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shirononegi 2014年11月02日(日) 03:30:53履歴
![](https://image01.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/238c946b4ae08357.jpg)
![](https://image01.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/a69b64e35bca4d7b.jpg)
城を知6!より
山城には珍しくほとんど総石垣造りの城 | 日本三大山城岩村城を超える高い山の上にある城 | 上杉謙信没後、三木氏が織田信長と同盟中に築いた城 |
---|---|---|
本丸を含む中枢部に石垣があり、現存状態も良い。石垣が築かれている斜面も急斜面で、山城では中枢部にこれほど多くの石垣が用いられているのは珍しい。部分的には大きな石も使われている。松倉山は石が多く得られたようで石垣に使われている石は現地で調達したものだと考えられる。 | 標高856.7メートルの松倉山に築かれている。[参考]岩村城(岐阜県)は、 標高721メートル。備中松山城(岡山県)は、現存天守で最高標高480メートル。御坂城(山梨県)は、標高1595メートル、比高500メートル | 武田方の江馬氏に対抗し、上杉方だった三木氏。上杉謙信が没し、織田信長と同盟する。そしてこの城を築き飛騨統治の安泰を図ったといわれる。信長が死に、北陸の佐々氏と共に秀吉と対立。秀吉方の金森氏に討たれ金森氏が松倉城を治める。石垣は金森氏が整備したとされるが、金森氏は高山城へ移り廃城となる。 |
一つ一つの郭が狭い城? | 旗立石という巨石がある城 | 小糸の人柱伝説のある城 |
二の丸にある巨石は、旗立石と呼ばれ、合戦の際には城主の軍旗を立てていた場所とされる。裏側には割れ目があり旗が立ちそうだ。 | 母と城下の村に住む小糸という少女が、日課のセリ摘みに出かけたまま戻ってこない。小糸はセリ摘みの最中に城の人柱として拉致されていた。母は小糸を呼びながら探し回るが見つからずやがて息絶える。その後小糸を呼ぶ声が風に混じって聞かれるようになったという。 |
わりと開けた郭。城の北側の風景、そして山々が良く見える。案内板もあり、どの山がなんという名前か示してくれている。
天気が良いといい眺めだ。
![](https://image01.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/15d2c152e0e9c814.jpg)
旗立石と呼ばれる大きな岩がある。亀裂が入っており、そこに旗を立てたものと考えられる。
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/3567fda18fe21ed9.jpg)
大きな石が垂直にそびえる姿は面白く、3郭の周囲にある歩道から見上げてみるとまたその力強さを感じる。
紅葉の季節で色づく木の葉と旗立石の情景がよかった。
![](https://image01.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/72cd4102a2930828.jpg)
ただ、郭の端にあることから、いつの日か崩れて落ちてしまうのではないかと心配する。
3郭の東端には、井戸跡がある。窪みの形でしかなく、水はない。
さらに3郭の東端は、2段の石垣で囲まれており、石垣好きには欠かせないポイント。
![](https://image01.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/a5925b4c5d0c16fd.jpg)
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/8fbb3161b7ff725b.jpg)
ただ石垣までの距離が近すぎてフレームにきれいに入らないため、撮影にはあまりむかない。
天気が良いといい眺めだ。
![](https://image01.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/15d2c152e0e9c814.jpg)
旗立石と呼ばれる大きな岩がある。亀裂が入っており、そこに旗を立てたものと考えられる。
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/3567fda18fe21ed9.jpg)
大きな石が垂直にそびえる姿は面白く、3郭の周囲にある歩道から見上げてみるとまたその力強さを感じる。
紅葉の季節で色づく木の葉と旗立石の情景がよかった。
![](https://image01.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/72cd4102a2930828.jpg)
ただ、郭の端にあることから、いつの日か崩れて落ちてしまうのではないかと心配する。
3郭の東端には、井戸跡がある。窪みの形でしかなく、水はない。
さらに3郭の東端は、2段の石垣で囲まれており、石垣好きには欠かせないポイント。
![](https://image01.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/a5925b4c5d0c16fd.jpg)
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/8fbb3161b7ff725b.jpg)
ただ石垣までの距離が近すぎてフレームにきれいに入らないため、撮影にはあまりむかない。
2郭〜1郭は、3郭から上っていくが、2郭は木々が茂ってあまり進入しにくい。
1郭へ直行した。
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/3b5df4a568776c97.jpg)
(1郭への入り口、2郭から階段をあがり、折れ曲がる)
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/e5b2125009088dc4.jpg)
(虎口にも大きな石が)
1郭は、ここもまたビューポイント。風景がさらに良く見える。
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/b5c9c4e1102e34cd.jpg)
1郭の入り口は石垣で囲まれた土塁があり、これが建物(本丸天守)の基礎部分だと思われるが定かではない。
この土塁がどこまであったかも不明で、今は1郭の半分ないしは1/3程度しかない。
1郭には、細長い石碑のほか、木枠が立っている。城の本丸には石碑はよくあるが、木枠は何のためにあるのか。
その枠から見る景色がすばらしいということなのか、それとも木枠には何かはまっていたのか。謎の木枠。
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/a17e732e0ae0a307.jpg)
1郭へ直行した。
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/3b5df4a568776c97.jpg)
(1郭への入り口、2郭から階段をあがり、折れ曲がる)
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/e5b2125009088dc4.jpg)
(虎口にも大きな石が)
1郭は、ここもまたビューポイント。風景がさらに良く見える。
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/b5c9c4e1102e34cd.jpg)
1郭の入り口は石垣で囲まれた土塁があり、これが建物(本丸天守)の基礎部分だと思われるが定かではない。
この土塁がどこまであったかも不明で、今は1郭の半分ないしは1/3程度しかない。
1郭には、細長い石碑のほか、木枠が立っている。城の本丸には石碑はよくあるが、木枠は何のためにあるのか。
その枠から見る景色がすばらしいということなのか、それとも木枠には何かはまっていたのか。謎の木枠。
![](https://image02.seesaawiki.jp/s/i/shirononegi/a17e732e0ae0a307.jpg)
「飛騨民俗村 飛騨の里」を目指します。
国道41号より、国道158号へ入る。飛騨の里方向へ左折。看板が出ています。
飛騨の里の奥に進むと、松倉城の案内板があるのでそれに従う。
「飛騨の里」〜松倉城の登城道の上り口がある広場(駐車場、トイレ有り)までは
車で10分程度
登城道を登っていけばよい。
国道41号より、国道158号へ入る。飛騨の里方向へ左折。看板が出ています。
飛騨の里の奥に進むと、松倉城の案内板があるのでそれに従う。
「飛騨の里」〜松倉城の登城道の上り口がある広場(駐車場、トイレ有り)までは
車で10分程度
登城道を登っていけばよい。
JR高山駅で下車
駅からは、タクシー、バスがあるのでそれで、「飛騨民俗村 飛騨の里」に向かう。
「飛騨の里」〜松倉城の登城道の上り口がある広場(駐車場、トイレ有り)までは
徒歩で25分程度
登城道を登っていけばよい。
駅からは、タクシー、バスがあるのでそれで、「飛騨民俗村 飛騨の里」に向かう。
「飛騨の里」〜松倉城の登城道の上り口がある広場(駐車場、トイレ有り)までは
徒歩で25分程度
登城道を登っていけばよい。
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