中は静かにしなきゃだめ」 「ああもう、こんなときばっかり!」

チョコレートを頬につけたまま維織はお姉さん風を吹かす。そこはかとなく得意気だ。
「でも…どうしたらいいのか分からない」
「どうして?一緒に住んでるほど、その…親密、なんでしょう?」


恥ずかしさに目を反らしながら冬子は尋ねるが、維織は下を向く。
「大波くんの住んでるテントを燃やして、私の部屋に来させただけなの」
「…どこから突っ込めばいいやら」 「…大波が私をどう思ってるか、知りたい」 「わたくしは大波くんじゃないわ。それを本人に言ってやりなさい」 「…そんなの、できない…」
もじもじと維織は下を向いたまま体を揺らす。
テントを燃やして男を家に住ませる行動力がありながらこの人は…冬子は複雑そうに、うつむく維織を見つめる。
何もかも諦めていた彼女が、自分の意志を強く表現したことは喜ばしかったが、自分の知ってる目の離せないような彼女が段々といなくなっていくのが寂しい。
それに、好きな人のことで悩める維織が、羨ましくもあったのだ。

「それでは、維織さんから近づいてみたらどう?」
「近づく?」維織は首を傾げる。
「そう、例えば、料理を作ってさしあげるとか」
「ご飯なら、コロッケがいっぱいある」 「そんなものじゃなくて、維織さんが1から作った手料理よ」
手料理…と繰り返し、ケーキをまた口に運ぶ。
「こんなにおいしいケーキが作れたらいいけど、私、料理作ったことない…」
「あのねえ…始めから完璧に料理が作れる人間なんていないのよ?それを彼のために頑張って作ったからこそ、彼に近づいたって言えるのではないかしら」
目を瞬かせる維織。んー、と思い悩み、
「…なにを作ったら、大波くんが喜ぶ?」
と料理に挑戦する決意を示す。
そして冬子は笑顔を見せ、
「何を作るかは問題じゃないのよ。維織さんが、一生懸命作れば大波さんは喜ぶと思うわ」
と答えてやる。
「ありがとう、がんばる」と聞き、ふふ、とカップに口をつける。
「うまくいくといいですわね」


会話に一段落がついたとき、めいめいにフォークを動かしたり、カップを持ったり、しばらくは食器の音だけが響いた。
だから維織は、せっかくふたりでいるのだからと、何の気なしに尋ねた。
「冬子ちゃんは、好きな人いる?」
唐突な質問に心痛するものも、平静を勤め、毅然と答える。
「…わたくしだって、それくらい…いますわ」
「好きって、伝えた?」
が、途端に平静でいられなくなる。
冬子は黙り込んだかと思うと、嗚咽を上げ始めたのだ。

「…冬子ちゃん?」
「わ、わたくし、頑張って気持ちを伝えましたのに…あの人ったら…気持ちに応えられないだなんて…!」
冬子の目から涙がこぼれ落ちる。

「あ、あの人も…わたくしといることが楽しいって…そう思ってくださるから…で、電話を毎週のようにくれたのだと…思ったのに…!」
泣きじゃくり、一言一言吐き捨てるかのように言う冬子には、いつも自分に厳しく、威厳のある面影は感じられない。しかし維織は、戸惑うことをせず、真っ直ぐ聞いていた。
「冬子ちゃん…」
「あんなに…好き、だったのに…あの人はわたくしの…お見合いの理由の為だけに付き合ってくれてたと思うと…わたくしを哀れんでいただけかと思うと…」
おもむろに息が整ってきた冬子は、
「もう、あの人から電話はかかってこないけど…わたくしがもっとあの人に近づいていたらと思うと…
だから維織さんには、頑張って近づいて欲しくて」と笑顔を取り戻そうとする。その姿は痛々しくもあった。
維織は黙って席を立ち、冬子のそばに寄る。
すると顔を上げた冬子の顔を見据え、「冬子ちゃん…」と呟き、そのまま唇を重ねたのだ。
「んあ!い、維織さん、一体なにを…!」
あまりの事態に、冬子は顔を真っ赤にし、整ってきた呼吸をまた乱しそっぽを向く。

「…こうするのがいいかなって。冬子ちゃん、甘くておいしい」
「ど、どうしてそんな突飛な…甘いのはケーキを食べたがら当たり前でしょう」 「…イヤ?」 「嫌とかではなくて…」
やけに大人びた顔をする維織に、冬子の胸は騒ぐ。
本当に、わたくしの知っている維織さんではないみたい…と思うも束の間、維織の頬に付きっぱなしになっていたチョコを発見し、冬子に笑顔が戻った。
「維織さん…さっきからずっと顔にチョコがついてますのよ」
右の頬を撫で、とれた?と聞く維織を愛おしく覚え、冬子はチョコのついた維織の左頬に口をつける。
「ふふ、とれましたわ」
「…冬子ちゃん、かわいい」 「な、そ、そんなこと…!」
顔を背ける冬子の頭を撫で、もう一度唇を重ねようとする。と同時に、
「コロッケが私のインスピレーションを刺激しましたぞ!ぜひ家でお召し上がりください、維織お嬢様!」
バアアンと雰囲気の壊れる音がした。



「それじゃあ、私、帰るね」
「そ、そうですわね。もう夜も遅いことですし」
ふたりを取り巻く妙な雰囲気はすっかり消え、維織は牧村からコートを受け取る。
「夕食も作ってしまったので、もうちょっとゆっくりしていかれてもいいのですが…」
「城田…あなたって人は」

冬子は、ふうと息をつく。その横で城田は維織に、「コロッケ風味の自信作ですぞ!」とビーフジャーキーを手渡していた。

「冬子ちゃん、お料理、がんばるね」
「ふふ、がんばって大波さんに自信作を振る舞ってさしあげなさいね」
冬子は、また優しく笑った。
「ほう!維織お嬢様が手料理を振る舞うと…
男なら愛する人が作るカレーなどにイチコロにされるものですぞ!」
「城田、あなたはまったくもう…」
呆れたような冬子と対比したように、城田の言葉に抜群の興味を示す維織。
維織の頭の中では、大波が自分の作ったカレーをおいしそうに食べ、自分を褒めてくれている。考えただけで眩暈がする。


「カレー…私、頑張って食べてもらう!
ありがとね、冬子ちゃん、城田さん」
そう言って維織は、雪白家を後にし、とてとてと高級住宅街を走ってゆく。
「おや、送って差し上げようと思ったのに」
「まったく…いつまで経っても目が離せないんだから、維織さんったら」


「ううう…お腹がすいた。
ここは准に投げつけられた殆ど真っ黒のバナナを食うべきか。
維織さん遅いよー…」
想われ人、ナイスガイ大波は、ひとりソファの上でのたうち回っている。それもユニフォームのままで。
冷蔵庫の在庫が切れ、食料を買い出しに行った維織が戻らず、しかも空腹で動けず、にっちもさっちも行かなくなったらしい。
「あああー、ラッキョウが食べたいー…」

「ただいま」と維織が戻ったのは、それから10分後。
ぐうぐう鳴るお腹を無視し、「お帰り、遅かったね」と維織の心配をするあたり、やはりナイスガイである。
そして大波の腹の唸りは維織の耳に届き、維織はごそごそと袋を漁る。
期待に胸を膨らませる大波の手にビーフジャーキーが乗せられ、大波はしばし考え込む。

「私…」
維織さんが自分のことを話すとは珍しい。大波は、ビーフジャーキーをくわえたまま、うんと頷く。
「カレーを作ろうと思うの」 .

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