カチャン

「あれ?」

練習を終え、家に帰ってドアノブに鍵を差し込むと、鍵が閉まる音がした。
普通なら鍵のかけ忘れ、もしくは空き巣に入られた等という事を考える状況だが
走波の脳に真っ先に浮かんだ予想は別の物だった。
合鍵を持っている唯一の人物を頭に浮かべながら、鍵をもう一度回してドアを開ける。

「ただいま。来てたのか、瑠璃花」

「おかえりなさい走波。私、メールは送っておきましたよ?
 まったく、小まめに携帯は確認しなさいっていつも言ってるのに…」

姿を確認せずに言った走波だったが、エプロン姿で出迎えてくれた瑠璃花を見て、予想通りと内心で呟く。
実際、いつもの事といえばいつもの事だった。
もうすぐ大学も三年になる走波だったが、大学に入って同じアパートに部屋を借りてからは
お互いに用事が無ければ、殆ど二人は夕飯を共にしていた。
なので練習で疲れて帰ってくると、良い匂いが漂ってくるというこの上無い幸せも
走波にとってはいつもの日常だった。
瑠璃花の親友の天月五十鈴からは、もうそれなら同棲すれば良いじゃないかと言われたりしている。

「アハハ、ごめんごめん。でも知ってて家に入るより、知らずに入った方が嬉しいじゃないか
 家に帰ったら瑠璃花が待っててくれるなんて、最高のサプライズだよ」

「もう、またそんな事言って…。ごまかせると思ったら大間違いですからねっ」

プイッっと振り向いて、キッチンへと戻る瑠璃花だったが
微妙に声が弾み、頬に朱が差し込んだ事は走波にはバレバレだった。
小学生の時からの、もうじき十年になる付き合いは伊達では無い。

だから分かるのだが、今日の瑠璃花はいつもより微妙にテンションが高くないだろうか?
どこかそわそわしているというか、わくわくしているというか……うーむ。

「お風呂ためておきましたけど、先に入りますか?汚れ物はカゴの中に入れておいて下さいね」

まぁ聞いてもはぐらかされるだろうから別にいいか、と考えて
走波はキッチンの様子をチラリと見る。

「あぁ、じゃあ先に風呂にするよ。見たトコ、俺が出る頃には完成するみたいだしな」

「そうですね。新しいレシピだから少し時間がかかっちゃいました」

手伝える事があればと思ったが、今の所自分に出来る事は無さそうだと判断して
お言葉に甘えることにした。
そうえば今の会話は、伝説の「ご飯にする?お風呂にする?それともワ・タ・シ?」に近いものがあるな。
以前それの素晴らしさについて、家で酒を飲みながら瑠璃花の先輩と語り合った事があるが
瑠璃花はやってくれないだろうなぁと軽く残念がる。


「じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ。………覗くなよ?」

「なっ!?だ、誰が走波の裸なんか!」

部屋の構造上、キッチンの後ろに風呂があり、その前が脱衣場となっているが仕切りがある分けでは無いので
料理をしている瑠璃花の50センチ後ろで服を脱ぐ事になる。
そして全裸になって風呂に入る事になるのだが、これは何度やっても慣れない。
別に見られて困る仲では無いが、一方的に視線を浴びるというのは照れるよなぁと走波は苦笑する。

「お、今日は柚子か」

入浴剤の香りを楽しみながら、今日一日の疲れを溶かしていく。
そうえば昔はよく二人で銭湯へ行ってたな、と昔を懐かしみ
まぁ今は二人で風呂に入ってるんですがね!と今の幸せを噛み締めながら走波はゆっくりと風呂に浸かる。


「「ごちそうさまでした」」

二人同時に食事を終える。
走波が美味しかったよと礼を言い、瑠璃花が今日の献立についての解説を始める。
とは言っても栄養バランスに関しては、走波は完全に瑠璃花に任せっきりなので
相槌をうちながらも聞き流して、食器を流し台に置いていく。
そして洗い始めようかとスポンジを手に取った所で、瑠璃花がそれを止めた。

「あ、走波。今日はまだもう一品、デザートがあるんです」

「デザート?へえ、それは楽しみだ」

「じゃ、じゃあ冷蔵庫から出しますね」

何故か顔を赤くして、落ち着きの無い様子の瑠璃花。
その原因はそれか?といぶかしみながら、瑠璃花が手に取ったそれを見る。

「…さくらんぼ?」

「は、はい。今日鈴ちゃんと漣先輩と一緒に買い物に行っていて、そこで漣先輩が特売のコレを発見して
 折角だから二人も買いなよと勧められたので…」

早口でまくしたてる様に瑠璃花はそう言った。
さくらんぼは旬のものかは分からないが、瑞々しくプルプルしていてとても美味しそうだ。
下手に加工するよりそのまま食べた方が美味しいというのは分かる。
しかし…

「…量多くないか?」

ワリと大きめの皿なのに、さくらんぼは溢れんばかりに乗っていた。
まぁフルーツだから食べられない事は無いが、それにしても多過ぎな気はする。


「……これでも大分減らしたんですけど(ボソッ)」

「ん、何か言った?」

「い、いえ。特売だったのでちょっと買い過ぎてしまっただけです。日持ちするものでも無いですし」

「ふーん。瑠璃花がそんなミスするなんて珍しいな」

食卓に置かれた皿から、さくらんぼを一房手に取ってプチッと茎をちぎる。
そして口の中に放り込んだ。
うん、甘酸っぱくて美味しい。よく冷えてるのも好評価だ。

「お、美味しいですか?」

「うん普通に美味しいよ。さくらんぼの味がする」

「あ、当たり前じゃないですか…」

アハハ、と二人で笑い合うのだが、瑠璃花の笑みがどうもぎこちない。
一体どうしたのだろう。
何かドッキリでも仕込んであるのか?と疑っていた走波だったが、それも無かった。
となると、何かメッセージでも込められているのか?

さくらんぼ……赤い果実……チェリー………。
チェリーと言えば………ま、まさか……?

走波の発想がもの凄い飛躍を見せていると、もじもじしてた瑠璃花が意を決した様に話始めた。


「そ、そうえば走波。スポーツ選手は歯が命って言いますよね?」

「へ?あ、あぁうん。」

「あれはですね、人間が力を出す時には歯を食い縛る必要がありますから
 その時に耐えられる様な強い歯を維持する事が大事って事なんです。同時に、歯を食い縛る力が強い程、強い力を出す事が出来るんです」

「へ、へーそうなんだ」

流暢ではあるが、走波から目線を外して、まるでずっと考えていた台詞を読んでるかの様に棒読みで言う瑠璃花。
…瑠璃花は何が言いたいんだろう。
歯が大事って事は、今から歯磨きでもしようというのか?
何故か、それネタ被ってるという謎の声が聞こえるけど。

「それでですね。そのトレーニングの一環として、このさくらんぼの茎を舌で結ぶ練習をしてみませんか?
 く、口の中の筋トレという訳です」

件のさくらんぼの茎をちぎりながら言う瑠璃花。
話をしながら、手は忙しなくその作業を続けてたので、瑠璃花の前の小皿には既に二桁の茎がちぎられていた。
何故か顔は目の前のさくらんぼの様に紅潮している。

…正直な所、いやそれで強くなるの舌じゃん等々、ツッコミ所満載な話だと走波は思ってはいたが
今の瑠璃花にそれを言ってもまともな反応は返って来ないだろうと、その話に乗る事にした。
瑠璃花がテンパってる原因は分からないが、何かさっきの話は、真意から凄い遠回りをしている様な気がするのだが
気のせいだろうか?

「じゃ、じゃあどうぞ走波。三…二…」

折角だから勝負にした方が真剣味が出るという事で、瑠璃花が秒読みを始める。
皿の上には三本の茎が乗っており、それを先に全て結び終えた方の勝ち。
スタートの声がかかるまで手は膝、口からこぼしたら一本目からやり直し、と無駄に本格的だった。
昔流行った早食い番組を思い出すな。
目の前の瑠璃花は、その番組で大食いクイーンとして名を馳せた女帝並みの気合を放っている。
確かに瑠璃花は昔から勝負は勝ちに拘るタイプだけど、たかがお遊びに何故こんなにガチなんだ?
と走波はいぶかしみを強める、というか軽く引く。

「一…スタート!!!」

ロケットスタート、と言った感じで瑠璃花が茎に向かい口の中に入れる。
やや遅れて走波も手に取る。

「もごもご」

あれ、思っていたより難しい。
走波が口の中で試行錯誤を繰り返している間に

「一つ目です!」 ペッ

瑠璃花が一つ目を結び終えて二つ目へ向かう。
ビギナーズラックやラッキーパンチを恐れて三本勝負にした瑠璃花だったが
それは杞憂に過ぎなかった様だと安心する。
走波は妙な所で運が強いというか、謎の力を発揮するタイプだから危険性はあったが
流石にこれは専門外だったのかと瑠璃花は内心でニヤける。

「二つ目!」 ペッ

そんな間に二つ目を結び終え残りはあと一つとなった。
走波はまだ一つも結んでいない。皿の上は空っぽだ。
それを視認し、瑠璃花の舌の動きがややゆっくりにな―――

「出来たぞ」 ペッ

そこで走波が手を上げて口から茎を出す。
問題無い、まだ一つめだと思い舌の動きに集中した所で…気付く。


『何故さっき見た走波の皿は空だったのか?』


「!?」

気づいて走波の前の皿をもう一度見る。
そこには三本の茎が一本になって結ばれていた。綺麗に真ん中で結び目が作られている。

「オレの勝ちかな?瑠璃花」

「さ、三本を同時に結んでいたなんて…」

手こずっていた訳だ、と瑠璃花は俯いて打ちひしがれる。
三本を口の中で揃えて結ぶなんて、難易度は一本ずつ結ぶのとは比べ物にならない。
それをこの男は………。

「な、何だよ?」

瑠璃花はじっと微妙に赤い目で走波を数秒程にらみつけ、そして堰を切った様に叫ぶ。

「走波のすけべ!!!!!」

「え、えぇ!?何で!?」



その後、「チェリーを卒業しようというサインかと思ったよ」等と走波が言い出し
瑠璃花がまたしてもさくらんぼの様に顔を赤くしたとか。

赤い果実を走波がいただいているのと同時刻、十波と書かれた表札のある家でも
二人の男女が結んでいた。
尤も、結んでいた物の色は緑では無く赤だった様だが。








おまけ

「あれ、漣?お前舌から血がにじんでるじゃないか?」

「え?あ、あぁさっき噛んじゃった時に切ったみたいですね。アハハ、ドジっちゃいました。 
 まぁでも口の中のキズですし、すぐに治りますよ」

「でもそこだと何を食べても飲んでもしみるだろう。待ってろ良いものがある」

「口内炎の薬でも持ってるんですか?でもあれすぐに私舐めちゃってはがれ…

グイッ

「ひゃっ!?」

「そんな無粋なものじゃないさ。昔から言うだろ、唾付けておけば治るって」 ギラリ

「んむんんっ!!!」

「んむっ…フフッ漣の唾と俺の唾が混ざり合って…ちゅぱっ…効果は倍増だよ」

「ひゃんっ!…十二波ひゃんっ傷口を吸わないでぇっ…あむっひ、貧血になっちゃっ………!!!」



「………位の事やって下さいよ!すけべな十二波さん!すけべなんですから!」

「ハイハイ、いいから舌見せて。ほらケナログ塗るから」

「む〜せめて舌を介して塗って下さいよ。唾もついて効果倍です!」

「流れちゃうから意味無いでしょ。それと効果倍にはきっとならない」

「も〜つれないですねぇすけべのくせに」

「………そうだな。レンが舌を使えない代わりに俺が存分に使う事にしてやるか」ギラッ

「へ?」

「舌と舌同士のキスなんて児戯に過ぎない事を教えてやるよ。まずは………眼球からだ!」

「ひゃあああああああああ!!!!!」

いちゃこらいちゃこら

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