葉鍵キャラを政治家に見立て葉鍵国を統べる仮想政界「葉鍵政界」の派生wikiです。葉鍵板を参考に、99%のネタと1%の知性で盛り上げ楽しんでいきましょう。(元は葉鍵政期スレのまとめwiki的位置づけでしたが、現在は三次創作サイトの方向に突き進んでいます。)

葉鍵政界の政治家
人名三枝 葉留佳
出身リトルバスターズ!
所属眠主党
政治的思想・立場無政府主義?

 三枝 葉留佳(さいぐさ・はるか)は眠主党所属の葉鍵国会議員。眠主党内の派閥「三枝グループ」の名目上のリーダーでもある。

 しかし脈絡のない行動をとることが多く、故に常に政界争乱の台風の目となる危険性をはらんでいる人物である。「鍵革クラブ」という正体不明の会派が結成されようとしたときも大した意味もなく参加しようとしたが(本人は「姉との間に誤解があった」と述べている)、すぐに撤回している。

 眠主党内では三枝グループのリーダーという事に一応なっている。が、本人にその自覚はあまり無く、実務は全て姉の二木佳奈多が取り仕切っている。
 リトバスメンバーと親交が深く(少なくとも本人はそう思っている)、リトバス県超野党連合に参加していた左派諸政党からは次世代のリーダー候補と目されている(と二木佳奈多は思っている)。

人物評

 政界の爆弾娘と評される一方で、その破天荒な言動が若年層を中心に高く支持されている。
 ある意味強引に人脈を築き上げてしまう才能があり、仁科りえみちる?といった三枝グループメンバーの殆どは葉留佳の人脈で引き込まれた経緯がある。
 
 名が「はるか」の議員らで「はるちん同盟」を結成し、その座長に着いている。
 

政界経歴

2008年総選挙まで

 アホ毛解散?選挙の際に締切1時間前に突如立候補し、若年層の支持を受けて当選してしまったのが政界活動の始まりである。
 その後、姉の二木佳奈多捕縛勧誘されて眠主党入りしている。

 棗恭介リトバス県超野党連合を結成すると、眠主党県連として参加を決定。宮沢謙吾には不安要因視されるも、二木佳奈多が監視役として突くことで了解を得た。
 が、眠主党中央の決定(というより水瀬名雪代表の独断)によりリトバス県超野党連合を離脱することになった為、その関係は微妙になった。一部では、水瀬代表の決定に三枝葉留佳が従わず、三枝グループ丸ごとを引き連れて眠主党を飛び出すのではないかとも噂されていた。
 この件で、眠主党首脳に対し以下の公開質問状を出している。

1.眠主党首脳が眠主党リトバス県連への相談すら無く突如リトバス県超野党連合からの離脱を通告してきたのは何故か。

2.眠主党リトバス県連がこれまで独自に他党との協調関係を築き上げリトバス県超野党連合に参加した経緯をどう考えるか。
  また、>>190で副代表がこれを承認している事実があるが、これを覆す根拠は何か。

3.眠主党首脳は他選挙区では全く候補者擁立の作業を進めようとしないくせに、何故リトルバスターズ県だけは
  他党との信頼関係を損なうような真似までして選挙区への公認候補擁立をしようとするのか。  


 その後、折原浩平・代表代行が回答を発表したが、三枝グループとしては到底納得がいくものではなかった。
 この間に棗恭介リトバス社会大衆党委員長が突如全葉鍵超野党連合の結成を発表した。そこで、二木佳奈多は眠主党に対して全葉鍵超野党連合への加入の意志の有無を質問した。なお、眠主党が加入しない場合には三枝グループの離脱を内々に決定していた。水瀬名雪代表は斉藤と共に、棗恭介・宮沢謙吾との首脳会談を行う。この会談の結果眠主党は「リトバス超野党連合候補の推薦取消し処分を行ったのはリトバス超野党連合が党中央からの造反を助長していると判断したからであるが、誤解であった」として、リトバス超野党連合候補を改めて推薦することと、全葉鍵超野党連合への加入を決定。眠主党の分裂は直前で回避された。

 しかし、三枝グループは他にも眠主党が積極的に公認候補を立てようとしない、入党間もない折原浩平が突如代表代行に就任した、等の点にも不満を持っており、水瀬グループ・三枝グループ両派の確執は解消されなかった。

 全葉鍵超野党連合加入決定後の新人事で総務委員長に就任した。

 2008年葉鍵政界総選挙では、リトバス県超野党連合の選挙協定により、ブロック区の単独候補として出馬し、決戦投票の結果、当選する。

2008年総選挙以降(与党入り)の動き

 その後、水瀬名雪の居眠り事件や甘党不正献菓子事件により眠主党内で代表交代を求める声が高まり、名雪に代わる代表候補として二木佳奈多らに奉じられることとなり、2009年4月11日に行われる党代表選挙に立候補した。
 しかし、代表選では名雪が圧倒的勝利。代表交代劇は見事に頓挫することになったが、当人は気にかけているようには見えない状況である。

 その後、2009年7月以降一ノ瀬ことみ首相が内閣改造とことみん新党眠主党の合同などの構想を打ち出し、佳奈多もその仕掛け人の一人として動いたことで状況が一変。水瀬グループと三枝グループの関係は急速に改善し、三枝グループに付きまとう非主流派のイメージは大幅に薄れたが、やはり当人はそんなことを気にかけているようには見えない状況であった。

2010年総選挙以降(野党転落)の動き

 2010年葉鍵政界総選挙では、来ヶ谷唯湖との親密さを攻撃されて選挙区では決戦投票にも進めず敗北する。が、ブロック区で復活当選にこぎ着け、三枝グループは3議席を死守した。この選挙で眠主党の他グループは大幅な議席減となった為、三枝グループが眠主党筆頭派閥となった。
 眠主党敗退を受けて再度代表戦が行われ、葉留佳も再度立候補したが、またしても名雪に敗れてしまう。
 
 その後の政界混乱を経て、美坂栞内閣への参加を打診されたこともあったが、結局立ち消えとなっている。
 
 藤林杏内閣成立以降は、二木佳奈多が三枝内閣樹立構想を掲げて活動しているが、葉留佳自身は自由な活動が阻害されるとしてあまり乗り気では無い。
 


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       _φ___⊂)_   このページは未だに未完成である。
     /旦/三/ /|    有志諸君による有意義な文書の編集を望む。
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      |超葉鍵政界|/

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