朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

否定派の主張

「在日は強制連行の被害者」というのが長い間定説だった。しかし、現在日本に住んでいる在日コリアンは出稼ぎのために自由意思で日本に来たのであって、強制連行で連れて来られたというのは嘘だ。

反論

「強制連行」以前から多くの朝鮮人が日本に移住していたこと、「強制連行」された人々の多くが終戦直後に帰国したことは在日の研究者も言及している


これは「強制連行」に関する誤解の中でもっとも広まっている話かもしれません。鄭大均「在日・強制連行の神話」などでは、あたかも「強制連行論=在日は強制連行の被害者であるとする論」であるかのように書かれていますが、これは誤りです。


そもそも、朝鮮人戦時動員が始まる以前に多くの朝鮮人が日本に移入・移住していたこと、戦時中に動員された朝鮮人の多くが朝鮮半島に帰還したこと、従って現在のほとんどの在日コリアンは強制連行によって来日した(あるいは強制連行をルーツとする)のではないことは、強制連行研究者の間では常識でした。

強制連行研究の古典とされる「朝鮮人強制連行の記録」(1965)には「一九四五年八月一五日、日本帝国主義の敗亡による朝鮮の解放は日本に連行された朝鮮人労働者に解放への歓喜をもたらし、朝鮮人労働者は懐しい故国に向って先を争って帰国した。(中略)こうして八月一五日から一一月三○日までに自発的、集団的帰国者五二万五、○○○名を数えた。」(p98)と書かれています。

また金賛汀「証言 朝鮮人強制連行」(1975)でも「「解放の日<ヘバンウイナル>(引用者注・1945年8月15日のこと)」は文字どおり、強制連行、強制労働からの解放の日であった。(中略)すべての朝鮮人強制連行者が、帰国を急いだ。(中略)そのような状況のなかで、日本に進駐した米軍は朝鮮人の帰国を一時停止し、港に朝鮮人が終結することを禁止した。(中略)事態が混乱し、収拾が困難になるにしたがい、進駐米軍も、朝鮮人強制連行者を帰国させる以外にこの混乱を収拾する方法がないことを認め、彼らの帰国が再開された。/強制連行者の多くは、この時期に帰国した。」(p121〜122)と、被動員者の帰国について記されています。


ただし、全ての被動員者が帰国したわけではなく、様々な理由で帰国しなかった、あるいはできなかった人もいました。証言集などに記録された体験者の証言の多くは、こうした人々によって語られたものです。


「在日コリアンは強制連行の被害者」と漠然と信じられてきた理由はいくつか考えられますが、日本人の無理解・無関心もそのひとつでしょう。また学校教育などでも「強制連行」のみが強調され、在日コリアンがどのような経緯で日本に定住することになったかがきちんと教えられてこなかったことも原因のひとつと思われます。

参照
再掲「朝鮮人強制連行の記録」のp98、及び「証言 朝鮮人強制連行」p121〜123より。
朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味―

メンバーのみ編集できます