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アンリ2世(仏:Henri II de France、1519年−1559年)はヴァロワ朝第10代のフランス王(在位:1547年−1559年)。フランソワ1世と王妃クロード・ド・フランス(フランス王ルイ12世王女)の次男。フィレンツェの大商人メディチ家?出身のカトリーヌ・ド・メディシスを王妃とした。ただし、カトリーヌが嫁ぐ前からアンリの家庭教師として仕えた20歳年上のディアーヌ・ド・ポワチエと長く愛人関係にあり、王妃とは不仲であったといわれる。

生涯

生い立ち

1519年3月31日、フランソワ1世の次男として生まれた。兄にフランソワ、姉にルイーズ、シャルロット、弟妹にマドレーヌ(スコットランド王ジェームズ5世妃)、シャルル(オルレアン公)、マルグリット(サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルト妃)がいた。1536年、長兄フランソワがジュー・ド・ポームという球戯の一種ののち急死すると、次男アンリがドーファン(王太子)の称号を得た。

反ハプスブルク政策の推進と終息

1547年、父の騎士王フランソワ1世が53歳で崩御すると、28歳で王位につき、父の対外積極政策を継承して、ハプスブルク家?の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)・フェリペ2世父子と争ったが、既にイタリア戦争でのハプスブルク家の優位は動かなかった。

1552年1月15日、ザクセン選定侯モーリツが皇帝カール5世を裏切って、アンリ2世とフリーデヴァルト条約を結び、メッツ(メッス)、トゥール、ヴェルダンの3司教区のフランスへの割譲を約束した。1554年、スペイン皇太子フェリペは、父カール5世より、ナポリ、ミラノ、シチリアを相続し、翌年にはネーデルラントも相続した。

1557年、国王アンリはユグノー弾圧のためにローマ教皇に願い出てパリ高等法院のなかに異端審問所を設置しており、当時進展しつつあった宗教改革運動を厳しく抑えた。1558年1月7日、フランス軍が大陸におけるイギリスの最後の拠点カレーを奪回した。

財政難や国内における宗教改革運動の進展に対処する必要などから、1559年4月2日、カトー・カンブレジでイギリスとの間に和約(カトー・カンブレジ条約)を結んで講和し、翌4月3日、スペインとのあいだでも和約を結んで、1494年以来のイタリア戦争がここに終結した。これによりフランスはイタリアへの権利を放棄し、シャルル8世以来の征服地の大部分を失った。

最期

カトー・カンブレジ条約が結ばれ、その和平の象徴として、アンリ2世の妹マルグリットとサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルト、アンリ2世の娘エリザベートとスペイン王フェリペ2世が、それぞれ結婚することが定められた。1559年6月30日、その祝宴の一環で行われたモンゴメリ伯ガブリエル(・ド・ロルジュ)との馬上槍試合において、アンリ2世は偶発的に右目を貫かれた。この治療に当たって、国王附きの筆頭侍医ジャン・シャプランは名医として知られた外科医アンブロワーズ・パレ?を呼び、治療法の検討のために6人の死刑囚を実験台にした。また、サヴォイア公はカール5世に解剖医アンドレアス・ヴェサリウス?の派遣を依頼し、皇帝も応諾した(ヴェサリウスは7月3日に到着した)。

しかし、こうした周囲の努力も空しく、アンリ2世はこの傷が原因で苦悶のうちに7月10日に没した。40歳であった。この件は、ルーカ・ガウリコやノストラダムスなど同時代の占星術師たちの予言の的中例という形で言及されることがしばしばある。

アンリ死後、長男のフランソワ2世が15歳で即位し、母后カトリーヌ・ド・メディシスが摂政に就任する。以後、17歳でその王妃となったメアリ・スチュアート?の叔父ギーズ公フランソワが国王の外戚として全権を掌握するが、翌年国王フランソワ2世は没する。ギーズ公は熱狂的なカトリック信者であり、フランスは、かれの行動を機にカトリックとプロテスタントの抗争による内戦状態(ユグノー戦争)に突入していった。

子女

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