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 新同人主義(英:Neo-coterism)または右派同人主義自由同人主義とは、同人活動をモデルとした経済活動を社会に適用していく思想(広義の同人主義)の一種。

 サークル「民主の鍵」の美坂香里が発表した「自由同人主義構想」が最初に新同人主義を理論体系化したものと言われるが、類似の潮流はそれ以前から存在していたとされる。この発表以降、同人界では本来の同人主義(左派同人主義)と新同人主義(右派同人主義)の論争が起こることとなる。

 本来、自由主義経済においては、同人活動もまた保障されるべき自由な経済活動の一形態である。しかし、現実には一部の企業や団体などの既得権益の維持の為に同人活動の自由が侵害されていると考え、同人活動の自由を確立するために経済・社会・文化などあらゆる領域において市民活動への政府の干渉を否定することが新同人主義の直接的な目標である。さらに進んで、個人が(人的な繋がりを通じた自発的な集団形成も含め)自己の能力を自由な仕方で駆使し、社会活動を行っていくことを理想モデルとし、非営利・営利、プロ・アマチュアの如何なる形態の活動も許容されるべきとするのが新同人主義の基本命題である。

 美坂香里の分析によれば、現在の資本主義経済は「自由主義」を原則としながら、経済・文化・生活その他の個の活動に対する制限が広く行われ、一方では特定の活動が特権的保護を受けており、その意味で個の活動の消極的自由が保障されない、「国家独占資本主義」の段階に位置すると分析される。美坂香里の主張は、個の活動の消極的自由が保障された「自由同人主義」の段階への移行である。その上で、個人の自由意志に基く自生的な公共機能に対して適正な支援が行われれば、やがてそれらの公共機能は自立し国家の関与の外部に位置するようになり、最終的には国家の公共機能が全て自生的な公共機能に置き換えられ、国家が消滅すると分析する。

 したがって、新同人主義は自由主義の一種であり、その性質上リバタリアニズムに近い思想といえる。よって、商業資本主義自体を否定するものではなく、本来の同人主義が商業資本主義を否定することとは相容れないことになる。

 新同人主義にとっての重要な課題であり、また既存の商業資本主義との最大の対立点でもあるのは著作権のような知的財産権の取り扱いである。新同人主義は物理的な自己所有権を重視する思想であり、同人活動も自己所有権に基づく自己表現活動として認められるべきであると考えるが、知的財産権を「特定産業の保護的規制」として否定することが多い。物質・土地の利用と異なり、コンテンツの利用行為は他者のコンテンツの利用の自由を妨げないという観点からである。

 知的財産権を否定・弱体化させることの問題点は、創作物の市場価値が低下し、専業の創作活動を維持することが困難となることにある。一方で、インターネットの発展により、無償でオリジナルの文章やフリーウェアなどを提供する人物が激増し、また寄付(wikipediaなど)や広告収入により大規模サイトの継続運営が可能となる場合もある。そもそもインターネット自体が情報の共有を基本理念として発達してきた歴史的経緯があり、新同人主義の理念は美坂香里が「自由同人主義構想」を発表する以前から、インターネットの発展と共に広がっていたと言える。

 新同人主義は知的財産権をどの程度認めるかにより、知的財産権を全面否認する、最小限のインセンティブの維持の為に限定的に知的財産権を認める、コンテンツの利用の自由を保障しつつ権利者に一定の利益を保障するシステムを樹立する、などの見解がある。
 知的財産権を弱め、創作者・著作権者への利益還元が低下すると、パトロンのいるプロか、経済的インセンティヴを必要としないアマチュア・非営利団体が創作活動のメインとなる一方で、大規模な資本を必要とする映像・映画、効果的なマーケティング(プロモーション)を必要とする芸能・出版(ベストセラー系)などは維持することが困難となるというのが新同人主義への批判の代表的なものである。
 これに対して、新同人主義側からは、限定的に知的財産権を認める立場からは、商用使用・二次創作を伴わないコピー配布など、一定の要件を満たすものに対しては権利者への利益還元を行うことで対処できるという反論、知的財産権を全面否認する立場からは、技術発展によりアマチュア・非営利団体によっても従来大規模資本によってのみ可能だった映像・映画などの製作が可能となっているという反論がある。また、権利者団体の中間搾取による利益還元の低下のほうを問題とする反論がある。
 ただし、あくまで新同人主義は商業資本主義を肯定はしても、知的財産権による「保護」を失った結果既存の大規模資本の多くが存立不能になる事態そのものを否定するものではない。それもまた自由競争の結果だからである。

 新同人主義は個人的自由を基本におく思想であるが、個人の自由意志に基づく自生的な「公」の形成を否定するものではない。むしろ、複雑化する社会の中で、多数の幸福と、不幸の不存在を図っていくには、自生的な「公」の存在は不可欠である。最終的には国家機能が自生的な「公」へと置き換えられ、市民活動への干渉の主体たる「国家」そのものが消滅することが新同人主義の究極目標である。
 その点において、新同人主義は本来の同人主義と共通した性質を持っているが、本来の同人主義が、現状考え得る最も効率の良い公的システムとしての国家の役割を認めるのに対し、新同人主義は積極的に国家機能の解体を進め、自生的な「公」の発達を支援するという違いがある。
 美坂香里の提唱によれば、自生的な公共機能は非営利性と、メンバーによる自主管理という二つの基準により測られ、営利追求を第一の目的としない非営利の団体や、メンバーが自主的に出資・意志決定・統治を行う(営利団体の場合は、さらに、利潤をメンバーに分配する)自主管理型の団体(同人サークルは通常は非営利かつ自主管理型の団体に該当する)を主に制度的に支援することを唱えている。

 葉鍵自由同盟葉鍵新党新党魁の合同会派)は、リバタリアニズムに近い古典的自由主義を掲げる政党であり、美坂香里が重鎮の一人であることもあって、事実上の新同人主義政党である。ことみん新党もプロ・アマチュアの共存を唱えており、新同人主義の一種と見ることができる。


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