機動戦士ガンダム水星の魔女の作中描写やスタッフの発言などから問題点を検証するためのものです。

10月2日(日)放送
(公式HPより)
宇宙産業の大手ベネリットグループが経営する、アスティカシア高等専門学園。
水星からの編入生スレッタ・マーキュリーは、学園での新生活に胸を躍らせていた。
だが到着間近、彼女は宇宙を漂う一つの影を発見する。

脚本:大河内一楼
絵コンテ:小林 寛
演出:安藤 良
キャラクター作画監督:戸井田珠里 斉藤 香 大野 勉
メカニック作画監督:久壽米木信弥 鈴木勘太


不自然に触れられるヘアバンド


モブ「おかあさん?じゃあその古そうなヘアバンドもお母さんが言うからつけてるの?」
スレッタ「もちろんです!」
モブ三人娘「………マジ?」


おおっ、これは母親離れする時に劇的にヘアバンドを外す演出が来るな!
↑※そんな展開は一切ありません
なんだったんだよこれ

会話の流れが不自然だな、ヘアバンドで笑う意味がわからない。シャディクの制服の露出具合の方が笑うだろ
不自然になってでもここで触れたということは作劇上のなんらかの意味があって然るべきなんですが、まっったく生かされませんでしたね?

盗聴器説とかあったけど別にそんなこともなかったね
古そうなヘアバンドって言われてるけど実はプロローグのエルノラがつけていたのとは微妙にデザインが違うんだよね、お下がりというわけでもないのかも

唐突に始まる決闘


授業中にも関わらずグエルが決闘で乱入してくる。
その後、シャディクが「これは決闘委員会が認めた正式な決闘である」と話す場面。
しかしこの作品、この決闘以外で、授業中の生徒の近くで決闘するようなことはない。
(毎回決闘委員会がきちんとした場所と時間を指定するし、生徒たちも見物しているので授業中ではない))

なおつい10分ほど後のエアリアルとディランザの決闘では、スレッタがニカの生徒手帳とスクーターで決闘の場に乱入してくる際に注意喚起が流れて決闘が一時中断している。
どうしてこの決闘では周囲に人がいても普通に決闘続行をしていたのであろうか?

ぶっちゃけると「ミオリネがスレッタの手を引いて助ける展開がしたい」がための1話例外描写であろう。

横恋慕さん?


goo辞書より
よこ‐れんぼ【横恋慕】 の解説
[名](スル)他人の配偶者、あるいは愛人に横合いから思いを寄せること。「人妻に—する」

(・x・ ) 。oO (横恋慕っておかしくないか?両思いラブラブのAさんBさんがいて部外者のグエルがAさんかBさんに懸想して初めて成り立つ言葉だろ、スレッタ視点でミオリネと誰が両思いなんだよ、グエル部外者じゃないし)
(*゚ー゚)この的外れな台詞に吹き出したフェルシーとペトラもよくわからないし怒り出すグエルもよくわからないですね
( ´ー`)。о(脚本家が横恋慕の語義を誤解しているのでは?横暴なやつ、くらいのニュアンスで使ってるのかも)


横恋慕意味不明過ぎなのになんで通ったんだ?脚本会議ちゃんとしてる?

スレッタが愛読してた恋愛もののフィルムだかコミックだかに「横恋慕さん」とか「横恋慕野郎」とか呼ばれて笑われるキャラがいて
実際の人間関係をほとんど経験してないスレッタがここでこう使うのかな?と的外れな言葉持ち出したんだろうなと受け取ることも出来るんだが
脚本家がそういうつもりで敢えて言わせたなら脚本が下手
脚本家がストレートにふさわしい言葉として持ってきたなら脚本以前に日本語が下手

承認なしで始まる決闘


グエルとエアリアルに勝手に乗ったミオリネの決闘が始まった。
なお3話以降では決闘には決闘委員会の承認が必要という描写があるが今回スレッタは行ってない。
グエルのリアクションからしてもミオリネが決闘委員会のラウンジで承認されたわけでもない。
どういうことだろうか。

(備考:22話で決闘委員会の承認どころかMSでもない戦いでホルダー移ったので考えるだけ無駄かもしれない)

人の人生勝手に決めるな!


パイロットとしての腕があるわけでもないのに勝手にスレッタのモビルスーツを盗み、勝手にスレッタの退学がかかった決闘をしているという意味では
「こんなことを言いながらもスレッタの人生を勝手に決めている」という状況。
しかも22話の件で別にそんなことしなくても他にミオリネが決闘することはできたのが判明してなお酷いことに


それでも今回の話だけなら「まだ」そこまで問題ではない。

……この後の話で、ミオリネは地球寮の人生や、それどころかベネリットグループ全体の人間の人生を自分の一存で勝手に決めるという暴挙に出るのである。
しかし彼女が「人の人生勝手に決めるな」と責められることは一度もないままであった。

おまけの珍説検証・ミオリネが決闘することでスレッタの退学回避する狙いだったのでは?


おまけの珍説の上に長いので畳みます

水星ってお堅いのね

意図せず婚約者になってしまい、「私女ですよ」とまどうスレッタに向けたミオリネの発言。

( ・A・)………?なんでスレッタやスレッタが育った水星の文化のほうが悪いかのように言われないといけないんだ?なんかモヤモヤする
(・x・ ) 。oO (例えばの話だが、下記のようなやりとりならどうだ?)

小劇場
Aさん「あそこにいるCさんとDさんはカップルなの」
Bさん「えっ!?男同士(あるいは女同士)ですよね!?」
Aさん「もう、あなたってお堅いのね、こっちじゃ珍しくもないわよ?」

( ・A・)……これならおかしくない。CさんとDさんという他人の関係に対して同性を理由に疑問のニュアンスを呈したのをAさんが嗜める意味がある。スレッタ自身が同性婚を受け入れるかどうかはスレッタの自由意思のはずなのにそれを非難されたり呆れられるのはおかしい。あと、スレッタ個人の性的嗜好や価値観を水星全体の問題に拡張してるのもおかしい。そこにホモフォビアの日本人が一人いたとして、日本ってお堅いんだな!って言うか?
( ´ー`)。о(この展開が問題視されないって、じゃあ最初からレズビアン設定の女主人公に本人の意思に関係のない男婚約者ができて、とまどう主人公に男が「お堅いんだね」って言うのも問題はないということ?…多様性を理由にこの展開を褒め称えている方々、それは「同性愛の権利侵害」として批判するんじゃないの?

(*゚ー゚)多様性?この1話でわかることって『政略結婚の範疇に同性婚も含まれる』ですよね?つまり
  • 男性を愛する男性が女性と政略結婚させられる
  • 男性を愛する女性が女性と政略結婚させられる
  • 女性を愛する男性が男性と政略結婚させられる
  • 女性を愛する女性が男性と政略結婚させられる
(*゚ー゚)ということが普通にありえる世界ということですよね?性的嗜好への寛容さなんて24話通して一切示されてないと思うんですが、1話のこの展開を多様性とか言ってる人、この点わかってます?
( ・A・)「本当に」多様性を考えるなら「オレは同性アリ!お前はナシ!どっちも当然だな!」であって受け入れられない人に押し付けるのは違うよね?
(・x・ ) 。oO (これなー)



なぜ「花婿」なのか?※一切不明のまま終わります


この話における「花嫁」「花婿」についての流れや詳細は別にページを作る。
しかし、ここでなぜ「花婿」と言ったのかは永遠の謎である。
花嫁と花嫁、いやもっとフラットに婚約者、でもいいはずなのだ。
パイロット=男役という固定観念があるのか?
お堅いのね、といいつつも男性のロールをスレッタに当てはめようとするのは矛盾していないか?

🐊女同士の花嫁花婿とか先進的!素敵!
(・x・ ) 。oO (男のスチュワーデスとか男性を看護婦さんとか呼ぶの先進的!!って言ってるようなもんじゃないの?時代に合わせたアップデートならそこは男女関係なく客室乗務員(フライトアテンダントorキャビンアテンダント)、看護師さんだろ)
(*゚ー゚)宝塚の男役に憧れるような女主人公が自分から「王子様になりたい」「ヒーローになりたい」といいだすとかならまあわかるんですが、これミオリネのほうから一方的に言い渡されてますよね。後々の話を見ても、スレッタは男役に憧れるような人間でもないですし
( ´ー`)。о(少女革命ウテナにおける「王子様になる」とかプリキュアで「女の子だってヒーローになれる」の「王子様」や「ヒーロー」が意味する概念はわかるぞ?でも『花婿』が意味する概念ってなに?)


この1話で、ミオリネに対して「家父長制からの脱却をする役目」という幻想を抱いていた視聴者がわりといたが、

そもそも「花嫁イヤ!」「人の人生勝手に決めるな!」からの「おめー私の花婿だから!」というムーブで1話から「自分は縛られたくないけど他人は縛りたがる」ダブスタの片鱗は見えていた。

chatgptに聞いてみた

「水星の魔女」という作品の1話において、主人公の少女が女性と政略的な意味で婚約することになる展開がありました。この作品のプロデューサーは「多様性を褒められた」と言っていましたが疑問があります。主人公は、男性とのデートを夢見ており、婚約に「私、女ですけど…」と戸惑いを見せました。将来的に性的嗜好が変わる可能性は否定できませんが、現時点では主人公は異性愛者であると示されています。
異性愛者に政略結婚として同性婚を押し付けるのは果たして多様性ですか?


※備考:前日譚「ゆりかごの星」にて、「デート」を夢見るスレッタの描写がある。1話スレッタの「私、女ですけど…」という反応からしても、デートの相手として男性を想定しているのは明らかである。

「多様性」は異なる性的指向やジェンダーの人々の尊重と包摂を含む広い概念です。一般的に、多様性の原則には、異性愛者、同性愛者、両性愛者、トランスジェンダー、クィア、非バイナリーなど、異なる性的指向やジェンダーの個人を尊重し、差別を排除することが含まれます。

しかし、政略結婚についての状況は多様性とは異なります。多様性は、個人の自己同一性や性的指向を尊重することを強調する一方で、政略結婚はしばしば個人の意志や感情を無視し、他の目的(政治的、経済的な利益など)のために結婚を促すことが含まれます。

主人公が異性愛者であると示されている場合、彼女に同性結婚を押し付けることは、その人の性的指向を尊重せず、個人の自己決定権を侵害する可能性があります。多様性の観点からは、異なる性的指向を尊重し、個人が自分自身の幸福と満足を見つける自由を保護することが重要です。

したがって、この作品のプロデューサーが「多様性」を口実に使って、政略結婚のストーリーラインを正当化することは、多様性の理念とは矛盾している可能性があります。異なる性的指向を尊重し、個人の自己決定権を尊重する観点から、物語のアプローチに疑問を抱くのは理解できる立場かもしれません。


おまけ 富野監督のインタビューより引用

https://news.yahoo.co.jp/articles/4c3ae30268e24632...
「多様性という言葉がメディアで都合よく取り上げられていると思いますが、富野先生はどう思われますか?」という声に「多様性というのは、お勉強ができる人が勝手に使っている言葉です。おそらくその言葉を意識して使っている人に、多様性があるかどうかはかなり怪しいと思います。つまり先ほど農業の話をしました。農家は野菜のことしか考えていないのかというと、そんなバカなことはありません。我々の暮らしというのはかなりいろいろなことを考えていないと、野菜一つ育てることができないし、成り立っていきません。そうやって、現在までの人類史を作ってきたということを考える必要があります。つまり、わら一つ取っても、わらをなうことによって縄を作ることができますが、人々が暮らしを立てるために、そのことだけを考えていたわけではないですね。売ることも考えなければいけないし、それを一人の人間がやっていたかもしれない。そういうことを言うのに、わざわざ多様性という言葉を使うでしょうか? つまり言葉だけでものを考えているような人たちがたくさんいるわけです。そういう人たちが賢いのか?という問題は、やはり別に置く必要があるんです」と持論を展開した。

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