朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

鄭英斗氏(1941年、23歳で宮城県の細倉鉱山へ連行される)の証言


私たちが細倉鉱山についたのは一九四一年の一二月二○日ころだったと思います。(中略)私が細倉鉱山の“募集”に応じたのは強制的ではなく、だまされて応じたのです。募集人は賃金は最低一日、二円で最高六円になる。労働時間は八時間労働で、契約は二年間、そして契約期間を終えれば帰国旅費と一○○円の報奨金を与えるということだったので、良い話だと思ったので募集に応じたのですが……。当時、村の生活は小作農の生活で貧しく、春窮期には草の葉か木の根を掘り出し食べることも珍しくない生活でしたので、それだけの賃金がもらえるなら、貧しい家計を十分に助けることができると思い、募集に応じたわけです。それが、細倉で働いてみてとんでもない詐欺行為だとわかりました。労働時間は一二時間以上、賃金は最高が二円で、そのうちから賃貸しフトン代とか食費を取られ、残るものはほとんどない状態でした。まあ、最初の時期だったので募集人の口実にまんまとだまされたわけなのです……。


金賛汀「証言朝鮮人強制連行」(1975年、新人物往来社)p41〜42

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