朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

(鄭正模<チョン・ジョンモ>さんは1940年10月に警察官に連行され、北九州の三菱鯰田炭鉱に動員。何人もの逃亡した同胞が殺されるのを目の当たりにし、仲間二人と逃亡を決意。以下は逃亡生活三日目の話)

…どこかで寝ようと捜しまして、駅からかなり離れたところに小屋があったね。その小屋に入って寝ようとしたら、犬がガンガン吠え出して、しばらくすると、その家のおやじが提灯を持って出てきたんだ、

「何やってるんだ」

と言ってね。

ああ、これはもうダメだと、諦めたですよ。すると、そのおやじが、

「こっちへ来い」

と言って家に連れていくんです。中へ入れると、

「ここで寝ろ」

って。その部屋で寝ましたが、もう眠れないですよ、明日は完全に殺されてしまうって、三人でコソコソ話していました。

ところが朝になると、おやじが服を持ってきてね、

「これに着替えろ、その服は炭鉱から脱走してきた印だよ」

って言うんですよ。安堵したね。

それ、知らなかったんですよ。強制連行の人間が別の服を着させられるとは、そのときまで知らなかったですね。それで服を着替えていると、

「おまえたち、どこまで行くんだ?」

と聞かれたから、

「西条まで行くんです」

って言った。

「金、持っているのか?」

と聞くから、

「いや、持っていません」

って言って、少し金を出して、

「これくらいしか持っていません」

って出したんです。

(中略)

当時は汽車の切符を買うにしても簡単には買えないんです。並んでね、時間がかかったりしてね。それで危ないから。そのおやじが買いに行ってくれたってわけです。切符三枚買ってきてくれて、

「おまえたち、金足らなかったから大滝までしか買ってないよ。大滝に行って少し働いて、それからまた先に行けよ」って言うのでね。

(『百萬人の身世打鈴』p382~383)

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