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タグ検索で良寛は6件見つかりました。
園頭
でもあった。また、[[道元]]禅師や[[良寛]]上人が優れた園頭の様子を伝えるなど、非常に印象強い配役でもある。 ''園頭の一職、最も難く極苦なり。[[道心]]有る者の勤め来たれる職なり。道心無き人、之の職に充てるべからず。常に菜園に在りて、随時に種栽す。仏面祖面、驢脚馬脚、農夫の如く田夫の如し。終日に鋤鍬を携え、而も自ら畊し自ら鋤き、屎を担い尿を担い、生根怕じず。唯だ熟爛を待つに時を失するべからずのみ。地を鋤き菜を種うるの時、裙・褊衫を著けず、[[袈裟]]・直裰を著けず、只だ[[白布…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b1%e0%c6%ac... - 2022年10月05日更新
国仙
曹洞宗]]が輩出した僧で、弟子に大愚[[良寛]]がいる。字は大忍、名は国仙。 生没年:享保8年(1723)〜寛政3年(1791) 出身地:武州岡村 俗 姓:松原氏 &color(blue){''【略歴】''} 1723年に、武蔵国岡村にあった松原家で生を受けた国仙[[和尚]]は、13歳にて、江戸の清涼寺にいた全国和尚の下で[[得度]]した。得度してからは、宗孝・曹海・頑極・悦巖・道察など、当時の勝れた[[宗師家]]の下を歴参し、造詣を深め、全国和尚から[[印可証明]]を受けた。金鳳の下で[[首座]]…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b9%f1%c0%e7... - 2010年12月25日更新
永平略録
おきたいものである。越後五合庵の大愚[[良寛]]には、『永平録を見る』と題された詩偈が残されている。そこには、容易に見ることのできない法宝を得た喜びがある(一部を抜粋)。 ''【原文】 【訓読】'' ''五百年来委塵埃 五百年来塵埃に委せしは'' ''職由是無択法眼 職して是れ法を択ぶの眼無きに由る。'' ''滔々皆是為誰挙 滔々皆是れ誰が為にか挙する'' ''慕古感今労心曲 古を慕ひ今を感じて心曲を労す。'' ''一夜灯前涙不留 一夜灯前涙留らず'' ''湿尽永平古仏録 湿し尽す永平古仏録…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b1%ca%ca%bf%ce... - 2006年11月21日更新
良寛
出した[[禅僧]]・詩僧。号は大愚、名は良寛。漂泊の人生を生き抜いた僧であり、現代に到るまで人気が高い。 生没年:宝暦8年(1758)〜天保2年(1831) 出身地:新潟県三島郡出雲崎町 俗 姓:山本氏 &color(blue){''【略歴】''} 出雲崎町の橘屋こと、山本以南の長男として生まれた。幼名は栄蔵であり、後に文孝になった。この生家は名主と神職を兼ねて、当地では随一の名家であった。幼い頃から漢学を習得し、名主見習いであったこともあり、[[出家]]する前には妻もいたとされる(後に離縁したとさ…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ce%c9%b4%b2... - 2008年05月04日更新
良寛禅師戒語
'} 江戸末期の[[禅僧]]、大愚[[良寛]][[禅師]]が折に触れ様々な者に書き与えたという「戒語」を称して、『良寛禅師戒語(永久岳水師は『良寛禅師一口戒語』)』という。なお、『禅門曹洞法語全集(坤)』(永久岳水師編)の解題では、「戒語」の数について、多いものは90句、少ないものでも6〜70句に及ぶと指摘する。また、『[[正法眼蔵]]』「菩提薩埵[[四摂法]]」巻の「[[愛語]]」を根本として、この「戒語」を書かれたともいう。 前述『法語全集(坤)』に収録される(同著では、五十音順に整…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ce%c9%b4%b2%c1... - 2010年11月18日更新
はちすの露
江戸末期の[[禅僧]]である大愚[[良寛]]と、その門弟であった[[貞心尼]]とが交わした和歌(道歌)を中心にした歌集で、良寛没後4年目に当たる天保6年(1835)に成立した、全1巻。晩年の良寛の人となりを知ることが可能である。 &color(blue){''【内容】''} 貞心尼は、文政10年(1827)頃、良寛に参じており、その後6年間にわたって良寛が道を説きつつ、2人は和歌を交わした(相聞歌)。貞心尼は、良寛の門弟として、末期の水を呈したほどである。その貞心尼が、良寛の略伝・短歌・長歌・旋頭…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%a4%cf%a4%c1%a4... - 2010年11月26日更新