お城好きな自分の情報整理、城についての勉強「城勉」を日々まとめて行こうかと思いまして作りました。

 

基本情報

城名飛騨松倉城【ひだまつくらじょう】
別名
城郭形態山城
所在地岐阜県高山市松倉町
遺構郭、石垣、櫓跡、竪堀、虎口、門跡、井戸、旗立石

この城あの人

築城者:三木(姉小路)頼綱 
城主:三木氏 

この城のおも城さ

城を知6!より
山城には珍しくほとんど総石垣造りの城日本三大山城岩村城を超える高い山の上にある城上杉謙信没後、三木氏が織田信長と同盟中に築いた城
本丸を含む中枢部に石垣があり、現存状態も良い。石垣が築かれている斜面も急斜面で、山城では中枢部にこれほど多くの石垣が用いられているのは珍しい。部分的には大きな石も使われている。松倉山は石が多く得られたようで石垣に使われている石は現地で調達したものだと考えられる。標高856.7メートルの松倉山に築かれている。[参考]岩村城(岐阜県)は、 標高721メートル。備中松山城(岡山県)は、現存天守で最高標高480メートル。御坂城(山梨県)は、標高1595メートル、比高500メートル武田方の江馬氏に対抗し、上杉方だった三木氏。上杉謙信が没し、織田信長と同盟する。そしてこの城を築き飛騨統治の安泰を図ったといわれる。信長が死に、北陸の佐々氏と共に秀吉と対立。秀吉方の金森氏に討たれ金森氏が松倉城を治める。石垣は金森氏が整備したとされるが、金森氏は高山城へ移り廃城となる。
一つ一つの郭が狭い城?旗立石という巨石がある城小糸の人柱伝説のある城
二の丸にある巨石は、旗立石と呼ばれ、合戦の際には城主の軍旗を立てていた場所とされる。裏側には割れ目があり旗が立ちそうだ。母と城下の村に住む小糸という少女が、日課のセリ摘みに出かけたまま戻ってこない。小糸はセリ摘みの最中に城の人柱として拉致されていた。母は小糸を呼びながら探し回るが見つからずやがて息絶える。その後小糸を呼ぶ声が風に混じって聞かれるようになったという。

縄張ポンチ絵



1郭、2郭が本丸、3郭が二の丸、4郭は櫓跡か?、5郭が三の丸と考えられる。

訪城後記

登城道〜西南隅櫓下

大体登り始めて10分ほどで城郭の南西端にたどり着く。
途中、大きな石がチラホラ見える。
南西端は良い撮影ポイント。石垣の姿が美しい。
突き出した櫓台の下の石垣が特に美しい。また北側は5郭へと続く道がある。
そちら側の石垣には苔が生していて非常に趣深い。

☆☆☆ My Best Point of this 城 ☆☆☆

5郭への登り階段は、後で作られたものらしく、石垣をぶっ壊して5郭へ繋がっている

西南隅櫓下〜4郭

西南隅櫓の下をぐるりと回り、東へ進む道がある。石垣を左手に触れながら歩んでいける。石垣好きには嬉しい道。

途中に、3メートル以上はあると思われる大石が石垣に使われている。

ただし、南西の曲り角は高低差が大きく足場が悪い。転落や滑落に注意して進む必要がある。


4郭への上り口は門跡のようにも思えるがそれにしては狭い。どういう使われ方をしたものか不明な場所。

4郭〜5郭、西南隅櫓、搦手門跡

4郭は櫓があったと思われるが、その痕跡は感じられない。

(5郭より4郭を望む)

4郭から今来た道を振り返ると、石垣の山にそびえる整然たる姿を写真に収めることができる。いい写真ポイント。

段差を越えて5郭へ向かうと、1郭、2郭を囲む石垣を下から望むことができる。
2郭の南西隅の下からの石垣の姿もまた写真撮影によい。
ただ、少し木が石垣に接近しすぎていて邪魔に感じる。


5郭の南西隅には櫓台が残っており、こちらは櫓の跡だとよくわかる。
5郭の北西には搦手門跡とされる場所があるが、石積みの土塁のようなものがあるだけで、想像が付かない。

3郭

わりと開けた郭。城の北側の風景、そして山々が良く見える。案内板もあり、どの山がなんという名前か示してくれている。
天気が良いといい眺めだ。

旗立石と呼ばれる大きな岩がある。亀裂が入っており、そこに旗を立てたものと考えられる。

大きな石が垂直にそびえる姿は面白く、3郭の周囲にある歩道から見上げてみるとまたその力強さを感じる。
紅葉の季節で色づく木の葉と旗立石の情景がよかった。

ただ、郭の端にあることから、いつの日か崩れて落ちてしまうのではないかと心配する。

3郭の東端には、井戸跡がある。窪みの形でしかなく、水はない。
さらに3郭の東端は、2段の石垣で囲まれており、石垣好きには欠かせないポイント。



ただ石垣までの距離が近すぎてフレームにきれいに入らないため、撮影にはあまりむかない。

3郭〜東の門跡?

3郭のさらに東へいくと、虎口のような構造になっている場所があり、その先に石垣がわずかにある。
どうやら門などがあったようだ。

2郭〜1郭

2郭〜1郭は、3郭から上っていくが、2郭は木々が茂ってあまり進入しにくい。
1郭へ直行した。

(1郭への入り口、2郭から階段をあがり、折れ曲がる)

(虎口にも大きな石が)

1郭は、ここもまたビューポイント。風景がさらに良く見える。

1郭の入り口は石垣で囲まれた土塁があり、これが建物(本丸天守)の基礎部分だと思われるが定かではない。
この土塁がどこまであったかも不明で、今は1郭の半分ないしは1/3程度しかない。
1郭には、細長い石碑のほか、木枠が立っている。城の本丸には石碑はよくあるが、木枠は何のためにあるのか。
その枠から見る景色がすばらしいということなのか、それとも木枠には何かはまっていたのか。謎の木枠。

3郭東〜北側の谷

3郭から石垣を伝って3郭の下におり、3郭の北側に回りこむ。
城の北側へ続く道がある。
その途中には、3郭の下に石垣?石積?が少し見ることができる。
城の北側には幾つか小さな郭が尾根上に連続しており、その先に進むと、武家屋敷の跡に繋がっている。
武家屋敷跡へ向かう途中から谷側へ降りていく。藪(笹)が生い茂っているので掻き分けていかなければいけない。
谷底付近で、クランク状の虎口のような場所がある。ここには、石垣もわずかに残っている。

追手口として使われていたのではないかと思われる。普通に足場の良い場所から見ていては見つからない場所だ。

武家屋敷の跡

武家屋敷の跡は、松倉城の主要部からはしばらく歩いていかなければならない。
途中に現れる沢を上っていくと、開けた土地と段々の構造が見られる。
そこが武家屋敷の跡らしい。特に何も無い。
石垣が崩れた跡が確認できる。大部分の石は持ち去られたようにも見える。

崩れた石垣に苔が生えている情景は、なんとも趣深い。


崩れた石垣を登って上段へ行くと、直径1〜1.5mほどの大きな窪みがある。これも井戸の跡だろうか。
それ以外に関心を引くものはなかったが、熊の活動範囲にあるらしく、道中、熊の糞を見つける(まだ時間が経ってない)。
山城はどこもそうだとも言えるが、ここは特に熊への対策、注意は必要な場所だ。

攻略への道

【車の場合】

「飛騨民俗村 飛騨の里」を目指します。
国道41号より、国道158号へ入る。飛騨の里方向へ左折。看板が出ています。
飛騨の里の奥に進むと、松倉城の案内板があるのでそれに従う。
「飛騨の里」〜松倉城の登城道の上り口がある広場(駐車場、トイレ有り)までは
車で10分程度
登城道を登っていけばよい。

【電車の場合】

JR高山駅で下車
駅からは、タクシー、バスがあるのでそれで、「飛騨民俗村 飛騨の里」に向かう。
「飛騨の里」〜松倉城の登城道の上り口がある広場(駐車場、トイレ有り)までは
徒歩で25分程度
登城道を登っていけばよい。

城下町ナビ

 特になしです。

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