朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

(大坪金章さんは負傷して軍隊を除隊後、三井山野鉱業所漆生炭鉱で発破係を務めていた日本人)


…私の部下で金山という青年が、ある日、家に訪ねて来た。真面目な青年で、私は最も信用していた。

「先生、折いって相談があります」

そういうと、外のほうばかり気にして落ち着かなかった。

「この部屋には自分だけしかいないから、遠慮せんでいうてよか」

「先生、実は炭鉱というところは、もう一日も勤まりません。早く止めてしまいたい。朝鮮から無理に連れて来られて、残した両親のことが心配です。どうか逃がしてください」

と、片言の日本語でいった。金山は慶州の町で、友人と一緒に歩いている時に人狩りに遭って、トラックに放り込まれて強制連行されたとは以前に聞いたことがある。両親に会わないままだから、一度だけ帰りたいと私に訴えてね。

「帰れないのなら寮から脱走します」

と、思い詰めた表情でした。

私は坑内事故で何人もの朝鮮人を死なしているので、内心どうしても負い目がありました。

その頃、四国の愛媛県から勤労報国隊として来ていた一人に事情を話して、金山の逃亡に協力してくれるよう頼んだ。勤労報国隊の二ヵ月の勤めが終わって四国に帰ると、まもなく四、五人なら引き受けると連絡がありました。一端、炭鉱から脱走して、それから朝鮮へ帰ればいいと私は考えた。私は喜んでそのことを金山に伝えた。

金山は同室の仲のいい青年たちと相談して、五人一緒に逃亡することを決めた。私も彼らの逃亡を成功させるために、四国の松山まで送って行こうと思ってね。

逃亡の際、寮から荷物を持ち出せないので、入坑の度に少しずつ私のところへ運ばせた。

それを私が家に持って帰って隠した。

大出し日の翌朝、昇坑して風呂に入っている時、体を洗いながら五人は密談していた。

坑内の指導員の一人が、隣で体を洗っているのに彼らは気がつかなかった。

「おい、お前たちは、何か悪いことを相談しとるのじゃないか。風呂から上がったら、ちょっと労務まで来い!」

労務へ連れて行かれた五人は、そこで徹底的にしごかれたのです。そのうちの一人が、遂に逃亡のことを白状してしまった。労務から特高へ報告され、さらに憲兵隊へ取り調べが進むにつれて私の名前が上がった。

私の部屋も家宅捜査されて、五人の荷物が発見された。私が金山たちから金を受け取って、逃亡を斡旋したということにされてしまった。当時の炭鉱では、逃亡援助とか坑夫斡旋は、最も罪が重いことだった。

そうした事件を全く知らない私は、午後三時、交代勤務で昇坑して来ると、坑口に労務係と憲兵が待っていた。

「おい、大坪。ちょっと憲兵隊の詰所まで来い!」

憲兵が叫ぶと、労務の二人が両脇から私を掴まえた。

憲兵隊の詰所まで行くと、年配の上津原労務主任が、腕組みしてきびしい顔で私をにらみつけた。

部屋の隅には、金山たち五人の朝鮮人が、全身血まみれでうずくまっていた。

その異様な光景に接して、私はそこで何が行われていたのか察しがついた。四国への脱走計画がバレたことをはじめて知った。

巡査が来て手錠をかけて体中を紐でがんじがらめに縛って、今度は労務事務所へ連れられて行った。そして柱にくくられて動けなくなった。手錠というものは面白いもので、外そうともがけばもがくほど一層強く締まって、金属が両手の肉に食い込んで血がにじんで来る。

それから見せしめのためだろうか、朝鮮人のいる東寮に移された。そこで憲兵、巡査、労務は二十四時間というもの、交代で私を殴りつけた。

「貴様は何という大それたことをするのか。この非常時に国賊だ!今までに半島を何回逃がしたのか!」

上津原労務主任が怒鳴った。その後で、朝鮮人の労務が青竹を持って来ると先を割って広げ、水を漬けると私の背中を殴りつけた。

日本人労務からやられる時は仕方ないと耐えとったが、朝鮮人の労務から殴られると口惜しくて涙が出てね。それはもうなぶり殺しですたい。

一日中ひっきりなしに叩かれると、このまま死んでもいいような気持ちになる。痛いと感じる時はまだ意識がある時で、最後には何もかも分からなくなる。

戦地で負傷して、まだ完全によくなってない足腰を叩くので、悲鳴を上げて転げ回った。

今までの労務のリンチといえば、やられるのは朝鮮人ばかりだった。今度は逃亡をそそのかした日本人だというので、そのリンチたるや想像を絶する激しさだった。窓を開け放して、彼らにこれ見よがしにみせしめをした。

何度も失神して倒れると、頭を掴んで起こして青竹を取り替えた。

二日目、叩き疲れた労務が居眠りを始めると、寮の朝鮮人坑夫の一人が、自分たちに配給されたパンを、こっそり転がしてくれた。

それでやっと意識が戻った。素早く足でパンを寄せると、殴られて破れた口の中に押し込んだ。

何か食べてさえおれば、体力がつくに違いないと思った。

体は失禁状態で、たれかぶって汚れていた。

窓からはいくつもの目がのぞいて、私のことを心配そうに見ていた。

私は死んでも四国の勤労報国隊の人のことは、自白しないぞと心に決めた。どんな迷惑がかかるか分からない。自分が五人の朝鮮人から品物を取って、逃亡させるつもりだったことにしておけば、自分の責任ですませる。

憲兵の長靴の尖った先で胸と腹部を蹴られると、息も止まりそうになった、

私は最後の力を振り絞って、

「俺を殺してくれ。俺は戦争で名誉の負傷をした男だ。もう、一度は死んだ体だ。どうでも勝手にしろ!」

と叫んだ。憲兵が傷夷軍人を足蹴りして、殴りつけたとなるて笑い者だった。途端に憲兵は蹴るのを止めて出て行った。夜が明ける頃には、一人去り二人去りして、最後に残った労務がバツの悪そうな顔をして近寄って来た。

「大坪さん、悪う思いなんな。これも半島に対するみせしめのためやったんやけな。あんたが傷夷軍人ち早ういいさえすりゃ、こんなことにはならんのに……」

私はそれを聞いて芯から腹が立って来た。

「よし、貴様たちが傷夷軍人に対して、こんな乱暴するとはけしからん。このまま死んでやるからな」

するとその労務は、頭を地面にすりつけて謝った。それから私の手足の紐を解いて、急いで手錠を外した。

「あの五人はどうしたとか?」

「はい、飯塚署の特高が連れて行ったきり帰って来ません」

私はそのまま五、六時間、転がったまま動けなかった。

私は金山たちに同情したまでのことで、決して悪意でやったことではないですばい。ただ歩いているところを捕まえられて、両親にも会えずに強制連行されたと聞いて、止むに止まれずに助けた。私を叩いた朝鮮人の労務は、報復を恐れてそれからすぐ姿を消していた。その翌日、私は不都合解雇をいい渡されて、漆生炭鉱から追放されました。
(『消された朝鮮人強制連行の記録』p236〜240)

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